第6話 優しさかわがままか
自分の怪我の応急処置を済ませた。
だが六人は拘束したままだ。
アクロスは腕を組んで考えていた。
さてこいつらをどうしようか。
殺すのは嫌だ。
前の世界では、もちろん一度も人を殺したことがない。
この世界で最初の殺人が、
ただの賞金稼ぎ達ってのもなんだか我が魔王ストーリーが安っぽくなる。
かといって放せば仲間を呼ぶだろう。
こっちの顔も、魔族だということもバレている。
変身を解いたのは自分だ。
その判断に後悔はないが、もちろん後始末は必要になる。
そうだ。
……こいつらの記憶、消せねえかな。
ふと、思った。
魔の創造。
魔法を一からデザインできる力。
変身魔法も、炎も、探知も、全部ゼロから創った。
なら――記憶に干渉する魔法も、俺は創れるはずだ。
ただし今の俺には精密な制御に限界がある。
全部の記憶を消すのは無理だろう。というかそれはやりすぎだ。
俺とリーネに関する記憶だけをピンポイントで消す。
今日この場所で魔族の女を追ったこと、魔族の男に会ったこと。
黒い炎。変身。戦闘。俺に関すること、リーネに関する事、
全部消す。
魔の創造に意識を沈める。
頭の中に、いつもの問いかけが浮かぶ。何を創る?
対象の記憶に干渉する魔法。
特定の時間帯の記憶を曖昧にし、霧の中に沈める。
完全消去じゃなくていい。思い出せなくする。
夢の内容を朝には忘れるような、あの感覚だ。
設計が、形を成していく。
だが途中で、何か引っかかりがある。
★3の壁。
脳に干渉する魔法は攻撃魔法より遥かに繊細な制御が要る、ということらしい。
完全消去は無理そうだな。でも霧をかける程度なら――
カチリ、と噛み合った。
ギリギリだが、いけそうだ。
「忘却の霧と名付けよう」
……いや、名前は後で考え直そうか。勢いでつけたにしてもダサい。
次は――眠らせる魔法。
こっちは記憶操作より単純だ。
対象の意識を強制的に落とす。数時間は目覚めない程度。
設計はすんなり通った。
攻撃魔法に近い構造で、脳の覚醒中枢に干渉するだけ。
「沈眠」
これでいけるか。
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……いや、と思い直した。
一拍、置いてよく考えてみる。
人の頭の中を書き換えるってのは、冷静に考えるとなかなかえげつない話だ。
殺さないだけ、マシ。そう言えば、そうだ。
魔法を使えば何でもできる。でも何をしてもいいわけじゃない。
この感覚だけは忘れてはいけないと思う。
それをわかった上でやる。これは善悪の話ではない。
俺の責任と覚悟の話だ。
自分の行動の根拠を、誰かのせいにした瞬間。
それはもう、俺の物語ではなくなってしまう。
自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。
そして気絶しているコルの頭に手を当てた。
近くで見ると、赤毛の男は思ったより若かった。
二十代半ばか。まだ頬の青みが残るような顔だ。
こんな男が賞金稼ぎをしている。
それがこの世界の「普通」なのだろう。
指先から薄い紫の靄が沁み込んでいく。
コルの瞼が微かに痙攣し、それから穏やかな表情になった。
……今日の森からの記憶を曖昧にする。
魔族の女を追ったこと、魔族の男に会ったことも、夢だったような気がする程度に。
完全消去ではない。
ふとした拍子に、断片的なイメージが浮かぶかもしれない。
だが、「魔族がいた」という確信は、もう持てなくなる。
★3では、これが限界。
一人ずつ、丁寧にかけていった。
弓の男。蛇の刺青が腕の内側まで這っている。長年使い込まれた弓だった。
ベテランの射手だったのかもしれない。
双子。よく見ると片方のほうが眉が太い。こんな細かいところまで見る余裕があるということは、戦闘の緊張がもう抜けている証拠だ。
投網の男。自分の網に絡まったまま、泥だらけで眠っている。そのまま使った。
五人完了。
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木の根に背を預けたドルクが、拘束されたまま、静かにこちらを見ていた。
両手を蔓で縛られ、右手首には、アクロスの巻いた止血の布。
血は、もう止まっているようだった。
「おまえは……何をしている?」
「お前達の記憶を消させてもらう。忘れてもらう。
お前らが俺に会ったこと、リーネを追った事、森での出来事、全てだ」
「……記憶を消す、だと?」
ドルクの鉄色の目が、鋭くなった。
深い灰色に、わずかに濁った鋼のような色。
その目に、ほんの一瞬、興味の光が宿った。
「なぜお前はそんなことができる?」
「俺はちょっと、特殊でな」
「…………」
数秒の沈黙。
探っている、というわけではなかった。
この男は、真っ直ぐ見ることで相手の芯を測ろうとしている。
負けた後でも、目を逸らさない。
「アクロス。結局、お前は俺たちを殺さないんだな」
「殺す理由がない」
「理由ならある。殺そうとした。魔族だと知った。生かしておく方が、リスクだ」
「だから、記憶を消す」
「……お前は甘いんじゃない。人を殺したことがないな?」
胸の中を、何かがひやりと撫でた。
やはり、わかるやつには、わかるのか。
「……そうだ」
ドルクはあざ笑うわけでも罵るわけでもなく、
アクロスの目をじっと見続けている。
「ただのわがままだな。そしてお前は大事な人間をいつか失う」
アクロスは黙る。言いたいことはわかる。
心を抉られたような感覚になる。
「覚えておくよ。おまえのその言葉」
「……そうしておけ。そして最後にもうひとつ」
「何だ」
「記憶を消されても、俺の体は、覚えているぞ」
ドルクの鉄色の目が、真っ直ぐアクロスを見た。
「いつかどこかで、理由もわからず剣を抜きたくなる日が、来るかもしれん」
「そん時はまた相手してやるよ」
ドルクが、頷いた。
抵抗でも皮肉でもない。本当に納得した頷きだった。
ドルクは、自ら目を閉じた。
「……やれ」
忘却の霧をかけた。紫の靄が沁み込む。
ドルクの眉間の皺が、ゆっくりと弛んだ。
精悍な顔が寝顔だと思うと妙に穏やかだった。
「お前とは、また会うかもしれないな」
続けて沈眠をかけていく。
一人ずつ深い眠りに落としていく。
数時間は目覚めない。
六人が、静かな寝息を立て始めた。
「…………ふぅ」
額の汗を拭った。
記憶操作は、想像以上に消耗する。
頭の芯が、重い。六人分連続はきつかった。
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リーネが、一部始終を見ていた。
深紅の瞳に浮かんでいるのは、驚愕と――それから、困惑。
「あなた……今、何をしたの」
「記憶を消した。俺に関する記憶とお前を追っていたことを。
目が覚めたら、今日のことはぼんやりした夢みたいになってるはずだ」
「記憶を……消した?」
リーネの声が、裏返った。
「そんな魔法、聞いたことない。魔族の高位術者でも、精神干渉は――」
言いかけて、口をつぐんだ。
追及しても答えが返ってこないともう学習したらしい。
「あなた……本当に何者なの?」
「教えられない。でも、お前や魔族の敵じゃない。
それだけは、信じてくれ」
リーネは数秒こちらを見つめ、小さく息を吐いた。
信じたわけではないのだろう。
信じるもなにも、選択肢がない。
諦めに近い感覚だ。
「こいつらは滝の水場に寝かせておく。目が覚めたら、勝手に帰るだろ」
六人を一人ずつ担いで、運んだ。
滝壺の近くの平らな岩場に並べる。
木陰で直射日光は当たらない。
水場のそばだから目覚めた後に困らない。
秘密基地がある滝の裏側には近づけないよう、手前の岩場に置いた。
「あなた、ちょっと親切すぎない?」
リーネが呆れた声で言った。
「何が?」
「人を、殺さず、記憶を消して、眠らせてあげて、日陰に寝かせる。
しかも水場のそば。あなた、本当に魔族?」
「……こんなお人好しの魔族は初めて見たわ」
「お人好しじゃねえよ。後味が悪いのが、嫌なだけだ」
「魔族の男が、自分を捕まえようとした連中を、丁寧に介抱してる。
賞金稼ぎよ? 普通は叩き斬って、頂けるものは頂いて野ざらしよ」
「そういうやり方が、嫌いなだけだ」
「……なんで?」
アクロスは、しばらく答えなかった。
岩に腰を下ろして、ドルクが眠っている方向を見た。
精悍な横顔が、遠くからでも見える。
「あいつ、強かっただろ。剣の腕は本物だった。
そんな男が魔族狩りを『仕事』にしてる。
そういう世界の作りになってる、ってことだ」
「……そうね」
「殺したらなにもかも終わりだ。
でも、生きてりゃ、いつか何かが変わるかもしれない。
その可能性を、俺の一時の都合や感情で、簡単に消したくはない」
リーネがアクロスの横顔を、じっと見た。
何か言いたそうで、言葉を探している顔だった。
「……やっぱり、ただのお人好しだと思う」
「ほっとけ」
「褒めてるの」
「…………そうなのか」
「そうよ」
しばらく、二人とも黙った。
滝の音だけが、響く。
クロがリーネの足元で、丸くなっている。
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「なあ、リーネ」
「何?」
「ここにはもう、いられないよな」
リーネが顔を上げた。
「あいつらの記憶は消したけど、完璧じゃない。断片が残る可能性がある。
ここに仲間を連れて来ないとは、限らない」
アクロスは滝を見上げた。
三日間、過ごした場所。
水源。食料。秘密基地。全部、気に入っていたけど。
「あいつらが目を覚ましたら、この滝を目印に場所を特定されるかもしれない。
俺がここに住んでたことも、調べればわかる」
「え?……あなた、ここに住んでたの?」
リーネが驚きながら聞いた。
「うん。いや、まあ……いいところだろ?」
「そうだけど……」
「とりあえず、移動したほうがよくないか?できれば、人間がいないところに」
リーネの深紅の瞳が微かに揺れた。
「……それは私に、一緒についてこいって言ってるの?」
「いや……。そうだな。提案だ。
お前に行き先があるなら、そこまで送るよ。でも行くあてがないなら、
俺と一緒に来てもいい。どうする?」
リーネは黙った。
膝の上で、手を握っている。
「行くあては……ない」
小さな声だった。
「私の集落は、もう焼かれて、無いから」
ぽつり、と言った。
アクロスは相槌を打たなかった。
――集落が焼かれる事件も、後を絶たない。
フィルの声が、耳の奥で蘇っていた。
頭ではわかっていた。
わかっていたはずなのに、目の前で体験者がいると実感する。
「鎧を着た、人間達だった。南側の軍だと思う」
リーネは自分の膝の上を見つめていた。
「朝、突然だった。何が起きたかもわからなかった。
すぐに火が放たれ、皆の叫び声と、剣の音。魔法の音。
私は家の奥の部屋で寝てた。気づいた時には、集落中が燃えてた」
声は、震えていなかった。
ただ、平坦だった。悲しみすら、どこかに置き忘れてきたような声。
「父が逃げろって言って。私の手を掴んで、集落の裏手の、獣道に押し込んだ。
父とも集落とも、それっきりよ」
「………………」
「それから、どれくらい経ったのかはわからない。たぶん何日も、歩いた。
食べる物は途中で見つけた木の実。野草。喉が渇いたら小川の水を飲んだ。
昨日、この森に入って――あいつらに、見つかった」
「……そうか」
アクロスは、それだけ言った。
俺がかけれる言葉なんか、あるはずがなかった。
「かわいそうに」でもない。
「よく頑張ったな」でもない。
「もう大丈夫だ」でもない。
どれも、軽い。俺が言っていい言葉じゃない。
今の俺にはそうか、としか言えなかった。
「じゃあ、一緒に行こう。少なくとも、一人よりはマシだろ」
「……なんで。私はあなたに、何もしてあげれない。利用価値なんてない。
怪我もしてる魔力切れの魔族なんて、ただのお荷物でしかないわ」
「お荷物とか利用価値とか、そういうのはもういいって。
気分が暗くなっちまうだけだ」
アクロスは、頭をがりがり掻いた。
「ただ、一人は寂しいだろうよ。俺もお前も。それだけだ」
リーネが、息を呑んだ。
しばらく黙っていた。
滝の音だけが、響く。
「……ひとつ、約束してほしい」
「なんだ」
「私を、対等に扱ってほしい。道具にしない。利用しない。
いらなくなっても、捨てないで。勝手に置いていかないで」
その言葉の重さを、正面から受け止めた。
集落を焼かれ、逃げ続けて、数日。
賞金稼ぎに追い詰められ、魔力も尽きて、杖だけを必死に握っていた。
そんな体験をした直後に、絞り出した言葉だ。
軽く流せるわけがない。
「当たり前だろ。約束する」
ゆっくりと、リーネの手が差し出された。
褐色の、細い手。
だが、震えてはいなかった。
アクロスはその手を握った。
大きな手と、細い手。
温かかった。
初めて握った時は、氷のように冷たかった手だ。
今は少しだけ、体温が戻っているようだ。
「……いつまでかは、わからないけど。改めて、よろしくね。アクロス」
「あぁ。よろしくな、リーネ」
クロが二人の間に割り込み、尻尾をぶんぶん振った。
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二人は岩場に座って、束の間の休息を取った。
「リーネ。人間がいない方って言ったけど、どっちだ?」
「北ね」
リーネが、即答した。
「北に行けば、山脈がある。山を越えれば、魔族領。
人間の軍はまだいるし、無政府状態だけど、少なくとも人間の賞金稼ぎは、
山を越えてまでは来ない」
「北か。山脈は見えてたな。ここから何日くらいだ?」
「足を引きずってる私を抱えてだと……十日はかかる」
「食料と水をどうするかだな」
「北に向かう街道は、一本ある。ただし人間の巡回兵や、冒険者、輸送隊が通る。
街道を避けて森を抜けるルートなら、もっとかかる」
「森を抜けるルートの方がいい。
人間に会わずに済むなら、多少遠回りでもな」
アクロスは、立ち上がった。
秘密基地から、必要なものを回収する。
リーネの目の前で滝の裏に入るのは避けたかったが、仕方ない。
「ちょっと待ってろ。荷物を取ってくる」
滝のカーテンを潜った。
洞窟の中。
光る苔の、紫の明かり。寝台。棚。焚き火の炉。
三日しか住んでいないが俺の大事な秘密基地。
「…………」
少しだけ、惜しかった。だが固執はしない。
基地はまた作れる。場所は変わってもまたすぐ作れる。
棚から、赤紫の実をできる限り掻き集める。
鹿の毛皮を乾かしたもので内職して作った、不格好な袋に詰める。
残りの鹿肉の燻製と、お気に入りの光る苔も。
水を、竹筒に詰める。
寝台の上に、もう一度、手を置いた。
クロと一緒に寝た、二日間。
滝の裏側から出てきたアクロスを見て、リーネが目を丸くした。
「……あなた、本当に滝の裏に住んでたの?」
「まあな」
「……なんで滝の裏に」
「秘密基地。男のロマンだろ」
「……意味がわからない」
呆れている声。
だがリーネの今まで強張っていた表情が少しだけ、
柔らかくなったように思えた。
---
「なあ、リーネ」
「何? そろそろ移動する?」
「お前、腹減ってないか?」
「…………」
沈黙が、肯定だった。
「これ食べろよ。遠慮すんな」
棚から取ってきた赤紫の実を、リーネに渡した。
「……ありがとう」
リーネの表情が、ぱっと一瞬だが明るくなった。
受け取った実を、ひと齧り。
深紅の瞳が見開かれ、二口目、三口目。
リーネの頬が、リスのように膨らむ。
アクロスも、一つ齧った。
「うまいだろ、これ」
「……普通」
全然普通じゃない速度で、無心に食べている。
少しずつだが、リーネの性格もわかってきたな。
ふとリーネの足首をみると、まだ腫れていた。
歩けそうではある。だが速くは動けなさそうだ。
「リーネ。そろそろ、歩けるか?」
「そうね……移動しましょう」
「肩、貸そうか」
「……ありがとう」
リーネの左腕をアクロスの肩に回し、ゆっくり歩き出した。
銀白の髪が、頬をかすめた。
ずっと必死に逃げてきた生活のはずなのに、
特に臭くはないな。魔族はあんまり体臭はないのかな。
いかんいかん。不謹慎だ。
余計なことを考えるな、おっさん。自然に振る舞え。
クロが先行して、匂いを嗅ぎ回る。索敵と偵察。
任せとけ、という顔。
背後で、滝の音が遠ざかっていく。
振り返らなかった。
「今はとにかく北へ向かうか。森の中を進もう。人間には、会わないようにな」
「うん」
北へ。
焼かれた集落のある、その方角へ。
リーネは、振り向かなかった。
アクロスも、何も言わなかった。
三つの月が昇る前に、二人と一匹は、森の奥深くへ消えていった。




