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第22話 月と太陽

これから昨日の残りの素材を回収しに行く。


そして出かける前に昼食だ。

魔力と体力を回復してまた森に出る。


慣れる為にリーネにはまた変身魔法をかけた。


人間の姿のリーネが、朝の煮込みの残りを温め直してくれていた。


新鮮な景色だ。


褐色寄りの肌に、銀白の長い髪。

丸くなった耳の先端から銀白の髪が一本、こぼれ落ちている。


それを後ろにかける指先までがなんだか別人のようだが、

仕草は確かにリーネのままだった。


「冷めたぶん、味が落ち着くかと思ったけど、出汁が少し強くなってるわね」


リーネが鍋の底から温まった汁ごとよそって、椀を渡してくれた。


口に運ぶと、匂いも味も、朝より一段深くなっていた。


夜のあいだ、紫キノコと草角獣の脂がじっくり溶け合ったらしい。

朝に感じた塩と果実酢の冴えはやや影をひそめ、代わりに、まろやかな旨みが舌の奥に残った。


「……朝より、うまくなってる」


一杯目はすぐになくなった。


リーネが苦笑いしながら、二杯目を取り分けてくれた。


「そんなに食べるとは思わなかった」


その横顔が嬉しそうだったのは、たぶん気のせいではない。


---


午後からやることは三つだ。


昨日、印をつけて置いてきた草角獣の残り素材の回収。


変身と影の領域の実地テスト。


そして、フレスの本格的な飛行練習。


午後の太陽が、木漏れ日を斜めに落としている。

白の太陽と金の太陽の光が重なって、地面にぼんやりとした二重の影が出来ていた。


「変身はこのまま維持して行こう。

魔力の消耗はないかもしれないが変身していられる時間制限があるかもしれない」


「そうね。わかったわ」


「今、調子はどうだ。おかしくなったらすぐ言えよ」


「まだ全然大丈夫よ。過保護ね」


「過保護じゃない。俺の新しい魔法だからな。心配ではある」


「ふふ、わかってる」


なんだかリーネの機嫌がいい。


「じゃあ、行くか」


クロが先に飛び出した。


フレスもリーネの肩からふわりと浮いて、一度小さく旋回してからまた肩に戻った。

羽ばたきの音が、昨日より力強い。


そして二人と二匹は森の中を、北へ歩いていく。


クロが五十メートルほど先行して、鼻をひくつかせながら道を確かめている。


最初の頃の草に引っかかってよたよたしていた姿が嘘のように、今は重心が低くて、足音もほとんどしない。


大きすぎた耳が体に追いついてきて、走る姿がだいぶ締まってきた。


「クロ、また体つき変わってきたな」


「私も感じてる。日に日に大きくなってるわよね……すごい成長速度」


その時、クロがぴたりと足を止めた。


鼻がひくつく。耳がぴんと立つ。


探知を展開する。


西側、百三十メートル。生命反応が二つ。魔力は薄い。普通の動物だろう。


(クロ、確認してきてくれ)


無声で送る。


クロは既に茂みに入り込んでいた。


すぐに戻ってくる。


わふ、と短く一声。問題ない、という報告だ。


「……指示が来る前に動いてたな、今」


「そうね。頼りになるわね」


小一時間程だろうか。歩いていると木々の間が開けた場所に出た。


空が、広い。


二つの太陽が、それぞれの角度から光を落としていた。


フレスがリーネの肩からすっと離れた。


少し飛んで、腕に戻る。


また少し飛んで、戻る。


さっきから、それを繰り返している。


「……フレス、頑張れそう?」


「さっきから何か試してるな、あれ。テスト飛行だろ」


リーネが少し笑った。


「そうみたい。私も感じる。フレスが落ち着かないのが絆の回路から伝わってくる。飛びたい、早く飛びたい、って」


「じゃあ、飛ばそうか」


リーネが腕を、前に差し出した。


「フレス。飛んでみて。ちゃんと空高く、ね」


ぴぃ。


フレスが翼を、いっぱいに広げた。


一度、二度、力強く羽ばたく。


三度目、大きく羽ばたいた。


するとフレスの体が、一気に高く上がった。


リーネの頭の高さを越え、木の枝の高さを越え、

森を抜けるほどの高さでフレスがぴたりと宙に静止した。


両翼を風に預け、ゆっくりと旋回している。


二つの太陽の光を受けた銀の翼が、その瞬間金色に輝いた。


白と、金と、深紫が混じり合った光が、空の青の中に浮かんでいる。


「……見て。フレスが飛んでる……すごく高い…」


リーネは両手を口に当てて、上を見上げていた。


フレスがリーネ達を見下ろしている。


深紅の瞳がリーネを見つけて、挨拶するようにぴぃぃぃ、と長く鳴いた。


ここにいるよ、と言っているような声だった。


それからゆっくりと降下してきて、リーネの腕にふわりと乗った。


「……やった。ちゃんと飛べた」


リーネがフレスの頭を指先で撫でた。


銀の羽根がさらりと揺れた。


「やったな、フレス」


アクロスもフレスを撫でた。


フレスを見るリーネの顔が、今まで見た中で一番柔らかかった。


リーネの目の縁が光っているように見えた。


「あ、泣いてるじゃん」


からかうように言ってみた。


「泣いてないわ」


「でも、目が…」


「うるさいわね、おっさん」


「確かに今は渋いおっさんだけども」


声が少し震えていた。

だが本人が泣いてないと言うなら、泣いてないことにしておく。


クロが隣でわふ、と鳴いた。

フレスがもう一度ぴぃ、と返した。


「……フレスもどんどん大きくなる。嬉しいけど最近、焦りもあるわ」


「焦り?」


「私はフレスに、追いつけるのかなって」


「俺もクロを見てて同じ気持ちになるよ。でも、その焦りは悪いもんじゃない」


「……そうね。急かされる感じはあるけど、私も頑張ろうって思える」


「それでいいじゃないか。一緒に追いかけよう」


フレスが枝の上で、翼をぱたぱたさせていた。


---


目的地に着いた。


昨日、印をつけて置いてきた残りの素材は、そのままだった。


取りこぼしの厚切り肉や皮、爪や牙など、まだ半分ほど残っている。


夜露で湿ってはいるが、まだ完全には傷んではいない。


しっかり火を通せば肉もいけるはずだ。


「よし。回収しよう」


「肉は私が見るわ。毛皮はあなたがお願い」


リーネが手早く肉の状態を確認していく。


その間に、アクロスは毛皮を畳み直した。


草角獣の革は硬くて、厚い。畳んでも結構な体積になる。


「これ全部背負って帰るとなると、なかなかの荷物になるな」


「そうよ。そこで、あなたのシャドウなんとかの出番じゃない」


「シャドウ・レルムだ。影の領域。かっこいいだろ」


「はいはい…」


リーネは手を止めずに返事だけ返した。


アクロスは膝をついて、影に触れる。


体積はずいぶんあるが、はたしていけるか。


足元の影に意識を向ける。

空間の入り口が開いた感覚。指先が別の空間に触れている感触。


「よし、入れてみよう」


毛皮を、影の中に一枚、ぐっと押し込んでみる。

スルッと何の抵抗もなく入っていく。


毛皮は影の中に消えた。


作業をしながら見ていたリーネが目を丸くした。

手が完全に止まっている。


「あっさり入ったわね…」


「そうだな…次は、取り出してみるか」


手を伸ばすと、毛皮がすうっと戻ってきた。


影の中では重さもあまり感じないが、

出てきた部分からは確かに重さを感じ始めた。


影の中では重さもないのか。

これは、時間の流れもない可能性がますます高い。


温度も形も、変わっていない。


「……状態は、変わらないわね」


リーネが毛皮の表面に手をすべらせて、確かめている。


「冷たくも、湿気が増えてもいない」


「ああ。今取り出して気付いたが影の中にある状態では重さも感じないんだ。

外に出た部分から重さは感じる。重さがないなら時間の流れもない可能性はある」


リーネが、少し感心したように息をついた。


「氷魔法でも肉や食材は長くは保てないわ。せいぜい一日二日で霜焼けになるか、味が落ちるもの」


「肉の傷み具合の実験もしよう」


アクロスは少し痛みかけた肉を、二つに切り分けた。


「片方は影の中に。もう片方は普通に布袋に入れて持ち帰る。

それで明日、傷み具合の変化を並べて見比べてみよう」


「それは、楽しみね」


リーネが小さく頷いた。


毛皮を影の中にもう一度しまう。スッと消えていく。


ちょっと感動するな。


そのまま、今の毛皮よりも大きい毛皮と残りの素材も一気に影の中に入れた。


「…おぉ?」


その時、奇妙な感覚があった。体から何かを引き抜かれたような疲労感。


「アクロス、どうしたの?」


「いや。今、大きめの毛皮と残りの素材を一気に入れたんだが…

魔力をけっこう、消費したぞ」


「入れる時に魔力を消費するのかしら…」


「入り口を開く時や維持にはほとんど魔力を使ってる感覚はないけど…。

大きいものを出し入れする時は、なんだかぐっと魔力を持っていかれる感じがした」


「大きいものや数を入れるのはやはり負担にはなるのね」


「そうみたいだな」


★3としての能力制限はこういう形で出てくるんだな。

便利魔法でも能力的限界のことは常に考えていかないとな。


リーネが、一度頷いてからふっと付け加えた。


「でも人目に出したくないものや大事なものを盗みや紛失することなく

保管できるというのはすごく重要よね」


「旅や町では、それが一番大事かもな。奪われる心配がないってのはすごい」


「私もそう思うわ」


残りの肉も影の中に詰めていると、フレスが木の上でしきりに首を動かし始めた。


「フレス、どうした? 何か見つけたのか?」


ぴぃ。


リーネが目を閉じる。


絆の回路で、感覚を受け取っているのだろう。


「……北西に誰かいるみたい。人型ね。座って動いていないわ。

森の外れね。おそらくただの旅人が休憩しているだけと思う…」


アクロスも探知魔法に集中する。が、わからない。範囲外だ。


「だめだな。俺の探知では全くわからない」


「フレスの感覚を受け取らないと、私も何も感じないわ」


「今は近づくのはやめておこう。素材の回収と魔法の実験が目的だしな」


「そうね」


フレスが、木から降りてきてリーネの肩に戻った。


「フレスの見える範囲、相当広いわ。

地上からじゃわからない角度から見てくれてる」


「地上の探知と空からの視界は別ものだ。

重ねれば死角が無くなる。フレス。お前も頼りになるやつだな」


フレスが、ぴぃ、と少し得意げに鳴いた。


---


素材回収の帰り道。


変身を維持したまま、もうすぐ半日が経とうとしている。


西に回った金の太陽が、長い影を作っている。


木漏れ日が斜めになって、足元の草が夕方の色に染まっていた。


「リーネ。魔力の消耗はどうだ」


「……私自身の魔力の消耗はないわね。この姿にも慣れてきたわ」


「あとはどれくらいの時間変身がもつのか…だな」


「そうね。とりあえず今日は寝る時もこの姿にしましょうか」


「これで寝ている時も変身が解けないなら外での心配ごともかなり解消される。

それが確認できたら、明日から人間の姿で森の外を出てみようか。

近くに小さい村や宿場があればいいな」


「……いよいよね」


フレスが頭上をゆっくり周回している。

随分慣れたようだ。立派な、警戒監視役。


羽ばたきがすっかり安定していた。


「今日だけで本当に変わったな、フレス」


「そうね。朝とは別の子みたい」


リーネが空のフレスを目で追いながら言った。


「絆の回路から伝わってくるものも変わったの。緊張してたのが飛び始めてから、

すっと落ち着いた。自分の場所が見つかった、っていう感じで喜んでる」


「自分の場所?」


「そう。あの子にとっては空が自分の居場所よ。地上よりずっとのびのびしてる」


まあ、鳥だからな。

なんて無粋なことを言うと怒られそうだ。


クロがいつの間にか足元に並んで歩いていた。


頭がちょうど膝の高さに届いている。


「……お前もでかくなったな」


わふ。


誇らしげに胸を張っている。


夕光の中で漆黒の毛並みに、黒紫がじわりと浮かんで見えた。


しばらく二人とも黙って歩いた。


「……ねえ、アクロス」


「ん」


「今日、フレスが飛んだのを見てすごく嬉しかった。

あの子が自分の翼で、高く、空に上がるのを初めて見たの」


「あいつは、お前の目になるために生まれたんだ」


「わかってる。でも……嬉しかったわ」


声が少し小さくなった。


「ああ。そうだな。大事な相棒のことだからな」


「うん」


アクロスは多くは言わなかった。


多くの言葉より、ただ受け止めて隣を歩く。


木漏れ日が二色に揺れる中、二人と二匹が歩いていく。


やがて拠点が見えてきた。


石壁の建物が木々の間から姿を見せる。

窓の隙間から光る苔の紫が、ぼんやりと漏れていた。


帰ってきたと思う。


それだけで少し肩の力が抜ける。


収納から毛皮を取り出して棚に並べた。

布袋の素材も整理する。


魔核。毛皮。骨。角。爪。


グラザに行けばこれが全部、お金になる。

少しずつ先が見えてきた。


リーネが焚き火に薪を加えた。


クロが石の床の定位置に前足を組んで伏せた。


フレスがリーネの腕の上でまた翼を小さく広げて、何度も畳んでみていた。


さっきの飛行を反芻しているのか、何度も、何度も。


「フレス、すごかったな。今日」


ぴぃ。


翼がふわりと、一度広がった。


銀の羽根が揺れて、また畳まれた。


もうここには、掌に乗っていた雛の面影はない。


「……負けてられないな」


クロが、わふ、と答えた。

フレスが、ぴぃ、と続けた。


「あなたはもとから負けてないわよ」


リーネが薪をくべながら言った。

焚き火の炎が一段大きくなった。


「……そうかなぁ」


「そうよ。ただ気づいてないだけ」


夕暮れの光が石壁に当たって、長い影を伸ばしていた。


---


リーネが朝のうちに仕込んでいたらしい草角獣の塊肉を壺から取り出した。


塩と果実酢を揉み込んであった肉を平たい石の上で丁寧に焼いていく。


脂がじゅうじゅう、と音を立てて香ばしい匂いが広がった。


仕上げに少しだけ蜂蜜を垂らす。


甘い香りが塩の匂いに、ふわりと混ざった。


「相変わらずうまそうな匂いだな」


「もうすぐよ。食べられる野草も付け合わせにするから待ってて」


リーネが並行して葉ものを刻んでいる。


塩と果実酢で和えたものですっきりとした清涼感がある。


受け取ってひと口。


「……うまい」


「うまい、ばっかりね。もう少し他の言い方はないの?」


「…本当にうまい」


「まだ何か足りないわね」


「俺が今まで食べた食べ物の中で、一番うまい」


「それ、なかなかいいわね」


リーネが笑った。


蜂蜜の甘さと塩の旨みが重なって、

脂がまろやかで、薬草の清涼感が後から来る。


うまい。うまいんだからうまいでいいだろ。

と内心思っていた。


クロが食器の前でじっと待っていた。

フレスはリーネの腕に乗ったまま、匂いの方向に嘴を向けている。


「はいはい。分けてあげるから並んで待ってなさい」


二匹分を取り分けて、焚き火を挟んで座った。


食べながら空を見上げると、三つの月が昇り始めていた。


青白い大きな月が先行して、赤みがかった小さな月が二つ、それを追っていく。


石壁の建物に三つの月影が重なって、地面に複雑な光の模様が出来ていた。


「なあ、リーネ」


「なに」


「この世界の暦ってどうなってるんだ。日にちとか、季節の数え方とかそういうの」


リーネが少し考えるような顔をした。


「……また、変なことを聞くのね」


「変じゃないだろ。俺、まだこの世界の基本がよくわかってないんだ」


「まあ……そうね。教えてあげる」


リーネが器を置いて、少し話す態勢になった。


「まず、一番わかりやすいのは日の巡り。この世界は八日で一週なの」


「八日? 俺の世界では七日だったよ」


「そうなの……」


「八日っていうのは八属性から来てるのよ。

炎の日、氷の日、風の日、土の日、雷の日、水の日、光の日、闇の日。

この順番で一回りするの」


「属性の名前が、そのまま日の名前になってるのか」


「そう。魔導士からしたら属性なんだけど、魔法が使えない人達含めて一般的には、八元素って呼ばれているわ。八元素がこの世界を形作っているというのが常識ね。

町では日によって習慣があって、土の日には市が開かれるところが多いみたい」


「じゃあ、グラザに入るなら土の日を狙った方がいいのか」


「人が多いほうが、紛れやすいとは言えるわね。

あと、光の日は人間達が礼拝を行う聖日みたい」


「闇の日は?」


リーネが少し間を置いた。


「人間社会では忌み日とされてる。不吉だって、嫌う人が多いの」


「そうなのか」


「でも、魔族にとってはご先祖を祀る大切な日なの。

うちの集落でも、闇の日の夜は銀の木の前に灯りを灯して、父と二人で祈ってた」


「……へぇ、興味深い話だな」


リーネの目が少し遠くなった。


そのまま続ける。


「月の数え方は、あの三つの月から来てるの」


リーネが空を指した。


「あの大きい青白いのが大月。一番ゆっくり動く。

月自体も回転していると言われてて、ひと回りに三十二日くらい。

これが一月の暦の基準よ」


一ヶ月は三十二日ということか。


「赤い方の二つは?」


「小さい二つが紅月と影月。

紅月が十六日くらいで、影月はもっと速くて十三日くらいでそれぞれ回るの。

農業や漁をやる人は、紅月で季節の変わり目を感じ取るし、魔導士は影月で魔力の高まりを読む人もいる」


「三つの月が同時に、全部満月になることはあるのか?」


リーネが、少し目を見開いた。


「……三重満月のこと? 知ってるの?」


「いや、理屈として聞いただけだ。

月の回転周期が全部違うならたまにそういうことも起きるだろうなって」


「たまにあるわ。年に一度くらいね。

三つの月が同時に満月になる夜のことを三重満月と呼ぶの。

大月と紅月は月に一度は重なるわね。それが二重満月」


「三つの満月が起きる時には…何かが起こるのか?」


ちょっとわくわくしながら聞いてみる。

ファンタジー世界ならそういうことも全然あるだろ。


「起こるわ。三重満月の夜は特に魔力が高まるの。

普段より魔法が通りやすくなって、集落でもその夜に大きな術を行うことがあった。

あと……」


リーネが、少し声を落とした。


「魔物が活発になる。深夜に出歩くのは危ないわ。

次の三重満月までまだ先だと思うけど、意識しておいたほうがいい」


「そうか、覚えておく」


三重満月。覚えておこう。俺にはわかる。いや誰でもわかる。

これはもうフラグだろ。絶対何か起きる。


「あと、月同士の距離も変わるの。だからたまに月が二つしか出ていない夜もある。

そういう日を魔族では『月が飲まれる夜』って言って、よくないことが起こる日と考えてるわ」


月同士で重なって見えなくなる夜があるんだな。

位置関係があるなら、この世界でも宇宙という概念が存在しているのだろうか。


「一年の長さは?」


「大月十二回と少しで一年。

最後に整え月っていう調整の月が一ヶ月入って全部で十三ヶ月。

だいたい、四百十六日くらいよ」


四百十六日。長いな。


地球の三百六十五日より、ずいぶん長い。

あまり深く考えるとしんどいから考えないけど、こりゃ一日も二四時間じゃないな。


「季節は?」


「四つあるわ。芽吹きの季、盛りの季、実りの季、凍りの季。

それぞれ三ヶ月ずつ。今は、ちょうど実りの季の終わりごろね」


「実りの季……」


これは秋だな。もうすぐ冬ってことか。


「そう。あと一ヶ月もすれば凍りの季に入る。

北は雪が深くなるから移動が難しくなるわ。この辺りでも少しは積もるかも。

だからグラザへ行くなら、あまりのんびりはしてられない」


ちゃんと時間の制約があるんだな、と改めて思った。


「そういえばリーネ。集落が焼かれたのはいつ頃だ」


リーネが少し目を伏せた。


「……今から、ちょうど一月くらい前かな」


「そうか…」


「あてもなく逃げてた。それで、森であなた達と出会った」


リーネが器を両手で包んで、焚き火を見た。


一月は短いようで、リーネにとっては相当に長い時間だったはずだ。


「年号はどうなってる。今は何年だ」


「人間社会では王暦を使うの。今の王朝が始まった年を一年目として数える。

今は……王暦百四十年のはずよ。

アルセイド王国の暦だけど中央回廊でも、概ねそれが使われているみたい」


「魔族は?」


「魔族は魔暦を使う人もいるけど、あまり一般的じゃない。

集落ごとに独自の数え方をしてるところもある。正直、人間ほど統一されてないわ」


「へぇ」


「大きな暦を管理してたのは、魔王府の機能だった。

でも一般の魔族はあまり気にしてなかったし、それに魔王府も半年前に消えたから」


それもまた魔王不在の影響なのか、と思った。


「時間の呼び方はどうだ。朝の何時、みたいなやつ」


「太陽の位置で呼ぶことの方が多いわ。細かい時刻は高位の魔導士とか学問所好きしか気にしないの。白の太陽だけ昇ってる頃が白晨。二つが並ぶ真昼が双昼。

金の太陽が沈むと金昏。それから夜になって月が高くなってからは、

月中って呼ぶことが多いわ」


「双昼の前後、みたいな言い方でいいのか」


「だいたい、それで通じるかな」


「なるほど」


アクロスは、頭の中でいくつかの情報を整理した。


今は実りの季の終わり。

凍りの季が来る前にグラザに入りたい。


思ったよりこの世界の暦はきっちり決まってるんだな。


正直、めちゃくちゃややこしいけど仕方ない。


頭を掻きながら、考える。


曜日的な日が魔法の属性と結びついていて、

月が魔力に影響して、季節が行動の制約になる。


「ありがとな、リーネ。助かった」


「あなたの世界でも、暦はあるんでしょ?」


「……俺のいた世界とは全然違ってて、頭が痛い」


「……そうなの? どう違うの?」


「また話すよ。違いすぎて驚くぜ」


リーネが少し考えるような顔をしてから、短く頷いた。


「……楽しみ。私、あなたの世界のこともっと知りたいから」


それだけ言って、リーネは器を持って片付けに向かった。


その後ろ姿を見ながら、アクロスは焚き火の明かりの中でぼんやり考えた。


自分がこの世界のどの時間の中にいるのか、少しだけわかった。


クロが膝の上に顎を乗せた。


フレスがリーネの戻る方向を目で追っている。


三つの月が少しずつ高くなっていく。


明日からは、月と太陽の見え方も変わるだろう。

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