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第39話 魔の吹き溜まり

戦いの後始末は、思ったより時間がかかった。


ゲルツが冒険者たちに声を飛ばす。


「毛皮は傷をつけずに剥げ。牙は根元から抜け。

魔核は腹の中だ、慎重に切り開け。

——―雑にやるなよ。これもお前らの金になる大事な仕事だぞ」


冒険者たちが手慣れた手つきで作業に取りかかった。

アレンとルッツがナイフで毛皮を剥いでいく。


灰色の毛皮を丁寧に広げ、裏の脂を削ぎ落としていく。

ゴードンとエリーが魔核を取り出す。


ゲルツが最後の異常個体の魔狼の腹を割くと、

大人の拳ほどの大きさの赤黒い石が転がり出た。


「これは……!なんて大きさだ。魔狼の魔核のサイズじゃないぞ」


魔狼の魔核は、まだ濁った赤い光を放っていた。


リーネは解体されている黒い魔狼を見つめたまま、

杖を握りしめていた。


「……あのサイズの魔核、やっぱりただの統率個体じゃないと思う」


アクロスも頷いた。


「あの魔狼の血、赤黒いだけじゃなく、紫の靄みたいなものが滲んでた。

あれは、瘴気か?」


「わからないわ……。私もあんな状態は見たことないけど……。

魔紋もくっきりと浮かんでた。魔の浸食はかなり進んでいたと思う」


アクロスは黒い巨体を見下ろした。


額の赤黒い紋は、もう光を失っていた。


「アクロス。そこの布袋とってくれ」


ゲルツは白い、大きな布で魔核を丁寧に包んでいた。


「はいよ。これでいいか?」


「おう。口を開けといてくれ」


ゲルツが魔核を袋に丁寧に入れた。


布に入れて、革袋に入れてもなお、内側からは赤黒い光が薄く漏れていた。

時折、どくん、と脈打つように光が強くなる。


生きているわけではない。

だが、完全に死んだものにも見えなかった。


アクロスはそれを見て、背筋の奥が少し冷えた。


「……これ、本当に持ち帰って大丈夫なのか?」


「だから封魔布で包む。素手では、触るなよ。

これは、ギルドでしっかり処理しないとな」


ゲルツの声は低かった。


その感じ、完全に危険物じゃん……。

とアクロスは思った。


---


アクロスとリーネも他の魔狼の解体を手伝うことにした。


「アクロス、ここ押さえてて」


「こう?」


「そう。……ほら、出てきた」


「うわぁ、にゅるって言った!」


「いちいち騒がないの。恥ずかしいでしょ」


リーネは手際よく解体を進める。

刃物の使い方にも迷いがない。集落にいた頃からやっていたのだろう。


アクロスは相変わらず、うわぁ、うひょっ、とかよくわからない声を出しながら手伝っていた。


マルコが岩に背を預けたまま「俺も手伝うぞ」と腕を伸ばした。


「あなたは動かないで。傷が開くでしょ」


リーネに睨まれて、マルコが縮こまった。


「……はい」


リーネはおっさんには厳しい。


クロがその隣で、満足そうに鼻を鳴らした。


アクロスは思わず笑った。

こいつとは、きっと長い付き合いになる。


クロがマルコのそばに伏せたまま動かない。

時折マルコの顔を見上げては、また視線を戻す。


自分がリーネの代わりにマルコの見張りをしているような顔をしている。


レナが地面に刺さった矢を一本ずつ回収していた。

折れた矢を確認して、顔をしかめる。


「折れたのが五本……。まだ使えるのは十二本か。

帰ったら補充しなきゃ」


「矢って一本いくらするの?」


リーネが聞いた。


「一本銅貨二枚くらい。五本で銅貨十枚。

弓使いは矢代が馬鹿にならないのよ」


レナはため息をつく。


「消耗品ね……大変だわ」


「でも今日は当たった方。

壁で分断してくれたおかげで外れが少なかった。ありがとね」


リーネとレナもいい友人としてこれからも付き合っていけそうだ。


ドルクは一人で黙々と素材を処理していた。

毛皮の剥ぎ方も他の冒険者とは速さが全然違う。


傭兵時代に何度もやってきたのだろう。

獲物の始末は、あの男にとっては日常だったはずだ。


アクロスが影収納で回収した素材をまとめて格納していく。

毛皮、牙、魔核。次々と空間に消えていく。


便利だが、この量は正直しんどい。


だが運搬の手間がまるごと消えるのは大きい。


ゲルツが感心したように言った。


「お前のその魔法……。突っ込みどころしかないが。

こういう時は本当に助かるな。

この量の素材を背負って帰るとなると相当な重さだったぞ」


「便利な男だろ?これだけの量だと俺も結構疲れちゃうからさ。

報酬は期待してていいんだよな?」


アクロスはにたりと笑ってゲルツを見た。


「すまんな、アクロス。あとでいいものをやる。

それにリーネ、そしてクロにフレス。お世辞抜きでお前らは本当に凄かった。

報酬は楽しみにしてていい。俺がしっかりとギルドに伝えておく!」


漢気のあるおっさんだ。ありがたい。


とりあえず俺の年齢を言いふらして遊んでたことは許してやろう。


アクロスはゲルツに笑顔で頷いた。


---


素材回収が一段落した後、ゲルツが全員を集めた。


「出発の前に、全員の状態を確認する。

怪我をしてる者、体力や魔力が落ちてる者は正直に申告しろ。

無理して歩いて途中で倒れたら余計に面倒になる。正直に言え」


マルコが真っ先に手を上げた。


「脇腹がいてぇ!止血はしてもらったが、まだ痛む。

ゆっくりなら歩けるが、走るのはしばらく無理だろう」


「レナは」


「右肩が張ってる。弓を引きすぎた。

あと指先の皮が少し剥けてる。でも帰りの道中に問題はないよ」


「俺は左腕に打撲がある。魔狼に体当たりされた時に岩にぶつけた」


アレンが左腕を見せた。赤黒く腫れている。


「あと俺、足首をひねった。

逃げる魔狼を追った時に穴に落ちた」


ルッツが足を引きずりながら見せた。


ゲルツが一人ずつ確認して頷いた。


「わかった。マルコ、アレン、ルッツ。こっちに来い」


ゲルツが腰の革袋から小瓶を三本取り出した。


赤い液体が入った、掌に収まる大きさのガラスの小瓶。

蓋は蝋で封じてある。

光に透かすと、液体の中で微かに金色の粒子が舞っていた。


「ポーションだ。飲めば傷の治りが早くなる。

即座に完治するわけじゃないが、痛みが引いて回復の速度が格段に上がる」


マルコが小瓶を受け取って、まじまじと見つめた。


「きれいだな……。これ、一本いくらするんですか」


「銀貨二枚くらいだ。ギルドの緊急用備品から持ってきた。

討伐の経費で落とすから気にしなくていい」


「銀貨二枚……うまい飯が何食分だよ……」


マルコが小瓶を大事そうに両手で包んだ。


「飯の心配より傷の心配をしろ。蝋を剥がして、一気に飲め」


マルコが蝋を爪で剥がし、蓋を開けた。

鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。


「……なんだこの匂い。草を煮詰めたような……いや、もっと苦い。薬っぽい」


「味も似たようなもんだ。覚悟を決めろ」


マルコが意を決して一口で飲み干した。


「……っ! にがっ!!なんだこれ、苦いし喉の奥が焼ける!」


「効いてる証拠だ」


ゲルツが平然と言った。


数秒後、マルコの表情が変わった。

目を見開いて、脇腹に手を当てた。


「あれ……痛みが引いてきた。脇腹の奥が、じんわり温かくなってる。

すげぇ……体の中から縫われてるみたいだ」


「だろう。ポーションってのはそういうもんだ。

傷口の回復を体の内側から加速させる。

完治はしないが、明日には走れるくらいにはなる」


アレンとルッツもそれぞれ飲んだ。

二人とも同じ顔をした。苦い。だが確かに効く。

腫れていたアレンの左腕の赤みが、見ている間に薄くなっていった。


ゲルツがもう一種類、今度は青い液体の入った小瓶を取り出した。

赤いポーションより少し小さい。

液体は透き通っていて、揺らすと中で淡い光の粒が泳いだ。


「マジックポーションだ。こっちは魔力を回復させてくれる。

アクロス、リーネ、お前たちはかなり魔力を使ったはずだ。遠慮せず使え」


さっきゲルツがいいものをやると言っていたのはこれのことか。

さすがベテランの冒険者だな。用意がいい。


ポーション……やっぱりあるんだな。ファンタジー世界の定番アイテムだ。

俺とリーネも常備しておきたいな。


「魔力が枯れた状態で長距離を歩くのは危険だからな。

万が一何かあった時に、何もできなくなる」


「ありがとうございます」


まずリーネが青い小瓶を受け取った。蝋を剥がし、蓋を開ける。

そして口元へ運んだ。


リーネの目が少し見開かれた。


「……体の中に何か流れ込んでくるわ。澄んだ水が染みていくような感覚。

不足した魔力がそのまま、流れ込むみたいに潤う」


「マジックポーションは魔力の渇きに潤いを与えるんだ。

魔導士なら緊急時のために必ず一本は持っておけ。こっちは一本銀貨三枚だがな!」


「ポーションより高いのね……ありがとうございます」


ゲルツがアクロスにも青い小瓶を差し出した。


「お前も飲め。あの雷に、よくわからない便利な剣。謎の影収納。

なぜかお前は元気に見えるが、普通ならかなり消耗しているはずだ」


「俺は魔力は多い方だが、正直、今はかなり消耗してるよ」


「やはりそうか。帰り道も何があるかわからん。ちゃんと回復しておけ」


そしてアクロスも飲んだ。


苦みはあるが嫌な味じゃない。

体の中を冷たい清流が駆け抜けていく感覚。

枯れかけていた回路に、水がじわりと戻ってくる。


「……これはすごいな。体の奥が潤う感じだ」


「だろう。ただ高いからな。無駄に使うなよ。

本当に必要な時だけの切り札だ」


マルコが聞いたらまた飯と比べて計算を始めるだろう。


リーネが小声でアクロスに言った。


「ポーションとマジックポーション……。実は父がたまに作ってたの。

作る時は族長と一緒だったから私は作るのを見られなかったけど……。

薬師としてはすごく気になるわね。帰ったらハンナさんにも聞いてみたいわ」


「お前が自作できるようになったら最強だな」


「そう簡単にはいかないと思うけど。でも、私も作りたい」


頼れる相棒だよ。本当に。


てか俺も作ろうと思えば、魔力を回復する魔法とか作れるんじゃないか?

便利すぎてさすがに★3ではまだ無理そうだけど……。


他の魔法の構想もいろいろ考えないとな。


帰りの道で、今回の経験を生かして、いろいろ魔法の思考実験をしよう。

アクロスはワクワクしていた。


ゲルツが、ドルクの方を見た。


ドルクの口の端には、まだ乾いた血の跡があった。

肩当ても、明らかに歪んでいる。


「おい、お前も……」


「いらん。大した怪我じゃない」


即答だった。


ゲルツはしばらくドルクを見つめてから、小さく息を吐いた。

それ以上は、何も言わなかった。


ドルクは苦い薬は嫌いなのかな。とアクロスは思った。

ああいうキャラは、意外にそういうとこがあるもんだ。


アクロスは一人で勝手に頷いていた。


---


出発の準備が整う前に、アクロスはリーネにこっそり声をかけた。


「今日は戦いもあって、朝のかけ直しができてなかったからな。

昨日の夜中に強めにかけてあるから大丈夫だと思うが……念のため」


リーネが頷いた。


二人は窪地の端の岩場の陰に入った。

木の影になっていて他の冒険者からは見えない。


リーネが先に右手を差し出す。


「私からでいい?」


アクロスがリーネの手に触れた。ひんやりとした細い指。

しっかり魔力を流す。


変身シフト


光が漏れないように、岩と木で体を隠す。

光がリーネを包んで、そして静かに沈んだ。


「次はあなたね。私の体で隠すわ」


岩と木、それにリーネが体を寄せてアクロスからの光が漏れないように遮った。


「マジックポーションで魔力もけっこう回復したし、多めに魔力を入れた。

明日も持たせられると思うぞ」


「今日がもし野営になっても安心ね」


もし誰かに見られてたら、

物陰に隠れていやらしいことをしてるんじゃないかと想像されちゃうかもな。

とアクロスは思ったが、言わないことにした。


結果が想像できるからだ。


二人は岩場を離れて、

何事もなかったように全員の元に戻った。


が、なぜかマルコが二人を見てにやにやしている。


二人で物陰に消えたのを見ていたな。やはりよく観察している。

だが変身の光は完全に遮った。見られてはいないはずだ。


「なんだお前ら、急に二人で物陰に隠れちまって……

戦いのあとのお疲れのキスでもしたくなったのか?わはは!いいな!」


アクロスはチラリとリーネを見た。


リーネは顔を真っ赤にして、ぶるぶる震えている。


「違うから!

おっさんが目にゴミが入ったって甘えてきたからビンタして取ってあげてたの!

あなたもしてほしいの!?」


訳の分からないキレ方をしていた。


マルコはいや、すまんとだけ言って逃げた。


---


リーネはまだ耳が赤いが、

アクロスにはまだ、真面目に確認しておきたいことがあった。


「ゲルツさん。巣穴の奥を確認しておきたいんですが」


アクロスが声をかけた。


「統率個体が二体いた。この規模の群れは異常だと思う。

原因を突き止めておかないと、また同じことが起きるかもしれない」


ゲルツが顎に手を当てた。


「同感だ。俺も気になってた。行くか」


アクロス、リーネ、ゲルツの三人で窪地の奥の岩場を降りた。

クロが先行して匂いを確かめる。


フレスは入口で待った。閉所は苦手らしく、羽をばたつかせて入ろうとしない。


巣穴は想像以上に深かった。


天井は低い。大人が少し屈む程度。

獣臭が壁に染みついていて、息を浅くしないと気分が悪くなる。


地面に骨が散乱している。

鹿の角。小動物の頭蓋骨。毛皮の切れ端。


ここで何日も群れが暮らしていた痕跡だ。


奥に進むにつれて空気が変わっていった。


湿った空気がさらに重くなる。温度が下がる。


呼吸がしにくくなった。鼻の奥がつんとする。


金属を舐めたような味が口に広がる。


アクロスの胸の奥が、圧迫されるように重くなった。

体の内側で何かが震えている。


言葉にできない。ただ体が、この場所の異常を感じ取っている。


リーネの手が杖を握る力を強めた。

指先が微かに震えている。恐怖ではない。


体の中の魔力が、外から引っ張られるような感覚。


「……アクロス。この先、あるわ」


「あぁ。俺も感じるよ」


アクロスたちはさらに奥へと進んでいく。


ゲルツも顔をしかめている。

ベテラン冒険者としての勘が、警告を発しているのだろう。


そして、巣穴の最奥部に出た。


---


岩壁の奥に、裂け目があった。


そこから黒紫色の霧が噴き出していた。


霧は渦を巻きながら天井付近に溜まり、

脈打つように明滅している。


暗い。明るい。暗い。明るい。

まるで巨大な何かの心臓が鼓動しているかのように。


霧の中に時折、稲妻に似た光の筋が走った。

ばちり、と空気が弾ける音。


小さな雷が霧の内側で生まれては消えていく。


地面には、霧が触れた場所に黒い染みが這うように広がっていた。

苔も草も生えていない。


岩肌が焦げたように変色している。

黒い染みの縁は、まるで生きているかのようにゆっくりと拡がっている。


低い唸りが空間全体に満ちていた。


耳の奥で振動する音。聞こえるか聞こえないかの境界。

だが骨には確実に届いている。歯の奥がじんと痺れる。


空気が焦げているような感覚だ。

肌が粟立つ。腕の毛が逆立つ。


吐き気がこみ上げてきた。


「っ!これは……」


ゲルツが思わず一歩退いた。


「魔力の吹き溜まり、か……!

こんな規模のものは、俺も見たことがない。……まずいな」


リーネが杖を構える。

杖の先端に灯った紫の光が、霧の脈動に引かれるように揺れた。


「……これは、濃すぎるわ。

瘴気が出ていないのが不思議なくらいよ」


リーネの声が震えた。


「これが……魔の吹き溜まりか」


アクロスはこの異様な現象をじっと見ている。

これを、何とかしなければならない。


それは俺たちがやるべきだ。それが目的に一番近づく方法だと思う。


「おい。ここに長くいるのは体にかなり影響が出るぞ」


ゲルツが口元を袖で覆った。


「ええ。状況はわかりました。出ましょう」


三人は巣穴を出た。

外の空気を吸った瞬間、胸の圧迫が嘘のように消えた。


アクロスは大きく息を吸い込んだ。

空気がこんなにうまいと思ったのは久しぶりだった。


---


巣穴の入口近くの岩に三人で腰を下ろした。


ゲルツが禿げ頭を撫でながら、重い口を開いた。


「あれが、今回の魔狼どもの原因だな。

群れを一掃できたから、しばらくは大丈夫かもしれん。

だが早急に対応しないと、まずいな」


「次にあそこに魔物が集まった時には、

今回以上に手がつけられなくなる可能性がある」


「同感だ」


アクロスが頷いた。


リーネがゲルツの方を向いた。


「ゲルツさん。あの吹き溜まりについて、

もう少し詳しく説明させてもらっていいですか?」


「頼む。俺は魔法の専門じゃない。わかるように話してくれ」


「吹き溜まりは、魔力の循環が滞った場所にできるわ。

吹き出す理由も循環が滞る原因も様々あるけど……」


リーネは地面に木の枝で絵を描き始めた。


「魔力が地脈から吹き出し、洞窟の奥や建物の地下深くに物理的な原因で溜まる場合も多いの。地脈の流れが安定せず、魔力が滲み出て、そして外にも抜ける場所がなくて溜まる……」


「今回はそのパターンのように思えるわ」


「あの巣穴の奥に裂け目がある。その奥を地脈が通ってる。

溢れた魔力が、外まで抜けずに濃度がどんどん上がり、獣が誘われ魔獣になり、

魔獣にさらに魔力が宿り。あの群れと化け物が生まれた。そう考えられるわね」


ゲルツの表情がさらに険しくなった。


「吹き溜まりを散らす、もしくは塞ぐ方法はあるのか?」


「あるわ。大きく分けて三つ。

魔力を逆方向に流し込んで、淀みを押し戻し、魔力で蓋をして、塞ぐ。

もしくは今滞留している魔力を全て吸収してから蓋をする。

あるいは……あの魔力を全て魔法のエネルギーに変換して散らす。のどれかね」


「あとはあの巣穴を物理的に破壊して、埋め戻して物理的に蓋をする必要もあるわ」


「むぅ、難題だな。俺にはどうやるのか……想像もできんが。

お前たちには……できそうなのか?」


リーネがアクロスをちらりと見た。

アクロスが小さく頷いた。


「理屈の上では、対処する方法はあります。

でも……あの規模は、私も見たことがありません」


リーネが一度、巣穴の奥を振り返った。


「私の魔力制御と、アクロスの魔力量。

二人で役割を分ければ、なんとかできる可能性はある。

でも、絶対にできるとは言い切れないわ」


「失敗したらどうなるんだ」


ゲルツの声が低くなる。


「溜まった魔力が一気に噴き出すかもしれません。

そうなれば、この森一帯がどうなるか……私にもわかりません」


「なるほどな……かなり危険が大きいな。

作業中の護衛や周囲の警戒、巣穴の破壊作業にも人手がいるだろう」


「それでも、誰かがなんとかしなければ、いけない」


アクロスは考えるような表情だが、目は真剣だ。


「そうね。放ってはおけない」


「ゲルツさん。俺たちも対処を考える」


「私たちも準備をしっかり整えて、改めて処置に来たい。

万全の状態で臨まないと」


「わかった。俺一人で判断できる話じゃない。

ギルドに戻ったらギルド長に話を通す。お前たちも同席してくれ。

正式に対策を立てよう」


「わかりました」


リーネが言った。

アクロスも頷く。


ゲルツが立ち上がった。


「それと——―あの二体目の魔狼だが」


「はい」


「あれは★3の枠に収まらん。あの速度、あの耐久力、あの知能。

前衛を簡単にすり抜けて後衛を狙うなんて戦術的な動きは、

普通の魔狼には絶対にできない」


「あいつをあと一週間でも放置していたら……、

フォールン化が始まっていたかもしれん」


「ゲルツさんは、フォールンを見たことあるのか?」


「実物は見たことはない。フォールンを実際に見て、生きてるやつは少ない。

だが、俺は古株のギルド職員だからな。フォールンの情報に触れる機会はある。

赤黒い魔紋、異常肥大した魔核、瘴気を帯びた血。どれもフォールン化の前兆だ」


ゲルツは深刻な表情だった。


アクロスとリーネはごくりと喉を鳴らした。

姿を見たら、生きて帰ることすら難しいのか……。こわすぎる。


「リーネ。あの吹き溜まり……瘴気は出ていたのか?」


アクロスはリーネを見た。


「さっき見た状態では……出てなかったように思う。

けど、いつ出てもおかしくはないと思う」


「戻ったら早急に対策を練るぞ」


ゲルツの言葉にアクロスとリーネも頷く。


ゲルツは少し緊張を解いて言う。


「ギルドに報告する時は★4相当として申請するつもりだ。報酬にも影響する。

お前たちがあれを仕留めたことは、きっちり評価させてもらうぞ」


★4。その言葉の重みをアクロスは噛み締めた。

魔狼の金色の目、氷の壁を一撃で砕いた突進。

ドルクを吹き飛ばした前足の一撃。


あれを、全員で倒した。

ひとつ間違えれば、全滅もあり得たかもしれないほどの強敵だった。


---


そして三人は、皆がいる場所に戻り、ゲルツが行程の変更を告げた。


「マルコの傷がある。他の連中にも疲労が溜まってる。

ポーションで応急処置はしたが、しっかり休ませた方がいい」


やはりもう一泊になるか。

アクロスとリーネは顔を見合わせて頷いた。


「今日中に無理してグラザまで戻る必要はない。街道の安全なところまで出たら、

今日はそこで一泊する。明日の午前中にグラザに着く行程に変更する」


全員の顔に安堵が広がった。


マルコが「ありがてぇ……」と本気で安心した声を出した。


「さて皆、多少は休めたか?

ゆっくりでいいが、そろそろ出発にしよう」


ゲルツが出発の号令をかける。

皆、立ち上がり、ゆっくり帰路に向けて歩き出した。


来た道をそのまま戻って行く。


ゆっくりと森を抜けて再び街道を南へ歩いた。


皆、疲労があるのか、行きほど口数は多くなかった。


そして街道沿いの開けた場所まで出た。

見通しが良く、風を防げる岩場がある。行きに通った場所だ。


そこで野営の準備を始める。


マルコが「俺が火床を——―」と言いかけて、

リーネの目を見て黙って座った。


学習が早い。


「マルコ、腹の傷ちょっと見せてみろ」


アクロスがマルコの脇腹の傷を改めて診た。


ポーションとリーネの止血剤で出血は止まっているが、

傷口自体はまだ完全に塞がっていない。


他の冒険者が焚き火の準備をしている間に、

マルコの傍で人目を確認してから、そっと手をかざした。


「どうしたんだよ?俺の腹なんか見て」


マルコは首を傾げている。


本当はもう少し早くかけてやりたかったけど。

さすがに治癒まで使いだしたら悪目立ちするからな。


即座に命に関わるような傷でなくてよかった。


「大人しくしてろ」


淡い光が傷口を包む。じわりと肉が寄っていく。


「うおっ……温かい。なんだこれ、魔法か?」


「ちょっとした治癒の魔法だ。他のやつには内緒にしてくれよ。

完全には治らないが、明日にはだいぶ楽になる」


「お前……戦えて、荷物も運べて、治癒もできるのかよ。

一家に一台アクロス君じゃねえか!」


一家に一台アクロス君。

まさかリーネじゃなくておっさんにそのセリフを言われてしまうとは。


「いや、嬉しくねえよ」


「おまえの魔法はどれもすげぇなぁ! おまえみたいなやつ、初めて見たよ」


マルコは腹を押さえて顔を歪めながらも笑った。


「俺も、おまえみたいなやつは、初めてだよ」


アクロスも、笑って言った。


---


焚き火を囲んで、全員が座った。

太陽が金昏を告げる光で街道は橙色に染まっている。


自然と、今日の戦いの話になった。


マルコが切り出した。


「なぁ、俺さあ。あの統率個体が動いた瞬間、頭じゃなくて足が先に出たんだよ。

考えるより先に体が動いた。後から怖くなったけど、動いた瞬間は無我夢中だった」


「それが一番強いんだよ」


アクロスが言った。


「考えてから動くやつより、体が先に出るやつの方が信用できる。

お前がいなかったら、あの突進で後衛が崩壊してた。

お前が最初の一歩を踏み出したから、俺も間に合った。お前のおかげだ」


マルコが照れくさそうに頭を掻いた。


「やめろよぉ!照れるだろ」


クロがマルコの腕に鼻を押しつけた。

マルコがクロの頭をそっと撫でた。今度はクロが目を閉じた。


レナがリーネの隣に腰を下ろした。


「ねぇ。あの壁と弓の連携、うまくいったわね。

リーネの壁がなかったら私の弓は半分も当たってなかったわ。

分断してくれたから一匹ずつ狙えた」


「レナの弓が速いから成り立つのよ。私の壁だけじゃ意味がなかったわ」


「もう。褒めてんだから素直に受け取りなさいよ」


「……ふふ、ありがとう」


リーネが小さく笑った。レナも笑った。


ゲルツが焚き火に枝を足しながら言った。


「全員で帰ると言った。そして全員で帰ってこれた。それが一番の成果だ」


皆、ゲルツの言葉に静かに頷く。


「だが、あの二体目は想定外だった。俺たちの仕事に、想定外はつきものだ。

それでも、全員が無事だったことの意味は大きい」


ゲルツは、一人一人の顔を見た。


「あの吹き溜まりの件も含めて、ギルドに戻り次第、正式に報告する。

お前たちの働きは、きっちり上に伝えるからな」


そしてドルクも焚き火の輪に皆と同じように座っていた。


曲刀は鞘に収めたまま、膝の上に置かれている。

いつものように刃を拭うでもなく、

ただ、燃える火を黙って見つめていた。


マルコの笑い声がある。

レナとリーネの声がある。

ゲルツの低い声がある。


その輪の中で、ドルクは何も話さない。


けれど、いつものような一人だけが遠くにいるような雰囲気ではなかった。


穏やか、と呼ぶにはまだ硬い。

それでも、彼の中に張りつめていた何かが、

ほんの少しだけ緩んでいるように見えた。


アクロスは、あえて隣へは行かなかった。


焚き火の向こう側で、一度だけドルクと目が合った。


そして、ドルクは焚き火の中に枝を放り込んだ。


それだけだった。


だが、今までのドルクの中で一番、皆に溶け込んだように見える仕草だった。


---


夜が深まっていく。


クロがマルコの隣で伏せたまま動かない。


マルコが三回目の「もう離れていいぞ」を言ったが、

クロは微動だにしない。


「こいつ……本当に言うこと聞かねえ」


「クロがずっとあなたの傍にいるのは、心配しているからなのよ」


リーネが言った。


レナがフレスに手を伸ばした。

フレスはリーネの肩からちらりとレナを見て——―

ぷいとそっぽを向いた。


「さっきの戦いでは肩に止まってくれたのに!」


「日常はまた別みたい。この子、切り替えが早いから」


「きびしい……」


リーネがフレスの頭を撫でた。ぴぃ、と小さく鳴いた。


見張りの交代の合間にリーネがアクロスの隣に来た。


焚き火がぱちりと爆ぜる。


「帰ったら、吹き溜まりの処理を考えましょう。気になることもあるわ。

ギルド長との話もあるし、ハンナさんにも聞きたいことがあるわ」


「俺も、相談したいことがある」


アクロスの顔は真剣だった。


リーネが横目でアクロスを見た。


「また、とんでもないこと考えてるんでしょ?」


「そうかもしれない。でも大事なことだ」


「……そう。じゃあ、聞くのを楽しみにしてる」


少しだけ笑って、リーネは焚き火へ視線を戻した。


「私、この依頼に参加してよかった。

怖かったけど……逃げなくてよかったって、本当に思う」


「この討伐は俺たちにとって、すごくいい経験になったと思う」


考えなければいけないことが、たくさんある。


リーネの目が焚き火の光を受けて揺れていた。


「帰ったらいっぱい話をして、いっぱい行動しましょう。

今までより、ずっとずっと忙しくなるかも」


「そうだな」


「そうよ」


二人とも焚き火をじっと見つめている。

お互いが、お互いのために何かを考えている。そういう時間だった。


あの吹き溜まりは、この世界の魔力の流れが壊れたことによって生まれたものだ。

管理する者がいなくなった。循環が世界中で狂い始めている。


それを正すこと——―

これは、自分たちがやるべきことだ。


この一歩は間違いなくあの馬鹿みたいな話に繋がる大事な一歩だ。


「……二人で、やろうな」


リーネが小さく頷いた。


三つの月が空に昇っている。弓引きの星座が今日も見えた。


反省すべきこと、考えなければいけないこと、やらなければいけないこと。

たった二日で山ほど増えたと思う。


けれども、明日はグラザに帰れる。自分たちの家に。


あとは家で、考えよう。

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