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ミステリー好き女官の死に戻り事件簿  作者:


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第6話 寒い朝の皇帝

皇帝は、人間だった。


小桃(シャオタオ)にとって、それは少し困る発見だった。


皇帝というものは、遠くにいる記号の方が扱いやすい。

雲の上にいて、命令を出し、臣下が拝み、下級女官は一生まともに顔を見ない。

そのくらい遠ければ、救う理由も理屈で済む。


けれど、咳をする人間は困る。


その朝、小桃(シャオタオ)配膳補助(はいぜんほじょ)に回されていた。


昨夜の予備通路の女官は、名を言う前に逃げた。

奥の足音も消えた。

追おうとした小桃(シャオタオ)呉菲(ウー・フェイ)に袖を掴まれ、鈴鈴(リンリン)に腰を掴まれ、最終的に「下級女官三名が使用停止通路で不審者を追跡」という非常に処罰されやすい形になる前に引き戻された。


そして翌朝。


なぜか小桃(シャオタオ)は、皇帝の近くまで盆を運ぶ役に入れられた。


「これ、偶然かな」


鈴鈴(リンリン)が盆の陰で震える。


「後宮の偶然は、だいたい誰かの都合です」


「じゃあもっと嫌だよ」


呉菲(ウー・フェイ)は声を低くした。


「二人とも、言葉を慎みなさい。ここは奥宮(おくみや)です。足音、視線、息の大きさまで見られます」


「息もですか」


小桃(シャオタオ)の息は余計なことを言いそうです」


「肺への評価が厳しい」


奥宮(おくみや)の朝は寒かった。


庭の白い霜がまだ消えていない。

(しゅ)塗りの柱の影に冷気が溜まり、盆を持つ指先がじんと痛む。


皇帝の寝所(しんじょ)に近い広間では、宦官(かんがん)も女官も動きが小さかった。

音を立てない。

目を上げない。

しかし全員の神経が、奥の(とばり)へ向いている。


咳が聞こえた。


乾いた、浅い咳だった。


小桃(シャオタオ)は盆を持ち直す。


(とばり)の奥から現れた皇帝は、想像よりも痩せて見えた。

衣は立派だ。

座るだけで周囲が膝をつく。

けれど、その肩には疲れが乗っている。


皇帝が湯の碗を受け取ろうとした時、近くの下級女官が緊張で手を滑らせた。


湯が少しだけ盆にこぼれる。


その瞬間、周囲の空気が張り詰めた。


女官は青ざめて膝をつく。


「も、申し訳ございません」


誰かが叱る前に、皇帝が咳の合間に手を上げた。


「寒い朝だ。湯をこぼすなよ。叱られるのはそなたではなく、そなたの上役だ」


女官は目を見開いた。

上役の女官も息を止める。


皇帝はそれ以上咎めなかった。


声は低く、疲れていた。

優しいというより、叱る力を使う場所を選んでいる声だった。


小桃(シャオタオ)は、その声を聞いた。


鈴鈴(リンリン)が後ろで小さく呟く。


「怖い方だけど、今のは少し優しかったね」


呉菲(ウー・フェイ)が即座に返す。


「皇帝陛下の御言葉を評価する規則はありません」


「でも、ちょっと」


「ありません」


呉菲(ウー・フェイ)、規則で感想を殴らないで」


小桃(シャオタオ)は少しだけ笑いそうになった。


その時、皇帝の目がこちらへ向いた。


小桃(シャオタオ)は反射的に頭を下げる。


見られた。

そう思った。


皇帝の視線は、ほんの短く小桃(シャオタオ)の上で止まった。


「……名は」


言いかけて、咳に流された。


側近の宦官(かんがん)がすぐに寄る。

小桃(シャオタオ)はそのまま深く頭を下げるしかなかった。


名を聞かれた。

下級女官の名を。


死ぬはずだった人が、今ここで小桃(シャオタオ)を見る。


それは、奇妙な感覚だった。


事件の被害者。

皇帝。

毒殺に見せかけられる人。


そういう言葉が、一瞬だけ剥がれた。


そこにいたのは、寒い朝に咳をして、湯をこぼした女官を咎めなかった、疲れた人間だった。


小桃(シャオタオ)は盆を握る指に力を込めた。


困る。


助けたい理由が、また一つ増えてしまった。


配膳(はいぜん)が終わった後、三人は香炉管理(こうろかんり)の控え棚に回された。


香炉(こうろ)を洗う女官が、奥から小さな袋を運んでくる。

袋の口がわずかに開いた瞬間、甘く重い匂いがこぼれた。


小桃(シャオタオ)は吸い込んで、胸の奥が少し詰まるのを感じた。


「……重い香ですね」


鈴鈴(リンリン)が顔をしかめる。


「良い匂いだけど、長くいると息が浅くなりそう」


呉菲(ウー・フェイ)が記録板を抱えて戻ってくる。

顔が硬い。


小桃(シャオタオ)


「処罰ですか」


「違います。香炉管理(こうろかんり)の記録に乱れがあります」


小桃(シャオタオ)は背を伸ばした。


鈴鈴(リンリン)はすぐに周囲を見回す。


「乱れって、怒られるやつ?」


「怒られる前に調べるやつです」


呉菲(ウー・フェイ)は木札を机に並べた。


「皇帝陛下の寝所(しんじょ)で焚く香は、香炉管理(こうろかんり)係の記録と、女官配置記録が合わなければ変更できません。香は気分の問題ではなく、体調にも関わりますから」


「良い規則です」


「ですが、今朝の配置替えに合わせて、香の種類が変更される予定になっています」


小桃(シャオタオ)は木札を見る。


甘く、重い香。

冬の寝所(しんじょ)で使われることはある。

だが、咳をしている人間に長く吸わせるには、あまり親切ではない。


「これは?」


呉菲(ウー・フェイ)が言う。


「香の下賜記録(かしきろく)です。李蓮(リー・レン)殿下名義になっています」


鈴鈴(リンリン)が目を丸くする。


李蓮(リー・レン)殿下? 昨日の怖い美男子?」


「怖い美男子という記録名はありません」


小桃(シャオタオ)は木札に顔を近づけた。


李蓮(リー・レン)の名。

香の下賜(かし)

皇帝の寝所(しんじょ)

呼吸に重い香。


怪しい。

あまりに怪しい。


「殿下、順調に容疑者評価を上げてきますね」


呉菲(ウー・フェイ)が木札を一枚ずらした。


「ただし、通し番号の扱いがおかしいです」


「どうおかしいのですか」


下賜記録(かしきろく)の原本番号と、香炉管理(こうろかんり)側の受領番号は一致しています。ですが、女官配置側の控えだけ、筆跡が違います。番号の払いもわずかに太い」


「偽造?」


「断定はできません。書き写しの癖かもしれません。ただ、通常は同じ係が連続して記入する箇所です」


小桃(シャオタオ)は木札を見つめた。


李蓮(リー・レン)名義。

だが記録に小さな乱れ。

あからさまな疑いと、わずかな違和感。


毒殺らしすぎる毒と同じ匂いがする。


李蓮(リー・レン)殿下を疑わせたいのか、殿下が本当に関わっているのか」


鈴鈴(リンリン)が震えた。


「どっちも怖い」


「怖さに差をつけましょう」


「つけたくない」


呉菲(ウー・フェイ)がさらに別の札を出した。


「それから、寝所(しんじょ)の戸です」


「戸?」


「建てつけ確認という名目で、明日から奥の戸が完全には閉まらない状態になります。職人が調整中という扱いです」


小桃(シャオタオ)は顔を上げた。


「この寒さで?」


「記録上は、湿気で歪みが出たための確認です」


その時、窓辺の灯明(とうみょう)がふっと揺れた。


閉めたはずの小窓の隙間から、細い冷気が入っている。

小桃(シャオタオ)は思わず腕をさすった。


皇帝の寝所(しんじょ)でこれが起きれば、咳のある人間にはつらい。


「湿気で歪んだ戸が、都合よく皇帝陛下の寝所(しんじょ)だけ開くのですか。戸にも出世欲がありますね」


「戸に罪はありません」


「では戸を動かす人に罪があります」


小桃(シャオタオ)の頭の中で、線が増えていく。


寒い寝所(しんじょ)

咳をする皇帝。

呼吸に重い香。

長く起きていなければならない召し出し(めしだし)

完全には閉まらない戸。


毒ではない。

まだそう断定するには早い。


けれど、毒とは別の危険が皇帝の周りに置かれ始めている。


その時、香炉管理(こうろかんり)の女官が慌てて駆け込んできた。


呉菲(ウー・フェイ)、記録の確認を。陛下の寝所(しんじょ)の香、今夜から替えるよう追加命令が出たわ」


呉菲(ウー・フェイ)の表情が硬くなる。


「今夜から?」


「ええ。下賜品(かしひん)だから、失礼のないように早めると」


小桃(シャオタオ)は木札を見た。


李蓮(リー・レン)名義の香。

通し番号の乱れ。

呼吸に重い香。

寒い寝所(しんじょ)


香炉管理(こうろかんり)の女官は声を落とした。


医官府(いかんふ)から、陛下の薬草と相性の悪い香は避けるよう注意が来ていたの。でも、確認済みだと総管府(そうかんふ)から返ってきたそうよ」


小桃(シャオタオ)はゆっくり息を吸った。


甘い匂いが、胸の奥で重く沈む。


皇帝の寝所(しんじょ)で使う香が、皇帝の発作に関わる薬草と相性の悪いものへ替えられようとしている。


それも、李蓮(リー・レン)名義で。


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