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第30話 ギルド登録試験

グラザ三日目の朝。


白い太陽の光が窓から差し込んで、アクロスの顔をじわじわと温めていた。


アクロスはむくりと起き上がった。


ベッドのありがたさは三日目でも色褪せない。


着替えて、変身をかけ直して、リーネの部屋に向かう。


そしてノックした。


昨日は大変なことになっていたが、今日はどうだろうか。


「リーネ。起きてるか?」


「起きてるわ。入っていいわよ」


今日はどたばたしていない。ドアも普通に開いた。


部屋に入ると、リーネはもう着替え終わっていた。


藍色のチュニックに焦げ茶のベスト。

髪もちゃんと束ねてある。


「今日は寝ぐせ、大丈夫だったのか……」


「昨夜、寝る前に髪を三つ編みにして寝たの。えらいでしょ?」


リーネは少し得意げだ。


「賢いな。それに三つ編みもよく似合ってる」


アクロスは何気なく言った。


「朝から何言ってるのよ……」


リーネの耳が赤くなっている。


「もう……昨日の朝みたいな失態は二度と見せないからね」


なぜか、もじもじしながら言った。


「いや、あれはあれで——―」


「なに?」


リーネの目が「続きを言ってみろよ」と語っている。


「いや、何でもない……変身、かけ直すぞ」


変身シフト


今朝も倍がけ。これで一日しっかりもつ。


リーネは、椅子の横に立てかけてあったものを手に取った。


あの杖だった。


白銀の木肌。淡く波打つ木目。

布で丁寧に包んである。


昨日の夜、リーネはあの杖を持ち歩くと決めた。


母の形見。銀の木から作られた、魔族の杖。


「包んでおけば、ただの木の杖に見えるでしょ?」


「ああ。旅の杖を持ち歩く旅人なんて、珍しくもないしな」


「今日からは杖と一緒に歩くわ」


リーネが杖を軽く握り直した。


手に馴染んでいる。


長い間使ってきた道具特有の、迷いのない握り方だった。


「さあ、行きましょうか。今日はやることが多い日よ」


---


朝食を済ませて、クロとフレスに飯を持っていった。


裏の囲いでクロが尻尾をぶんぶん振って出迎える。

フレスがリーネの肩に飛び乗ってぴぃと鳴いた。


「クロ、今日はギルドに行く。依頼を受けたり登録の手続きだ」


クロが背筋を伸ばした。仕事の顔になる。


「それと午後に貸し部屋も探すわ。長い一日になると思う」


フレスがぴぃと返す。「了解」という声だった。


二人と二匹で宿を出た。


リーネが右手に杖を持って歩いている。

旅装に杖。腰には薬草入れ。


ちゃんと旅途中の薬師。そして魔導士だ。


「なんか様になってきたな」


アクロスの感想にリーネは苦笑いした。


「ようやく私たちも、ちゃんと旅人と名乗れる姿になったわね」


アクロスたちはまずはギルドへ向かった。


朝のギルドは賑わっていた。

掲示板の前には人だかりができている。


今日はどこに行こうか、何をしようか。様々な依頼に目を移しながら。

冒険者たちの生き生きとした声が飛び交っている。


「お、魔狼の群れ討伐の詳細、出たらしいな。三日後かぁ……」


「十匹以上で統率個体がいるかもしれないって話だ。割に合うか微妙だな」


冒険者たちの声を聞きながら、リーネも掲示板に目を向けた。


「アクロス。これ見て」


昨日見た依頼書が差し替えられていた。

赤い枠の中に、新しい文面。


―――――――――――――――――――――


グラザ北方・旧街道沿い 魔狼討伐依頼

 推定個体数:十〜十五

 ★2相当の個体を複数確認。群れの★3相当の統率個体がいる可能性あり。

 出発:三日後・白晨の頃、ギルド前広場集合

 所要:二日〜三日(道中野営あり)

 報酬:参加者一人あたり銀貨十五枚

 条件:ギルド登録済みの冒険者、または実力を認められた者

 最低四人編成。参加登録は受付まで。


―――――――――――――――――――――


「三日後か……。準備期間もあるしちょうどいいんじゃないか?」


「そうね。でもまずはギルド登録を済ませましょう」


二人で受付のカウンターに向かった。


その時—――


ギルドの入り口から男が一人、入ってきた。


腰には、『曲刀』を携えている。


丁寧に手入れされた使い古された革鎧。

そして鉄の肩当て。


短い黒髪を後ろに撫でつけて、鋭い、鉄色の目をしている。

頬の線が硬い。顔には余計な肉がついていない。


重心の低い歩き方。

一歩ごとに床板が軋むような、地面を確かに掴む足取り。


冒険者たちは、自然に道を開けていた。


体が勝手に、あの男から遠ざかることを望んだように。


そして、アクロスの背中を冷たいものが走った。


その男の顔、そして曲刀に、見覚えがあった。


——―ドルクだ。


間違いない。見間違えることはない。

あの顔。あの歩き方。そしてあの曲刀。


リーネを追い詰めていた賞金稼ぎ。

アクロスが初めて、死闘を演じた人間だ。


ドルクの記憶はあの時、消した。

二人のことは覚えていないはずだ。


だがあの時、ドルクは言った。


『俺の体は覚えている』


アクロスの心臓が一拍だけ強く打った。


隣を見ると、リーネの呼吸が一瞬止まっていた。


顔が少し青ざめている。


だが呑まれまいと、杖を握る左手に、力を入れているのがわかった。


リーネはゆっくりと呼吸を整えていた。

表情に出ないように。


自分は何も知らない、ただの旅人。


そう見えるように。ただ集中していた。


そしてドルクは周りには目もくれず、まっすぐ受付に向かった。


二人の前を、通り過ぎる。


その瞬間、アクロスは見た。


アクロスの前を通る時に―――ドルクの足が、ほんのわずかに遅くなった。


そして歩きながらも、

鉄色の目だけはアクロスを追うように横に流れていた。


それはまるで、体だけが勝手に何かを、

確かめようとしている動きに見えた。


ほんの一瞬の出来事だ。ドルク本人も意識していないかもしれない。

だがアクロスだけは背筋に寒いものを感じていた。


そしてドルクはそのまま受付まで進んでいく。


「魔狼の群れ討伐依頼の件で来た。参加登録を頼む」


低い声。淡々としているが、声の底に芯がある。


受付の女性はわずかに目を上げたが、すぐに帳面に視線を戻す。


「はい。お名前をお願いします」


「ドルクだ」


「はい。★3剣士でのギルド登録を確認いたしました。

ドルクさん。詳細は掲示板の通りです。何か質問はありますか?」


「特にない」


「では、出発は明々後日、白晨の頃ギルド前に集合お願いいたします。

道中の野営道具や食料は各自で用意、持参お願いいたします」


「了解した」


それだけ言って、ドルクは掲示板の方に向かった。


短い。余計なことを言わない。

ギルドでのやりとりも慣れたような所作だった。


アクロスは息をひとつ吐いた。


「リーネ。俺たちも行こうか」


「……ええ」


リーネの声は平静だった。

だが杖を握る指の力は、まだ抜けていない。


---


アクロスとリーネは受付のカウンターに立った。

クロとフレスは大人しくついてきて空気になってくれている。


対応してくれたのは、二十代半ばの女性だった。

ドルクとは違うカウンターだ。名札に「エミラ」と書いてある。


優しそうな顔をしている。

ごく自然な笑顔でアクロスたちを迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。私、エミラがご用件をお伺いします」


「俺たち二人のギルド登録を頼みたい」


「ありがとうございます。ではギルドの登録についてご説明しますね」


エミラが帳面を広げた。


「ギルドには二つの指標があります。ひとつは★ランク。

これは個人の戦闘力の査定です。もうひとつはギルドランク。

こちらは依頼の達成実績で決まる、ギルド独自の信頼の指標になります」


「★とギルドランクは別なのか」


「はい。★が高くても、ギルドでの実績がなければランクは低いままです。

どんなに腕が立っても、依頼をきちんと遂行できるかは別の話ですから」


「それはそうね」


リーネが頷いた。


「ギルドランクは下から銅・鉄・銀・金・白金の五段階です。

初めての方は全員、仮登録の木札からのスタートになります。

木札の状態では★1相当の依頼しか単独では受けられません」


「それだと、例えば魔狼の群れの討伐依頼は受けられないのか?」


「いえ。あの依頼に関しては実力が認められれば受けられます。

★の査定が条件を満たしていれば、討伐隊のような編成依頼には参加可能です。

仮でも実力が認められれば、上位の依頼に同行する道がある仕組みです」


「つまり仮のままでも、腕さえ確かなら討伐に出られるってことね」


「その通りです。★の査定は、まず自己申告をしていただいた後、

実技試験で確認する形です。ギルド所属の冒険者との模擬戦になります。

殺傷は禁止ですが、実力はしっかり確認させていただきます」


「わかった。俺たちの試験を頼むよ」


「わかりました。登録料はお一人、銅貨十枚になります。

まずは自己申告でのランクを教えてください」


リーネが財布から銀貨一枚を取り出し、受付に置いた。

銅貨二十枚分。二人分の登録料だ。


「確かに、頂戴いたしました」


エミラは確認し、帳面の端に小さく印をつけた。


「俺が★3。体術と主に魔法を使って戦う。リーネも★3の魔導士」


エミラの手が一瞬止まった。そして顔を上げた。


「お二人とも……★3ですか?」


「ああ、そうだけど……」


アクロスとリーネは目を合わせて首を傾げている。


「……失礼ですが、★3の自己申告は珍しいんです。

このギルドでも★3以上の冒険者は、全体の一割ほどしかおりません。

試験の相手もそれに合わせた者になりますが、よろしいですか……?」


「あぁ、そういうことか。問題ないよ」


「ちょっとアクロス、大丈夫なの?」


リーネが心配そうにこそっと聞いた。


「俺たちならやれるって。

★3の試験くらいびょんと乗り越えようじゃないか」


リーネはため息をついた。


「……まぁ、そうね」


「わかりました。試験担当を手配しますので少々お待ちください」


エミラはカウンターの奥の扉に入っていった。


---


二人は別の受付嬢に案内され、ギルドの裏手に来ていた。


裏手には砂を敷いた広場があった。


木の柵で囲まれていて、十五メートル四方ほどの平らな四角の空間。


隅に武器の棚。木剣、木槍、革の盾。

使い込まれた訓練用の道具が並んでいる。


訓練場のような、試合場のような。

そういう場所なのだろう。


空の白い光と金色の光が砂の上で交差して、影が二重に落ちている。


そして試験官だろうか、四十代の厳つい男もやってきた。


禿げ上がった頭に日焼けした肌。

肩幅が広くて、前腕が丸太のように太い。


腰に使い込まれた長剣を差している。

鼻が少し曲がっていた。折れた跡だろうか。


使い込まれた焦げ茶の革の胸当て。

胸当ての下から鎖帷子の縁が覗いている。


インナーは厚手の生成りの麻のシャツで、袖を肘まで捲り上げていた。

下は灰褐色の厚手のズボン。

腰回りに頑丈な革ベルトが二本。

膝下までの革のブーツは、踵が分厚く、靴底が摩耗していた。


貫禄のある佇まいだ。ベテランの雰囲気がしっかりと出ている。


「俺はゲルツだ。このギルドの職員で試験官も兼ねてる。

★3の申告が二人って聞いて来たんだが、お前たちだな?」


「ああ。俺がアクロス。こっちがリーネだ」


ゲルツがアクロスを見た。それからリーネを見た。


リーネの手の杖に目が留まった。


「嬢ちゃん、杖持ちか。聞いてた通り魔導士だな」


「そうよ」


「ただの旅人で……いきなり★3で登録ってのは珍しいな。

普通は元傭兵や軍所属だ。そもそもどこかのギルドに既に所属してることが多い」


「俺たちも本当は自由が好きなんだがな。路銀が尽きたから仕方ない」


アクロスは頭を掻きながら言った。


「ふん。まあいい。まずは試験内容を説明するぞ」


ゲルツは禿げ頭を撫でながら口を開いた。

彼の慣れた業務なのだろう。意識せずとも口が勝手に喋っているかのようだ。


「ルールは簡単だ。実戦形式。殺傷は禁止。

武器は木剣でも自分の得物の峰打ちでもいい。魔法を使う場合は威力を抑えること。

制限時間なし。どちらかが動けなくなるか、参ったと言えば試験は終わりだ」


アクロスとリーネは頷いた。


「よし、先にそっちの男からだ。柵の中に入れ」


アクロスは柵の中の扉から中に入った。

ゲルツは慣れた動きでひょいと柵を乗り越える。


クロが柵の外をうろうろしながらハッハッと荒く呼吸している。

尻尾が地面を叩いている。興奮しているらしい。


フレスは柵の上の杭に飛び移って、冷静に高い位置から見下ろしている。


リーネは柵の外で杖を突いて立っていた。


その後ろにはいつの間にか、何人かの冒険者も集まってきていた。


★3の試験は、冒険者たちにはいい見世物らしい。


そして、その中に——―

壁にもたれて、腕を組んでこちらを見ている男がいた。


ドルクだった。


ゲルツとアクロスは訓練場の真ん中で相対していた。


「お前、武器は持ってないのか? 棚にあるものは好きに使ってもいいぞ」


「うーん。ちょっと見させてもらおうか」


アクロスは棚に歩み寄って、木剣を一本手に取ってみた。


ぎゅっと握ってみる。そして振ってみる。


重さはちょうどいい。だが、どうにもしっくりこない。

そもそも、握り方がわからない。


どこに力を入れればいいのか、どう振るのかをそもそも体が知らない。


やっぱりだめだな。剣は持ったことがないし。

恥をかくだけだな。


アクロスは頭を掻きながら木剣を丁寧に棚に戻した。


「使わないのか?」


ゲルツが片眉を上げた。


「いや、正直に言うと剣をまともに握ったことがないんだよ。

俺は体術と魔法で戦う感じだ」


「剣を握ったことがないのか? それで★3を名乗るのか?」


ゲルツは少し驚いたようにアクロスを見た。


「まぁな。とりあえず見てもらえればわかると思う」


ゲルツの目に好奇心が混じった。


「変わったやつだな。ならちゃんと、見てやるよ」


ゲルツが長剣を抜いた。戦う目になっている。


使い込まれた刃が鈍い光を放つ。


砂の上で向き合う。十歩の距離。


ゲルツが正眼で構えた。

その姿は堂に入ったものだった。


基本に忠実で軸がぶれない。足の幅、膝の角度、剣の位置。

全部が正しいのであろう。素人でもそう思えるほど綺麗な構えだ。


長年の経験で磨き上げた、隙のない構えに見える。


正面からやり合ったら分が悪そうだな。

見るからに近接戦が強そうだもんな


俺らしい戦い方で、いこう。


アクロスは体内の魔力を全身に、流し込んだ。


身体強化。筋繊維への魔力浸透。

反応速度と瞬発力を引き上げる。


外からはこの変化が見えない。

体の中だけで完結する、地味だが確実な強化だ。


そしてゲルツが、動いた。


一歩目が速い。


踏み込みから斬り下ろしへ、一つの動作として自然に繋がっている。


長剣が上から凄まじい速度で真っ直ぐに落ちてきた。

砂を蹴る音、空気を切る音、刃が下りてくる軌道。


——―だが、今のアクロスには全てが見えている。


アクロスは半歩、横にずれて体の向きを変える。


鋭い風がアクロスの頬を掠める。

長剣の刃が目の前を通過する。砂が跳ねた。


「っ——―これを避けたか!」


ゲルツが驚きの声を上げた。


ゲルツは振り下ろしの勢いを殺さず、そのまま横薙ぎに繋げてきた。

流れるような連撃。


アクロスは体を低くして潜り抜けた。


剣が頭の上を通過する。髪が揺れた。


距離が詰まってきている。ここはもうゲルツの懐だ。


ここまで来れば剣は振れないだろう。


しかし、ゲルツは迷いなく柄で突いてきた。

反応が速い。


この速さは、頭で判断しているものではない。

全身に染み渡ったベテランの経験が、体を勝手に動かしているのだろう。


だがアクロスには、これも見えている。問題ない。


体を捻って柄をかわしながら、後ろに大きく跳んだ。


身体強化された脚が砂を蹴って、三メートルを一息で開けた。


「おぉ、なんだあの跳躍。すげぇ飛んでるぞ」


「魔法じゃないか?」


冒険者たちが少しざわついている。


ゲルツとの距離ができた。


よし。ここから俺も仕掛けるか。


アクロスは右手を、地面に向けた。


声は出さない。唇だけが、わずかに動いていた。


ゲルツの足元に、瞬時に霜が走る。


白い結晶が砂の表面を這うように広がっていく。

半径三メートルの地面を一瞬で氷が形成されていく。


ゲルツの靴底があっという間に凍りついた。

足が、地面に張りついて動かない。


「なっ——―!」


ゲルツが足を引き抜こうとした。

氷が靴をがっちり掴んでいる。


力任せに引けば抜けるが——―

その一瞬を狙われるのはわかっている。


そしてアクロスは左手を上げた。


周囲の空気が、ぴり、と震えだす。

そして、ギルド裏にバリバリと大きな音が、鳴り響いた。


ゲルツの周囲、前方、左右、後方の四か所に小さな雷が落ちた。


人体には当てていない。

ゲルツを囲むように、砂の上に四本の電撃を走らせた。


砂が激しく弾けた。


焦げた匂いが周囲に広がる。

青白い光が四方から閃いて、ゲルツの顔を照らした。


ゲルツは激しい光と音に顔を背ける。


訓練場の空気が、一変した。

周囲の冒険者たちにざわつきが広がる。


ゲルツは足を氷に固められ、一歩も動けない。

剣は届かない。


「大きなものも、近くに落とせるぞ。

―――降参するか?」


アクロスの声は穏やかだった。


ゲルツがアクロスを見た。額に汗が浮かんでいる。


だが目は怯えていなかった。狼狽えてもいない。


恐らく本気で戦う時には、

この程度で終わる男ではないのだろう。


ゲルツは相手を見極める、試験官の目でじっとアクロスを見ていた。


そして口の端がゆっくり上がった。


「参った。いい戦い方だ」


ゲルツが長剣を砂に突き立てた。


すぐに氷は解けた。

雷の残滓が砂の上で、青白くちりちりと消えていく。


沈黙。柵の外が静まりかえっていた。


ゲルツが首を回して肩の力を抜いた。


「氷で足を止めて、雷を落とす。最初から剣で戦う気はなかったわけだ!」


ゲルツはまた禿げ頭を撫でだした。


「だから、剣は持ったことがないって言っただろ……」


「いやぁ、避け方も尋常じゃなかったぞ。

俺は最初の一撃のさばき方で相手を大体見極めるんだ。

あれほど見事に躱せるやつはなかなかいない……あれは身体強化か?」


「まあ、そんな感じだ。

こんな身なりだが、俺も魔導士でね」


「休みの日に川釣りに行くような格好してる魔導士には初めて会ったな!

わはは!」


試験が終わったあとのゲルツはただの近所のおっさんのような雰囲気だった。

これが素なんだろうか。


「氷と雷の二属性。詠唱なし、杖なし。おまけに身体強化。

★3は嘘じゃないな。むしろ抑えていると見た」


「まぁ、ただの試験だしな……」


アクロスは、にやりと格好をつけた笑いをゲルツに向けた。


「ふっ……正直だな」


ゲルツが苦笑した。


それから大きな手でアクロスの肩を叩いた。

痛いくらいの力だった。


「よし、合格だ! 文句なし!」


そして柵の外では冒険者たちがわっと騒ぎ出した。


「あの旅人、魔法だけで……あのゲルツさんを追い詰めたぞ」


「氷と雷……二属性持ちか。それに身体強化まで……」


「詠唱なしで杖もなし。休日のおっさんみたいな格好。

何者なんだ……あいつ」


いや、休日のおっさんはもういいだろ。噂になるのはいいが、

そんな形では広まってほしくない。


クロを見ると、柵の外で尻尾を振り回していた。

何故か得意げな顔をして辺りを見ている。


いや、別にお前が戦ったわけじゃないぞ。


フレスが杭の上でぴぃと鳴いた。こっちも嬉しそうだ。


ふと、リーネの方を見た。


俺の戦いがかっこよすぎて泣いてたらどうしよう。


リーネも、アクロスを見ていた。

まぁまぁね。と言いたそうな表情で頷いていた。


そして——―


壁際のドルクは相変わらず腕を組んだままだ。

ただ、目だけはアクロスを追っていた。


アクロスはドルクの視線には気づいているが、あえて見ない。


柵の外に出てリーネの元に戻る。


「アクロス。お疲れ様」


アクロスを労いながらも、

リーネの表情は少し緊張しているようだった。


「あぁ。次はリーネだな。頑張ってこいよ」


軽くリーネの背中を叩いた。


「ええ。見ていて」


リーネはまっすぐな姿勢で柵の中へ向かった。


---


「次は、嬢ちゃんの番だぞ」


「わかりました」


リーネは訓練場の真ん中に立つ。


ゲルツが汗を拭きながら言った。


「嬢ちゃんには別の奴の相手をしてもらう。

レナ、中へ入れ」


ゲルツに呼ばれて一人の女がゆっくりと訓練場の中に入ってきた。


彼女は先ほどまで柵の外で他の冒険者と同じように試験を見ていた。


年齢は三十前後だろうか。

赤い髪を短く切り揃えていて、切れ長の目だ。


体のラインに沿った薄緑色の麻のインナー。

その上に、焦げ茶の革のジャケット。


下は、体のラインがしっかり出る細身の黒い革のパンツ。

しなやかな弓使いの脚の長さが、はっきりと際立つ。


膝下までの革のブーツは音の出ない仕様で、外側に小型ナイフを差す鞘が縫いつけてあった。


両手には焦げ茶の革のグローブ。

指先は出ていて、弦を引く感覚を妨げない作り。


背中には短弓を背負っていた。


「私はレナだよ。★3の弓使い。嬢ちゃんは、魔導士だって?」


「ええ。私は風と氷の魔法を使うの」


「あんたも二属性か……。

二属性持ちが、そんなぽろぽろ出てくるギルドなんてあんまり聞いたことないよ。

さっきの男もそうだったけど、あんたたち何者なの?」


「二人と二匹でふらふらしてる、ただの旅人よ」


「はいはい。面白いわね……」


全く面白くなさそうにレナはため息をついてリーネを見た。


レナが弓を手に取り、矢筒から訓練用の矢を三本抜いた。

先端が布で巻かれている。


当たっても致命傷にはならないが、もちろん痛いだろう。


「ルールはさっきと同じよ。降参するかどちらかが動けなくなったら終わり。

魔法は威力を抑えること。わかった?」


「わかったわ」


リーネは右手でしっかりと杖を持っている。


白銀の木肌。杖を体の正面に立てて、ゆっくりと左手を添えた。


これが魔導士の、戦う時の正式な構えだ。


柵の外の冒険者たちがざわめいた。


「杖持ちか。女の方は本格的な魔導士って感じだな」


「でもあの杖、ただの木の杖にしてはなんか変わった色してないか?」


レナが少し目を細めた。


「その杖……、あまり見たことない材質だ。ただの白い木じゃないね」


「大事なものなの。母から受け継いだ杖よ」


リーネは杖を大事そうに撫でてレナを見据える。


「へえ。いいじゃん。本気ってわけね……」


レナの目つきが変わった。


品定めから、本気の戦闘者の目に。


「よし、始めろ」


ゲルツが合図を出した。


レナの動き出しは速かった。


矢をつがえて引き絞るまでの動作が、呼吸一つ分しかない。

弦が耳元で鳴って、すぐに矢が放たれた。


短弓は取り回しも良くこの訓練場の空間でも十分、戦闘可能だ。


訓練用とはいえ、矢の速度に加減はない。

まっすぐリーネの胸元に向かってくる。


リーネはレナが弓を構えた瞬間から既に対応していた。


風弾ウィンドバレット


矢が放たれると同時にリーネの杖の先端からも魔法が放たれる。

圧縮された風の塊だ。


矢に対して風の塊の面積は大きい。

矢は風弾の圏内に入っている。


軌道を逸らすどころか、風の塊は矢そのものを、地面に叩き落とした。


矢が地面に転がっている。訓練用の矢は先端に布が巻かれている分、

正面から風の塊がぶつかれば負けてしまう。


柵の外が、一瞬で静まった。


「っ——!!」


レナの目が見開かれた。


「よく……弾いたわね。タイミングバッチリじゃない」


「矢が放たれたら、私には目で追えないから。

私の体のどこにきてもいいように、でかい面積の風の塊をぶつけたの」


リーネの声は穏やかだった。


レナが二本目をつがえた。


今度は溜めを短くして放つ。さっきよりも速い。角度も変えてきた。


低い弾道で膝を狙っている。


リーネが杖を、地面に突いた。

矢の速さは関係ない。リーネはレナが構えた瞬間に魔法を放つ。


杖の先端が砂に触れた瞬間——―

リーネの正面の地面から、氷が隆起した。


形成されるのが速い。


あっという間に腰の高さほどの、氷の壁ができた。


透明で、向こう側が透けて見える。


矢はリーネの体に届く前に氷の壁に当たって、ぽろっと落ちた。


「——―は?」


レナが声を上げた。


「今度は地面から氷の壁? 杖を突いただけで?

この距離で、矢が届くよりも早く?」


「私はあなたが構えた瞬間から魔法を放つだけよ。そして全身を守る」


リーネが杖を持ち上げた。


氷の壁が双昼の光を反射して、きらきらと光っている。


レナが三本目をつがえようとした。


その瞬間—――今度はリーネが杖を、振った。


すると、氷の壁が砕けて欠片が舞い散る。


細かい氷の粒子が、レナの周囲を眩く、包んだ。


きらきらと光る、氷の霧だ。


レナの視界が一瞬、白く曇る。


「——―っ!」


レナは意表を突かれ、弓を構えたまま後ずさった。


そして氷の霧が晴れた時には―――リーネはレナの目の前にいた。


リーネの杖の先端は、レナの胸元に触れるほどに近くにあった。


そして杖の先には、小さな風の渦が回っていた。


「……これをこのまま撃たれたら、私は柵まで吹っ飛ぶのかしら?」


レナが苦笑した。


「そうね。威力は抑えてあるけど、そうなると思う。

この距離だとさすがに避けられないでしょう?」


「わかったわよ……参った。私の負け」


レナが片手を挙げて、そしてもう片方の手で弓を下ろした。


氷の粒子が砂の上でゆっくりと溶けていく。


双昼の光を受けて、水滴がきらきらと光っていた。


沈黙が三秒ほどあった。


それから柵の外が、どっと沸いた。


「なんだ今の!すげぇな!」


「風も氷も、出てくるの速すぎない!?」


「最後の氷の霧、あれ目くらましだろ! 風と氷の合わせ技じゃねえか!」


「しかも杖を突いただけで氷が出た。あいつも詠唱なしだぞ」


レナがリーネをじっと見た。


「あんた、杖を持った瞬間に別人になったね。

さっきの男の試験も見たけど、あんたの方が厄介かもしれないわね」


「そんなことないわ。あなたの弓、とても速かった。

私の目では追えないし、躱せないわ……」


「でも、この距離で防がれたのは初めてよ」


「必死だったもの」


レナが少し笑った。


それから真剣な顔で言った。


「あんた、すごいね。

魔導士が前に出て、敵の胸元に杖を突きつけるなんて、普通じゃないよ」


リーネは、微笑みながら言う。


「私、もう逃げないって、決めてるから」


レナは目を丸くした。

そして、大きな笑い声を出す。


「あっははは!あんた最高だね!」


ゲルツが腕を組んで頷いた。


「嬢ちゃんも文句なし、合格だ! 二人とも★3で仮登録とする!」


---


柵の外のざわめきが、大きくなっていた。


「おっさんも嬢ちゃんもすげえな」


「ただの旅人って言ってたけど、何者だよあの二人……」


リーネが柵から出てアクロスの隣に来た。

満足そうな顔だ。


同時に、何人かの冒険者もわらわらと寄ってきた。


「おい、あんたすげえな!

あのゲルツさんが手も足も出なかったじゃねえか!」


赤ら顔の大男が、親しげにアクロスの背中をばんばん叩いてくる。


なんだよこいつ。初対面なのに激しすぎるだろ。


「ゲルツさん強かったよ。あの剣の腕は本物だな。

俺は剣が使えないから別の方法で戦っただけだよ」


「剣すら使えないのに★3ってのが最高だぜ!

俺はマルコだ。★2の斧使いだ。今度の討伐は俺も行くんだ。よろしくな!」


「マルコか、よろしくな」


ゲルツにマルコ。おっさんとの出会いが増えていくな……。

俺もレナと仲良くなりたかったな……。


マルコがアクロスの手を握ってぶんぶん振った。

握力が強い。手が痛い。まじでなんなんだこいつは。


リーネの方にも、レナが歩み寄ってきた。


「ねえ、あんた。その腰の筒は薬師の道具だよね」


「ええ。父が薬師だったの」


「戦えて、薬草も扱える魔導士なんて、パーティーに一人いたら最高じゃない。

ねぇ、今度一緒に飲もうよ。この辺でいい酒場知ってるからさ」


「私、お酒は……あまり強くないんだけど」


「大丈夫だって!私が飲むんだから。あんたは付き合ってくれればいいの」


レナが笑った。

さっきまでの鋭い弓使いの顔が、一気に人懐っこい笑顔に変わった。


リーネが少し面食らいながらも「じゃあ、また」と笑い返した。


周囲のざわめきが落ち着いてきた頃、ゲルツがアクロスのところに来た。


「さっきは見事だった。ところでお前の戦い方で一つ聞いていいか?」


「何だ?」


「あの氷と雷。二属性を同時に使ってたろ。

普通の魔導士は一属性、多くて二つだが、お前の使い方は少し違う気がした。

まだまだ力を隠していそうだな」


鋭いおっさんだな。さすがにベテランの冒険者は気付くのか。


「そんな大げさなもんじゃない。ちょっと魔法が得意なだけだ」


「……そうか。まあ、今は深くは聞かんさ。

冒険者ってのは秘密が多い生き物だからな!」


ゲルツはがははと笑った。


「試験はこれで終わりだ。帰る前に受付のエミラから仮登録証を受け取ってくれ。

では、またな。何かあればまた声をかけてくれ」


ゲルツは片手をあげて別れの挨拶をした。そしてギルドに戻っていく。


その時——―


「面白いものを見せてもらった」


低い声が、横から聞こえた。


振り返ると、ドルクが立っていた。


ドルクの目が、アクロスを真っ直ぐに見ていた。


受付ですれ違った時のあの不気味な視線はもうなかった。


代わりにあるのは、純粋な興味の視線だ。


戦う人間が、別の戦う人間を見る時の目。


「あんた、剣は使えないと言っていたな」


「ああ。握ったこともないよ」


「それで★3か。大したもんだな」


ドルクの声には皮肉がなかった。

事実を確認しているだけだ。


「あの戦い方は、慣れてる人間の動きだった」


……戦い慣れてる、か。


「旅の中で、いろいろあったからな」


「そうか」


ドルクが目をリーネに移した。


「嬢ちゃんの方も、いい腕だったな」


「ありがとう。あなたは討伐依頼に参加受付してたわね」


リーネがドルクと、ごく自然に会話をしている。

声に震えはない。冷静だ。


「ああ。あんたたちも参加するのか?」


「そうね。そのつもりだわ」


「そうか。あんたたちは、仕事をきっちりやってくれそうだな」


ドルクの言い方に嫌味はない。

先程の訓練場の戦いを見て、純粋に評価をしているようだ。


「では、三日後にな」


それだけ言って、ギルドの中へ歩いていった。


だが建物の中に入る直前——―ドルクの足が、止まった。


そして振り返り、アクロスの顔を見た。


ドルク自身なぜ、アクロスを見たのかわかっていないような仕草だ。


だがアクロスは見ていた。


その時ドルクの右手が、曲刀の柄に触れていた。


一瞬だけだった。

すぐに手は曲刀から離れた。


そのまま、ドルクはギルドの建物にまた入っていった。


アクロスは小さく息を吐いた。


リーネが隣で、同じように息を吐いていた。


「……行ったわね」


「ああ」


リーネは杖の先端を見つめている。


「私、逃げる時は必死だったから。

追ってくる男たちの顔を、ちゃんと見てなかったの」


「そうか……」


「でも、さっき近くで初めてあいつの顔を見て思った——―」


リーネが少しだけ間を置いた。


「なんだか、重い、悲しい目をしてたわね」


アクロスは、何も言わなかった。


---


アクロスたちもギルドの建物の中に戻った。


ドルクはもういなかった。


受付に行くとエミラが仮登録証を二枚持ってきた。


木の札。名前と日付が刻まれている。

ランクの欄には「★3(仮)」。ギルドランクの欄にも「仮」。


「お二人とも、お疲れさまでした。合格おめでとうございます。

こちらが仮登録証になります。依頼を達成して実績が確認でき次第、

銅級への昇格を検討します。仮から銅への昇格は、依頼三件の達成が条件です」


「三件で銅級ね……」


「ねぇアクロス。魔狼の討伐依頼も、受けておきましょうか」


「わかった」


アクロスは、それ以上は何も言わなかった。


「ではお二人はこのまま依頼の受注手続きもされていきますか?」


「あぁ、よろしく頼む」


「承知いたしました」


エミラは丁寧で事務的で、でも温かい笑顔で依頼の受注も手続きしてくれた。


そして二人と二匹はギルドを出た。

無事、今日の目的はひとつ達成できた。


アクロスは木の札を手の中で転がした。

軽い。ただの木の札だ。


だがアクロスたちにとってはこの世界で初めて、

「何者か」を証明するものを手にした。


「軽い木の札でも、私たちにとっては重いものね」


リーネが自分の登録証を見ながら言った。


「仮でも十分だ。ゼロとイチは全然違う」


「そうね。大事な第一歩よ」


リーネが登録証を大事そうに荷袋にしまった。


外は双昼の光が目に眩しかった。


「さてと。午後からは部屋探しだな。とりあえずハンナさんのところ行くか?」


「そうね。忙しい一日だけど、できたら今日中に片付けたいわね」


「お前、ハンナさんと話すときだけちょっと声が高くなるよな」


「そんなことないわよ」


「なってるよ。嬉しいんだろ、同業者と話せるのが」


「……否定はしないけど、わざわざ指摘しないでほしいわね」


クロが先に歩き出した。

鼻を低く構えて道の匂いを確かめている。

フレスも町の景色を覚えようとするかのように周囲を見渡している。


「ねえ、アクロス」


「なんだ?」


「さっきの試験、ちょっとかっこよかったわよ」


「……お前もかっこよかったよ」


「ふふん。知ってるわ」


リーネが少し得意そうに顎を上げた。


フレスがぴぃと同意するように鳴いて、クロがわふと返した。


二人と二匹は、双昼の光の中をハンナの店に向かって歩き出した。

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