第29話 二人の馬鹿みたいな話
二人と二匹が宿に戻ると、もう金昏の頃だった。
クロとフレスはまた裏の小屋で別れる。
二匹はまた少し寂しそうだった。
そして二人は、アクロスの部屋で買い込んだ物資を広げていた。
塩。蜂蜜。干し肉。保存用のパン。花山椒の粉末。
虫除けの薬液。
「結構買ったよな。影の中に入れるものと、手元に残すもので分けようか」
「塩と蜂蜜と保存食は影収納の中ね。花山椒と虫除けの瓶は私が持っておくわ」
「わかった」
誰にも見えないよう部屋の隅っこでアクロスはそっと収納した。
荷物整理が終わったところでアクロスが椅子に座った。
リーネも向かいに座る。
「やっぱり、魔王がいなくなってこの世界の歯車は狂い始めてるみたいだな」
リーネは静かに頷いた。
「そのことでリーネ、聞いておきたいんだが……」
アクロスは今まで気になっていたことを聞いてみた。
「魔力の淀みとか言ってたけど、それは魔王や魔族と何か関係があるのか?」
少し考えるように目を伏せてから、顔を上げた。
「関係あるわよ。というか、そもそもそこが核心なの」
「核心?」
「魔力ってね、この大地の下を世界の隅々まで枝分かれしながら流れてるの。
魔力の流れるところは地脈って呼ばれてる」
「地脈か。前にも聞いたな」
「その地脈がね、ちゃんと流れてるのなら問題ないの。
でも何かの原因で流れが滞り、大地の上に吹き出して一か所に滞留してしまう。
それが『魔の吹き溜まり』と呼ばれてるわ」
「滞留すると何が起きるんだ?」
「まず、溜まった魔力が周囲の生物に影響をもたらす。
最初は獣が変異するの。普通の狼が魔狼になったり、蟲が大蟲になったりする。
それが天然の魔物。地脈の淀みが大きいほど、変異する獣も多くなるし、強くなる」
「つまり今、北で魔物が増えてるのは」
「地脈の吹き溜まりの数も増えて、一つ一つも大きくなってるからだと思うわ」
アクロスは腕を組んだ。
「それで、魔族と魔王がどう関係してくるんだ?」
リーネが、言葉を選ぶように話を続ける。
「魔族の体の中には、魔核がある。心臓と一体化してる。
人間にも魔力を扱える者はいるけど、魔族は生まれた時から魔核を持ってる。
魔力を吸って、使って、循環させる。それが体の構造に組み込まれてるのよ」
「魔力を循環させる、というのは?」
「魔族は生きてるだけで、周囲の魔力の流れに影響を与えるの。
特に集落みたいに魔族がまとまって暮らしてる場所では、地脈の流れが安定するの。
吹き溜まりも自然に小さくなっていく。
魔族は存在そのものが、地脈の浄化装置みたいなものなのよ」
アクロスは目を見開いた。
魔族はこの世界にとって重要すぎる存在じゃないか。
「……それは、とんでもなく重要な話だな」
「そうよ。魔族では常識だけどこの話を知っている人間は少ない。
というかほとんど知らない。人間の統治者はきっとわざと教えてないと思う」
「政策や宗教、いろんな思惑がありそうな話だな」
「大いにあると思う。とりあえず今は人間側の話は一旦置いておいて、
話を続けるけど……」
「あぁ、すまない、聞かせてくれ」
「だから魔族の集落がある地域では、ある意味、魔物の発生は少ないと言えるの。
逆に集落が焼かれて魔族がいなくなると……」
「魔力の流れが滞って、吹き溜まりが膨張する。そういう場所が増える」
「そういうこと。そしてそれを世界規模で管理していたのが——―魔王よ」
リーネの声が少し低くなった。
「魔王はね、ただの強い魔族じゃないの。魔力循環を統括する存在。
魔王がデモニア高地にいるだけで、北部全体の地脈は安定していた。
吹き溜まりは抑えられていたし、魔物の発生も管理できる範囲に収まっていた」
「だが大地の魔力の管理者と言える魔王が、半年前に討たれた」
「ええ。勇者ライゼルのパーティーに。
魔王ゼヴァルスが倒されて、魔力循環を統括する者がいなくなった。
それから半年。地脈は乱れ続けて、吹き溜まりはどんどん膨らんでる」
アクロスは黙って聞いていた。
「しかもね」
リーネが続けた。
「吹き溜まりが大きくなりすぎると、魔力が腐るの。そしてそれは瘴気になる。
瘴気に汚染された場所に長くいると、どの種族でも、体が蝕まれていく。
最初は頭痛とか幻覚。次に体に紋様が浮かんできて、感情が制御できなくなる。
そしてさらに汚染されて症状がさらに進むと——―」
「進むと?」
ごくりとアクロスの喉がなった。
ファンタジー世界にいかにもありそうな設定だな。
「不可逆の変異。知性も人格も失って、魔物とも人とも言えないものに変わる。
それを『堕ちた者』って呼ぶわ」
きたな。このフォールンは絶対やばいやつだな……。
「……フォールンになると、やばいのか?」
「やばいなんてもんじゃないわよ。あらゆる生命を破壊しようとする異形の存在よ。
一体現れただけで、人間の軍隊や、魔王軍が出動するレベルよ。
ギルドでも高ランクの冒険者が何人もチームを組んでようやく討伐できるらしいわ」
怖すぎるだろ。フォールン、この先、絶対出てくるじゃん。
アクロスはちょっと引いている。
「さっきも言ったけど、瘴気の汚染に種族は関係ないの。
でも人間社会では、フォールンになる現象を魔族の仕業と思ってる人もいるみたい。
だから『魔族が人を化け物にする』って誤解されて、迫害の根拠のひとつにもなってる」
「あと、『魔族が魔物を生み出している』という話もあるけど、それは本当なの。
人間たちが思ってるような話ではないけど、事実としては確かにあるわ」
「えっ、そうなんだ?」
自分以外でも魔物を生み出せるという事実にアクロスは驚いた。
自分だけの特別な能力だと思っていた。
「魔物には大きく分けて二種類あるの。
今話した吹き溜まりが生み出す天然の魔物と、もう一つ——―魔族が生み出す魔物」
「魔族が生み出す魔物?」
「さっき吹き溜まりの話をしたでしょ。魔力が溜まって淀んでいる場所。
放っておけば獣が変異して天然の魔物が生まれる。
でもね、魔族の有力者——―特に力の強い魔族や、それこそ魔王は、
あの淀んだ魔力を吸い上げて、別のものに変換することができるの」
「変換って、つまり……」
「これも浄化のひとつの方法よ。吹き溜まりの魔力を消すんじゃなくて、
その魔力を利用してそこから魔物を生み出す。その結果生まれるのが、
ゴブリンやオークみたいな創造魔物。人の形をしていて、個体によっては言葉も話せて社会を作れる。天然の魔物とは根本的に違う存在なの」
「待ってくれ。それって、魔族は吹き溜まりを掃除するために……、
魔物を作ってたってことか?」
「そういうこと。地脈の浄化と、魔物の創造は表裏一体なの。
汚れた魔力を綺麗な形に作り変える。その副産物として知性を持った魔物が生まれる。彼らは創造した魔族に従って、集落を守ったり、危険な地域の管理を手伝ったりしていた」
「じゃあゴブリンの集落とかオークの砦、みたいなものもある?」
「もちろんあるわ。もともとは魔族の創造主のもとで秩序を持って暮らしてたのよ。管理主が制御していればむやみやたらに暴れたりはしないものなの。
人間たちからしたら脅威だろうけどね」
「なるほど、脅威として人が襲えば、魔物も魔族も当然、反撃する」
「そう。だからそういう意味では、人間と魔族の争いはずっとあったわ」
「ただ、人間が魔物を倒すことは別に大きな視点では悪いことではないのよ。
それも魔力循環の一つの形だから」
「なるほどな。倒された魔物を構成していた魔力もまた地脈に戻るってことか」
「そういうこと」
リーネの声が少しだけ柔らかくなった。
「私の集落にも、ゴブリンの一族が近くに住んでたの。
おとなしくて、畑仕事を手伝ってくれてた。子供たちは私と一緒に遊んでた。
言葉は片言だったけど、ちゃんと通じたわ」
「……そうだったのか」
「でもね。創造魔物は自分たちを作った創造主がいなくなると——―
つまり、創造主の魔族が殺されたり遠く離れすぎると、創造魔物は導き手を失うの。
そうすると、だんだん知性が薄れていく。本能が強くなって、野生化する。
最終的には人も魔族も種族は関係なく、生きているもの全てを襲うようになる」
「暴走するのか」
「暴走というか……迷子になるのよ。帰る場所がなくなって、
何のために存在しているかもわからなくなって、残った本能だけで動くようになる」
リーネが一瞬、言葉を止めた。
「今、各地で人間を襲ってるゴブリンやオークも、もともと誰かに創られて、
どこかで魔族の管理の下、一緒に暮らしていたのよ。
それを人間は知らない。ただの凶暴な魔物だと思ってる」
「……知らないんじゃなくて、知ろうとしてないのかもしれないな」
「かもしれないわね」
「整理するわ。天然魔物は地脈の淀みで獣が変異したもの。
知性は低くて、本能で動く。獣が狂暴化したものよ」
アクロスは頷く。
「そして、創造魔物は魔族が吹き溜まりの魔力を浄化して生み出したもの。
知性があって、社会性もある。でも創造主がいなくなると野生化して暴走する」
「どっちも、魔王が不在になったことで増えてるわけだ」
「ええ。天然魔物は地脈の乱れで直接増える。
創造魔物は創造主の魔族がいなくなることで野生化する。
両方が同時に起きてるの。だから今、世界がこんなことになってると思うのよ」
「……あと一つだけ聞いていいか」
「なに?」
「クロとフレスは、どっちに近いんだ」
リーネが少し考えた。
「私は、どちらでもないと思う。クロとフレスはあなたのスキルで、
直接創られてる。地脈の魔力じゃなくて、恐らく根源のエネルギーから。
だから既存のどの分類にも当てはまらないと思う」
「そういうことになるか……特殊な存在だな」
「特殊というか、たぶんあなたにしかこんなことできないと思うわ。
世界の歴史の中でも今までないんじゃない?
魔力以外で魔物を創造できる存在なんて少なくとも私は聞いたことがない」
「……そうか」
アクロスはクロのことを思った。
あの忠実で、得意げで、甘えん坊で、でもいざという時は獣の顔になるやつ。
そしてフレス。
甘えん坊で、意地っ張りで、空が好きで、リーネの肩が一番好きなやつ。
あの二匹は、
この世界のどの箱にも入らない存在なんだな。
「あいつらも、俺と同じってことだな」
「え?」
「俺もこの世界のどの分類にも当てはまらない。
ファルティシアに呼ばれた転生者で、魔王を目指してる元人間の魔族のおっさん。
そんなやつ、他にいないだろ……」
「……そうね」
リーネは静かに笑う。
「お前もだぞ。★3の魔導士だったけど今は成長限界無しで、
おっさん魔王のお世話係で、お小遣い管理人だ」
「最後の二つは要らないわよ……」
「大事な役職なんだからな」
「役職って言わないで」
リーネが呆れて笑った。
「……リーネ」
「ん」
「俺が魔王を目指す理由。ファルティシアに言われた時は、
正直よくわかってなかった。でも今の話を聞いて、少しわかってきた気がする」
リーネは頷いた。
「世界が本来の魔力循環を取り戻すには、魔王が必要なのよ。
強いだけの魔族じゃなくて、世界全体の魔の流れを統括できる存在として」
「それが、俺の目指すところってことか」
「たぶんね。あと、あなたの原初の奔流はおそらく全属性の根源——―
地脈も天脈も冥脈も、全部に干渉できる力。
もしそれを使って、魔力循環を再生できるなら……」
「この世界を、根っこから立て直せるかもしれないな」
アクロスは静かに言う。
「……壮大すぎて笑っちゃうわね」
考えて、話をして、そしてリーネは思わず笑った。
「ほんと、馬鹿みたいな話だよな」
「ええ。ほんと。でも馬鹿みたいな話でも、本気でやろうとしてる人がいる。
私はその姿を見続けて、一緒に生きていく。それは、悪くない生き方だと思うの」
リーネが少し笑った。
あの日——―廃墟の銀の木の前で聞いた言葉と、
同じ温度の笑顔だった。
「さ。晩御飯食べにいきましょ。
食べ終わったらクロとフレスのご飯を持っていくわよ。
壮大な話はここまで。まずは一歩ずつ。一日一日を大切に生きましょう」
「了解した。
そしてお前は今日から、魔王の右腕として『暴虐のリーネ』と名乗るがよい」
リーネは呆れたような目で言った。
「その二つ名は何なの? 殴られたいの?」
そのセリフは暴虐のリーネにふさわしすぎるだろ。
今のリーネの話からこの世界が壊れていく仕組みが、少しだけ見えた。
そして自分がここにいる意味も。
まだ何も始まってはいない。
だが、何かを始められる準備は少しずつだが整ってきているとは思う。
まだまだ遠いが、目指す道の形は見えてきた。
ならば、共に進むだけだ。その道が厳しく、険しいものだとしても。
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壮大な話をした後はお腹も減る。
腹が減っては世界も救えない。
気持ちを切り替えてご飯にしよう。
今日も、夕飯は宿の食堂だ。
二人で一階に下りているとリーネが思い出したかのように口を開いた。
「そうだ。今日買った花山椒。今夜のスープに試してみたいの。
宿の食堂の人にお願いしてみるわ」
「え、そんなことできるの?」
アグレッシブ過ぎない? 控え目な日本人には考えられない発想だな。
さすが暴虐のリーネだ。
「聞くだけ聞いてみるわ。ダメならパンに振りかけて食べてもいいし」
「なんかこの町にきてどんどん逞しくなっていくな……」
「私はもとから行動的なのよ」
リーネは部屋に花山椒を取りに戻った。
「先に下りとくぞ……」
アクロスは先に宿の食堂に降りていつもの席についた。
すぐにリーネも戻ってきた。
「やってくれるって。花山椒を渡してきたわ。
厨房のおばさんが興味津々で、『初めて見る香辛料ね!使ってみたいわ!』って」
「リーネさんの交渉力が、めきめき上達してるな。
さすがアクロス四天王の一人だな」
「私の役職、勝手にどんどん増やさないでくれる?」
リーネが笑った。
最近のリーネはよく笑うようになった。
そして夕飯のスープには、
ほんの少しだけ花山椒が効いていた。
舌の先がぴりっとして、体の奥が温かくなった。
「……おいしいわね、これ」
「ああ。うまいな」
「あのおばあちゃん、いいもの教えてくれたわね」
「また買いに行こうか」
「うん」
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食事は終えたが、二人の会話はまだ続いている。
当初の目的通り、お金も手に入った。服も食料も手に入れた。
グラザでの二日目が終わろうとしている。
取った宿は三泊分。
何も決めずにいられる時間は、もうそれほど残っていない。
これから、どうしていくのか。そろそろ相談をしなければならない。
まだこの町に留まるか。森の拠点に帰るのか。
「今日は濃い一日だったな」
「魔王の話から世界の仕組みまで私の知ってること全部ぶちまけたしね。
喋りすぎて喉が乾いたわ」
リーネが水を飲んだ。
「助かったよ。俺はまだ、全然この世界のことわかってなかったと思う」
「……そうね。私も、ちゃんと言葉にして整理できたのは初めてだった。
集落にいた頃は当たり前すぎて、わざわざ説明する必要もなかったから」
リーネは少し間を置いた。
「ねえ、アクロス」
「ん」
「明日から、ギルドの依頼を受けていきましょう」
「そうだな。このまま町にいるのなら、もっと金も稼がないといけないな」
「それでね。いろいろ、相談したいこともあるの」
リーネは真っ直ぐアクロスの目を見る。
これは何か大事な話をする時の目だ。
「これからギルドの依頼を受けるなら、私、杖も持っていた方がいいと思うの。
杖がある方が魔法の精度と出力が上がるから。それに——―」
「あの杖は、大事な物だから。いつも持っていたい」
「……あの杖のこと、聞いてもいいか」
「うん」
リーネが少し間を置いた。
「あの杖はね。母の形見なの」
声が静かだった。
「母さんが使っていた杖。私が継いだの。母さんが死んでしばらくして、
父が、『お前が持っていなさい』って」
「お母さんの……」
「あの杖はね、銀の木でできているの。あの魂送りの銀の木」
アクロスの目が少し見開かれた。
あの木。廃墟の集落で見た、あの白銀の大樹。
死者の魂を大地に還すための木。魔族を象徴するような木。
「集落の銀の木から、枝を一本分けてもらって、
母さんが自分で削って作ったって、父が言ってた」
「自分で……」
「銀の木は地脈と繋がってるの。魔力の道に、根っこの部分で繋がってる。
だから銀の木で作った杖は、魔力を吸い上げやすい。
魔族の魔法の触媒としては、最適な杖だと思う」
「ただ、逃げている時にね。杖が少し、ひび割れしちゃったの。
でも普通の木工じゃ直せない。銀の木は特別な素材だから。
魔族の技術じゃないと修復もできないと思う」
「……そうか、杖の直せる場所も探さないとな」
「うん。すぐじゃなくていいけど、直したいな」
リーネは少し笑った。寂しさが混ざった笑顔だった。
「だから、この杖は持ち歩くことにする。見た目はただの木の杖に見えるし。
実戦ではこの杖を使いたいの」
「わかった。その方がいい。
その杖があればリーネの魔法はもっと強くなるんだろ?」
「精度が全然違うのよ。風弾くらいなら杖なしでもできるけど、
氷の魔法は杖がないと出力が落ちるの」
「よし。明日からリーネは杖持ち魔導士だ」
「ちゃんとした装備で歩くのは久しぶり。
なんかこう、身が引き締まるわね」
「かっこいいじゃないか」
「……やめてよ。恥ずかしい」
でも、リーネの顔は嬉しそうだった。
---
「あと、もう一つ相談があるの」
「なんだ?」
「この宿のことよ」
やはりリーネも同じことを考えていたんだな。
「宿はとりあえず三泊しかとってないからなぁ」
「そう。このまま宿を延長するか、それとも別で拠点を借りるか。
これからの動き方に関わるから、ちゃんと決めておきたいのよ」
今のところリーネは森の拠点に帰ることは考えてないみたいだな。
「順番に整理しようか。まず、グラザにどのくらいいるか、だな」
「私は、最低でもあと一週間は欲しいわ。
今日ギルドで見た討伐依頼に参加するならもっと日数がかかるかもしれないし。
依頼から帰ってきてからも情報の整理と次の準備。それに凍りの季が近いわ」
確かにこの町にいる方が何をするにしても動きやすい。
「いま森の拠点に帰っても、あまりできることは少ないだろうし……。
季節的にもこの町にいたほうがいろいろと行動しやすいと思うの」
あの森の拠点に帰っても俺たちの目的には近づかないとは思っていた。
それに冬がくるならあそこは寒そうだし……お風呂も入れないし……。
やはり、現実的にはグラザ定住の方向性になるか。
「宿だと一泊あたり二部屋で銀貨二枚。一週間でも……宿だと厳しいな」
「今の手持ちは銀貨七枚前後。銅貨も少ししか残ってない。全然足りないわ」
「今日見た討伐の報酬が二人で銀貨三十枚。それが入ればなんとかなるけど、
それまでは宿代も払えなくなる……」
「だから別の選択肢を考えたいの」
リーネが指を立てた。
「一つ目。宿をこのまま日払いで延長する。安全で楽だけど、お金がかかる。
毎日銀貨二枚以上の稼ぎは厳しいという問題がある」
「二つ目は?」
「町のどこかに部屋を借りる。長期で借りれば日割りで宿より安くなるはずよ。
それに自分たちの拠点があれば、変身を気にせず休める。
なにより、クロとフレスも一緒にいられる」
「それは大きいな。宿だとクロとフレスが寂しがるし、長く滞在するとなると、
変身も手間になってくるしな」
「そうなの。自分たちだけの場所があれば、影収納も気兼ねなく使えるし、
薬草の調合もできる。」
「薬草の調合ができるなら、ハンナさんのところで納品もできるわ。
安定した収入が少しは期待できるわ」
「薬草販売か。それもいいな」
「でしょう。でもそれには作業場所が要るの。
宿の部屋じゃ匂いも出るし、場所もないから難しいわ」
アクロスは腕を組んだ。
「部屋を借りるとしても……、いくらくらいするのかな?」
「相場はわからないけど、今の宿に十日泊まるよりは確実に安いと思うわ」
「問題は、今すぐ出せる金が心もとないことだな」
「そう。明日からギルドの依頼もいくつかこなして、その報酬で前金を払う。
討伐の報酬が入ったら残りを払う」
「計画的だな。その智謀、アクロス四天王にふさわしい」
アクロスは偉そうに頷いていた。
「大事なことよ。魔王様が無計画すぎて放っておいたら私たちすぐ滅びそうだもの」
リーネも頷く。
アクロスの軽口に乗りながら、皮肉でやり返してくる高等テクニックだ。
「頼りになりますな……」
「もう……」
呆れながらもリーネは少し嬉しそうだ。
「あと、拠点を借りるにもいくつか条件に合うところを探さないと……」
「条件って?」
「一つ、裏口があること。何かあったときの出入りを考えると、
表通りに面してない出入り口も欲しい」
「二つ、周囲に人がいすぎないこと。大通り沿いとかで、うっかり窓から
私たちの暮らしが見られたりしたらまずいし」
「三つ、クロとフレスが一緒にいられること」
「四つ、できれば水場が近いこと。薬草の調合には水が必要だから」
「条件、厳しくない?」
全てが揃った上で自分たちが借りられるような金額の物件があるのだろうか……
アクロスは『暴虐のリーネ』の暴虐ぶりに少し戦慄していた。
「妥協したら後で必ず困るのよ。服屋の時と同じ。生活の基盤には妥協しないの」
「リーネの信念だな」
「信念は大げさよ。準備や計画は何をするにしても大事なの」
アクロスは少し考えた。
「よし。まずは明日の動きを決めよう。
朝一でギルドに行って、日帰りの依頼を探す。ギルドの近くで貸し部屋も探す。
ハンナさんにも借家のこと、聞いてみるか?」
「そうね、オルガさんたちにも会えたらいいのにな」
「そうだなぁ、商人だしな。顔が広そうだもんな」
宿の裏側からクロのわふが聞こえた。フレスのぴぃが続く。
「いつまで俺たちをほっとく気だ」と言いたげな声だ。
「クロとフレスったら。そろそろあの子たちの顔を見に行かないと。
あの二匹も拠点ができたら、もっと自由に動けるようになるわね」
「そうだな。町を歩く時にクロには町の周辺の偵察もさせたい。
道や地形を覚えておけば、いざという時に逃げ道がわかる」
「フレスにも空から町をみてもらいましょう。
グラザの全体像を把握できるかも。どの通りがどこに繋がってるか。
南区画の配置も、遠くからなら確認できる」
「そうだな。ここにも二人と二匹の拠点は、欲しいな」
窓の外が暗くなっていた。
金昏はとっくに過ぎて、月の光が通りを照らし始めている。
今夜は大月と影月が並んでいて、
青白い光と赤い光がうっすらと窓に差し込んでいた。
「相変わらず、やることが多いな……」
「ええ。でも、道は見えてきたわ。一つずつやっていきましょう」
リーネが立ち上がった。
「さ、二匹の餌を持っていきましょう」
「そうしよう」
アクロスは窓から外を見た。
他人が聞いたら、馬鹿みたいな話かもしれない。
それでもアクロスたちは、現実的な一歩を確実に踏み出していく。
金を稼いで、拠点を作って、仲間を増やして。
当たり前のことを一つずつ。
小さな日常の積み重ね、そのずっと、ずっと、先に、
あの銀の木の前で誓った景色が待っている。
難しく考えすぎず、今はそれでいい。
アクロスはそう思った。




