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第4話 水場の縁

異世界三日目の朝。


鳥の声は、確かに聞こえていた。

だがアクロスは、鳥の声で爽やかに目覚めてはいなかった。


顔を舐め回す舌の感触と、唾液の匂いで、アクロスの意識は浮上した。


「んぐっ……やめろクロ、いや、本気で、頼むからやめて……」


べろべろべろ。


「わかった。起きる、起きるから、せめて顔から離れろ……」


ようやく解放され、袖でべったりついた唾液を拭う。


「うぅ、朝から辛いよぉ。臭いよぉ。普通に起こしてくれよぉ…」


アクロスはまだ顔を拭いている。


クロは「やったぞ」と言いたげに、尻尾をぶんぶん振っていた。

昨日より、心なしか体が大きい気がする。

魔獣の成長というやつは、本当に油断ならない。


「お前なあ……」


わふ、と返事。

反省の色は、微塵もない。


体を起こすと、森の朝の空気が肺に流れ込んだ。

冷たく、湿り、土と苔の匂いがする。

焚き火はとっくに白い灰になり、薄い朝靄が大木の根元に漂っていた。


二つの太陽が東の空に並んで昇り始めている。

白が先行し、金がそれを追う。

木漏れ日が地面に斑模様を、ゆっくりと描き始めていた。


森の自然の中で思う存分、伸びをする。これが最高に気持ちいい。


いつもの赤紫の実をふた口齧り、小川で顔を洗う。

水に映る角の生えた顔も、三日目になると見慣れてきた。


キリッとした顔をしてみる。いい顔だ。今日も頑張ろう。


「さぁて」


「今日は……拠点だな」


ぽつりと呟き、滝の方向へ視線を投げる。


野宿は二日で十分だった。

体力的にはまだ余裕がある。鹿狩りもできるし、肉も食える。

だがおっさんの精神は、夜露に濡れる暮らしより、屋根のある場所を求める。


そして拠点候補は、もう頭の中で決まっている。


「行くぞ、クロ」


わふ。


子狼を従え、小川を上流へ遡った。


---


ほどなくして、滝に着いた。


高さ三メートルほどの、ささやかな滝だ。

水飛沫が霧のように舞い、二つの太陽の光に七色を散らしている。

滝壺の周囲には平たい岩が並び、苔むしている。


二日前、足を浸して「いい場所みつけた」と呟いた、あの場所。


アクロスは滝のすぐ近くに立ってじっと滝の周りを見た。

水飛沫のおかげか周りより少し涼しい。


歩きにくいが岩の足場が滝まで続いている。

裏側に人が回り込める空間はありそうだ。


「……よし、いってみよう」


滝の裏には大抵なにかある。お約束だ。


ない場合は、まあ、しょぼんとするが仕方ない。


ゲームをしてた時も同じ気持ちになったことは何度もある。

だがついつい何かあるのではと調べてしまうのが人の性である。


水のカーテンに、手を伸ばす。

冷たい水が指を打ち、霧が顔を濡らす。


ぐるりと回り込んだ。ちゃんと人が入れる空間はある。


そして――


「…………」


足が止まった。


岩の窪みの先に、あった。


奥行き、ざっと六メートル。幅四メートル。高さ二メートル半。

天然の半洞窟だった。


滝の水流が壁となって入り口を覆い、外からはまったく中が見えない。

床は平らな岩盤で、不思議と乾いている。

水が中に入ってくる構造になっていない。


誰かが選んで作ったかのような、絶妙な地形。

いろいろと突っこみどころのある謎。だけど心が躍る。

この感じがファンタジーの醍醐味。


「……マジか、あったな」


声が漏れた。


しばらく、その場に立ち尽くした。


「でも……宝箱とか…そういうのはさすがにないか…」


そこまでご都合主義ではないか。現実だもんな。


わふ、とクロが滝の入口で呼んでいる。滝の中は怖いのかな。

入口に戻り、子狼を抱き上げた。


「クロ。よく見ろ。ここが俺たちの、秘密基地になるんだぞ」


紫の瞳がきょとんと見上げてきた。

意味は分かっていない。

だが主人が興奮しているのは伝わったらしく、尻尾が同調して回り始めた。


---


一旦落ち着け、と自分に言い聞かせた。


このままでは、ただの洞窟だ。

人が住むには、何もかも足りない。


岩の上にどかりと座り、洞窟の中を改めて見渡す。


「秘密基地の設計をしよう。血が、騒ぐな」


ぽつりと呟いた。


魔の創造は、設計だ。

そして設計は、割と得意分野ではある。


頭の中で、見取り図を引き始めた。


入り口側に小さな前室。そこから一段奥に居住スペース。


さらに奥を寝室にして、もう一段奥を物置兼作業場。


側壁に小さな窪みを掘って、光る苔の照明を点々と並べる。


天井の隅に細い溝を斜めに通して、煙抜きと換気を兼ねさせる。


床に小さな段差をつけて、奥に行くほど一段ずつ上がる構造にする。


水が万一入ってきても、奥には流れない。


「うん。シンプルだがいい感じになりそうだ」


土魔法の練習も兼ねて、早速やってみよう。

意識を集中する。イメージをしっかり持つ。


「まずはゾーニングだ」


入り口側に、土魔法でゆるやかな仕切り壁を作った。

腰の高さほどの低い壁。時間をかけてじっくりやれば結構ちゃんと作れる。


完全には区切らず、視線が通る程度。

これで「前室」と「居住スペース」が緩やかに分かれる。


居住スペースの中央には、小さ目の低い卓のようなものを作り、据えた。

外の岩を削って作った。


高さ三十センチ、幅五十センチ。

小さい卓袱台のイメージだった。


奥の壁には、三段の棚を彫り込んだ。

収納だ。食料、薬草、毛皮、その他の道具を、ここに置く。


寝室予定地に、土魔法でベッドの土台を作った。

とりあえずはここに落ち葉や草を敷けばそこそこ気持ちよく寝れそうだ。


なぜか二つ作ってしまった。


やっぱり仲間が欲しいんだろうな。人は一人では生きられないってか。


「……まあ、いいだろ。なんとなくだ」


ぽつりと呟いて、自分で苦笑した。

深く考えるのは、やめた。


---


途中で何度か休憩を挟んだ。


赤紫の実を齧り、水を飲み、クロを撫でる。

クロは作業の邪魔をするでもなく、入り口で外を見張るでもなく、


勝手に自分の場所を陣取って、尻尾を振っていた。


最も奥の段の上は、物置兼作業場とした。


鹿の毛皮を干すための木枠を作る。


薬草を吊るすための紐を、天井の岩に引っ掛ける。


壁面には木の棒を埋め込んで、フックを並べた。


ナイフも刃物もまだないが、いずれ持つことになる。


入り口寄りの隅には、岩で囲った小さな炉を作ってみた。


真上の天井に細い穴を穿って、煙抜きも忘れず作る。


寝台の上には、森から大量の落ち葉と、青い小花の茂みから刈り取った柔らかい草を運んで積んだ。

厚さ三十センチ。手で押すと、ふかふかと沈む。ほのかに花の甘い匂いがする。


試しに寝転んでみた。


「おぉ、思ったより全然いいな…」


二日間、地べたで寝ていた身からすると、まさに天国のような寝心地だった。

背中が痛くない。腰が沈まない。草の香りが、鼻をくすぐる。


ゆくゆくは大きな城を持って、魔族や人間、いろんな種族のメイドさん達にお世話をしてもらいながら悠々自適の魔王暮らしがしたいな。


この世界の魔王がそういうものなのかはしらんけど。


クロが横にぴょんと跳び乗ってきた。

ぐるぐる回って、丸くなる。


「お前、もう自分の場所、決めてんのか」


紫の瞳が薄目になり、満足げに尻尾の先がぱたんぱたんと跳ねた。


---


最後に、照明だった。


ポーチから、一昨日に剥がした光る苔を取り出す。

壁面に等間隔で掘った半球の窪みに、苔を押し込んでいく。


淡い紫の燐光が、灯った。


洞窟の中が、薄明の光に包まれた。

夢の中のような不思議な明るさ。常夜灯のようだが幻想的な雰囲気がある

影が柔らかく落ち、岩の表面の凹凸が、ふんわり浮かび上がる。


「…………おお」


息を呑んだ。


クロが寝台の上から半目を開け、「ふん」とでも言いたげに鼻を鳴らして、また目を閉じた。

紫の燐光に紫の瞳が溶けて、毛皮の黒だけが浮いて見えた。


---


外に出て、滝の対岸まで離れて、振り返ってみた。


水のカーテンが、白く落ちている。

霧と虹だけが舞い、岩の裏に洞窟の入口があるようには、どこからも見えない。


「うん。完璧だ」


たぶん。自分と同じファンタジー好きなやつなら覗くだろうけど。


それでも胸は、高鳴っていた。


「……秘密基地、完成だ!」


おっさんの声とは思えないほど、弾んだ声が、出た。


---


その日の夕方、秘密基地ではじめての夕食だ。


外で集めた枯れ枝で、炉に火を入れる。


昨日の鹿肉の残り、橙の柑橘、赤紫の実、小川から汲んできた水。

献立は質素だが、岩の壁が柔らかな紫光に照らされ、煙が天井の穴へすっと吸い込まれていくのを見ているだけで、十分満足だった。


クロが卓の横に伏せ、肉の切れ端を齧っている。

焚き火が爆ぜる音と、滝の水音がほのかに混じる。


「……ここはもう、俺達の家だな」


ぽつりと呟いた。


「いいな、こういうのも」


クロが顔を上げ、わふ、と返事した。


寝台に横になると、紫光が天井に滲んだ。

昨日まで星空を見上げて寝ていた。


それも悪くはなかったが、屋根の下の眠りは、また別の安心があった。


もうひとつ並んだ、空っぽの寝台を、ちらりと見た。


「……仲間とか、ちゃんとできるのかな」


クロには答えようがなかった。

ただ、温かい体を寄せてきて、ぐるりと丸くなった。


異世界三日目の夜が、静かに更けていく。


---


ぐっすりと寝た。翌朝。


クロの起床攻撃で目を覚まし、いつもの儀式(顔を拭き、抗議し、諦める)をこなした。


赤紫の実と、残しておいた鹿肉の切れ端で朝食。

そろそろまた狩りしないとな。食料や毛皮とかもちゃんと保管したい。


炉に火を入れて、湯を沸かす。

水だけだが、温かい湯を飲むと体が芯から目覚める感覚があって、これも捨てがたい習慣になりそうだった。


外に出ると、朝の森は澄み切っていた。

昨日まで野宿だったのが、たった一晩で「家から出る」感覚に変わっている。

扉を開けて朝刊を取りに行く感覚と、本質的にはあまり変わらない。


その時――


クロが、ぴくりと耳を立てた。


紫の瞳が、南西を向く。

鼻が、ひくひくと動く。


「……誰か来たのか」


アクロスはすぐに探知魔法を展開した。


半径百二十メートル。

南西から、生命反応が一つ。

獣じゃない。形が違う。


人だ。


ゆっくりした足取り。急いではいない。

ただ、足音が、不自然なほど少ない。

森を歩き慣れたかのような、独特な歩き方。


「クロ。声を出すな。隠れていろ」


無声指示。

クロが秘密基地の中に滑り込み、寝台の横に体を低く伏せた。


変身シフト


光が走り、魔族の姿が人間の旅人に切り替わる。


水のカーテンを潜り、外の岩場に出た。

滝壺の縁にしゃがみ、水を掬う動作で、自然な所作を作る。


足音が近づいてくる。

身体強化を最小限に絞り、聴覚だけを研ぐ。

落ち葉の踏み方、枝を避ける気配、呼吸の深さ。


そして――


木々の間から、一つの影が、現れた。


---


……すげぇ…エルフだ…


声には出さず、心の中でだけ呟いた。


もちろんエルフなんて見たことはない。

だが、一目で分かった。

ラノベとマンガ、ファンタジーの定番のあの姿が、目の前に現れた。


長く尖った耳。

肩を少し過ぎる長さの、銀色がかった金髪。

後ろで緩く束ね、細い革紐で留めている。


細面の、整った顔立ち。

年齢は、読めなかった。

二十代にも見えたし、五十代にも見えた。

百歳と言われても、たぶん驚かない。


そういう、時間の刻みがない顔だった。


切れ長の碧い瞳に、静かな光。


深緑のフード付き外套。

下に生成りのチュニックと、革のベスト。

腰に短剣と、いくつかの小袋。

背中に長弓と矢筒。右手に、白木の旅杖。


威圧感はない。だが、隙もない。


余計なものをすべて削ぎ落とした、熟練の旅人の佇まいだった。


エルフはアクロスに気づくと、足を止めた。


碧い瞳が、こちらに向けられる。

警戒はある。だが、敵意はない。


そしてアクロスは、見逃さなかった。


その瞳が一瞬、顔ではなく、自分の輪郭の周りを、なぞるように動いたことを。


アクロスの姿以外の何かを確かに見た。


正体不明の感覚に、背中が冷えた。


「――驚いたな」


エルフが、先に声を発した。

低く、穏やかな声。少しだけ古めかしい響き。


「こんな森の奥に、まさか人がいるとは」


「あぁ、こっちもびっくりだよ」


アクロスはへらっと笑い、片手を上げて挨拶をする。

無害な旅人アピール、だ。


「ここに水を汲みに来てさ。人が来るような場所だとは思わなかった」


エルフの目が、アクロスを上から下まで一度だけ走った。

武器がないこと、体格、表情、足元。


全てを確認した目。


「……君は、一人か」


「ああ。犬連れだけどな」


岩陰からひょこりと顔を出す、黒い子犬――に見える子狼。

クロが心得たように、ぱたぱたと尻尾を振った。


紫の瞳はやや異質だが、子犬の目の色は、種類によっては変わる。

ギリギリ、押し通せる。


エルフの目が、ほんの少し見開き、何かを確認できたかのように頷いた。


「なるほどな。私も、ここの水を飲みに寄っただけだ。

少しだけ、邪魔をする」


「もちろんだ。どうぞどうぞ。

ここは広くて気持ちいい。滝はあんたのもんでも俺のもんでもない」


エルフは静かに頷き、滝壺に近づいた。

腰の革袋から金属製の水筒を取り出し、慣れた手つきで水を汲む。

その動作のひとつひとつに、無駄がない。


水筒に蓋をして、口元に近づけ、ひと口だけ飲む。

喉を上下させ、目を細めた。

水の味を確かめる、というよりは、水と挨拶を交わす、という所作だった。


「……良い水だ」


「ああ。ここの水うまいよな」


「君は、この辺りの者か」


「いや、北の方の村から来たんだ。世界を見たくなってな。

この辺は初めてで、右も左もわからん。あんたは?」


エルフはアクロスの隣ではないが、会話のできる距離の岩に腰を下ろした。

旅杖を膝に横たえ、長弓は背中に背負ったまま。

すぐに動ける構えだった。


「私はフィル。フィルヴェーレ・アスティーン。

エルフの名は長い、フィルでいい」


「アクロス。よろしくな、フィル」


「アクロス、か」


エルフ――フィルは、その名を口の中で軽く転がすように繰り返した。

何かを噛みしめるような、確かめるような響きだった。


「珍しい名だな。だがいい響きだ。良い名だ」


「……ありがとう。嬉しいよ」


「思った事を、言っただけだ」


少しだけ、フィルの口元が緩んだ。

笑顔と呼ぶには控えめすぎるが、表情ではあった。


---


二人は岩場に座り、滝の音を聞いていた。

気まずくもなく、不快でもない。


折角出会った第一異世界人だ。いろいろ話が聞きたい。


「なぁ、フィル」


「なんだ?」


「教えてほしいことがあるんだが…」


「あぁ、私が答えれることなら」


「俺さ、この大陸のことを、ほとんど知らないんだ。

村の狭い世界しか知らない。だからいろいろ知りたくてさ。

この辺りのこと、教えてくれないか?」


フィルはしばらくアクロスの顔を見ていた。

嘘を探っている、というより、この男が何者かを推し量る目だった。

旅人か。冒険者か。逃亡者か。あるいは――もっと別の何か、か。


やがて、小さく息をついた。


「水場を共にする縁だ。聞きたいことがあれば、答えよう」


「ありがとう、フィル」


フィルは杖の先で、足元の柔らかい土に円を描いた。


「この大陸は、エルデシア大陸と呼ばれている」


「エルデシア大陸」


ファルティシアが言ってた。うろ覚えだったけど今回はちゃんと覚えたぞ。


「あぁ。大きく分けての話だが、三つに区切れる」


杖の先で、円の中に三つの区画を切り分ける。


「南が、人間の領域。 最大の国はアルセイド王国。

半年前勇者を擁して魔王を討った国だ。 今、大陸でもっとも強い政治力を持っている」


「勇者ってのは、伝説のあれか」


「伝説ではない。実在する。神の加護を受けた人間の英雄だ。

名はライゼル。半年前、北の魔王城にパーティで乗り込み、魔王ゼヴァルスを討った」


「へえ…魔王がやられたのか…」


アクロスは相槌を打ちながら、頭の片隅でファルティシアの言葉を思い出していた。


――この世界には今、魔王がいません。半年前に勇者に討たれました。


繋がった。


「北は魔族の領域だった。 デモニア高地。かつての魔王城のあった場所だ。

だが、今は無政府状態のようだな。

魔王が討たれた今、種族を纏める者はいない」


「魔族達はどうなったんだ」


「魔王軍は解散状態のようだな。

もともと魔族は人間ほど数も多くない。人間がいないところへ逃げたのだろう」


短く、フィルは答えた。


そして杖が地面の中央を指した。


「北と南の間、ここは中央回廊と呼ばれている。魔族圏と人間圏の緩衝地帯だ。

中央回廊のなかでもこの森はほぼ中心地に近いな。

交易都市が各地に点在するが今は昔と比べると治安があまり良くない」


「魔王がいなくなった事で、治安が悪くなったのか?」


フィルが水筒の蓋をゆっくり閉めた。


「魔王がいた時のほうが治安は良いさ。

ここ百年程は北と南の力の天秤が世界を上手く回していたんだ。

元々魔族は戦争なんてほとんどしない。人間側がいつも勝手に仕掛けてるだけだ」


「そうなのか…」


これは、なんだかファンタジーもの定番ストーリーとは少し違うな。

魔王と魔物が人類を滅ぼす為に暴れまわっていたとかではなかったのか…


「え?じゃあなんで魔王は倒されたんだ?」


フィルは少し間を置き、首を横に振った。


「それがわからないんだ。突然、というわけでもないがここ十年程、

人間側の魔族への動きが急に活発になっていた。理由は私もわからないがな」


「それは何か、色々と物騒な話だな」


「あぁ。だから私も今のエルデシアの状況を確認したくてな。

それで各地を回っていたんだ」


「そういうことか」


この世界は今、何か良くないことが起き始めているのかもしれないな。


「今は治安が良くないと言ったろう。

魔王が消えた途端――人間側のタガが、外れたのさ」


「それは…魔族狩り、とか?」


フィルの碧い瞳がちらりとアクロスを見た。


「……何も知らないそぶりの割には、知っているじゃないか」


アクロスは少し笑いながら言う。


「そりゃ推測だよ。力の均衡が崩れりゃ、弱い方がやられる。

それは…どこでも同じだ」


フィルは数秒黙り、小さく頷いた。


「その通りだ。今、魔族は各地で迫害されている。角や牙は闇市場で高値がつき、賞金稼ぎが横行している。魔族の集落が焼かれる事件も後を絶たない」


「アルセイド王国は、それを止めないのか」


「黙認している。

……いや、暗に推奨している、と言った方が、正しい」


「ふうん」


アクロスは特に表情を変えずに、相槌を打った。

だが胸の奥では、昨日まで知らなかった怒りに似たものが、小さく芽を出していた。


ファルティシアの言葉がまた頭をよぎる。

――人間たちは、あなたの姿を魔族と恐れ、蔑み、排斥する。


「エルフは、どうなんだ?」


「エルフは中立だ。我々がどこかの勢力に与することはない」


フィルは、わずかに目を伏せた。


「我々の森は西部にある。だが基本的には他種族とは距離を置く。

我々の時間は、他の種族とは流れが違うのだ。

百年生きる者の一年と、千年生きる者の一年の価値観の隔たりは大きい」


「千年って、すげぇな」


ほんとにそんな長く生きるのか。


「種族の最年長は、二千歳を超えると聞いている。

私は、まだまだ若い」


「……若いって、何歳だよ」


「三百と少し」


絶句した。


「俺からしたら、十分おじいさんだな!」


アクロスは笑いながら言った。


「…失礼な男だな」


フィルが今度こそ、口元を緩めた。

笑った、と言ってもいい程度の、控えめな笑顔だった。


「だがな、アクロス。

エルフの中立であることは、無関心であることとは、違うんだ」


声のトーンが、わずかに変わった。


「私が旅をしている理由の一つは大陸の現状を、この目で確かめ、伝えるためだ。

森に閉じこもっていれば安全だ。 だがそれだけが我々の価値ではないのだ」


「……なるほどな」


「世界は今、何か変化を起こそうとしているぞ。アクロス」


そう言いながら、フィルは杖の先で地面の地図を、ゆっくりと崩した。


---


「なぁ、フィル。もう一つだけ、聞いていいか」


「あぁ。いいぞ」


「この世界で、一番強い奴って誰なんだ」


唐突な質問だった。

だがアクロスにとっては、必要な情報だった。


天井を、知りたかった。

自分がこれから登っていく階段が、どれほどの高さなのかを。


フィルが少し考え込んだ。


「現時点で、最強と呼べる存在はおそらく三つある」


「ひとつ。勇者ライゼルとそのパーティー。魔王を討った人間側の英雄たち。

今は行方が知れない。 だが、生きているならば★6以上は、確実だろう」


「★6か…」


イメージがわかないけどな。でもめちゃくちゃ強いんだろうな。


「ふたつ。アルセイド王国の剣聖、ヴァイス・グランドール。人間最強の剣士。

同じく★6。 勇者パーティーに匹敵すると、言われている」


「……三つ目は?」


「竜」


短い答えだった。


「北の山脈の奥に、古代竜が棲むと伝えられている。

確認した者はいない。 だが、伝承が正しければ、★7以上の存在だ」


「★7…」


アクロスは、口の中だけで、その響きを転がした。


胸の奥で眠る三つの力のうち、ひとつ――無限器リミットレス

その上限は、☆八つ。


俺、伝説の古代竜よりポテンシャルあるんだ…。


もちろん口にはしなかった。

ただ、心の底で、静かに笑った。


---


「ありがとな、フィル。色々助かった」


「礼には及ばない。そろそろ私は行くとするよ」


フィルが立ち上がり、杖を地面についた。


「私は、西へ抜ける。エルフの森に戻る途中だ」


「そうか。俺は南の町に行ってみようと思ってるんだ。どんな場所だ」


「グラザだな。ここから半日ほど。中立の交易町だ。

種族を問わず、出入りはできる。

……ただし、そこも変わらず治安は良くない。特に南側。気を付けることだ」


「了解。心に留めとくよ。フィルも、気を付けてな」


フィルは少し口の端を上げて頷いた。

それから歩き出し――足を止めた。

振り返らずに、こちらに背を向けたまま、口を開いた。


「アクロス。君に一つ、忠告がある」


「なんだ?」


「エルフは、魔力の流れを視ることができる」


少しの間。


「君の変身は……エルフの目は、誤魔化せん。

おそらく、人間の熟練の魔術師にも見える」


心臓が、ひとつ大きく跳ねた。


「耳の先端、瞳の奥、隠れた角。衣の下から漏れる、変異した魔力。

……ちゃんと、私には見えているよ」


「…………」


声が、出なかった。

怒りでも恐怖でもない。

ただ、見透かされていた、という事実が、足元から這い上がってきた。


フィルが、ゆっくりと振り返った。


碧い瞳に、微かな笑みがあった。

怖い笑みではない。

むしろ――誰かを見守るような、優しさを含んだ笑みだった。


「だが、私はそれを問わない。 誰にも何も、言わない」


「……どうして」


「水場の縁とは、そういうものだ」


フィルが小さく頷き、もう一度背を向けた。


「アクロス。治安が良くない。と私が言ったのは魔族の君にとっての話だ。

私は最初から気づいている。その魔狼にもな。本当に気を付けるんだ。

魔族にとって、今は安全な場所の方が少ない」


「ではな。また会うことがあれば、その時また、話をしよう」


「……最初から、か」

呆けた声が、滝の音に吸い込まれた。


銀髪が木漏れ日の中で揺れた。

深緑の外套が森に溶けていく。

数歩で気配が薄くなり、十歩で姿が、もう木々に紛れた。


エルフは、来た時と同じように静かに、去った。


---


アクロスはしばらくの間、呼吸を整えていた。


「……いやー、びっくりしたな。これはやられた!」


なんだか一気に疲れた。


★3の変身は、エルフの目や、人間の魔術師の目には、通用しない。

覚えておくべき、決定的な弱点だ。


だが、フィルは見逃してくれた。

問わず、告げず、忠告だけを残して。


「フィル。ほんとにいい奴だったな」


胸の奥に、小さな温かいものが残っていた。

人と会うのは、怖い。

だがこういう出会いがあるのは、悪くない。


クロが秘密基地から飛び出してきて、足元にすり寄った。

紫の瞳がアクロスを見上げ、尻尾が回り出す。


「お前、ずっと隠れてたのか。偉いぞ」


抱き上げて、背中を撫でた。

温かい。

小さな心臓の鼓動が、両手のひらに伝わってくる。


南の方角に、ふと視線を向けた。

半日歩けば、グラザという町があるという。

治安は、良くない、とフィルは言った。魔族にとっては危険な場所だ。


「クロ。 町に行くのはもう少し後にしようか…」


わふ。


「今日は、まだ家でゆっくりする。引っ越したばっかりだし、色々考えないとな」


クロの紫の瞳が、わかったようなわからないような顔で、こちらを見上げた。


水のカーテンの奥、薄紫に灯る秘密基地が、静かに二人の帰りを待っていた。


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