五話:対象A
車はほどなくして第三地区の関門を通過する。
しかし少女の手は未だボーディの手を握っていた為、車から降ろせない。体温は徐々に回復してきてはいるものの、早いところ仕事を終えてしまいたいのも二人の本心である。
「もうよーござんすか、坊ちゃん。いつまでイチャイチャしてんだ」
「そう言うなら手伝ってよ。こっちだって……好きでやってるわけじゃない」
「ったくしょうがねぇ」
文句を垂れながら車からリンクスが降りる。その時、今回の任務を腹痛でキャンセルした大男が全速力でこちらに走ってくるのが見えた。よほど会いたかったのだろう。ボーディはその男、トーマン・ムカイに対して心の底から同情した。
「リンクスーッ!無事だったんだな!?お兄ちゃん心配したぞ!本当に、本当にすまなかった――」
勢いよく頭を下げるトーマン。それを真正面からアッパーが迎え撃った。ゴッ、という骨のぶつかり合う音が車内にも届く。ダウンを取れなかったのは、流石のタフネスと兄貴分魂というヤツだろう。心底どうでもいいが。
「腹痛野郎が随分元気そうじゃねーの。腹痛いんだろ。出せよ。ギンピ・ギンピ塗り込んでやるから」
「すまん!一生の不覚だったんだ!許してくれとは言わん!気の済むまで殴ってくれ!」
何の躊躇いもなく右ストレートが決まった。今度こそ完全ダウン。リンクスにそれを言うのは、草食獣が自ら身を差し出すのと同じなのに。
何事もなかったように後部座席の扉を開け、申し訳なさを感じつつも2人掛かりで少女の手をほどく。「んっ」と顎で指示を飛ばされたという事は、お前が持てという事だ。
どうして今しがたまで手を握られ動けずにいた人間へ持たせるのか。納得はいかなかったが、これ以上時間をかけてはこの少女の容態も変わってしまうかもしれない。今は遅れてしまった分、急ぐ方が賢明だろう。
腕の中の彼女はまだ眠っている。
それでもその指先だけが、何かを探すように、微かに動いていた。
「今更だけどさ。医療班に来てもらえば良かったね」
「駄目だ」
「何で?」
「あそこはほぼ第一と第二の優等生達で管轄してる。勉学大好き優等生達が、立入禁止区域に現れた保護対象を、はいそうですかって受け入れるわけがねぇ」
「流石に偏見が過ぎるよ。僕らだってお世話になってるじゃないか。あの人達だって医者なんだし」
「医者の前に人間だよ」
立ち止まり、リンクスは少女を見る。先程まで人を殴り飛ばしていた拳とは思えないほど繊細に、少女の頬にあてがった。
「――ずっと、一人だったんだ」
ぽつりと、それだけ言った。
彼女の顔は憐れんでいるようにも見える。それは少女に向けてなのか。自分になのか。ボーディには知る由もなかったが、そんなリンクスが少しだけ近い場所にいると感じてしまう自分はズルい奴なのだろう。
「まぁ、最後まで仕事しなきゃ金にならねぇし。あたしは嫌だぞ。金も出ない仕事の報告書と反省文なんか」
「……だから、全部自業自得だって」
こめかみの辺りを小突かれる。相変わらずのニヤケ面。一度くらいはやり返してやりたい。
いつか……いつかだ。
◇
地底の中にある割には小綺麗な、形だけ病院を真似た白一色の一本道を再び歩き出す。第二地区医療センターは流石にコロニー最大規模なだけあって地上のそれと遜色無いらしいが、ここ第三地区はまるで違う。通路沿いに並ぶ扉の向こうからは大いに賑わう声が聞こえてくるし、アルコールはアルコールでも酒の匂いが漂ってくる時だってあった。ほら、煙草の煙も。本当に治療が必要なものは別棟へ運ばれる為、本館は無法地帯だ。
人間慣れとは恐ろしいもので、日常的に経験していると気にならなくなってしまう。或いは無関心にならざるを得ないのかは定かじゃなかった。揉め事の類もそう。少なくとも隣で口笛を吹いているヤツと行動してからは見慣れてしまったのだから、ボーディ自身、もうそんな些末事は覚えていない。
「よぉ!お前ら仕事帰りかぁ!」
「おー」
通路の向こうからは二人組の男が歩いてくる。第二地区所属のゴールと、それに付き合わされたのだろう同じ第三地区所属のジェイクだ。ジェイクはまだしもゴールの方はボーディ自身接点が少ない。無意識のうちにリンクスの背中に回り、身を隠してしまう。それがおかしかったのか、ゴールはつるりとした禿げ頭を撫でながら豪快に笑った。
「何だボーディ!男ならドンと胸張ってみぃ!まぁこんなナリじゃビビっちまっても仕方ないがな!」
「やめろゴール。気にする奴もいる」
「そういうこった。こいつはこいつで成長中なの。あんまり押し付けてくれんなよ」
「ほー……お前達が言うんじゃ仕方ねぇ。特にリンクスには、またぶん殴られたくねぇしよ!うはは!」
さっさと終わってほしい。人に指摘されるのも、庇われるのも、どちらもウンザリだ。
今リンクスの後ろに隠れている自分の姿が、余計にそう思わせる。
「悪いな、ボーディ。こういう奴だ。気にするな」
「……別に。本当だし」
ふと、腕の中の少女が動いた。毛布がずれ、少女の顔が露になる。浅く短い呼吸はどこか息苦しそうだ。ここまで時間を掛けてしまったし、もしかしたら状況は自分達が考えていたよりもずっと重いのかもしれない。
「リンクス、早く――」
時間が止まる。さっきまでの喧騒が、嘘みたいに消えた。
ゴールも、ジェイクも、ボーディが抱えた少女を見ている。
無理矢理にでもその眼を向けさせられているかのように、小刻みに震えながら。
「リンクス……ボーディ……」
ジェイクの声は怯えていた。いつだって冷静で、大人で、何度も自分たちの尻拭いをしてくれた彼が。
――一歩、後ずさった。
「テメェら――何を拾ってきやがったッ!」
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