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第35話 出発前夜

金昏の光がグラザの屋根を染め始めた頃、

アクロスたちは北門をくぐった。


門番が仮登録証と依頼書を確認して、入町税は免除だった。


ギルドの依頼で出て戻る場合は無料で入れるらしい。

ありがたい。


クロが足元でふぅと息を吐いた。

フレスがリーネの肩で羽をたたんだ。


二匹とも、町の中ではちゃんと大人しくする。

外と内の空気が違うことをちゃんとわかっている。


「さて、まずギルドね」


「ああ。報酬をもらって、その足でハンナさんのところに行こう」


大通りを南に歩く。夕方の町は人通りが多い。


仕事帰りの職人や、荷台を引いて倉庫に向かう商人。

食堂の入り口からはいい匂いが漂ってくる。


ギルドに入ると、受付にエミラがいた。


ずっと受付にいるけど、休みとか休憩とかちゃんと貰ってるのかな。

ギルド職員はひょっとしたらブラックなのかもしれないな。


アクロスは優しい目でエミラに頷いた。


「アクロスさん、リーネさん。おかえりなさい。

お早いお帰りですね」


「ベルク村のゴブリン駆除、完了しました。

薬草採取も、指定量を集めてきたわ」


リーネが報告書に記入しながら言った。

依頼書と照合して、エミラが確認する。


「はい、問題ありません。ゴブリン五匹の駆除完了、確認しました。

薬草採取も指定量を確認。駆除報酬の銀貨三枚と、

採取報酬の銅貨十枚をお渡しします」


カウンターに銀貨と銅貨が並んだ。


リーネが受け取って、財布にしまった。


革の財布が少しだけ重くなる。


「お二人とも、明日の魔狼討伐にも参加登録されていますが、

お体は大丈夫ですか?」


「問題ないわ。今日は軽めの依頼だったから」


「そうですか。では明日、白晨の頃にギルド前に集合です。

お気をつけて」


「ありがとう。頑張ってきます」


アクロスとリーネは去り際にエミラに会釈してギルドを出た。


「よし。ハンナさんのところへ急ごうか。

もう遅い時間だ。店が閉まってしまう」


---


二人と二匹は早足でハンナの店に向かった。


入り口に吊るした薬草の束が金昏の風に揺れていた。

苦い匂いと、少しだけ甘い香り。この匂いにも馴染んできた。


「こんにちは。まだ開いてるかしら、ハンナさん」


リーネが入口から声をかけた。


いつものように奥で乳鉢で作業するハンナがいた。


手を止めて、顔を上げた。


「まだやってるよ。もう薬草、持ってきたの?」


「うん。今日依頼で外に出たから、薬草も集めてきたの」


リーネが薬草入れを開いた。


止血草と解熱の葉はまとまった量。

それから苦止が数本。


ハンナが手に取って、指先で茎を確かめる。

鼻に近づけて匂いを嗅ぎ、舌の先に触れさせた。


いつもの品定めだ。


「……いいね。鮮度がいい。採り方も丁寧だ。茎に傷がない」


「朝露が残ってる時間帯に採ったの。

苦止は日が当たると茎が硬くなるから、早いうちにと思って」


「そこまでわかってるなら、言うことはないよ」


ハンナが棚から天秤を出した。


「止血草が六本分で銅貨十五枚。

解熱系が銅貨十枚。苦止が三本で……一本あたり銅八枚として銅貨二十四枚。

合わせて銅貨四十九枚。銀貨二枚と銅貨九枚で払うよ」


「ありがとう、ハンナさん」


「……いや、ちょっと待ちな」


ハンナが苦止をもう一度手に取った。茎を折った。

白い汁が滲む。匂いが鼻を突く。


「この苦止、根元が太い。成長した株から採ってるね。

薬効が強いやつだ。……銅貨八枚じゃ安すぎるか。一本十枚にする。

三本で銅貨三十枚だ」


計算し直す。


「止血草十五枚、解熱が十枚、苦止が三十枚。

合わせて銅貨五十五枚。銀貨二枚と銅貨十五枚にさせておくれ」


「えっ。いいの?」


「次もこの品質で持ってきてくれるならね。……正直、嬉しいんだよ。

苦止をちゃんと持ってこられたのは、あんたが初めてだからね」


ハンナが少しだけ笑った。目尻の皺が深くなる。

厳しい顔ばかりだと思っていたが、笑うとちゃんと優しい顔になる。


「眠り草も、もし見つけたらいい額で払うからね。頼むわよ」


リーネの胸の奥に、ふっと小さな熱が灯った。

父に教わった手の動きが、この町でちゃんと価値になっている。


「うん。見つけたら必ず持ってくるわ」


「あぁ、待ってるよ」


店を出て、リーネが財布を開いた。

今日の収支をまとめる。


「ギルドから銀貨三枚と銅貨十枚。ハンナさんから銀貨二枚と銅十五枚。

手持ちと合わせて……銀貨八枚分くらいはあるわね」


「おお。いいね!今日は串焼きですか?リーネさん」


「だめ。昨日、馬鹿みたいにお肉食べたでしょ。」


アクロスとクロは同じように頭が垂れて落ち込んだ動きをしている。


「ほら、同じ反応じゃない」


リーネは笑った。


「来週の家賃が銀貨三枚。明日の討伐が終われば一人銀貨十五枚。

そうすれば当面は安泰ね」


リーネが財布をぱちんと閉じた。

安堵の表情ではない。帳簿を締めた経理部長のような顔だ。


「まだ安心できないわよ。

討伐がちゃんと終わって、お金がもらえたら串焼き買ってあげるから」


「わかってるよぉ」


アクロスたちは東通りへ向けて歩いていった。


---


ハンナの店からの帰り、

大通りに出ると、見知った顔が北側から歩いてきた。


革のジャケット姿で弓を背負っている。


「あっ、レナさんだわ!」


短く切り揃えた赤い髪が夕日でより輝いて見える。


「あら、リーネじゃない! ギルドに行ってたの?」


「うん。日帰り依頼の報酬をもらって今から帰るところ。レナさんは?」


「あたしは今から寄るところよ。

——―明日の討伐、あんたたちも参加するんでしょ?」


「ええ。登録してあるわ」


レナがにっと笑った。


「実はね、あたしも参加することにしたの。銀貨十五枚は美味しいじゃない?」


「そうなんだ!」


「ふふ。弓手が足りないって話だったし。あたしも一応★3だからね。

戦力にはなるでしょ」


リーネの表情がふっと緩んだ。

知ってる顔が一人増えるだけで、こんなに安心するものなのか。


「よかったぁ。参加メンバーで知ってる人は隣のおっさんだけだから

ほんとに嬉しい……」


「おい……」


アクロスは抗議の声を出したが、女子二人の前にその声はかき消された。


「あら、そんなこと言ってくれるなんて私も嬉しいわ」


レナがリーネの肩にぽんと手を置いた。距離が近い。

人懐っこい女だ。


「ねぇレナさん、明日のメンバー、他に誰が来るか知ってる?」


リーネは不安そうに聞いた。


「マルコと、あとドルクね。他は知らないけどまだ何人かは来るんじゃない?」


「マルコはうるさそうなおっさんだし、ドルクは愛想なし。

リーネがいるならきっと楽しくやれそうね!」


レナはよく喋る。自分が認めた相手にはこんな感じなんだろう。


「ねぇ、リーネ! 無事に帰ってきたら、二人でお疲れ会しようよ。

前に飲みに行こうって言ったじゃない? 討伐のあとなら堂々と飲めるしさ」


「お疲れ会?」


「そう。二人でおいしいもの食べて、お酒飲んで、たくさんしゃべるの。

リーネはそういうの嫌い?」


「ううん! 嫌じゃない。……それは楽しみ」


リーネが少し照れたように目を逸らした。

耳の付け根が赤い。


レナが満面の笑みで手を振った。


「じゃあ決まり! 明日から、頑張ろうね!」


「うん。また明日」


レナが大通りを駆けていった。

弓が背中で揺れている。


元気なやつだな。とアクロスは思った。


アクロスはその間、三歩ほど後ろで空気のように立っていた。


「……俺、完全に置物だったな。ひどくない?」


「ごめんね、同じ年ごろの女の人と話すのが久しぶりだったから……」


確かに。あんな感じで女子トークするリーネは初めて見たな。


「見た目はそうでも実際の年齢は孫とおばあちゃんなのに……」


アクロスが小さい声で言った。


「あなたのご飯、一生薬草にしてほしいの?」


リーネの声が低くなった。

これはまずい。


「いやぁ、リーネにも同じ年頃の友達ができてよかったな!

俺も嬉しいよ!お疲れ会、楽しみだよね!」


「いや、あなたは来ちゃだめでしょ。女子会なんだから」


「そんな……、いや変身のこともあるからな。

離れて行動するのはさすがに心配だ」


酒が飲めそうな機会を逃してはならない。

という気持ちと同じくらいアクロスはリーネのことも考えていた。


「それは、そうね……。

お疲れ会のことは、無事に帰ってきたらその時また考えましょう」


「でも、レナさんが来てくれるのはほんとに助かる。

弓手がいると後方も安定する。フレスとの連携もできるかもしれない」


リーネがそう言って、前を向いた。


集落を出てから、

同じくらいの歳の女の子と話す機会なんてなかっただろう。


前の集落にも、いたのだろうか。

リーネに、人間の友達は、いたのだろうか。


七十三年の人生で、友達と呼べる存在がどれだけいたのだろう。


アクロスは何も言わず、何かを考えながらリーネの隣を歩いた。


---


東通りに入った。


夕方の通りは静かだ。グロムの鍛冶屋の煙突から白い煙が上がっている。

金槌の音は止んでいる。もう仕事仕舞いの時間か。


エリザのパン屋はもう閉まっていた。


トマスの家の前を通り過ぎる時、二階の窓に灯りが見えた。

在宅らしい。


我が家に到着。鉄の鍵を差し込んで開ける。

かちゃり、という音が心地よい。


「ただいまぁ」


アクロスが言うと、リーネがちらと一瞬だけアクロスを見て、


「……ただいま」


同じように小さく言った。


家の中に入ると、朝出た時のままの空気がある。

少し埃っぽくて、少し冷たい。


これが自分たちの家の匂いだ。


クロがリビングに駆け込んで、いつもの場所にどさっと寝転んだ。

フレスが棚の上に飛び乗って、羽を整え始めた。


リーネが裏口を開けた。


三方を囲まれた裏庭。夕日が石積みの井戸を照らしている。


リーネは、変身を解いた。


銀白の髪が背中に落ちる。二本の角が現れる。

深紅の瞳。褐色の肌。


アクロスも変身を解いた。黒紫の魔紋が肌の上を走る。

瞳がオッドアイに戻る。


「おかえり、リーネ」


「ただいま、アクロスもおかえり」


「あぁ、ただいま」


リーネは微笑む。


この儀式をするとリーネは機嫌がよくなる。


リーネが空を見上げた。

金昏の空に雲が流れている。


「……やっぱり、ここが一番ほっとする」


「そうだな」


確かに変身を解くと気が軽くなる。

やはり本当の姿ではない、という感覚はふとした時に思い出す。


井戸で水を汲んで、手と顔を洗った。

冷たい水が一日分の汗と土を流していく。


リーネも井戸の水で手を洗った。

薬草の匂いが指先に残っている。


---


リーネは裏庭の壁際に置いてある平たい石に腰かけて、

明日の準備を始めた。


リーネが今日採った止血草の一部を取り出した。

葉を細かく刻んで、布に包む。


傷口に直接当てれば止血効果がある簡易版だ。


「本当はもっとちゃんとした調合がしたいけど、

道具が足りないから今はこれが精一杯」


「十分だよ。何もないよりずっといい」


「クロ、明日は先行偵察だ。魔狼の群れの位置と数を把握してくれ。

他の冒険者がいるから、目立たないように距離を取って動くこと」


わふ。


「フレス、上空からの索敵。群れの全体像と逃走経路を押さえてほしいの。

高めを飛んでね。フレスもあまり目立っちゃだめよ」


ぴぃ。


準備が一段落した。


日が沈みかけている。

裏庭が薄暗くなってきた。


リーネが裏庭から台所に向かおうとした時、

アクロスが声をかけた。


「なぁ、リーネ」


「どうしたの?」


「少しだけ、話を聞いてくれないか?」


珍しくアクロスは真面目な顔だった。


「ええ。話して」


リーネはまた石に座り直し、しっかりとアクロスを見る。


アクロスも裏庭の石に座ったまま、少し言葉を選ぶように間を置いた。


「明日の討伐は……ドルクも来る」


「うん、知ってるわ」


「お前は……どう、思ってるんだ?」


リーネは表情を変えずに答える。


「何に対して?」


「あいつと一緒に、仕事をすることに対してだ。一緒に、行動することになる」


リーネが黙った。


風が裏庭の壁を撫でていった。

井戸の水面がかすかに揺れた。


「あいつの記憶はあの時、消した。

忘却の魔法で、あの日のことはドルクの頭の中からは消えてる。……はずだ」


「ええ。そうね」


「だけど、お前がドルクにされたことは消えてない」


リーネの表情は、動かなかった。


「あの日、あいつらに追われて、お前は傷つけられて、殺されかけた。

それはお前の中にちゃんと残ってる。俺が記憶を消したのはドルクたちだけなんだ」


リーネが右手の指先を見た。

杖を握る手。あの日、震えていた手。


「あの依頼に参加しようと二人でギルドに行った。

その時、たまたまだがドルクもいて、先にあの依頼に参加登録をした。

そして、俺たちも予定通りというか、その流れのまま参加登録をした」


「そうね……」


「でも俺はあの時、ちゃんとお前に聞いておいた方がよかったんじゃないか。

と思ってはいた。でも結局、お前に相談はしなかった。お前も何も言わなかった。

でも、出発の前日になった今でも、俺はまだ思ってる。

おまえに……無理をさせてしまってるんじゃないかと」


しばらく沈黙があった。


クロがリビングから、のそのそと出てきて、リーネの足元に座った。

何かを感じたのかもしれない。


リーネが口を開いた。


「アクロス、私は無理はしてないわ」


静かな声だった。


「怖くないって言ったら嘘になる。あの人の顔を見ると、

体がほんの少しだけ固くなるのがわかる」


「………」


「体は覚えてる。杖を奪われる感覚。角を切られてしまう恐怖。

——―それは、私の中ではまだ、消えてないわ」


アクロスの胸が締めつけられた。


「すまない……」


「どうしてあなたが謝るの?」


「お前の気持ちを確認もしないで、俺はお前に相談もしなかったから——―」


「違うの、アクロス」


リーネがアクロスの肩に手を置き、

体を自分に向けさせた。


そしてまっすぐにアクロスの目を見た。


深紅の瞳が夕闇の中で静かに光っている。


「これはあなたが謝ることではないの。

あの時、あなたが来なかったら、私はひどい目にあって死んでいたと思う。

でもあなたが、私を助けてくれたのよ。そして私は今も、あなたの隣にいるわ。

——―あなたもずっと、こうして一緒にいてくれてる」


リーネの声に怒りはなかった。

悲しみでもなかった。


ただ、事実を述べるような落ち着きがあった。


「あなたが謝らないで。あの男に対して、まだ恐怖に囚われているのは私なのよ。

それは、私の弱さなの。あなたがわたしに何かしたんじゃないの。

それを、間違えないでほしい。

あなたが謝ると、それはあの日のあなたを否定することになるわ」


アクロスは、何も言えなかった。

泣きそうになった。


でも今は泣いてはいけない。


リーネが少しだけ目を伏せた。


「それに——―」


小さな声になった。


「あそこでドルクから逃げてたら、この先もずっと逃げ続けることになる。

同じ町にいて、同じギルドにいて、同じ依頼を受けることもあるでしょう。

その度に、怖がっていたら……ここに根を張って頑張る意味がないのよ」


リーネがクロの頭を撫でた。

クロが目を細めた。


「だから、大丈夫。今はまだ怖いけど、あなたがいるから私は大丈夫なの。

私は——―逃げないって、決めたの。

私はあなたと一緒に、隣にいるって決めているの」


「アクロス。これは私が自分で決めていることなのよ」


「だから、あなたも私を信用して、勝手に悩まないで」


もう逃げない。俺と一緒にいるのは自分が決めたこと。


リーネはなんて、強いんだろう。


「……わかったよ。ありがとう」


アクロスはそれだけ言った。


それ以上の言葉は二人にはいらなかった。


リーネは優しく笑った。


「それじゃあ、夕飯にしましょう。朝買った黒パンも残ってるわ」


「あぁ、腹減ったな……」


安心したら余計に腹が減った。


「すぐ用意するから、もう少し待ってて」


リーネが台所に向かった。


その背中は小さいのに、

なぜか自分より大きく、そしてまっすぐに見えた。


---


台所に灯りを入れた。


いつもの、石の壁に光る苔を少しだけ貼って、

薄い紫の明かりが広がる。


リーネが竈の前に立った。


火打ち石を打つ。かちっ、かちっ。

三度目で火花が藁に移った。


小さな炎が竈の中で揺れる。

石が温まっていく。

台所に火の匂いが広がった。


リーネがほんの一瞬、手を止めた。


「……自分の家の竈に、自分で火を入れるのは……。

集落を出てからは、初めてだわ。あの頃は当たり前のように毎日してた」


リーネは、嬉しそうにほほ笑む。


炎が安定した。


「当たり前のありがたさって、失くしてから気づくのね」


「……そうだな」


アクロスはテーブルに頬杖をついて、台所のリーネの背中を見ていた。


竈の火に照らされた銀白の髪。

二本の角の影が壁に伸びている。


リーネが水瓶から鍋に水を注いだ。

干し肉を裂いて入れる。野菜を刻んで入れる。


最後に、小さな包みを開いた。


花山椒。


指先で粉をつまんで、鍋の上にぱらりと振った。


一瞬で匂いが変わった。青い山の空気のような香り。


鍋がことことと煮えていく。

匂いが小さな家に広がった。


リビングからクロが鼻を突き出してきた。

棚の上でフレスがぴぃと鳴いた。


「できたわよ」


リーネは木の器に煮込み料理をよそってテーブルに並べた。


朝エリザの店で買っておいた黒パンを添えて。


「いただきます」


「いただきます」


ひと口食べる。


肉の出汁が口に広がる。そして野菜の甘さ。

花山椒のぴりっとした辛みが鼻に抜ける。


体の芯に、温かいものが染みていく。


「……うまい」


「ほんとに?」


「あぁ、今日もちゃんと、うまい。一日歩いた体に染みる味だ」


「味、薄くなかった?」


「ちょうどいい。この量が、肉の味を邪魔しないで香りだけ残す。絶妙だ」


リーネがひと口食べて、

少し目を細めた。


「……うん。悪くないと思う」


「悪くないどころじゃないだろ」


「自分の料理を褒めるのはね……」


「じゃあ俺が褒める。本当にうまい」


「……ありがと」


角を撫でて、耳が赤い。


クロにもフレスにも取り分けた。

クロが尻尾を振りながら食べている。

フレスはリーネの指からつまんで、満足そうに羽を膨らませた。


二人と二匹。

新しい家の台所で食べる、初めてのちゃんとした食事。


窓の外はもう暗くなっていた。


裏庭の向こうに、三つの月が昇り始めている。


---


食べ終わって、一緒に片付けをして。


リーネが鍋を洗って、竈の火を落とした。


テーブルの上に、明日の荷物が並んでいる。

収納魔法に入れたものと、手持ちで持っていくものの確認。


「保存食よし。水よし。止血草の加工品よし。

布と紐よし。―——忘れ物はないわね」


「完璧だ」


「あとは寝るだけね」


リーネが椅子に座ったまま、ふぅと息を吐いた。


「緊張してるのか?」


「少しだけ。あなたは?」


「……半分は緊張してる」


「残りの半分は?」


「楽しみだ」


「ドルクと一緒に戦うことは?」


「……オルガさんの言葉を借りるなら、背中は預けていい。心は預けるな」


「ほんと、いい言葉ね。あの人らしいわ」


リーネが立ち上がった。


「寝ましょう。おやすみ、アクロス」


「あぁ、おやすみ。明日は、頼むぞ」


「あなたもね」


納戸の扉が閉まった。


アクロスはリビングの床に毛布を敷いた。

クロが足元にどさっと転がった。


天井を見上げる。


明日からの依頼は戦場と言っていいかもしれない。

何体いるかもわからない、魔狼の群れ。統率個体の存在。

マルコ、レナ、ドルク、他の冒険者たち。初めての集団戦。


だけど今夜は、

花山椒の匂いがまだ鼻の奥に残っていて。


リーネの言葉が、胸の中でまだ温かくて嬉しくて。


悪い夢は、見なさそうだ。


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