第34話 ちゃんと送るということ
酔ったおっさんの涙の夜から、一夜明けた朝。
アクロスはリビングの床で目を覚ました。
あぁ、頭が痛い。
体が重くて、鈍い。
こめかみの奥で誰かが石を叩いているような感覚だ。
口の中がざらざらする。喉がからからに乾いている。
体には毛布がかかっていた。変身は、解けてないな。
頭の下に畳んだ上着。枕代わりにリーネが敷いてくれたのだろう。
昨日はオルガさんと飲んだのは覚えてる。
赤角亭でたらふく食って、がぶがぶ飲んで、騒いで。
最高の夜だった気がする。だが記憶は途中から途切れている。
帰り道はリーネと歩いて、何か言われた気はする。
それから、家に着いて——―
着いたのかな。家で寝てるんだから無事帰れたんだろうな。
「……ううん、覚えてないな」
声がかすれていた。
台所から物音がしている。
リーネは起きているようだ。
アクロスの声が聞こえたのか。
リーネがリビングに顔を出した。
井戸の水で顔を洗っていたのか、髪は少し湿っていた。
「おはようアクロス。体調はどう?」
「おはよう、リーネ。ぼくなんだか頭が痛いよ……」
こめかみを押さえて、まだ酒が残ってるかのような口調だ。
「そう……。あなたに、一つだけ伝えたいことがあるの」
リーネがリビングに出てきた。
腕を組んで、アクロスを見下ろしている。
「どうしたんだよ……なんか怒ってるの……?」
「あなた、お酒は当分禁止だから」
「え!?」
「お酒は、禁止なの」
「なんでだよ!やだやだ!また飲みたい!」
魔王になることを決意した魔族の男は、床でバタバタしている。
「だめよ。理由は教えられないの。けど、あなたのためなの」
「そんな! 昨日……俺が何かやらかしたってのか?
リーネ、教えてくれよ。俺、頑張るからさ……」
酒のために頑張るから。
「アクロス。あなたは頑張っているわ。でもこれは決まったことなの。
あなたがお酒を飲むことを禁止する。これは仕方のないことなの。
月に一回くらいは許可するかもしれないけど、それは私の気分次第」
リーネは腕を組んだまま、淡々と伝える。決意は固そうだ。
「そんなのまさに暴虐のリーネじゃないか!
理不尽だろ……せっかく楽しい夜だったのに」
アクロスは手で顔を覆って辛そうだ。
「私も楽しかったわ。号泣のアクロス。
でも今日は、この話はここまでよ」
「号泣のアクロスってなんだよ……俺が、泣き叫んでたってのか……?」
「『うおぉん。肉と、酒がうまいよぉ!』」
リーネの渾身のアクロスものまねが披露された。
泣く仕草をしながら足をふらつかせている。
「わはは!いきなりなんだよ!」
アクロスは指を差してげらげらとリーネを笑った。
「昨日のあなたよ」
「………」
アクロスは手で顔を覆っていた。
「私も辛いの。アクロス。
さ、顔を洗ってきなさい。水、汲んであるから」
暴虐のリーネはアクロスものまねが無かったかのように、冷静にアクロスを諭した。
「うぅ、なんなんだよ。言葉は優しいのに声が怖いんだよ……」
アクロスはのそのそと、起き上がった。
クロが足元から顔を上げた。
「大丈夫か?」と言いたげな目だが、
鼻をひくつかせて、少し距離を取った。
酒臭いのかな。俺。
フレスは棚の上から冷たい目で見下ろしている。
ぴ、と短く鳴いた。あきれている。確実に。
この家の全員が何かを知っていて、自分だけが知らない。
あのリーネが恥も外聞も捨てて、酔っ払いおっさんのものまねをした。
そうまでして俺に伝えたかったくらい、昨夜は酷かったのだろうか。
思い出さない方がいいのかもしれない。
この状況が一番怖い。
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顔を洗って、水を三杯飲んで、
ようやく頭が動き始めた。
自分に変身魔法をかける。
そして、リーネの納戸に入って変身魔法をかけ直す。
リーネは三つ編みの跡が残る髪をほぐしていた。
「変身」
二人は手を重ねる。
角が消える。いつものルーティンだ。
「アクロス、今日中にちょっとでも稼がないと。
明日の討伐に持っていく食料も買えないわよ」
「わかってるさ、ギルドで日帰りの依頼を探そう。
薬草集めも兼ねられたら一石二鳥だ」
頭が痛いが、キリッとした顔でアクロスは言った。
これ以上リーネの機嫌を損ねるとどうなるかわからない。
「……その前に、朝ごはんよ。
昨日買いそびれたパン屋に寄っていかない?」
「あぁ、あの角のパン屋か。いいな!」
リーネが杖を手に取った。
先端の布をきゅっと結び直す。
クロが尻尾を振って立ち上がった。
外に出られるとわかったらしい。
フレスがリーネの肩に飛んだ。
もう棚の上の冷たい目はどこにもない。
主人に似て、切り替えが早い。
アクロスたちは家を出て、東通りの角のパン屋に向かった。
朝の煙突から白い煙が上がっている。
焼きたてのパンのいい匂いが通りに漂っていた。
店先に並んだパンの中から、
リーネが丸い黒パンと白パンを二つずつ選んだ。
「白パンが焼きたてね。黒パンは、日持ちするわ。
黒パンはお昼に食べましょう」
「わかったよ。リーネ」
アクロスはキリッとしている。
「嬢ちゃんしっかりしてるね! 合わせて銅貨六枚さ」
パン屋の女主人がにこにこしながら言った。
ふくよかな腕に粉がついている。
「あなたたち、昨日引っ越してきたんでしょう?
仲いいね!夫婦かい?」
「あぁ、俺はアクロス。こっちがリーネ。
これからよろしく頼む」
「……これからよろしくお願いします」
リーネはアクロスをじろっと見た。
何か言いたげな顔をしたが何も言わず、財布から銅貨を出して払った。
「はいよ、私はエリザ。いつでも買いにきておくれ!」
二人はエリザに笑顔で頷き返し、店を後にした。
白パンをひとつ、アクロスに渡す。
「はい。食べながら行くわよ」
「おお。焼きたてだ。うまそう」
一口齧った。
外がかりっとして、中がふわふわ。
麦の甘みが口に広がる。
「……うまい。シンプルだけど、うまいな」
「うん。おいしい。いいパン屋が近所にあるのは助かるわ」
クロが足元からじっと見上げていた。
「ちゃんとやるからさ、ほれ」
半分ちぎってクロに渡した。パンは一瞬で消えた。
フレスがリーネの肩からぴぃと鳴いた。
「あなたの分もあるわよ。ちょっと待って」
リーネが白パンの柔らかいところをちぎってフレスの前に出した。
フレスが嘴でついばんで、羽を膨らませた。
パンを食べながら、東通りから大通りへ。
「アクロス、どうするのよ。
パン屋のエリザさんは私たちを夫婦と思っちゃったわ」
さっき何か言いたげだったことだ。
「いいじゃないか。真面目な話、その方が何も怪しまれなくて都合がいいだろ。
これからもご近所さんにはそれでいこう」
「そうだけど……そうじゃないの!」
リーネは通りの木々を見ながらちょっと不満げだった。
大通りを南に歩いてギルドへ向かう。
二日酔いの頭に、焼きたてのパンの甘さが染みた。
人間の体は単純だ。腹に何か入れるだけで、世界が少し明るくなる。
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パンも食べ終わり、ギルドに着いた。
早い朝の時間帯だからか、まだ人は少ないようだ。
受付には朝早くからエミラが座っていた。
「おはようございます。アクロスさん、リーネさん。
今日はどうされましたか?」
エミラは受付の鑑のようだ。余計なことは言わず、だが丁寧だ。
自分から名前を呼び、最初に、あなたを覚えている。ということを伝える。
そうすると相手も丁寧な対応になる。いや、ならざるを得ない。
「おはようエミラさん。今日中に報酬を換金できるような依頼で、
二人で受けられるものを探してるんだ。どうかな?」
「日帰り依頼ですね。少々お待ちください」
エミラが掲示板の横の帳面を繰った。
手際がいい。
「お待たせしました。二つございます。
一つ目は、北東のベルク村からの駆除依頼です。
畑を荒らす小型の魔物がいるとのことで、報酬は銀貨三枚です」
「ベルク村は遠いのか?」
あんまり遠いと困るしな。
エミラは笑顔で答える。
「今から出れば双昼前には村に着きますよ。
問題なく処理できればギルドには金昏前には戻れるかと思います」
「もう一つは?」
「北門外の街道沿いでの薬草採取依頼です。
止血草と解熱系の葉を指定量集めれば銅貨十枚。
こちらはベルク村への道中でも対応できるかと」
「ありがとう。両方受けるわ」
リーネが即答した。
アクロスより先に。
「……頼りになりますな」
「当たり前でしょ。今の手持ちで明日を迎えるのよ。稼げる機会は全部拾うの」
「お気をつけて。お二人は明日の討伐もありますから、
無理はなさらないでくださいね」
エミラが笑顔で依頼書とベルク村への地図を渡した。
「採取の依頼は現物で完了を確認します。
駆除依頼は代表の方から依頼書に完了の署名を貰ってくださいね。
よろしくお願いします」
「了解した。ありがとう」
---
アクロスたちは北門からグラザの外に出る。
なんだか、久しぶりの野外だ。
グラザに入ってまだ数日しか経っていないが、毎日が濃かった。
二人と二匹が北門をくぐった瞬間、周囲の空気は変わった。
草の匂い。土が朝露を含んだ湿った匂い。
空が広い。町の中で見上げるのとは全然違う。
「……あぁ、この感じ、たまらんな」
アクロスが深呼吸した。
二日酔いの頭が少し軽くなった。
クロが嬉しそうに走り出した。
鼻を地面に押しつけて匂いを辿り、草むらに飛び込み、
何かを追いかけて一回転して戻ってきた。
尻尾が千切れそうなほど振れている。
「クロ、楽しそうね」
フレスがリーネの肩から空に飛び立った。
銀の翼が白晨の光を受けて光る。
一気に高度を取って、旋回。久しぶりの大きな空だ。
リーネが目を細めて見上げた。
「フレスも嬉しそう」
「そりゃそうだ。町の中じゃ屋根の上が精一杯だったからな」
街道は北東に向かって伸びている。
両側に草原が広がり、遠くに低い丘と林が見えた。
実りの季の終わり。
草の色が少し褪せ始めていて、風に揺れる穂先が金色に光っている。
あとひと月もすれば凍りの季に入るのだろう。
---
まずは、街道沿いの斜面で、薬草を集めることにした。
「依頼の分とは別に、ハンナさんにも届けたいの。多めにとるわよ」
リーネの目が変わった。
町の中の柔らかい表情ではなく、集中した、鋭い目。薬師の顔だ。
「止血草はこの辺に群生してるわ。日当たりと水はけのバランスがいい斜面よ」
しゃがんで、茎を一本ずつ確かめる。
太さ、色、葉の張り。品質の良いものだけを選んで、丁寧に根元から折る。
「こっちは解熱系の葉。裏が少し白っぽいのが特徴よ。
表だけ見ると似た草と間違えるから気をつけて」
「お、おう。これは?」
「それは違う。毒草。触らないで」
「……おう」
大人しくしていようか。と思った。
「薬草の隣に毒草が生えてるのはよくあることなの。
生物に何かしら効能をもたらす植物は割と似た環境を好むのよ」
クロが匂いで別の群生地を見つけてきた。
斜面の奥、少し入った窪地。鼻を地面につけて、振り返ってわふと鳴く。
「クロ、賢いね。そっちにもあるのね」
フレスが上空から旋回して、ぴぃと鳴いた。
さらに先の斜面にもう一か所、黄緑色が点在しているのが見えたらしい。
「フレス、ありがとう。あっちにも何かありそうね」
リーネが立ち上がって、フレスが示す方向に歩いた。
黄緑色の茎。ハンナが言っていた苦止だった。
「あった。これよ。黄緑の茎で、折ると苦い汁が出るの」
リーネが茎を折って、断面を確認した。
白い汁が滲む。鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
「間違いない。苦止だわ。ハンナさん、喜ぶわね」
数本を丁寧に採って、薬草入れにしまった。
「二匹のおかげでだいぶ集まったな」
アクロスはそわそわしながら、立っていただけだった。
「クロの鼻とフレスの目があると、薬草集めが半分の時間で終わるわ。
この子たちがいなかったら、こんなに効率よくは集められない」
クロが得意げな顔で尻尾を振った。
フレスがリーネの肩に戻って、ぴぃと鳴く。
「はいはい。二匹とも偉い偉い」
リーネは二匹を笑顔で労う。
クロの尻尾がさらに加速した。
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薬草集めも一区切りして、目的地に向かうことにした。
ベルク村は、街道を外れて小さな道をずっと、ずっと歩いた先にある。
低い丘に囲まれた盆地。十数軒の石造りと木造の家。
畑と家畜の柵が広がっている。
タネル村に似た雰囲気だが、もう少し小さく感じる。
村の入り口近くで、年配の男が座っていた。
日焼けした顔。深い皺。腰が少し曲がっていて、
手に使い込んだ鍬を持っている。
「こんにちは。ギルドから依頼を受けた、アクロスとリーネです。
状況を教えてもらえますか?」
リーネが挨拶する。
「おぉ、やっと来てくれたか。助かるよ」
男はアクロスとリーネをじっと見て、話し始めた。
「ここ一週間で三回、畑の端の林から、夜になると何かが出てくるんだ。
作物を食い荒らして、家畜も一頭やられた。小さい奴らだが、数がいそうだ」
「魔物の痕跡を見せてもらえますか」
「ああ、こっちだ。ついてきてくれ」
案内された場所に到着すると、リーネがすっと前に出た。
畑の端。林との境目。土に小さな足跡が残っている。
爪痕。齧られた作物。地面に糞が落ちている。
リーネがしゃがんで確認した。
「これはゴブリンね。五、六匹はいそう。足跡の大きさから大人の個体が三つ、
小さいのが二つか三つ。巣はきっと、この林の中にあるわね。
糞が散らばっているということは、管理者はもういないわね。野性化してる」
「ゴブリン……」
アクロスが呟いた。
アクロスにとっては初めての人型魔物。
ファンタジー世界では定番中の定番モンスターだ。
誰もが知るあのゴブリンか。
なんだか芸能人と会うかのようなドキドキ感だ。
「おぉ、わかるのか。嬢ちゃん」
男はリーネの見識に目を丸くした。
「えぇ、一般的な魔物のことなら大体わかるわ」
リーネは林の奥を見据える。
アクロスも後ろでそれっぽく腕を組む。
どう駆除するのかはわからないが、
とりあえず格好はつけておかないと。
「おじさん、大丈夫よ。ちゃんと駆除するわ」
---
アクロスたちは林に入った。
クロが先行する。
鼻を低く構えて、地面の匂いを辿っている。
尻尾が水平。狩りの姿勢だ。
フレスが木々の隙間から上空に出て、林の構造を俯瞰する。
歩きながらアクロスはリーネに声をかけた。
「ゴブリンってのは俺が好きだったラノベの定番モンスターだった」
「そうだったわね。説明しましょうか」
リーネは笑いながら言う。
「実際に会うのはもちろん初めてだ。どういう魔物なんだ?
集落の近くにもいたって言ってたよな」
リーネが頷いた。
杖を構えたまま、声を落として答える。
「ゴブリンは創造魔物よ。魔族の有力者が吹き溜まりの魔力を浄化する時に、
副産物として生まれる存在。強くないわ。むしろ弱い。
けど必ず数でまとまってる。体は小さいけど、道具も使える。知性があるの」
「知性がある、か」
「ただし、知性をある程度発揮するのは創造主のもとにいる時だけ。
言葉は片言だけど通じるし、簡単な畑仕事を手伝ったり、集落の荷運びをしたりもしてた。鬼ごっこが好きでね。足はけっこう速いのよ、あの子たち」
リーネの声が少し柔らかくなった。
だがすぐに戻った。
「でも創造主がいないと全然違うわ。知性は薄れて、言葉も忘れて、
本能だけで動く。食べ物を探して畑を荒らしたり、家畜を襲ったりする。
悪意じゃない。ただ、生きるためにやってる」
「そうか……」
「戦う時の注意は、数と連携。一匹ずつは弱いわ。★1がいいところ。
でも群れで来ると厄介よ。棒や石を使うし、噛みつきもある。あと、逃げ足が速い。追い詰められると散開して逃げるから、一匹ずつ追いかけると時間がかかるの」
「逃がさないように囲い込むのが先か」
「そう。出入り口を塞いでから仕掛ける。それが一番確実よ」
リーネが説明しているとクロが戻ってきた。
こっちにあったぞ。ついてきな。
とアクロスたちに首を振って合図をした。
「早いな。クロが見つけてくれたか……」
「行ってみましょうか」
二人はクロの後ろをついて歩き出した。
すると林の奥に、少し勾配が急な斜面にぽっかりと横穴が開いていた。
子供が一人くらいなら通れそうな大きさだ。
「これが巣穴か?」
「そうね。間違いなさそう」
クロとフレスがさらに周囲を偵察すると、反対側の斜面にも同じような穴があった。
繋がっているのだろうか。
穴同士の距離はそれほど離れてない。
巣穴には二つの出入り口があるようだ。
「どうする?二手に分かれるか?」
「そうしましょう。私が裏に回るわ。あなたが正面から追い出して。
裏から逃げた個体は私とフレスで止めるから。
クロは取り逃がしがあればその個体をお願い」
「よし、やるか」
アクロスは身体強化をかけた。筋肉に魔力が浸透する。
反応速度が上がる。音が鮮明になる。
リーネは杖を構えていた。右手に杖。左手は自由。
いつでも魔法が撃てる体勢。
リーネがアクロスに目配せした。
アクロスが正面から近づく。リーネが回り込んで裏口を塞ぐ。
クロが逃走経路を押さえる。フレスが上空から全体を見張る。
アクロスが巣穴の前で足を踏み鳴らした。
どんっ。どんっ。
地面が震えて、中から甲高い声が上がった。
きぃ、きぃきぃ!
緑色の小さな体が穴から飛び出してきた。
これがゴブリンか。
膝の高さほどの緑肌の人型。目が大きくて赤い。
手に尖った棒を持っていた。
小さい。
思っていたより、ずっと小さい。
アクロスは一瞬だけ、拳を振るう感覚を鈍らせそうになった。
だが、先に村の畑を見ている。
放っておけば、次に襲われるのは人かもしれない。
迷いは、今は邪魔だ。
三匹がアクロスのいる正面から飛び出した。
アクロスは息を吐き、踏み込んだ。先頭の一匹の棒を払い、
身体強化した拳で脇腹を叩いた。小さな体が吹き飛んで地面に転がる。
二匹目が棒を突き出してきた。横にかわして、足を引っかけて転がし、腹を打つ。
三匹目がアクロスの足に噛みつこうとした。
クロが横から飛び込んで体当たりで弾いた。
わふっ。
短い一声。
クロの体重が三匹目を地面に押さえつけた。
ばたばたと暴れるゴブリンに、アクロスが腹に一撃入れた。
三匹目も沈黙した。
裏口からも二匹出てきた。
リーネの杖が光った。
「風弾」
圧縮された風の塊が、逃げようとした一匹を正面から打つ。
三メートルほど飛ばされて木に激突する。
もう一匹が林の奥に逃げようとした。
フレスが急降下した。
銀の翼が林の中を裂くように飛んで、逃走するゴブリンの頭上を掠める。
頭の上のフレスに怯んで足が止まった瞬間、
リーネが二発目の風弾を撃った。
正確に背中を打って、前のめりに激しく倒れた。
「全部で五匹か。これで全部かな?」
クロが巣穴の奥と周囲を嗅ぎ回り、戻ってきて短く鳴いた。
フレスも上空から旋回して、異常なしと告げるように一声鳴いた。
巣穴の中も入口を少し広げて確認した。
横穴の中に少し広い空間に畑から持ってきたらしい野菜や果実の残骸がある。
骨も散らばっていた。これは家畜の骨だろう。
「……終わりね」
リーネが杖を下ろした。
倒れたゴブリンたちを見た。
五匹とも気絶しているだけで、死んではいないだろう。
アクロスが聞いた。
「リーネ、一つ聞いておきたいんだが駆除ってことは、殺すんだよな?」
リーネが少し間を置いた。
「……ええ、このゴブリンたちはちゃんと殺すわ。そうするべきなのよ」
「……理由を、聞いてもいいか?」
「もちろんよ。アクロスにもちゃんと魔物たちのこと、知っておいてほしいの」
リーネは頷き、続ける。
「創造魔物は、創造主の魔核を通して、吹き溜まりの魔力を浄化・変換して生まれた存在よ。つまり体そのものが、浄化された魔力でできてる。
創造主がいる間は、その魔力は循環してるの。創造主と魔物の間で、行き来してる」
リーネが杖の先で地面を軽く叩いた。
「でも創造主がいなくなると、その循環は止まる。魔力は循環が止まると腐る。
瘴気になる。魔物の中に閉じ込められた魔力は、行き場を失ってどんどん淀んでいくわ。野生化するのはその影響よ。知性が落ちて、本能だけになる。
放っておくとどんどん狂暴になる」
「なるほど、な」
「魔物の生命活動が止まれば、中の魔力は地脈に還るの。
肉体も他の命と同じ、朽ちて、大地に戻っていく。それが自然な魔力の循環よ」
リーネの声は静かだった。
「魔力は淀み、本人たちはただ苦しくなっていくだけ。
知性も失って、生の本能だけで、食べるために襲い、寝て、襲われれば逃げる。
ただ、その繰り返し。
循環のサイクルから外れた彼らを送り返すことも魔族の地脈管理に必要なことよ」
「大事なことなんだな」
「そう。魂送りの銀の木と同じ考え方。死んだ者の魂を大地に還す。
創造魔物も同じ。創造主がいなくなった彼らを、ちゃんと送ってあげるべきなの。
それが、魔族のやり方だった」
リーネが巣穴の方を見た。
「この子たちを放っておいても、どこかでまた畑を荒らして、
いつか人間に見つかって殺される。
それならせめて、わかってる者がちゃんと送る方がいい」
「……わかった」
アクロスが頷いた。
命を奪う理由。これは確かに存在する。生命と自然の循環。
これは、綺麗事で誤魔化し、目を逸らしていいものではない。
リーネが杖を握り直した。
「……私がやるわ」
アクロスはリーネの肩に手を置く。
「俺もちゃんと、やるよ」
「ありがとう。まず、私のやり方を見て」
リーネが一匹に、杖の先を当てた。
リーネは目を閉じ、集中する。
そして氷魔法で心臓を一瞬で凍らせる。
苦しまないように。一息で。
小さな体がびくりと震えて、体の表面に霜が走る。
すぐに、動かなくなった。
「俺もやろう」
アクロスはゴブリンの体に手を置いた。
小さな胸だった。
手のひらの下で、かすかに鼓動が残っている。
アクロスは息を吐いた。
迷うな。
氷魔法を心臓の奥、魔核のあたりへ届かせる。
魔力を絞り、放つ。
びくん、とゴブリンの体が一度だけ震えた。
それきり、動かなくなった。
小さなゴブリンだった。子供だろうか。
アクロスは今は、深く考えないことにした。
二人は無言で続けていく。
リーネの手は震えていなかった。
だが唇を結んでいた。
四匹目。五匹目。
ゴブリンたちの処理が終わった。
そして五匹のゴブリンの体から薄い紫色の靄のようなものが出て、
それがゆっくりと、地面に沈んでいくのが見えた。
リーネがしゃがんで、一番小さなゴブリンの額に手を置いた。
「……ごめんね。遅くなったわね」
小さな声だった。
ゴブリンたちの創造主は、もういない。
集落が焼かれた時に殺されたか、逃げたか。
いずれにしても、このゴブリンたちは、ずっと迷子だった。
畑を荒らしたのは、食べ方がわからなかったからだ。
創造主がいた頃は、教えてもらっていたのに。
アクロスたちは五体のゴブリンを集めて並べておいた。
ゴブリンの魔核は売っても大した価値にはならないだろう。
今日は、「ちゃんと送る」ために、何も持って帰らないことにした。
そのまま、五体を大地に還すことにした。
---
村に戻ると、年配の男が畑で待っていた。
「思ったより、早かったな……終わったのか?」
「五匹いました。全て処理しました。巣穴も壊してあります。
もう、出てこないはずです」
「あの魔物を、殺してくれたのか?」
「ええ。林の奥に五体の亡骸が置いてあります。
一緒に確認しにいきますか?」
「いや、目を見ればわかるさ。あんたたちはちゃんと、やってくれたんだろう。
ありがとうな。あとで、こちらで土に戻しておこう」
「……ありがとう」
「はは、礼を言うのはこちらだ。よかったら昼飯を食っていかんか。
大したものは出せんが」
「お言葉に甘えよう。リーネ」
「そうね。助かるわ」
「よし。小さい家だがわしの家に案内しよう」
男はパンと干し肉とスープをご馳走してくれた。
素朴だが温かかった。
タネル村を思い出す味だった。
食べている間に、村の子供が裏から覗いていた。
三人。五歳から八歳くらいの子供たちだ。
目を輝かせてクロをじっと、見ている。
「……あの黒い犬、すごい大きい」
「触っても怒らないかな」
「怖いよ。なんか、目が光ってる」
こそこそと話している声が聞こえた。
アクロスがクロに目配せした。
クロが子供たちの方を向いて、ゆっくりと近づいた。
尻尾を低く振って、頭を下げた。
触っていいよ、という仕草だ。
一番大きい子が恐る恐る手を伸ばした。
クロの頭に触れた。
「……うわぁ、あったかい」
「毛がふわふわだ!」
「目が紫色だ!すげえ!」
三人が一斉にクロを撫で回した。
クロは大人しく受け入れていた。尻尾がゆっくり、揺れている。
フレスが木の枝から降りてきて、子供たちの頭上を低く旋回した。
「鳥だ!銀色の鳥だ!」
「きれい!」
ぴぃ、とフレスが鳴いた。
子供たちが歓声を上げた。
子供たちがクロの毛に顔を近づけて笑っている。
その小さな手を見て、アクロスはふと林の中のゴブリンたちを思い出した。
小さな手。小さな体。
似ているな、と思ってしまった。
けれどこの子たちは今、笑っている。
畑の近くで夜に怯えず、明日もここで遊べる。
そのために、あの五匹を送ったんだ。
そう思うと胸の奥に残っていた重さが、ほんの少しだけ形を変えた。
---
「二人とも、本当にありがとう。
依頼じゃなくてもまたこの村に、いつでも遊びにきてくれ」
年配の男は笑顔で言い、
ギルドからの依頼書に完了のサインをしてくれた。
「ありがとう。また寄るさ。俺たちの方こそご馳走になった」
リーネも笑って頷いた。
そして二人と二匹は村を出て、帰路についた。
帰り道でも薬草を集めた。朝見つけた群生地を再度回って、
止血草をまとまった量で採取。
リーネの薬草入れがいっぱいになった。
「リーネ、その薬草はレルっとくか?」
アクロスはこれ見よがしにリーネに言った。
ごく自然に。そして若干にやけながら。
「レル……?なんて?」
リーネはなに言ってんだこいつ?と思っている目だ。
「影収納に物を入れることをレルっちゃう。と言うことにしたんだ」
「どういうこと?」
リーネは首を傾げている。ピンときていないようだ。
「だからぁ!影収納はシャドウ・レルムだろ?
それを使う時はレルっちゃう。て言うの!」
なぜかアクロスがちょっといらついていた。
「あぁ……そういう言葉遊び的なやつね」
リーネはあっそう。という感じだった。
「なんだよ。もうちょっと楽しそうな反応をしてくれよ。レルってやらないぞ」
あー、これは異世界の人たちにはちょっとレベル高かったかな……
アクロスは苦笑いしながら頭を掻く。
リーネは、ほんと面倒くさい人。とため息をついた。
「わかったわ……。アクロス、この薬草レルっといてくれる?」
「おぉ!いいノリだ!リーネ!これからもちゃんと言ってくれよ!
よし!どんどんレルっちゃおう!」
アクロスはにやにやしながらぽいぽい薬草を影の中に入れていく。
リーネはアクロスが満足したのを確認して、続けて言う。
「依頼分の止血草と解熱系は私が持っておくわ。
収納魔法に入れた分はハンナさんに卸しましょう」
「大収穫だな!」
「ええ。クロとフレスのおかげね」
クロが得意げに胸を張った。
フレスがぴぃと返す。先輩面だ。
「俺のシャドウ・レルムもほめてくれよ」
「そうね。アクロスは世界最高の荷物持ちよ。いつもありがとう」
「……ほめてないだろ」
リーネは笑顔で前を歩いていく。
「さ、町へ帰りましょ。お金もらわないと」
「無事、任務達成だな!」
二人と二匹は並んで、町へ向けて歩いていく。
アクロスは、ゴブリンたちの亡骸がある林の方を一度だけ振り返った。
五匹の小さな魔物たちは、もう動かない。
だが、あの紫の靄は地面へ沈んでいった。
それはちゃんと還ったということ。
ちゃんと殺した。けれど、命を奪ったという気持ちにはならなかった。
還したんだ。
ちゃんと送る。
その言葉の意味を、アクロスは少しだけ分かった気がした。




