みんなと囲んでカツレツを
子供たちの声で、カツレツに夢中になっていた大人たちも顔をあげる。
「あれ、ミリー様?」
「いつのまにかあんなに大きくなって」
「えっ、なんでここに?」
ざわめきが一気に広がり、ユウは手を止めた。
様付きで呼ばれる時点で、ただ者ではないのは分かる。恐らく、貴族ではないかと思う。けれど、村人たちの声には驚きのほかに、妙な親しみが混じっていた。
呼ばれた娘――ミリーは、そのざわめきと視線の中心でも怯むことなく、まっすぐ広場の奥を見ていた。
いや、正確には、カツレツを揚げているユウを見ていた。
すごい目つきだった。
敵を見るみたい、とまでは言わない。だが少なくとも、はじめましてという感じの目つきではない。
ユウは思わず、隣の道具屋のじいさんに小声で聞いた。
「……誰です?」
「うちの領主様のお嬢様だよ」
「えっ」
「たまに村の様子を見に来なさるんだ。口は厳しいが、ちゃんと気にかけてくださるお方さ」
まさかそんな相手が、こんなタイミングで来るとは思わなかった。
ユウが軽く身構えていると、村の女たちのほうが我先にとミリーへ声をかける。
「ミリー様、ちょうどよかった」
「今日は角豚が獲れたんですよ」
「この人、すごい料理がうまいんです!私達も教えてもらってて」
この人という言葉で、ミリーの視線がさらに真っすぐユウへ刺さった。せっかくの丸くてかわいい目が台無しだ。
「……あなたが、森の料理人?」
想像以上に、綺麗な声だった。
しかし、第一声から喧嘩腰である。
ユウは一瞬だけ目を瞬いたが、とりあえず頷いた。
「そう呼ばれてるみたいですね」
「みたい、ではなく、そうなのでしょう?」
「まあ、たぶん」
「曖昧ね」
「別に他人からの呼ばれ方とか、気にしてないんで」
ユウが言い返すと、ミリーの眉がぴくりと上がった。
横にいたエマが、ほんのわずかに顔を覆う。
村人たちはというと、微妙に楽しそうだった。
道具屋のじいさんなんて、「あのお嬢さんがあんなに大きくなって」と涙を拭っている。
ミリーはユウを睨むように見たまま、広場に漂う香りを鼻先で吸い込んだ。
その瞬間だけ、目の奥がほんの少し揺れる。
「……それで」
ミリーは言った。
「村で騒ぎを起こしている張本人が、これを作ったのね」
「騒ぎって」
「みんな浮かれすぎよ」
ミリーは、やれやれとため息をつく。
「食べたものが美味しかったからじゃないですか?」
「あなた、何か企んでるんじゃないでしょうね?」
「企んでなんかいませんよ。貴女こそ何か思惑でも?」
ぴしり、と空気が鳴った気がした。
エマがとうとう片手で額を押さえ、村人たちは「おお……」みたいな顔をしている。なぜちょっとワクワクしているのか。
そこへ、子どものひとりが無邪気に割って入った。
「ミリー様も食べる?」
広場の空気が一瞬でやわらぐ。
子どもは揚げたてのカツレツを小さな皿に乗せて、当然のように差し出していた。
ミリーは、差し出されたそれを見下ろす。
こんがりと色づいた衣。肉の香りと甘酸っぱいソースの香り。ほんのり立つ油の熱。ここまで来るあいだに嗅いでいた匂いの正体が、ようやく目の前に形を持って現れたのだ。
「……別に、食べに来たわけではないのだけれど」
「まあまあ」
村の女が笑う。
「確認でも何でもいいから、一口食べてみなさいな」
「そうだよ、すごいんだよ!」
「いつもかたい肉なのに、ちゃんと噛めるんだから!」
子どもたちまで口々に言い出す。
完全に逃げ道がない。
ミリーは不本意そうに唇を引き結びながら、皿を受け取った。
「……確認よ」
言い訳みたいにそう言う。
「別に、おいしいと聞いたから食べるわけではないわ。ただ、本当に村の空気が変わるほどのものなのか、確かめるだけ」
「誰もそこまで聞いてませんけどね」
ユウがぼそっと言うと、ミリーがぎろりと睨んだ。
「あなたは少し黙っていて」
「はいはい」
完全に喧嘩である。
けれど、ミリーはもうカツレツから目を離せなかった。
衣の端から立ちのぼる匂いが、予想以上に暴力的だったのだ。香ばしくて、熱くて、肉の香りが濃いのに、嫌な重たさがない。この上にかかっている赤いソースのせいだろうか。
しかも、村人たちがあまりにも当然みたいな顔で、おいしそうにこれを食べている。
ありえない。
あの角豚の肉が、そんなふうになるはずがない。だって、うちの料理人だってそんなことはできなかったんだから。
半信半疑のまま、ミリーは小さく一口かじった。
――さくっ。
最初に来たのは、その音だった。
次の瞬間、衣の下から熱い肉汁がじわっと広がる。なのに脂っこすぎない。噛めばちゃんと歯が通り、あの筋張った角豚とは思えないほど、肉がやわらかい。
その直後にじゅわっと脂とともに甘酸っぱいソースが流れ込む。口の中が一気に爽やかになって……。
ミリーの動きが、ぴたりと止まった。
「…………」
広場が静まる。
村人たちが、固唾を呑んで見守る。
「ミリー様?」
子どもが不安そうに声をかけた。
ミリーは、返事をしなかった。
そのまま、もう一口かじった。
さく、じゅわ。
「……おいしい」
やっと出た言葉が、それだった。
もう一口。
「なんなの、これ」
村人たちが顔を見合わせる。
ミリーは完全にカツレツを見つめたまま、混乱したように眉を寄せた。
「どうしてあの角豚が、こんなに噛み切れるの?」
もう一口。
「……ありえない」
さらにもう一口。
気づけば、かなりの勢いで食べ進めている。
ユウは腕を組んだまま、それを見ていた。
きっと食べるのが好きな人なんだろうな。貴族なんて食事が大事じゃないやつばっかだと思ってたけど、案外そうじゃないらしい。
村の女のひとりが、にやっと笑う。
「ミリー様、手が止まってませんよ」
はっとしたミリーが、自分の手元を見る。
皿の上のカツレツは、もう半分近くなくなっていた。
「こ、これは……!」
「おいしいんだよね!」
子どもが無邪気に言う。
「そ、そうよ!でもおかしいわ!!」
ミリーはほとんど叫ぶように言った。
「だって、角豚でしょう!? あんなに固くて、煮ても焼いても食べにくい肉が、どうしてこんな……さくっとして、中はちゃんとやわらかくて、しかも噛むほどに肉の味が出てきて……上のソースもすごく甘くて酸っぱくておいしくて、意味が分からない!」
言いながら、また食べた。
広場のあちこちで吹き出す音がする。
エマは片手で口元を押さえている。たぶん笑いを堪えている。
ミリーは顔を赤くした。
「わ、笑わないで!」
「いやあ、失礼」
道具屋のじいさんが肩を震わせる。
「でも、そんなに素直に驚いてくれるなんて。昔と変わらないね」
「トム、そんなことないわ!だって、私、今、王都の学園で首席なのよ。完璧淑女なんて呼ばれちゃってたりするんだから!」
「自分で言っちゃうところですよ、ミリー様」
「エマまで!」
ミリーはきっとユウのほうを向いた。
「あなた!」
「はい」
「この肉に何をしたの!?」
ものすごい勢いで詰め寄られて、ユウは思わず半歩だけのけぞる。
「叩いて、薄くして、衣つけて揚げただけですけど」
「“だけ”で済ませるんじゃないわよ!」
即座に返ってきた。
「叩くって何!? どうして叩くの!? 衣って何の意味があるの!? 油で揚げるとどうしてこうなるの!? あと、このさくっとした感じは何!?全部1から10まで教えなさい!」
質問攻めである。
さっきまでの喧嘩腰とは別の意味で、距離が近い。
ユウは一瞬だけぽかんとしたあと、吹き出しそうになるのをこらえた。
「……なんか、すごい聞いてきますね」
「当たり前でしょう!」
ミリーは真っ赤な顔のまま言い切った。
「こんなものを出されて、気にするなというほうが無理よ!」
広場の空気が、今度こそ堪えきれない笑いに包まれた。
ユウも思わず顔から笑みがこぼれる。今まで、王都じゃ誰も料理に対して興味をもってくれなかった。そのことが今はただただ嬉しい。
「みりー、すごい! おこってるのに、たべてる!」
いつの間にきたのかミツが口周りをトマトで赤くベタベタにしながら、腹を抱えて転げ回るように笑う。
ひどい有様である。
笑顔の中心でカツレツを手にしたミリーは、たしかに今まででいちばん生き生きした顔をしていた。
怒って、戸惑って、悔しそうで、でも、どうしようもなく感動している顔。
ユウは、それを見て、この人とは仲良くなれるかもしれないと思った。




