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英雄譚第四章 魔導士フォビアン・ドラクロワ

僕は今までに何度、自分の運命を呪っただろうか。


朝、目を開けるたびに。夜、目を閉じるたびに。


僕は運命を呪っていた。


始まりは、七歳の芽吹きの季だった。


ドラクロワ公爵家の三男に生まれた僕は、

アルセイド王国の貴族の子供に生まれたならば必ず行う通過儀礼、

能力鑑定の儀の場に立たされていた。


王都の大聖堂広間の中心には、仰々しい台座に乗せられた鑑定石が置かれている。


それは僕の頭くらいの大きさの美しい水晶だった。


僕には二人の兄がいる。二人とも鑑定結果は「魔導士」だった。

ドラクロワ家は代々、国に勤める優秀な魔導士を生み出してきた家系だ。


父と母も二人の兄の鑑定結果を喜んだ。

兄たちの未来を思い、そしてドラクロワ家の安泰を願っていた。


そしてこの年は、僕が鑑定石の前に立った。


母は僕の背中を優しく押した。

僕は石の前に立って、両の手のひらを石の上に言われるがままに置いた。


この時のことは今でもはっきりと覚えている。


僕は、一度見た景色や聞いた話を忘れることはできない人間だった。


僕の手が鑑定石に触れると、石は眩く光った。

その色は、白でも、青でも、赤でもなかった。


七色が、眩いほどに混じり合って光っていた。


鑑定の儀に立ち会っていた教会の神官が、息を止めて動かなくなった。


その後すぐに神官の体は、震え出した。


父は一歩前に出て七色の光を食い入るように見ていた。

母の表情は見ていなかったが、僕の肩の上に置かれた手は震えていた。


「け、賢者だ……。七色の光は……賢者の証……」


神官はその七色の光を見て確かに判断をした。

それでも、目の前の出来事が、現実のことなのか分からない。そう言いたげに、

何度も目を擦り、体は変わらず震えている。


僕は、まだ七歳だった。

でもその言葉が何を意味するのか、僕は既に知っていたし、身に覚えもある。


賢者の話は家庭教師の授業で聞いたことがある。

百年に一人とも、二百年に一人とも言われる、全ての属性に適性を持つ者。

世界の摂理を見通す素質を生まれながらに備えている者。


そして僕が魔力の扱い方を、勝手に覚え始めたのはそもそも三歳の頃だ。

もちろん家族の誰も、そのことには気づいていないと思う。


——―僕は、賢者だ。


僕の人生は、運命は、

その時に、僕に何の相談もなく勝手に決まってしまった。


---


鑑定の儀から三日が経った朝、ドラクロワ家に人が訪ねてきた。


僕はまだ七歳だったから、その人の肩書きを正確には知らなかった。


ただ、父が玄関までわざわざ降りていって、その人を迎えるのを、

僕は階段の上から見ていた。


父が誰かを玄関まで迎えに行くところを、僕は生まれて初めて見た。


公爵家の父が伯爵家のその人を、自分から出向くようにして迎えていた。


家格ではない、何か別の確かなものが、二人の間にはあったのだろう。


七歳の僕には、それを上手く言葉にできなかったことを覚えている。


訪ねてきた男の名は、グレイヴァル・モントーク。

現在のアルセイド王国宰相。

「黒衣の宰相」と呼ばれ、今では国内の誰もが畏怖する存在だ。


綺麗に後ろに撫でつけた灰色の髪。白いシャツに黒のスラックスパンツ。

そして茶色の革靴。身につけているどれもがシンプルでありながらも洗練された上質な素材であることは遠目でもわかった。


体格は細身で、背は低くもなく、高くもない。表情はあまり動かない、

落ち着いた佇まいだった。


この時、モントーク卿はまだ三十代前半だろうか。


そして二人は階段の上にいる僕に気付き、父が優しく手招いた。


僕は玄関に下りて、父の横に立ち、モントーク卿と顔を合わせた。


モントーク卿は名乗らず何も言わず、僕の前にしゃがんだ。

そして僕と同じ高さの視線に合わせて、お互いの顔を初めて確かめ合った。


モントーク卿の目は、髪色と同じ灰色の目。

ただその瞳だけは、異様な輝きを放っていた。


その目は僕が子供でも関係なく、容赦なく全てを射抜くような目だった。


だが、その表情から僕が感じたものは、不思議な優しさだけだった。


そしてモントーク卿は静かに口を開いた。


「君が、フォビアンだな」


「はい」


「君は、賢者だな」


僕はモントーク卿の目をじっと見つめ、この人が来た理由を考えていた。


この時は彼がどんな人間か僕は知らなかったけど。

きっと僕を、どこかに連れて行くために来たのだろうと思っていた。


僕は、彼の言葉に返事はしなかった。


ただ、じっとモントーク卿の目を見続けていた。


そして彼は、ただ優しく微笑んで、父と母と応接室へ入っていった。


彼らは長く、話し込んでいたように思う。


僕は寝室に追いやられたが、こっそり抜け出して、

隣の部屋から応接室の声を盗み聞きしていた。


人間が音を聞き取る理屈は既に知っている。僕は魔力で聴覚を強化した。

そして壁に触れて耳に伝わる音、振動を多少増幅させる細工くらいならできた。


僕は七歳でも、冷静にそういう行動ができるくらいには、賢かった。


そして僕は静かに耳を澄ませた。


「鑑定の事実はこの先も伏せておきましょう」


グレイヴァルの低い声が、壁越しに届いた。


「表向きは『魔導士』ということにします。

立ち会った神官と儀式の関係者は、すでにこちらで押さえてあります。

彼らから外に漏れることはないでしょう。フォビアン君のことを知るものはドラクロワ家の中でも、最小限に留めていただきます」


父が、低い声で言った。


「あの子は、これからどうなる?ドラクロワ家から離れることになるのか?」


父の言葉に対して、グレイヴァルが答えている。


「ご安心ください、ドラクロワ卿。私の仕事は情報を管理することです。

あの子が変わらずこの家で過ごせるように、あの子の周りに何も起きないように。

あの子を守ります。それが、我らモントーク家の仕事です」


母が小さく泣いている気配がした。


「フォビアン君が普通の貴族の子供として育つことができるように、彼を権力の道具にしないために。この国の希望を守るために。私にお任せください」


父がようやく口を開いた。


重く慎重。だが、迷いのない声だった。


「モントーク卿。あなたに息子の未来を、お預けする」


僕は七歳の子供だった。

だが、それでもその夜、僕は理解した。


——―あの人は僕が僕であるために、動いてくれているのか。


そして父も、そのことに賛成していた。


その夜、七歳の僕は毛布の中で声を立てずに泣いた。


それが、嬉しかったのか悲しかったのかは今でも分からない。


ただ、自分の運命はもう、動き出したのだ。と理解した。


---


僕の母のことも、書いておきたい。


母はとても美しい人だった。


これは僕の身内贔屓ではないと思う。


ドラクロワ家を訪れた人間の誰しもが、初対面で母と目を合わすと、

必ず時が止まったかのように動かなくなる。

そしてすぐに目を逸らして、慎ましく目を伏せる。


だが僕が思う母の本当の魅力は、美しさではなかった。


母は、とても優しい人だ。


七歳の春の鑑定の日以降も、母は僕に対する態度を一切変えることはなかった。


朝、食卓で笑顔で変わらず「おはよう」と言ってくれた。


午後、僕が書庫に潜っていると、温かいお茶を変わらず持ってきてくれた。


そして、夜は寝る前に、必ず僕の額に唇を寄せてくれた。


僕がだんだん大きくなって、家庭教師との時間が増えても、

書庫の中で何時間も、時には丸一日書庫から出ずに本を読み続ける日々が続いても。


母は変わらず、僕のことを見てくれていた。


僕が大きくなって家を出る時、玄関で見送ってくれた母の目をちゃんと覚えている。


一言だけだった。


「ここはあなたの家。疲れたらいつでも帰っていいのよ」


僕はその言葉に頷くことはできなかった。ただ僕は何も言わず、

精一杯微笑んで、母の目を見ていた。


あれは今でも英断だったと思う。


あそこで頷いてしまっていたら、僕は今、何もかもを放り出して、

本当に帰っていただろう。


それからの僕は、あの鑑定の日が無かったかのように、

「炎と雷の二属性の優秀な魔導士」として日々を過ごしていた。


国内でも優秀な教師たちが僕を教育してくれたが、

どの授業も僕には退屈だった。全部、既に知っていることだからだ。


僕は彼らに何かを教えてもらう、というよりは、彼らは僕に何を教えないのか、

を観察していた。


僕は退屈な表情を見せないように努め、適度な質問を選んで投げた。

時には、わざと間違えた。


ただの神童であることと、賢者であることは、違うのだ。


神童は教えれば教えるだけ伸びる。

賢者は教えられる前に既に答えに辿り着いている。


僕は神童のふりをすることに、十年かけて熟達した。


そうして僕は賢しい皮肉屋になることを思いついた。


皮肉な笑い方をしてみた。言葉の端に毒を混ぜることもした。


眼鏡をくいと上げながら皮肉な笑いと嫌味を言うことが癖の、優秀な魔導士。


そうした穴を作って保たないと、普通の人は僕に何も言えないことを、

十二歳の頃には理解していた。


先回りして全てを知ってしまう賢者よりも、

口の悪い変人の方が人はまだ近づきやすい。


ある程度、人が近づいてきてくれないと、僕の擬態も完成しないだろう。


そして僕は十歳で魔法学院に入った。


アルセイド王国史上、最年少だった。


そして僕が十三歳になる頃、

グレイヴァル卿は、アルセイド王国の宰相に任じられた。


★5魔導士の判定に至ったのは、十五歳の芽吹きの季のことだ。


本当はもっと早くに成すこともできたがグレイヴァル閣下は、

「ゆっくり登ることも大事だ」と言っていた。


有難い言葉だと思った。


ゆっくり登るということは、

僕にとっては「他人の歩幅に合わせて歩く」練習だった。


それは間違いなく、その時の僕には欠けていたものだった。


そして僕は十八歳になった。


魔法学院は十五で卒業し、それからの僕はひたすらに書を読み、

世界を理解し、魔法を研究し、自分の世界を広げていた。


ただ、退屈だったからと言えば、それはそうなのかもしれない。


そして凍りの季のある日。


グレイヴァル閣下の使いが家にやってきた。

宰相の執務室に来てほしい、とのことだった。


いつもは僕の家に彼が来ていた。彼から呼ばれたのは初めてのことだった。

彼は年に数回は僕の様子を見に、わざわざ会いに来てくれていた。


僕は子供の頃から彼を知っていたし、

そんな彼を宰相という肩書きで呼ぶには、僕は近くなりすぎていたのかもしれない。


「グレイヴァル・モントーク」の名は、今やエルデシア大陸全体に轟いていたけど、

僕の中では、彼はずっと「僕のことを守ってくれる人」だった。


僕は初めて、宰相グレイヴァルの執務室を訪れることになったが、

その日は、僕はやはり運命から逃れられないことを実感した日でもあった。


---


その日は、迎えの馬車が来て王都の城まで向かった。


王城の廊下では、窓から差し込む光が絨毯の上に細い帯を作っていた。


そして宰相閣下の執務室に案内された僕は、扉を叩いて来訪を告げる。


「入ってくれ」と聞き慣れた声が扉越しに聞こえてきた。


扉を開けて、執務室に足を踏み入れるとまず、紙の匂いがした。

古い羊皮紙、新しい紙、そしてインクの匂い。

革綴じの本の独特の匂いが混じっている。


執務室というよりは、そこは図書館の一角に近い空気だった。


宰相の部屋にしては思っていたより広くなかったが天井が高く、

奥行きを感じさせる構造になっていた。


大きな書斎机の奥に、荘厳な黒い衣を羽織ったグレイヴァル閣下が座っていた。


グレイヴァル閣下は僕を見て、静かに微笑んだ。


「長い付き合いだが、私の執務室に来たのは初めてだな。フォビアン」


「はい。あなたらしい部屋だと、思いました」


グレイヴァル閣下はふっと息を吐くような笑いを浮かべて続ける。


「座ってくれ。フォビアン」


宰相の執務室の来客用の長椅子に僕は座った。


向かいにグレイヴァル閣下も座る。


そして横の窓際にはもう一人、男が立っていた。

その男は執務室に入った時からじっと僕の顔を見ていた。


茶色のシャツ。黒革のパンツ姿に軍靴のようなブーツ。

肩の下まで伸びた癖のある銀髪。そして無精ひげ。


その男の格好は、一国の宰相の執務室を訪れるにはあまりに砕けた姿だった。


グレイヴァル閣下はその男を一度見て、また僕に目線を戻した。


「今日はよく来てくれたなフォビアン。ようやく君に彼を紹介することができる。

彼が剣聖、そしてこの国の元帥であられる。ヴァイス・グランドール閣下だ」


剣聖、ヴァイス閣下はグレイヴァル閣下と同じ四十歳前後に見えた。


背はグレイヴァル閣下より高く、肩幅も広く、その顔つきは凛々しく、

まさに戦いに生きてきた男の体格だった。


そして彼の茶色の瞳はグレイヴァル閣下と同じ異質の輝きを放っていた。


元帥閣下は静かに僕に握手を求めた。

僕も黙って握り返したが、その手の硬さは同じ人間のものとは思えなかった。


「グレイヴァル。お前に聞いていた通り、フォビアンは聡明な子だな」


元帥閣下は宰相閣下を、お前と呼んだ。


僕は二人がただの同僚以上の関係であることを、実感した。


剣聖の声の置き方は、完全にグレイヴァル閣下と対等だった。

元帥と宰相という国の最高地位など、彼らの関係には不要であることが見て取れた。


そしてグレイヴァル閣下も、それを心地よく受け入れている。


父から聞いていた話だが、グランドール家とモントーク家の関係は、

二人の代よりもっと前から続いているものだった。


伯爵モントーク家はこの国の情報、諜報を管理して国を守る役目。

そして男爵グランドール家はそのモントーク家の剣であり盾の役目であった。


そうして代々、この国を守ってきたのだ。


そして、二人もまた僕と同じ、重い宿命を課されていた。


この二人が幼馴染として育っていったことを、僕は羨ましいなと、思っていた。


僕にもそういう間柄の人間が一人くらい、いて欲しかったと思う。


---


元帥閣下と宰相閣下は顔を見合わせ、頷いた。


そして二人とも、僕の顔を見た。


グレイヴァル閣下は目を閉じて、しばらく黙っていた。

すぐには話し始めなかった。


ヴァイス閣下は窓際に立ったまま、腕を組んでいた。


窓の外で、王都の鐘が遠く鳴っていた。

その音が、分厚い壁を抜けて、かすかに部屋の中へ届く。


そしてまたゆっくりと目を開けて僕に言う。


「今日は君に、この国に訪れる未来を語ろうと思う。

少し長くなるが、聞いてくれるだろうか?」


僕は頷いた。


この人はきっと、僕と初めて出会ったあの時から今日のこの時を頭に描いていたのだろう。


それをわざわざ確認する必要もない。

僕はもうこの人をもう一人の父と思っている。


全てを、受け止めよう。


そして僕は二人からこの国の、そして世界にこれから起こるであろう確定された未来を聞かされた。


長く、とても重い話だった。

僕はその話のひとつひとつを全て記憶している。


まずは、王都のルミナス教会大聖堂の奥には、七柱神の一柱ルミナス様の使徒、

アウローラ様が実在している。彼女はエルデシア大陸の人間を見守る存在だ。


彼女はこの世界に人間という種を保つために、世界を調整する存在だ。


そしてこの国の歴史は、彼女の予感から始まった。


彼女は今から百五十年前に、北の魔族の領域で、世界の在り方を変えるであろう存在が誕生したことを予感した。


そして彼女は、その存在が起こすであろう世界変革の時の備えとして、

人間たちにアルセイド王国の建国を導いた。


そして昨今、魔王ゼヴァルスはもはや四百歳を超える老王となり、魔族の統治はもはやままならなくなっていた。


その玉座の影にはアウローラが予感した存在が確かにいる。

ゼヴァルスより若く、強大で、意思の強いそれは、いよいよ成熟した存在となり、

世界の流れをゆっくり読み解きながら、力を蓄えているようだ。


そしてその存在は、これからエルデシア大陸を喰らい尽くし、新たな世界を創る意志を明確に持っている。


今からおよそ十年後、その存在はついに動き出すであろうとのこと。


そしてこれは、予言の類の、根拠が不確かなものではなかった。


なぜなら十年後にその存在を動かすのは我々人間側だからだ。


つまり、これから十年かけて準備を整えたアルセイド王国側は魔族に大戦略で先手を仕掛けた後、対峙するということだ。


その理由は明確だった。


人間側が勝利できる可能性があるのは十年後のその時のみだからだ。


我々人間と、奴ら魔族とでは寿命がそもそも違うからだ。


グレイヴァル閣下とヴァイス閣下は自分たちの代で、

全てに決着をつけるべく動いていた。


次に、エルデシア南西部の海峡を挟んで向かい合うように形成されている西のガルディア大陸からの脅威について。


西大陸の支配者。カルドレイン帝国がいよいよエルデシア大陸をも手中に収める動きを始めていること。


このアルセイド王国含む、エルデシア大陸の国々は北と南。

双方からの両刃の脅威に晒された状態にあること。


賢者でいながら、想像だにしていなかった事実を次々と聞きながらも、

僕は不思議と落ち着いていた。


驚かなかったのではない。


驚くべきことだ、と頭の中の僕はきちんと判定していたが賢者の冷静さが僕に驚くことすら許さなかった。


そして、語り終えた宰相閣下は立ち上がり、

僕に深く頭を下げた。


「フォビアン。私とヴァイスは君が生まれる以前から、行動していた。

人間に迫りくる未来の危機を回避するために、私たちはあらゆる業を背負う。

そして私たちが必ず、今を、そして未来を守り抜く。だが私たちはもう若くはない」


元帥閣下も、僕に頭を下げた。


「俺たちが全てを終えた後のこの国と、そして人間の未来を、お前に託したい」


僕がずっともう一人の父のように見上げてきた人と、

その親友が、僕に頭を下げている。


僕なんかに頭を下げないで、と言いたかった。


でもその言葉自体がたぶん彼らの思いを汚すことになると思った。


だから、僕は椅子から立ち上がって、その場に膝をついた。


そして二人に言った。


「今、この時から、お二人の背負う、その業を僕にも背負わせてください」


この時、僕は人生で初めて自分から動くことを決意した。


偽りのない、本心から出た言葉だった。


僕はようやく自分の運命に対する答えの輪郭を、この日見つけた気がした。


---


そして僕は今年二十七歳で、勇者ライゼルの一行に加わった。


表向きは「国が選んだ公爵家の優秀な魔導士」として。


特に人間を憎んでいるわけでもない、攻め込むわけでもない、

アルセイド王国が建国される前から存在する偉大なる地脈の管理者。


老いた魔王ゼヴァルスを、わざわざ人間側から今、討伐に行く。


この違和感しかない旅の本当の目的は、

グレイヴァル閣下とヴァイス閣下の言葉通り、自分たちの生涯をかけて準備をした、

人間の未来を守るための大戦略の最初の一手であった。


僕は裏では国の差配で送り込まれた、この大戦略の調整役だった。


そして四人の、何も知らない仲間たち。


ライゼル。セルジュ。アリシア。エレーナ。


彼らと共にデモニア高地を目指したおよそ半年の旅は、

僕の人生で一番賑やかな時間だった。


ライゼルは聖剣を借り受けた光属性の青年だった。

真面目でまっすぐで、嘘がつけない。そしてただただ、優しい男だった。


彼に真実を伝えられないことに、僕は何度も苦しんだ。

だがそれは宰相閣下と元帥閣下が下した判断だった。


ライゼルは世界の真実を背負うには、優しすぎたのだ。

だがその優しさは、彼のかけがえのない財産だ。


セルジュはいつだって皆の兄貴分であり、ムードメーカーだった。

彼は経験豊富な白金級の元冒険者。色々なことに敏感だった。

彼はこの旅の目的に、感づいていたのかもしれない。


だが彼は何も聞かなかった。そして僕も何も言わなかった。

彼は、これからも彼の判断できっと世界の未来のために動いてくれるだろう。

それでいい、と僕は思った。


アリシアは聖騎士の家系の娘だった。

気高く、優しく、そして時々、目の奥に何かを我慢している色が浮かぶ女性だった。

僕が口の悪い冗談を言うと、彼女はちゃんと怒ってくれた。

本気で叱ってくれた。それは、僕にとっては彼女からの贈り物のようだった。


僕に向かって本気の感情をぶつけてくれる人間は、

宰相閣下と剣聖閣下、そして母の他には、彼女が初めてだった。


エレーナはルミナス教会が選んだ才能ある神官だった。

祈りの時の彼女の声は、僕の知っている誰の声とも違った。

神々しい、という言葉の意味を実体験で理解できたのは彼女のおかげだ。


だが彼女も何かに気づき始めていた。僕は彼女にも何も語らなかった。

彼女もやがて自分の力でそこに辿り着くだろうと思った。


彼女はきっと離れていても僕たちのことを祈ってくれるだろう。と思った。

だから僕も彼女に対して祈ることにした。


願わくば、彼女のこれから歩む道が、僕たちとは違ってもどこかで交錯することを。


見ている景色は違っていても、同じ結果を求めていて欲しいと、思った。


四人とも、素敵な人間だった。僕にはとても眩しく感じた。


僕は彼らの誰にも、本当の自分を見せなかった。


いや、見せられなかった、と言うべきだろう。


半年の間、僕は皮肉屋の魔導士の仮面を一度も外すことはなかった。


彼らにとっては嘘に塗れた僕を、仲間とは呼べないだろうと思う。


でも僕にとっては、彼らのことは本当の仲間だと思っている。今でもそうだ。


——―どうか、皆、それぞれの信念で、それぞれの道を生きて欲しい。

それが結果として、僕たちの住むこの世界のためになることを、僕は信じている。


そう、ただ仲間たちを信じることが、僕にできる唯一の彼らへの誠意だった。


---


僕は、そっと手記を閉じた。


この手記を書き、読み、過去と未来を見つめる時間だけが

今、僕がまだ人間であることを思い出させてくれる。


僕は今、とある修道院を改修して建設された研究室にいる。


実用化は、もう間もなくだ。ようやくここまで来た。何とか間に合った。


十八歳のあの時、あの話を聞いてから、三人で始めた計画の一つ。


あれからおよそ十年、僕は研究していた。原理も、理論もこの十年で整えてきた。

あとは『大量の素材確保と製造、実証実験と実効果試験を繰り返す』のみだった。


それは最も醜悪で、恐ろしく合理的で、

だが決して許されることはないであろう最悪の所業だった。


だが僕たちが背負うこの罪こそが人間を、この大陸を守る。


机の上には、最終計測を終えた紙束が重ねられている。

そこに書かれているのは、数字だけだ。


数字は優しい。泣かない。恨まない。僕の名前を呼ばない。

だから僕は、数字だけを書く。名前も、言葉も、文章も残さない。


数字だけ見ていればもう全てわかるんだ。


角の長さ。血の反応。魔核の大きさ。魔紋の形。

魔力の含有率。瘴気への抵抗率。属性的特徴。


文字や文章で記録してしまうと、僕はもう続けられなくなる。


そして、今日一日の作業を終えて地上に出ると、美しい夕方の空が広がっていた。


白い太陽が西の丘の向こうに沈もうとしていて、

金色の太陽はまだ少し高い場所にあった。


二つの光が、空気の中で混じり合って、淡い橙色に世界を染めていた。


僕は修道院の中庭に出て、長椅子に座って、今日も思う。


—――僕じゃない誰かが、この役割を引き受けることになったら、

その人は、どうなっていただろう。


僕は呟いた。

誰にも聞こえない声で。


——―よかった、僕で。


ライゼルじゃなくてよかった。アリシアでも、セルジュでも、エレーナでもなく、

僕でよかった。


グレイヴァル閣下とヴァイス閣下が、二人とも、もう若くないと言った。

その続きを、僕が背負っていける年齢で、生まれてよかった。


今はもう、この運命を呪うことが、僕にはできなくなった。


ただ思う。この運命を背負わされたのが僕で、よかった。


ありがとう。そしてごめんなさい。


それでも、僕たちは全ての業を背負い、進み続ける。


そして世界を、必ず救ってみせる。

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