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【短編】勇者、お前ら俺なしで宿の予約もできなかったのか~追放された補助役は辺境の村で必要とされます~  作者: 磯辺


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2/3

勇者、お前ら俺なしで宿の予約もできなかったのか

「とりあえず、水は出してやる」


 俺がそう言うと、アレンは勇者とは思えないほど真剣な顔でうなずいた。


「助かる」


「礼を言う元気はあるんだな」


「礼儀は大事だと、お前が言っていた」


「覚えるところが遅い」


 俺はアレンを自分の小屋へ連れていった。


 村人たちは遠巻きに見ている。

 無理もない。


 勇者アレンといえば、王国中で名前を知られている英雄だ。

 魔王軍の大型魔物を一撃で倒したとか、山賊団を一晩で壊滅させたとか、そういう話ならこの村にも届いている。


 その勇者が今、泥まみれで、空腹で、俺の小屋の前に立っている。


 物語としては盛り上がる。


 現実としては、かなり面倒だった。


「入れ」


「……いいのか」


「ここで倒れられる方が困る」


「すまない」


 アレンは小屋へ入った。


 俺は戸を閉め、窓の外からこちらをのぞこうとしていた子供たちに声をかける。


「お前ら、あっちで桶を洗ってこい」


「勇者様、何しに来たの?」


「桶を洗ってから聞け」


「はーい!」


 足音が離れていく。


「その汚い外套はここに置いていけ。井戸まで行く前に、泥を落とせるものは落としておく」


「いや、自分で――」


「今のお前が洗ったら、外套より先にお前が倒れる」


 アレンは反論しかけて、やめた。


「……頼む」


 俺は外套を受け取った。


 ずっしりと重い。


 乾いた泥と、川水と、旅の疲れが染み込んでいるような重さだった。


 俺は外套を戸口の釘に引っかけてから、鍋を火にかけた。


 昨夜の残りの豆のスープに、黒パンの木端を割って入れる。

 硬くなった黒パンは、そのままでは歯が負ける。

 水分を吸わせれば、どうにか食える。


 温まりきる前に、アレンの腹がまた鳴った。


「少し待て」


「待っている」


「顔が待ってない」


「すまない」


 俺は椀に、ふやけた黒パン入りのスープをよそって渡した。


 アレンは両手で椀を受け取り、湯気に息を吹きかけることも忘れて口へ運んだ。


「ゆっくり食え。喉に詰まるぞ」


「んぐ」


「言ったそばから詰まらせるな」


 俺は空になりかけた水差しを取り、木の杯に水を注いで突き出した。


 アレンはそれをひったくるように受け取り、水で黒パンを流し込む。


 しばらくして、ようやく大きく息を吐いた。


「……生き返った」


「死にかけていたのか」


「少し」


「少しで済む顔じゃない」


 目の下にはくっきりとした隈。

 髪は乱れ、服も泥と草の汁で汚れている。

 腰の聖剣だけは綺麗だった。


 それが逆に浮いていた。


 アレンが空になった椀を見つめている。


 俺は立ち上がり、棚から残っていた黒パンをもう少し取り、鍋の中へ落とした。


「いるか」


「いる」


「即答するな」


「すまない。いる」


「謝ればいいわけじゃない」


 もう一杯よそう。


 アレンは今度は少しだけゆっくり食べた。


「それで」


 俺は椅子に座った。


「魔王軍にやられたのか」


 アレンは首を振った。


「戦闘では負けていない」


「なら、なぜその状態になる」


 アレンは椀を持つ手を止めた。


 しばらく黙ったあと、重々しく言う。


「宿だ」


「……宿?」


「ああ」


「魔王軍の新型兵器か?」


「違う」


「呪いか?」


「違う」


「宿屋の主人に負けたのか?」


 アレンは少しだけ黙った。


「……否定しきれない」


 俺は額に手を当てた。


 まだ話を聞き始めて一分も経っていない。


「最初から説明しろ」


 アレンはうなずいた。


「お前が抜けたあと、俺たちは予定通り次の街へ向かった」


「予定通り?」


「お前の計画表を見た」


「見たのか」


「ああ。一日目だけは」


「一日目だけか」


「最初のページだったからな」


「本は二ページ目以降も読むものだ」


 アレンは目を逸らした。


「途中で魔物が出た。大型の魔狼だ。普通の冒険者なら十人いても厳しい相手だった」


「それで?」


「倒した」


 そこは実にあっさりしていた。


「俺が正面から斬り込んだ。ガルドが横から群れを割った。エルナが雷で足止めして、ミリアが負傷した馬を治した。戦闘は完璧だった」


「戦闘だけならな」


 そこは疑っていない。


 アレンたちは強い。

 戦闘だけなら、間違いなく王国最高峰だ。


「報酬は」


 俺が聞くと、アレンの手が止まった。


「……まだ受け取っていない」


「大型魔狼だろ。素材も討伐証明も金になる」


「素材は、少しだけ持ってきた」


「少し?」


「ガルドが『重い』と言って、牙と爪だけ残した」


「毛皮は」


「置いてきた」


「内臓素材は」


「分からなかった」


「討伐証明の書類は」


 アレンは黙った。


「出してないんだな」


「……ギルドの受付で、どの書類を書けばいいのか分からなくて」


「聞け」


「聞いた。だが、エルナが横から専門用語で説明し始めて、受付が混乱した」


「止めろ」


「止めようとしたら、ガルドが『魔物は倒した。金を出せ』と言った」


「盗賊か」


 アレンは椀を見つめた。


「結局、後日確認になった」


「つまり未換金か」


「ああ」


 戦闘に勝っても、手続きができなければ金にならない。

 大型魔狼の死体すら、こいつらには財布に変えられなかったらしい。


「問題はその後だった」


「宿か」


「宿だ」


 アレンは深刻な顔でうなずいた。


「街に着いたら、宿が全部埋まっていた」


「予約は」


「していなかった」


「予約表は」


「……あった」


「どこに」


「鍋の下に」


 俺は黙った。


 アレンも黙った。


「誰だ」


「ガルドだ」


「なぜ」


「紙がちょうどよかったらしい」


「ちょうどよかった、とは?」


「鍋敷きに」


 俺は深く息を吸った。


 吐いた。


 まだ怒るな。

 ここで怒ったら負けだ。


「予約表には、収穫祭前で宿が埋まりやすいと書いていたはずだ」


「あったらしい」


「らしい?」


「鍋の熱で、半分読めなくなった」


「宿の予約表を鍋で焼くな」


「すまない」


 謝るのが遅い。


「街では大型魔狼を倒したことで歓迎はされた。だが、収穫祭の前日で、宿はどこも満室だった」


「それで?」


「野宿した」


「一日くらいならまあ、どうにかなるだろ」


「雨が降った」


「……」


「二日目も宿は空かなかった」


「……」


「三日目にガルドが風邪を引いた」


「剣聖が?」


「ああ。あいつ、魔物の牙は弾くのに、雨は弾けないなんて俺は知らなかったんだ」


 俺は天を仰ぎたくなった。


 体調管理すらできないのか、あの男は。


「ガルドの外套はどうした。俺が宿の主人に預けたほつれ直しは受け取っただろ」


「受け取った」


「なら、なぜ風邪を引く」


「ガルドは喜んでいた。最高の仕上がりだと言っていた」


「それで?」


「汚したくないと言って、雨の中で脱いだ」


「……」


「馬車の屋根に干せば乾くと思ったらしい」


「雨の中で?」


「雨の中で」


 俺はこめかみを押さえた。


「結果、外套は川みたいに水を吸って重くなった。ガルドはほぼ薄着のまま朝まで震えていた」


「剣聖とは」


「俺も分からなくなった」


 そこは分からなくならなくていい。


「その間、魔王軍は?」


「お前の計画表にあった廃礼拝堂に逃げ込んだ。巡回路から外れていて、水場も近いと書いてあった場所だ」


「ああ、あそこか」


「あれがなければ危なかった。ミリアが入口に結界を張って、俺とエルナで交代で見張った。ガルドは奥で震えていた」


「戦時下で風邪を引く前衛か」


「笑えなかった」


「笑ってない」


 本当に笑えなかった。


「ミリアは?」


「全員に回復魔法をかけた」


「なら治っただろ」


「体力は戻った」


「よかったじゃないか」


「だが、濡れた服は乾かなかった」


「そこは魔法の範囲外か」


 アレンは真剣にうなずいた。


「範囲外だった。ミリアも泣きそうな顔でそう言っていた」


「泣きたいのはたぶん宿屋の主人だ」


「まだ宿には泊まれていない」


「そうだったな」


 話がひどい方向にしか進まない。


「その後は?」


「お前の計画表の一か月分は、なんとか使った」


 アレンは視線を落とした。


「宿の名前、街道、補給地点、商人への連絡先。最初は、正直、細かすぎると思っていた。だが、あれがある間はまだ進めた」


「最初は馬鹿にしていたのか」


「……すまない」


 謝るのが少し早くなった。


 いい傾向ではある。


「ただ、一か月を過ぎてからが問題だった」


「そこから二か月、どうしていた」


「気合いで」


「最悪の答えが来たな」


「ガルドがそう言った」


「言いそうなことだ」


 アレンは水を飲み、また話し始めた。


「まず、道を間違えた」


「地図は」


「途中まではあった」


「途中からは?」


「ガルドが、地図に頼ると勘が鈍ると言った」


「言うと思った」


「それで……」


 アレンは言いにくそうに口を閉じた。


「言え。地図はどうした」


「……夜、寒くて。ガルドが、焚き火に……」


 俺は、持っていた椀を机に置く手を止めた。


「地図を、燃やしたのか」


「すまない」


「お前が燃やしたわけじゃないだろ」


「止められなかった」


「同罪だ」


「すまない」


 勇者の肩が小さくなっていく。


「それで東街道に出た」


「東街道は橋が落ちていると書いていただろ」


「一か月分の計画表には書いてあった。だが、ガルドが『橋くらい剣でどうにかなる』と」


「ならない」


「ならなかった」


「当たり前だ」


「馬車は引き返すしかなかった」


「食料は?」


 アレンは目を伏せた。


「荷台が傾いて……」


「……」


「川に落ちた」


「人は?」


「ミリアが助けた」


「そこはよかった」


「干し肉は助からなかった」


「濡れたのか」


「ああ。ミリアが浄化魔法で泥水を落とそうとした」


「それで?」


「塩気も匂いも、全部消えた」


「……食えたのか?」


「噛んでも噛んでも、濡れた布みたいだった」


「食ったのか」


「少し」


「食うな」


 俺は椅子の背にもたれた。


 思った以上にひどい。


 だが、まだ序の口なのだろうという嫌な予感がある。


「旅費は?」


 俺が聞くと、アレンは目に見えて固まった。


「旅費は……」


「エルナか」


「なぜ分かる」


「分からない方がおかしい」


 アレンは両手で顔を覆った。


「希少な魔導書を見つけた」


「買ったのか」


「買った」


「いくらだ」


「かなり」


「具体的に」


「宿代三週間分」


「帰れ」


「待ってくれ!」


 アレンが慌てて身を乗り出した。


「俺も止めたんだ。だがエルナが、『これは今買わなければ二度と手に入らない』と」


「研究者が全員言う言葉だ」


「しかも希少触媒も買った」


「なぜ追加する」


「魔導書を読むには必要だったらしい」


「読まずに帰れ」


 アレンは何も言い返せなかった。


「お前がいた頃は、旅費、装備費、研究費、緊急費で袋が分かれていた。エルナは青い袋しか触れなかった」


「そうしていた」


「俺たちだけになってからは、全部一つの革袋にまとめた」


「なぜ」


「分かりやすいと思ったんだ」


「一番分かりにくい。予算の天井が見えなくなる」


 アレンは泥のついた服を見下ろした。


「……本当に、その通りだった」


 小屋の中に短い沈黙が落ちた。


 笑い話に聞こえる。

 だが、その結果として目の前の勇者は、まともに飯も食えない顔をしている。


「薬草箱は」


 俺は聞きたくなかったが、聞かざるを得なかった。


 アレンの顔がさらに曇る。


「ミリアが整理しようとした」


「善意だな」


「善意だった」


「結果は」


「湿布用の薬草と飲み薬が混ざった」


「赤札は」


「意味を知っていたのは、お前だけだった」


「札に書いていただろ」


「雨でにじんでいた」


「油紙」


「それも、お前の計画表に書いてあった」


「読め」


「すまない」


 アレンは本気でしょんぼりしていた。


 少しだけ、怒る気が削がれる。


「大事故にはならなかったのか」


「ならなかった。ガルドが間違えて湿布液を飲んで、一日寝込んだ」


「一日寝込んだ時点で事故だ」


「ミリアは泣いていた」


 俺は少し黙った。


 ミリアは善良だ。

 生活力はないが、悪気はない。


 自分の失敗で仲間が倒れたなら、相当落ち込んだだろう。


「商人ギルドへの連絡は」


 アレンの動きが止まった。


「……何の?」


 俺は目を閉じた。


 深く息を吸う。


 吐く。


「三日前に次の街のギルドへ連絡を回さないと、保存食は確保できない。戦時中だぞ」


 アレンの顔から血の気が引いた。


「だから……どこに行っても『予約分でいっぱいです』と言われたのか」


「勇者の名を出しても、断られただろ」


「ああ。どんなに頼んでも、余っていないものは出せないと言われた」


 アレンは膝の上で拳を握った。


「……戦時中だから、当たり前だったんだな」


 その声は小さかった。


 ようやく、現実に追いついた声だった。


「他の三人は」


「近くの町にいる。いや、町の近くにいる」


「なぜ町に入っていない」


「入れないんだ」


「何をした」


 アレンは答える前から苦しそうだった。


「ガルドが宿の柱を少し傾けて、エルナが弁償だと言ってわけの分からない石を差し出して、ミリアが泣きながら謝って……」


 なるほど。


 出禁か。


 俺は容易にその地獄絵図を想像できた。


「柱を傾けるな」


「俺もそう思う」


「あいつの怪力なら一瞬か」


「止めた。間に合わなかった」


 宿屋からすれば災害である。


 俺は深く、深く椅子にもたれ、天井を仰いだ。


 宿。

 地図。

 旅費。

 薬草。

 保存食。

 宿屋。


 一つずつ指を折るたびに、怒りを通り越して、乾いた笑いが出そうになった。


 戦闘だけは王国最高峰の英雄たちが、生活という名の戦場で見事に完敗している。


「戦闘はどうだった」


「勝っている」


 アレンはそこだけは迷わず答えた。


「大型魔物にも、魔王軍の小隊にも負けていない。ガルドは前より冴えている。エルナの魔法も強くなった。ミリアの回復も、何度も俺たちを救った」


「なら、よかったじゃないか」


「よくない」


 アレンは首を振った。


「俺たちは勝っているのに、進めなくなったんだ」


 その声は、さっきまでより少し低かった。


「お前がいたときは、雨が降っても、道に迷っても、次の朝にはちゃんと進めた。なのに、今は……」


 そこから先は、言葉にならなかったようだった。


 小屋の中が静かになった。


 外の夕焼けが、窓から差し込んでいる。


 俺はアレンから視線を逸らし、机の端に置いていた折れた釣り竿に触れた。


「遅い」


「分かっている」


「分かってないからここにいるんだろ」


「……それも、分かっている」


 アレンは立ち上がった。


 疲れ切っているくせに、姿勢だけはまっすぐだった。


 勇者らしい、と少しだけ思った。


 それが腹立たしくもあった。


「レオ」


「何だ」


「戻ってきてくれ」


 アレンは頭を下げた。


 勇者が、俺に向かって。


「俺たちには、お前が必要だ」


 言葉だけなら、三か月前に聞きたかった。


 いや。


 三か月前に聞いていたら、俺はたぶん戻っていた。


 でも今は違う。


 窓の外で、子供たちの声が聞こえる。

 村長が誰かに水路の話をしている。

 薬師のおばあさんが、棚の札を確認しながら鼻歌を歌っている。


 この村には、俺が直しかけているものがまだある。


 橋も。

 水路も。

 薬草箱も。

 折れた釣り竿も。


 俺はアレンを見た。


「今日は泊まっていけ」


 アレンが顔を上げる。


「レオ」


「話は明日だ」


「でも」


「粥を流し込んだばかりの勇者に、人生の重大決定をさせるな」


「それは……そうかもしれない」


「あと、今のお前は臭い」


「すまない」


「村の井戸を借りろ。服は洗え。外套は俺が干しておく。聖剣だけ綺麗なのが余計に腹立つ」


 アレンは戸口に掛けた外套を見た。


「……すまない」


「謝る前に洗え」


 俺は立ち上がり、戸を開けた。


 外には、桶を洗い終えた子供たちが戻ってきていた。


「お前ら」


「はーい!」


「井戸の場所を勇者様に教えてやれ。あと、村長に客が一人泊まると伝えてくれ」


「勇者様、泊まるの?」


「たぶん」


「宿の予約は?」


 子供の一人が首をかしげた。


 アレンが固まる。


 俺は言った。


「この村に宿はない」


「じゃあ勇者様、どうするの?」


「村長に頼む」


「予約なしで?」


 子供の言葉が、やけに鋭かった。


 アレンの肩がびくりと揺れる。


 俺は少しだけ笑った。


「今から頼めば間に合う」


「よかったね、勇者様!」


 子供たちは笑いながら走っていった。


 アレンはその背中を見送り、ぽつりと言った。


「……子供にも宿の心配をされる勇者か」


「成長の第一歩だな」


「どこがだ」


「宿の大切さを知った」


 アレンは何か言い返そうとして、やめた。


 俺は戸口にもたれ、夕暮れの村を見た。


 明日、こいつはもう一度言うだろう。


 戻ってきてくれ、と。


 そして俺は、答えを出さなければならない。


 静かな田舎暮らしは、どうやら本当に終わりかけている。


 いや。


 終わらせる気はない。


 俺はこの村で、まだやることがある。


 アレンは井戸の方へ歩きながら、ふらついた。


 子供たちが慌てて支える。


「勇者様、こっち!」


「そっちは鶏小屋!」


「井戸はこっち!」


「……すまない」


 俺は頭を抱えた。


 道案内からか。


 魔王城は、まだ遠そうだった。

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