赤いソースのカツレツ
その日、ユウが村へ向かったのは、いつもより少し遅い時間だった。
朝から暴れるシロとミツを宥めていたせいだ。空は薄曇りで、森の端にはまだ少しだけ冷たい空気が残っている。
「今日は何にするかなあ」
ユウが独り言をこぼしながら歩いていると、足もとでシロがアピールするように目をキラキラさせてユウを見上げる。
「そろそろ揚げ物とかも食べたいなー」
そう言ったところで、村の柵が見えてきた。
そのときだった。
「ユウー!」
甲高い声が飛んできた。
見ると、村の子どものひとりが、広場のほうから全力で駆けてくるところだった。前にシロと遊んでくれていた目の大きな男の子だ。頬を真っ赤にして、息を切らしながら、ユウの前で止まる。
「はあっ、はあっ……ちょうどいいところに」
「どうした。そんなに急いで」
「すごいの! おっきいの、とれた!」
「おっきいの?」
「はやく! はやく来て!」
男の子は返事も待たずにユウの手首を引っ張った。勢いのままつんのめりそうになりながら、ユウはシロと顔を見合わせる。
「なにかあったのか?」
「わふっ」
シロもよく分からないらしいが、子どもの興奮だけは伝わったのか、尻尾を振りながらついてくる。
広場の近くまで行くと、いつもよりずっと人が集まっているのが見えた。村の男衆も女たちも、子どもたちまで、みんなが一か所を囲んでざわざわしている。
「連れてきた!」
男の子がそう叫ぶと、輪の中にいた道具屋のじいさんが振り向いた。
「おお、森の料理人さん。ちょうどいいところに来た」
「何があったんです?」
「見りゃ分かるさ」
人垣が少し割れる。
その向こうに転がっていたものを見て、ユウは思わず目を見張った。
「……でかいな」
そこにいたのは、豚に似た大きな獣だった。
胴は丸太みたいに太く、鼻先はがっしりしていて、額の上には短いが硬そうな一本角が生えている。毛は黒褐色で、首まわりがとくに分厚い。
「角豚だよ」
じいさんが、どこか誇らしげに言った。
「村の男衆で追い込んで、ようやく仕留めたんだ」
周りの男たちが、疲れたような、でも浮き立った顔で頷く。服は泥だらけで、腕や頬に小さな擦り傷もある。かなり大変だったのだろう。
「よく倒しましたね」
「いやあ、危なかったがな。最近、こいつには村の畑を荒らされて困ってたんだ」
腕の太い男が頭をかいた。
「でも、せっかく仕留めても、こいつの肉がまた厄介でなあ」
「厄介?」
「固いんだよ」
別の男が、解体途中の肉塊を持ち上げて見せた。
「前にも一度食べたことがあったが、煮ても筋ばってるし、顎が疲れる。腹にはたまるが、うまいとは言いづらい」
「だから、あんたに聞きたかったんだ」
じいさんが真っすぐユウを見る。
「何かいい食べ方はないかい」
周囲の視線が、一斉に集まる。
いつの間にか、期待されることに慣れてきた自分がいるのに、ユウは少しだけ苦笑した。
「まず肉、見せてもらっていいですか」
しゃがみ込み、切り分けられた肉を触る。
指先に、すぐ分かるほどの繊維の強さ。筋が多く、厚みのある部分はそのまま火を入れたら、確かに噛み切るのが大変そうだ。だが、脂の乗りは悪くない。調理方法によっては、そこそこジューシーな肉料理ができそうだ。
「どうです?」
男のひとりが不安そうに聞いてくる。
「悪くないです」
「ほんとか?」
「ただ、そのままじゃ駄目ですね」
ユウは肉を持ち上げながら言った。
「これは、柔らかくした方がいいと思います」
「柔らかく?」
「切って、叩いて、筋を切って、それから揚げようと思います」
「揚げる?」
村人たちが一斉に首を傾げる。
そりゃそうだ、とユウは思う。調理方法が乏しいこの世界で、揚げ物が一般的であるはずがない。
「油はあります?」
「あー、それなら最近たくさん入ったよ」
道具屋のじいさんが道端に置いている樽を指差す。
「小麦粉は?」
「あるよ」
「卵は?」
「森鳥のなら何個か」
「パンは?」
「パン、パンかー。柔らかいのはないけど、固くて食べれないのなら」
「よし。じゃあ、いけます」
ユウが立ち上がると、人垣がざわっと揺れた。
「ほんとに食えるようになるのか」
「なります。すごいうまいですよ。ちょうど俺も食べたかったんです。あとはトマトがあればなー」
「きゃん!きゃん!」
「どうした?シロ?」
シロはユウの膝を爪でカリカリ引っ掻くと、目を瞑り体をぷるぷる震わせ始める。シロが目をカッと見開いた瞬間、2個ほどトマトが何もないところからころころと転がり落ちてきた。
「トマトじゃないか!シロこれどうしたんだ?」
ユウが思わずシロの体をもふもふと撫でると、「わふーん」と鳴きながら、さらにもっふもふのお腹を見せるシロ。
「そうか、そういえば忘れてたけどシロちゃんも魔物なんだっけか」
腕の太い男がしみじみと頷く。
「その子は大事にした方がいいぞ。空間魔法が使える魔物なんて、冒険者してた頃は聞いたことがない」
「そうなんですか!?」
相変わらず気持ちよさそうに目を細めるシロを見る。確かに、グラードさんの一族となると、他にも何かしらすごい能力があるのかもしれない。
それにしても、ふわふわだな……。触った瞬間、ふわふわの毛に手が沈んでいく。
ユウが無心で撫でていると、子供達もわらわらとシロに手を伸ばす。
「すっごい!すごいもふもふだよ!」
「シロ、すごいね!魔法が使えるなんて!!」
「わふっ!?」
ユウはその声にハッと意識を取り戻すと、子供達にモフられているシロを放って、立ち上がった。
「じゃあ、早速調理に取り掛かりますね」
「私達もその様子見ててもいいかい?料理の参考にしたいんだ」
声をあげた恰幅のいい女の人を中心にわらわらとユウと調理台を取り囲むように円ができる。
「もちろんです」
ユウは肉の塊を見下ろし、前世の記憶を引っ張り出す。衣をつけて揚げるカツレツだ。
「まず、肉に薄く切り目を入れます。で、ひたすら平たく叩く」
「叩く?」
「繊維を切って柔らかくするんです」
そう言って、めんぼうの代わりになりそうな木槌を借りた。
肉を板の上に置き、包丁で軽く筋を入れてから、上から叩く。
どん、どん、どん、と鈍い音が響いた。
最初は厚みのあった肉が、少しずつ横へ広がっていく。
「おお……」
誰かが感心したように声を漏らした。
「こうやって、叩いて、薄くして、筋を切る。そうすれば火も通りやすいし、噛みやすくなりますよ」
見本を一枚作って見せると、村の女たちが前のめりになる。
「やってもいいかい?」
「もちろん。むしろ助かります。ここまでの人数となるとなかなか一人では手が追い付かないので」
「よしきた!」
そこからは早かった。
板を何枚か並べ、肉に切れ目を入れる者、叩く者、卵を割る者、小麦粉を分ける者、硬くなったパンを削る者で手分けする。
村じゅう総出の仕込みだ。
「ユウ、これでいいかい?」
恰幅のいいリーダー格の女性が、叩き終わった肉を持ってくる。
「もうちょい端までお願いします。そこ、筋残ってるんで」
「おっしゃ」
別のところでは、女たちが卵を溶きながら話している。
「こんなふうに肉を叩くなんてねえ」
「でも見てると、なんだか気持ちいいよ」
子どもたちは子どもたちで、叩かれてどんどん広がっていく肉を見て大はしゃぎだ。
「でっかくなった!」
「最初の倍くらいある!」
その様子に、ユウの胸も少しだけ軽くなる。
今までは自分がご飯を提供するばかりだったけど、村の人達が、自分たちで獲った獲物を、自分たちの手でもっと良く食べようとしている。
そこに自分が混ざっているのが、妙にうれしかった。
「肉が出来上がったら次は揚げる作業です。衣は、粉をまぶして、卵にくぐらせて、最後に細かく砕いたパン粉をつけます」
「パン粉?」
「これをつけるととってもカリカリになるんですよ」
村人たちが協力してくれたおかげで、衣の準備も想像より早く進んだ。
大鍋に油を入れ、火を起こす。
鍋の表面がゆらりと揺れたところで、ユウは衣をまとわせた肉を一枚、そっと油の中へ滑らせた。
じゅわあああっ、と大きな音が上がる。
村人たちが一斉に身を乗り出した。
「うわっ」
「すごい音だ」
「いい匂い……!」
衣が油の中でふわりと膨らみ、表面が少しずつ色づいていく。肉そのものとは違う、香ばしい香りが広場に広がった。
その匂いだけで、空気が変わる。
子どもたちが思わずつばを飲み込み、シロも足もとでそわそわし始める。珍しく、森のほうから来ていた何匹かの魔物まで、遠巻きに匂いを嗅いでいた。
「ひっくり返しますよ」
ユウが木の箸で裏返すと、こんがりとした狐色の面が現れた。
周囲から、おお、と低いどよめきが上がる。
「すごいな……まるで別の肉みたいだ」
「見た目がもう、ごちそうじゃないか」
「食べ物は見た目も大事ですから」
揚がった一枚を引き上げ、油を切る。
次々に同じように揚げていくうちに、広場は香ばしい匂いで満ちた。何枚も並んだ黄金色の肉は、村で獲れたとは思えないほど華やかだ。
その間にトマトを刻み、醤油とほんの少しの塩、砂糖を入れ、別の鍋に入れる。ジュワッとトマトの水分が抜け、どんどんうまみが凝縮された少し酸味のある簡単なソースができる。
塩だけでも食べられるが、カツレツにトマトソースはかかせない。
きつね色のカツレツのカリッとした上にトマトソースをかける。
「よし。じゃあ、まずは倒した人たちから」
最初に皿を受け取ったのは、角豚に止めを刺したという男だった。
手のひらほどに広がったカツレツを、恐る恐る齧る。
衣が、さく、と鳴る。
次の瞬間、その男の顔が変わった。
「……やわらかい」
ぽかんとした声だった。
「噛み切れるぞ、おい」
もう一口。今度はさっきより大きくかじる。
衣の香ばしさのあとに、肉汁がじわっと出る。固いはずの肉が、ちゃんと噛める。噛むほどに旨味が出る。
「これ、本当にあの角豚か?」
周りの大人たちも慌てて手を伸ばす。
「こっちにも!」
「熱いから気をつけてください!」
女たちも、子どもたちも、順に齧っていく。
「さくさくする!」
「角豚のお肉なのに噛める!」
「中がちゃんと柔らかい……!」
「これ、すごいねえ」
あちこちで、驚きと笑いが混ざった声が上がった。
子どもたちは特に分かりやすかった。いつもなら固い肉を口いっぱいに頬張って難しい顔をするのに、今日は目を輝かせている。
「また食べたい!」
「これ、また獲ろう!」
「いや、それは簡単じゃないだろ」
大人たちが笑いながら突っ込む。
ユウはその光景を見ながら、次の一枚を取り分ける。
そのときだった。
広場の端で、誰かが足を止めた気配がした。
ユウが顔を上げるより先に、子どものひとりが「あれ?」と声を漏らす。
「見ない顔」
人々のざわめきの向こうに、若い娘が立っていた。
質素な村娘風の服を着ているが、どこか場に馴染みきっていない。背筋の伸び方も、立ち方も、村の女たちとは明らかに違う。隣には同じく地味な服の女が一人。こちらは侍女か護衛か、そういう空気を隠しきれていなかった。
けれど何より、娘の目が印象に残った。
真っすぐで、強くて、どこか怒っているようにも見える目。
その視線の先には、揚げたてのカツレツを配るユウがいた。
村人たちの笑い声。油の香り。ごちそうを頬張る子どもたち。
その光景を前にして、娘は驚いたように、わずかに目を見開いている。
けれど、そこにあるのは素直な感動だけではなかった。
ユウはなんとなく察する。
この人は、この匂いに惹かれて来たんじゃない。
何かを確かめるために来た目だ。
その視線は、まだユウから離れない。
角豚のカツレツを頬張る村人たちの向こうで、ユウはその見知らぬ娘を見返した。
たぶん、面倒なことになる気がする。
なんとなくそんな予感がした。




