追放されたので、田舎で暮らすことにした
「レオ。お前には、ここでパーティを抜けてもらう」
勇者アレンがそう告げたとき、俺は次の街までの補給計画に赤丸をつけているところだった。
王都近くの宿屋。
魔王軍の斥候部隊を退けた翌朝のことだ。
俺は羽ペンを置き、椅子を少し引いて、部屋の中央に集まっている四人と向き合った。
勇者アレン。
剣聖ガルド。
賢者エルナ。
聖女ミリア。
そして、俺。
レオ・アークス。
補助役。
たぶん、今日からは「元」がつく。
「……抜ける?」
「ああ」
アレンはまっすぐ俺を見ていた。
怒っている顔ではない。
悩んだ末に、正しい判断を下したと信じている顔だった。
「理由を聞いてもいいか」
「これから魔王城に近づくほど、戦いは厳しくなる。昨日の戦いでも分かったはずだ。お前は、戦闘でほとんど役に立っていない」
「まあ、それは否定しない」
俺は自分の手を見た。
剣は握れる。
魔法も少しは使える。
だが、アレンのように魔物を一撃で斬ることはできない。
エルナのように戦場を焼き払うこともできない。
ガルドのように前線を押し返すことも、ミリアのように重傷者を癒やすこともできない。
俺がやっていたことといえば、宿を取り、食料を数え、地図を確認し、旅費を分け、商人と話すことくらいだった。
魔物は倒せない。
「荷物持ちなら、ギルドで雇えばいい」
ガルドが言った。
ガルドは大剣を鞘に収めたまま、両膝の間に立てて、その柄に両手を重ねている。
黙っていれば歴戦の剣士そのものだった。
「戦闘中、お前は後ろにいることが多い。正直、いてもいなくても同じだ」
「後ろにいないと見えないものもあるんだがな」
「魔物は後ろから見ても倒せん」
「それはそうだ」
困るくらい正論だった。
エルナも机に頬杖をついたまま、眠そうに言う。
「戦力効率で考えれば、妥当ね。レオの与ダメージは低いし、魔力貢献度も低い。次からは戦闘要員を増やした方が合理的だわ」
「その計算に宿代は入ってるか?」
「宿代?」
「いや、いい」
ミリアだけが、困ったように俺を見ていた。
「あの、でも……レオさんは、いつも色々してくれて……」
「分かっている」
アレンが言った。
「だが、それは戦闘ではない」
部屋が静かになった。
窓の外では、宿の主人が馬に飼い葉をやっている。
一階からは焼いたパンの匂いがした。
俺は机の上の紙を見た。
次の街の宿の予約表。
保存食の残量。
馬の休憩地点。
東街道の橋が落ちたという行商人からの聞き書き。
商人ギルドへの連絡日。
旅費の内訳。
昨日の夜、全員が寝たあとにまとめたものだ。
戦闘の後で疲れてはいたが、こういう確認を後回しにすると、たいてい後でもっと面倒になる。
「分かった」
俺は言った。
アレンが少し目を見開く。
「いいのか?」
「パーティの方針なら仕方ない」
「……すまない」
「謝る必要はない」
俺は補給計画の紙束を整えた。
「今後一か月分の予定はここに置いておく。宿、補給、連絡先、旅費の内訳。読めば分かる」
アレンはうなずいた。
だが、その返事は少し軽かった。
ガルドは組んだ両手の上に顎を乗せ、退屈そうに鼻を鳴らしている。
エルナは早くも手元の魔導書に視線を落としていた。
ミリアだけが、不安げに薬草箱を見つめている。
その顔を見て、俺は何か言いかけて、やめた。
もう、俺の仕事ではない。
「あと、トーマスさんには俺から一報入れておく。今後の窓口はアレンになると伝える」
「そこまでしなくてもいい」
アレンが言った。
「契約の窓口が変わるなら必要だ。約束を曖昧にすると、次に誰も助けてくれなくなる」
父が昔、よく言っていたことだ。
アレンは一瞬だけ黙り、それから小さくうなずいた。
「分かった」
「じゃあ、俺は行く」
「レオさん……」
ミリアが俺の名前を呼んだ。
「本当に、行ってしまうんですか?」
「抜けろと言われたからな」
「でも」
「大丈夫だ」
俺は笑った。
あまり上手くは笑えていなかったと思う。
「お前たちは強い」
それは本心だった。
勇者アレンは強い。
剣聖ガルドも、賢者エルナも、聖女ミリアも、一流だ。
俺よりずっと英雄に近い。
鞄を持つ。
部屋を出る直前、机の上の紙束が目に入った。
色分けした袋。
予備の地図。
連絡先の一覧。
余計なお世話だな、と思った。
俺はもう、彼らの補助役ではない。
宿を出る前に、主人へ預け物の件を伝えた。
「レオさん。昨夜預かったガルドさんの外套のほつれ直し、昼には仕上がるよ」
「勇者たちに渡しておいてください。代金は宿代の袋から引くように、内訳に書いてあります」
「相変わらず細かいねえ」
「癖みたいなものです」
それから商人ギルドへ寄った。
トーマスさんは、俺の話を聞くと眉をひそめた。
「勇者パーティを抜ける? 急だな」
「俺もさっき知りました」
「それで、次からは勇者様が直接?」
「はい。連絡先と予定表は渡してあります。ただ、最初の一回は確認を取ってもらえると助かります」
「ずいぶん親切だな」
「親切じゃありません。俺の引き継ぎが雑だったせいで商人ギルドに迷惑をかけた、と思われたくないだけです」
トーマスさんは、少しだけ笑った。
「そういうところが、損なんだよ」
俺は何も返せなかった。
外へ出ると、朝の空気が冷たかった。
王都へ続く道には馬車が行き交っている。
冒険者の声も、商人の呼び込みも、いつも通りだった。
俺が追放されても、世界は何も変わらない。
鞄から古い方位磁針を取り出す。
針は静かに北を向いていた。
父は昔、よく言っていた。
『戦いは剣だけでするものじゃない』
『腹が減った兵士は戦えない』
『道を間違えれば、勝てる戦も負ける』
『約束を破れば、次に誰も助けてくれない』
子供の頃は、ただの説教だと思っていた。
俺は方位磁針をしまい、王都とは逆の道へ歩き出した。
振り返らなかった。
◇
三か月後。
俺は辺境のリーベ村で、泥の入った桶を並べていた。
「レオ兄ちゃん、これは畑に戻すの?」
「すぐには戻さない。小石と根っこが多いから、端に積んで腐らせる。秋に混ぜれば土になる」
「こっちは?」
「砂利が多いから道のぬかるみに使う」
「泥にも種類があるんだな」
「ある」
村の子供たちは、妙に感心した顔でうなずいた。
リーベ村は小さな村だ。
王都から馬車で十日。
魔王軍の前線からは少し離れている。
平和ではあるが、裕福ではない。
古い橋。
詰まりやすい水路。
雑に積まれた薬草箱。
商人に安く買い叩かれる農作物。
最初は数日だけ泊まるつもりだった。
けれど、村の入口の橋が今にも落ちそうなのを見つけてしまった。
村人たちも危ないことは分かっていた。
ただ、役所に陳情しても大工が来るのは冬の後だと言われ、村の者だけで直すには木材も人手も足りないと思い込んでいたらしい。
「村長。迂回路を二日だけ作って、その間に北の杉を切り出せば、十日で直せます。大工仕事ができる人は三人で足ります。足りない作業は荷運びなので、若い人を半日ずつ回せば大丈夫です」
俺は必要な木材、人手、作業日数、雨の日の危険性、荷馬車の迂回路を紙にまとめた。
村長と、隣にいた大工がその紙を奪い合うように眺める。
「……おい、これなら冬を待たずに野菜を売りに行けるぞ」
「途中で材料が足りなくなったら困りますから、予備も含めた計算です」
村長は紙から顔を上げ、まじまじと俺を見た。
「レオ。お前さん、どこの役所にいた?」
「役所にはいたことないです」
「じゃあ軍か?」
「……荷物係です」
村長はしばらく黙った。
「荷物係って、そんな仕事だったか?」
「たぶん、違います」
薬師のおばあさんの家では、薬草箱を整理した。
飲み薬用。
湿布用。
煎じるもの。
砕いて粉にするもの。
古いもの。
新しいもの。
札をつけ直し、棚の順番を変える。
「これなら取り違えが起きないねえ」
「起きたら危ないですから」
「今まで、よく起きなかったもんだ」
「起きてたんですか?」
「少しね」
おばあさんはのんきに笑った。
俺は背中に冷たいものが流れるのを感じながら、無言で次の薬草箱に手を伸ばした。
水路は上流から掃除した。
今までは下流から泥を取っていたらしい。
上流の泥がまた流れてきて、何度も詰まる。
「上からやりましょう」
「それだけで変わるのか?」
「変わります」
変わった。
流れが戻った水路を見て、村人たちは黙っていた。
「……この兄ちゃん、ただ者じゃないんじゃないか?」
「でも本人は、今の作業で汗ひとつかいてない顔してるぞ」
「いや、汗はかいてるだろ」
「そういう意味じゃない」
何を話しているのか分からなかったので、俺は桶を洗うよう子供たちに指示した。
「道具は水路の脇で洗ってから戻せ。泥つきのまま置くと、次に使う人が困る」
「はーい!」
返事だけはいい。
村長がゆっくり歩いてきた。
「レオ」
「はい」
「水路も橋も薬草も、助かった」
「俺は少し整理しただけです」
「その少しで、村がずいぶん楽になった」
そう言われると、返事に困った。
勇者パーティにいた頃、俺はいつも次の予定を見ていた。
次の戦場。
次の街。
次の宿。
次の補給。
ここでは、やったことの結果が目の前に残る。
直した橋を荷馬車が渡る。
整理した薬草を薬師が使う。
水路の水が畑に流れる。
それだけのことだった。
「レオ兄ちゃん!」
子供が走ってきた。
手には折れた釣り竿を持っている。
「また折れたのか」
「トムが踏んだ!」
「昨日も誰か踏んでなかったか?」
「昨日は僕!」
「順番に踏むな」
「直せる?」
「夕飯までには」
「やった!」
「その代わり、桶を洗ってから戻せ」
「はーい!」
子供たちが走っていく。
俺は折れた釣り竿を見て、少し笑った。
◇
夕方。
村外れの小屋へ戻ろうとしたとき、入口の方で声が上がった。
「誰か来たぞ!」
「倒れてる!」
「旅人か?」
「いや、剣を持ってる!」
俺は足を止めた。
夕焼けに染まる道の先。
一人の男が膝をついていた。
泥だらけの外套。
ほつれた金髪。
目の下の濃いくま。
腰には、見覚えのある聖剣。
勇者アレンだった。
三か月前、俺をパーティから追放した男。
王国の希望。
魔王軍を倒すはずの英雄。
その男が今、村の入口で息を切らしている。
「……レオ」
アレンが顔を上げた。
昔のような自信は、まだかろうじて残っている。
けれど、その下に疲労と焦りが透けていた。
「何してるんだ、お前」
アレンは唇を噛んだ。
「迎えに来た。お前をだ」
「断る」
「ま、待ってくれ! 聞いてくれレオ、戻る理由なら――」
「戻る理由がない。俺はもう、ここの人間だ」
「分かっている。いや、分かってはいない。だが、もう限界なんだ。お前が置いていった一か月分の計画表が切れてから、この二か月、俺たちがどうやって過ごしたか……!」
その瞬間。
ぐうぅぅぅ、と。
腹の底から、夕焼けの村に響くほど大きな音が鳴った。
村人たちが沈黙する。
子供の一人が、小声で言った。
「勇者様、お腹すいてるの?」
アレンの耳が赤くなった。
聖剣を握る手に、ぎゅっと力が入る。
だが、魔物を斬るための手は、空腹には勝てなかった。
「……飯を、食わせてくれ」
俺は夕焼け空を見上げた。
三か月前、机の上に置いてきた宿の予約表が、なぜか頭に浮かんだ。
まさか。
いや、さすがにそれはない。
ないと思いたい。
俺は大きくため息をついた。
「とりあえず、水は出してやる」
アレンは、勇者とは思えないほど真剣にうなずいた。
こうして、俺の静かな田舎暮らしは、早くも面倒な方向へ転がり始めた。




