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第37話 ドルクという男

アクロスがおっさんたちにからまれていた頃、


焚き火の反対側ではレナとリーネが毛布を広げていた。


「ねぇ、リーネ」


「ん?」


「あんたの魔法、明日の戦いではどう使っていく?」


「そうね……氷の壁を作って群れを分断したり、味方を守ったり。

防御や補助メインで使った方がいいかなと思ってる。攻撃は前衛に任せる」


「あたしは後ろから弓を射ることしかできないけど、

あんたの壁があると安心して動きやすいわ。分断してくれたら一匹ずつ狙えるしね」


「じゃあ連携しましょう。

私が壁を作って分断できたら向こう側に取り残された個体をレナが撃つの」


「いいね。やってみよう」


レナが弓を膝の上に置いて、弦を指で弾いた。

ぴんと張り詰めた音が夜の空気に響く。


「あたしのこの弓、父さんが作ってくれた弓なの」


レナが弓の曲線を指でなぞった。


「だから大事なの。形見みたいなもの」


リーネが自分の杖に目を落とした。


「……わかるわ。その気持ち」


「でしょ? あんたもその杖がそうでしょ?」


リーネが小さく頷いた。


「じゃあ一緒ね。あたしたち、似たもの同士かも」


レナが笑った。

リーネも、ほんの少しだけ笑った。


焚き火の明かりが二人の顔を暖かく照らしていた。


---


野営地に、静けさが戻っていた。


焚き火は落ち着いて、橙色の炎が地面にゆらゆらと影を伸ばしている。


マルコが組んだ火床は枯れ木が丁寧に交差していて、

少ない薪でよく燃えていた。


夜は深くなっていく。


三つの月が空に昇っている。青い月が一番高くて、

二つの赤い月がその両脇に並ぶ。


ほとんどの冒険者が眠りについていた。

焚き火の番は交代制だ。


森の方角から、遠くで獣の遠吠えが聞こえた。

一つ。二つ。三つ。

重なり合って、夜の空気を震わせる。


あの声は、魔狼か。


明日、あの声の主たちと戦う。


アクロスは焚き火を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。


隣で、クロが耳を森の方に向けたまま静かに横たわっている。

尻尾がアクロスの足に触れている。


フレスはまだ木の上で羽を伸ばしている。


明日は初めての集団戦だ。二十を超える魔狼。それらを統率する特殊な魔狼。

そして守るべき仲間がいる中での戦い。


絶対に全員で帰ってくる。一人も欠けさせない。


それが今の自分にできる、一番魔王らしいことだと思った。


アクロスが空を見上げると空一面に、星が出ていた。


グラザの町の中では見えなかった数の星が、

木々の隙間から瞬いている。


「ねぇ、アクロス」


小さな声が、すぐ隣から聞こえた。


振り向くと、リーネが毛布を体に巻きつけたまま、

そこに立っていた。


変身した赤焦げ茶の瞳が、焚き火の光を受けてゆらりと光っている。


「そろそろ一度、変身魔法かけ直さない?」


誰にも聞こえないように。


「そうしよう。眠ってる間に何かあるといけないからな」


「うん……お願い」


リーネが右手を差し出した。

光が漏れないように毛布で隠す。


アクロスがその手に触れた。

ひんやりとした細い指が、少しだけ緊張しているのがわかった。


変身シフト


光がリーネを包んで、そのまま静かに沈んでいった。


「明日は朝から慌ただしいかもしれないから、倍がけにしておいたぞ」


「それなら安心ね。ありがとう」


リーネが隣に腰を下ろした。

毛布の端が地面を擦って、柔らかい音がした。


二人でしばらく、焚き火を眺めた。

炎が跳ねた。赤い火の粉が空へ上がって、すぐに消えた。


「ねえアクロス」


「ん」


「……明日、怖い?」


アクロスは少し考えるように間をおいてから言った。


「怖いよ。普通に」


「そう。……私も」


「怖いのは、生きてる証拠だ。命を大事に思ってるってことだ」


リーネが小さく頷いた。


「怖くても動けるやつが信用できる。あなたが朝、言ってたわね」


「あぁ」


「レナとも話したの。あの子、やっぱり強いわ。

弓を持つ手が震えていなかった。怖くないわけじゃないって言ってたけど」


「そうか」


「私も、そうありたい」


リーネが毛布の中で膝を抱えた。


その横顔を、アクロスはさりげなく見た。


変身した瞳の奥に、いつもの深紅が静かに宿っている気がした。


怖がっている。でも逃げない。


「お前も、ちゃんと強いさ」


本当に、そう思ってる。


「ふふ、ありがとう。

私は先に寝かせてもらうわね。あとで交代にくるわ」


「あぁ、ゆっくり寝ていいぞ」


リーネは笑顔で頷いて元いた場所に戻って毛布にくるまった。

しばらくすると、規則的な寝息が聞こえ始めた。


クロがリーネの足元に寄り添って、鼻先を彼女の毛布の端に当てた。

それから、北東の闇にゆっくりと顔を向け直した。


---


どれくらい経っただろう。


リーネの寝息が聞こえている。

レナも眠っている。


マルコのいびきが少し離れた場所から響いている。

図体がでかいといびきもでかいのは、どこの世界でも同じらしい。


ルッツとゴードンの見張りが終わり、

アレンとエリーに交代した。


アクロスの当番はまだ先だが、眠る気にはなれなかった。


焚き火がぱちぱちと爆ぜている。

炎の形が揺れるたびに、影が地面の上で踊る。


その時、足音がした。

その歩き方は、音を隠す気がない。


アクロスは音がする方を見た。


―――ドルクだった。


ドルクは焚き火の反対側に、無言で腰を下ろした。


膝の上に曲刀を置いた。

布を刃に沿わせて、ゆっくりと拭いている。


しばらく沈黙が続いた。


焚き火の音だけが二人の間にある。


アクロスは黙って炎を見ていた。

声をかけるべきか、放っておくべきか。


この男との距離感が、わからない。


だが先に口を開いたのは、ドルクだった。


「……お前は、眠らないのか」


低い声。抑えた音量だが、

焚き火の音の中でもはっきり聞こえた。


「なんだか、眠るには中途半端な時間でな」


「そうか」


また沈黙。


ドルクの手が曲刀の刃を撫でている。

布越しに、刃の状態を指先で確かめている。


丁寧な手つきだった。

自分の道具を大事にする人間の手つきだ。


「いい曲刀だな」


アクロスが言った。


ドルクの手が一瞬だけ止まった。


「……わかるのか」


「刃物の良し悪しはわからないよ。

ただ、手入れの仕方を見れば大事にしてるのはわかる」


ドルクが曲刀を持ち上げた。

焚き火の光を受けて、刃が赤く光る。


緩やかなカーブを描く刃紋が炎の中に浮かんだ。


「傭兵団にいた時に手に入れた曲刀だ。もう、十年近く使っている」


「大事に使ってるんだな」


「刃は何度も研ぎ直した。柄の革も何度も巻き替えた。

だが芯の鋼は同じままだ。最初の鋼が、まだ中に残っている」


ドルクが刃を布で包んで、膝に戻した。


「傭兵団は、もうないのか」


聞くかどうか迷ったが、聞いた。


夜の焚き火には、そういう力がある。

昼間は聞けないことを、炎が許してくれる。


ドルクは少し間を置いた。


「あぁ、もうない」


「……聞くべきじゃなかったか?」


「聞かれて困る話じゃない。もう五年以上前のことだ」


ドルクが焚き火を見つめた。炎が瞳の中で揺れている。


「俺は、孤児だった。親の顔は知らない」


ドルクは焚き火を見たまま言った。


「教会の前に捨てられていた。そういう子供は珍しくない。

家族がいて、普通に育ったやつは傭兵にはならない」


自分の話をしているドルクの目は、

なんだかとても人間らしい、目だった。


「十くらいの時だったと思う。俺は町に出て、スラムにいた。

食い扶持を減らすためだ。教会も貧しかった」


ドルクの指が、曲刀の柄に触れた。


「そこで団長に拾われた。飯を食わせてもらった。

この曲刀も、団長からもらった」


「……そうか」


「団長は言った。お前は鉄になれ。

打たれて、叩かれて、それでも折れないやつになれ、と」


ドルクはわずかに目を伏せた。


「団長の故郷では、ドルクという言葉に、古い鉄という意味があるらしい」


ドルクの声に感傷はなかった。

ただ事実を述べているだけの口調。


だがその平坦さの中に、

何かを丁寧にしまい込んでいる気配があった。


「十五で初陣。二十で団の中核になった。

仕事はなんでもやった。戦場にも出た。

依頼主がいて、報酬が出て、それをきっちり遂行する。それが全てだった」


「いい団だったのか」


「傭兵団に、良いも悪いもない。

ただ仕事をするために群れている集団だ。だが——―」


ドルクが少しだけ言葉を切った。


「飯は、一緒に食った。毎日な」


その一言に、全部が詰まっていた。


「団は結局なくなった。壊滅した理由は、依頼主の裏切りだ。

細かい背景はわからん。報酬を払われず、逆に俺たちは賊として軍に襲われた。

寝込みを襲われて、大半がそのまま死んだ。俺と、何人かだけが逃げた」


アクロスの胸が重くなった。


「……それは」


「感傷や、同情は必要ない。

傭兵として生きる人間はそういうものは捨てる。

自分が捨てたものをまた他人に向けられても、もういらんのだ」


ドルクが遮った。だがその言葉の奥深く。

本当に捨てたのか、それとも、心の奥に隠しただけなのか。

それは、アクロスにもわからない。


「生き残った者は、次の仕事を探す。死んだ者は土に還る。

それだけだ。死んだやつはもう戻らない。誰でも知ってることだ。

だからまた前を見て、歩く。いつか、自分が死ぬまでな」


焚き火がぱちりと爆ぜた。


「……強いな」


「慣れただけだ」


「慣れと言えるのも、強さだ」


ドルクがちらりとアクロスを見た。

焚き火の光で、表情がよく見えない。


だが、鋭い目が少しだけ緩んだ気がした。


「お前は、変なことを言うやつだ」


「よく言われる」


「誰にだ」


「相方に」


ドルクが鼻で笑った。


笑い、というにはあまりに小さな反応だったが、

確かに口の端が動いた。


沈黙が戻った。


だが、さっきまでの沈黙とは質が違っていた。

少しだけ、空気が柔らかくなっている。


アクロスが水筒を出した。


「水、飲むか」


「……もらおう」


水筒を渡した。

ドルクが受け取って、一口飲んで、返した。


それだけのことだ。

だがこの男にとってそれは珍しいことなのだろうと、

アクロスには何となくわかった。


「お前、酒は飲まないのか」


アクロスが聞いた。


「飲まない。判断が鈍る」


「徹底してるな」


「傭兵はよく酒で死ぬ。冗談じゃなくな。

酔って寝てる間に喉を掻き切られた仲間がいた」


「……俺は飲みたいが、禁止されてる」


「誰にだ」


「相方に」


ドルクがまた鼻で笑った。

今度は少しだけ、はっきり笑った。


「尻に敷かれてるな」


「完全にな」


「……面白い男だな。お前は」


それが褒め言葉なのかどうかはわからなかったが、

少なくとも悪意のない声だった。


また沈黙が流れた。

森の遠吠えが、さっきより近くなった気がする。


ドルクが空を見上げた。

三つの月の光が、鋭い横顔を照らしている。


「……最近、変な夢を見るようになった」


声が、少し変わった。

さっきまでの硬い声ではない。

もっと内側から出てきた音だった。


アクロスの心臓が一拍だけ強く打った。


「二、三回だがな。知らない場所で、知らない相手と戦っている夢だ」


ドルクが膝の上の曲刀に目を落とした。


「目が覚めると、全てが朧気だ。

場所も、相手の顔も、なぜ、争っていたかも。全部。

ただ——―」


「ただ?」


「体だけが、熱い」


焚き火がぱちりと音を立てた。


「汗をかいている。呼吸が荒い。筋肉が張っている。

体だけが何かと戦っていたことを覚えている」


アクロスの胸の奥に、鉛が落ちた。


忘却の霧で消した記憶だ。


あの日の戦い。アクロスとの一対一。

お互い死の一歩手前までせめぎ合った。


あの記憶が、ドルクの頭からは消えている。

だが体に刻まれた戦闘の反射は、夢として浮かび上がっている。


「それは、悪い夢なのか」


声が震えないように、注意して聞いた。


「わからん」


ドルクが首を振った。


「悪い夢……なら、起きた時に嫌な気分になるはずだ。

だが、そうじゃない。嫌な感じはない。

むしろ——―」


少し間があった。


「起きた後の俺は、なぜか穏やかだ」


アクロスは何も言えなかった。


ドルクが自分の右手を開いて、見つめた。

曲刀を握り続けてきた手。

指の付け根にたこができている。


「わからないことは、考えても仕方ないが」


「……そうか」


「だが——―」


ドルクが、初めてアクロスの目をまっすぐ見た。


焚き火の光の中で、鋭い目が静かに光っていた。


それは警戒でも敵意でもない。

もっと深い場所から来ている視線だった。


「お前を見ていると、なぜか、あの夢から覚めた時と同じ感覚になる」


アクロスの背中に冷たいものが走った。


「理由はわからない。お前と会ったのはギルドが初めてのはずだ。

だが体が——―なぜか、お前の間合い、歩幅に合わせようとする。

お前を知りたがっているように」


昼間、マルコが指摘したことの答え合わせだった。


ドルクは、自分でも気づいていたのだ。


「……お前、おっさんが好きなのか?」


アクロスは冗談で誤魔化しながらドルクの反応を探った。


「やめろ、気持ち悪い」


ドルクがまた鼻で笑った。


冗談が全く通じないわけではないようだ。


「不思議だが、ただの不思議で済ませておく。

今はそれでいい」


ドルクが立ち上がった。


曲刀を腰に差し直す。

布で刃を拭く手つきが、いつもの硬さに戻っていた。


「今夜は喋りすぎた。自分でもよくわからんがな。

お前から感じる何かを、俺は認めているのかもしれない」


「……俺は聞けて、よかったよ」


「変なやつだな。……寝ろ。明日は長い。血も流れる」


「お前こそ」


「俺は寝ない」


「全然寝ないのか」


「必要な時に必要な分、寝る」


ドルクが焚き火から離れ、

闇の中に溶けるように消えていった。


アクロスは焚き火を見つめたまま、

しばらく動けなかった。


ドルクの記憶を奪った。


それが正しかったのかどうか、今でもわからない。


だがドルクは、記憶を奪われてもなお、

体は覚えていて、夢で思い出しかけている。


それが何を意味するのか。思い出す時が来るのか。


アクロスの胸の中で、

何かが静かに軋んでいた。


---


しばらくすると、リーネが起きてきた。


あれから、どれくらい時間が経ったのかはわからない。


「私とアクロスの当番の時間よ」


「ああ」


焚き火の前に、アクロスとリーネが並んで座った。


クロが二人の足元で伏せている。フレスはリーネの肩に戻って、

片目だけ開けている。半分寝て、起きている。


周囲は静かだ。風の音と、焚き火の音と、

遠くの虫の声だけ。


「さっき、ドルクと話をした」


アクロスが小声で言った。


リーネが横目でアクロスを見た。


「……何を、話したの」


「あいつの傭兵団の話。孤児だった話。団が壊滅して生き残った話。

——―それと、夢の話」


リーネの指先が、ぴくりと動いた。


「夢の話?」


「知らない場所で、知らない相手と戦っている夢を見ると言っていた。

目が覚めるとほとんど中身を覚えていない。でも体だけが熱いと」


リーネが黙った。


「忘却の霧で消した記憶が、夢として浮かんでるんだ」


「……あの人、気づいてるの?それが本当の記憶だって」


「ただの奇妙な夢だと思っていた。起きた後は穏やかな気持ちらしい」


二人の間に沈黙が落ちた。


焚き火がぱちりと爆ぜた。


「……複雑ね」


リーネがぽつりと言った。


「あの人が私を追い詰めた時、あの人の目は仕事の目だった。

憎しみはなかった。怒りもなかった」


杖を握る指に、わずかに力が入る。


「ただ、依頼されたことを遂行しようとしていただけ。

それが、余計に怖かった」


「………」


「でも、今あなたが聞いた話で、少しだけ分かった気がする。

あの人は、ただ……そういう生き方しか知らなかったのかもしれない」


リーネは焚き火を見つめた。


それでも、杖を握る指の力はすぐには抜けなかった。

理解したからといって、怖かった記憶が消えるわけではない。


あの声。あの目。

杖を奪われる感覚。


それらはまだ、体のどこかに残っている。


「いつか、あの人にも、自分で選べる生き方が見つかるといいわね」


それでもリーネは理解をしようとした。


アクロスは何も言えなかった。


いつか、必ず、ドルクと向き合う日は来るだろう。

その時、自分はどうするのか。

あいつは、どうするのか。


まだ、答えは出ていない。


---


静かに見張りの時間が過ぎていく。


空の月が少しずつ動いて、星の位置が変わっていく。


リーネが杖を膝に立てかけて、空を見上げた。


「ねぇ。あの星座、名前があるの」


「どれだ」


「あそこ。三つ星が並んでるの」


「集落では何て呼んでたんだ」


「弓引きの星って呼んでた。三つ星が弓みたいだから。

実りの季の終わりに見える星座なの」


「じゃあ、もうすぐ季節が変わるのか」


「ええ。ひと月も経たない間に凍りの季よ。寒くなるわ。雪も降る。

グラザでも、たぶん少しは積もるでしょうね」


冬が来る。

この世界で迎える最初の冬。


「凍りの季かぁ。どれくらい寒いのかわからんが、嫌だなぁ」


「暖をしっかり取れるものが欲しいわね。暖炉とか」


「暖炉。いいなぁ」


「無事戻ったら凍りの季対策も考えましょ」


「そうだな」


クロが寝返りを打った。前足をアクロスの靴に重ねたまま、

ぐるりと体の向きを変える。尻尾がリーネの膝に触れた。


リーネがその尻尾を軽く撫でた。


「クロ、大きくなったわね。

最初に会った時は、両手で抱えられたのに」


「今は片手じゃ持てないな」


「そうよ。もうすぐ私の腰くらいまで来るわ。

この子が大人になったらどのくらいになるのかしら」


「俺にもわからん」


クロが耳だけ動かした。

話は聞いているらしい。


フレスがリーネの肩でむずむずと動いた。

翼の下から顔を出して、ぱちぱちと瞬きする。

寝ぼけ眼だ。


「フレスも、翼が大きくなった。最初は手のひらに乗るくらいだったのに。

今はもう、広げたら私の両腕くらいあるわ」


「飛ぶのも速くなったよな。今日の偵察、あっという間に戻ってきた」


フレスがぴぃと小さく鳴いた。

褒められたのがわかったらしい。


「あなたたちは、私の大事な家族よ」


ぴぃ。

わふ。


二匹が同時に返事した。


クロは起き上がりもせず、フレスは翼から顔を出したまま。

それでも、返事だけはちゃんとする。


「俺は?」


「ただのおっさんよ」


「どういうことだよ……」


リーネは答えなかった。


ただ、焚き火を見たまま、少しだけ口元を緩めた。


まぁ、いいか。

アクロスは焚き火に枝を足した。


弱くなった炎がまた勢いを戻した。


「そろそろ、俺の変身もかけ直すか」


「あ、毛布でちゃんと体を隠しなさい」


リーネがアクロスを毛布で包む。


意識を集中する。今日一日の疲れもある。

寝る前にかけるのは少ししんどい。睡眠もしっかりとらないとな。


「交代までまだまだよ。私が見てるからあなたは寝てちょうだい」


「悪いな、ここで寝るから。何かあったら起こせよ」


「わかってる。ちゃんと寝て魔力もしっかり回復させて」


「あぁ、おやすみ」


アクロスはあくびをしてリーネの隣で寝ころんだ。

すぐに寝息が聞こえてきた。この寝息はもうすぐいびきに変わるんだろう。


「家族、か……」


リーネは眠るおっさんの顔をちらと少しだけ見て、また焚き火に視線を戻した。

優しい瞳で、ただゆらゆらと揺れる火を、じっと見ていた。


---


そして、白晨の光が森の木々の隙間から差し込んできた頃。


アクロスたち冒険者も目を覚まし始め、

それぞれ朝の支度に動き始めていた。


早朝はルッツとゴードンが見張りをしていた。


マルコがあくびをしながらアクロスのところへ来た。


「……おはよう。よく寝れた。寝つきが悪い俺にしちゃ上出来だ」


「昨日交代の時、おやすみを言いきる前に寝てたぞ」


「マジか。俺、実は寝つきいいのかな」


「寝つきがいいとかいうレベルじゃなかった。怖かったよ」


レナがリーネの隣で伸びをした。


「おはようリーネ。フレスちゃん」


フレスがぷいとそっぽを向いた。


「……朝からつれないなぁ」


「ごめんね。寝起きは機嫌が悪いのよ、この子」


「あたしもよ。気持ちはわかるわ」


レナが笑って立ち上がった。


ゲルツが焚き火の前に立った。


「全員起きたな。朝飯を食って、準備しろ。

一刻後に森に入る」


アクロスは影収納から硬パンと干し肉を出して、

リーネと分けた。


クロの分とフレスの分も取り分ける。


マルコが隣に来て、自分の干し肉をまたクロに差し出した。


「ほら。朝飯だ」


クロが匂いを嗅いで、一拍置いて、食べた。

尻尾を二回振った。


「おっ。昨日は一回だったのに、今日は二回だ」


「昇格したな。仮合格から準合格だ」


「なんだそれ! 本合格はいつもらえるんだ!」


「さあな。それはクロ次第だ」


マルコがクロの頭を撫でた。

今度はクロが五秒間撫でさせた。


「五秒だ!昨日は三秒だった!ほんとに昇格してるぞ!」


「お前はほんと、いいやつだな」


アクロスは笑った。


焚き火の向こうで、ドルクが一人で水を飲んでいた。

昨夜と同じ場所。


誰とも話さず、静かに準備をしている。


だが——―


昨夜、焚き火を挟んで交わした言葉が、

あの場所の空気を変え、ドルクの何かも、少しだけ変えていた。


ドルクがちらりとアクロスの方を見た。

目が合った。


視線がすぐに外れた。


だが、右手は、曲刀の柄に置かれていなかった。


それだけの違いしかないが、その違いは大きいのかもしれない。


ドルクという男は、

思っていたよりずっと空っぽで、ずっと重かった。


ゲルツが声を上げた。


「皆、準備完了か。では、北の森に入る。全員気を引き締めろ」


アクロスが立ち上がった。

クロが横に並んだ。

フレスがリーネの肩に乗った。


リーネが杖を握り直した。


「行きましょう」


「ああ。行こう」


森の入り口が、朝の光の中で黒く口を開けていた。

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