三十四話:僕と君の距離
静かな室内だった。身体が温かい。若干頭がクラクラするが、それでも指は動かせる。足も。毛布の重さが心地良い。もう少しだけこうしていたい……だというのに。
額の上に手が乗せられ、そのまま頭を僅かに揺らされる。止めてくれ。まだ本調子じゃないんだ。
それに、どうにも顔のすぐ近くで、誰かの息遣いを感じる。リンクスはあり得ないだろう。このふざけた距離間で子供扱いしてくるのは、間違いなくトーマンの仕業。何だってんだ、いつも。
渋々と言った様子で、ボーディは眼を開ける。
と、同時に、サラリと白い髪が顔を覆う。
少女と自分の鼻が触れ合った。
吐息が微かに口元に掛かる。
視界いっぱいのライラックピンク。
胸の上で指が、きゅっ、と服を握る。
……息、って……どうやるんだっけ。
―—沈黙。
心臓の奴だけが、やたらと煩い。
頼む、落ち着け、止まれ。いや止まるな。
何か……何か、言わ、ないと。
「——起、きて、ます」
ブッ、と噴き出した連中が居た。
誰かは見えないが、少なくともよく知ってる二人分。クソが。
虫の羽音のような、妙に甲高い声。自分の口からこんな音が出るとは思わなかっ――いつまでアイはこの距離で止まってるんだ。
「起きたかボーディ!本当にお前はどこまで心配させるんだ!今回ばかりは死んだかと思ったぞ!?」
「この坊ちゃんが簡単にくたばるタマかよ。寧ろ、予告も無しに死にかけたのはこっちだっつーの」
それは本当に悪かったと思ってるし、ちゃんと謝るつもりでもいる。
だからアイをどうにかしてくれ。
「で?これからどうする?取り敢えず今日は第三地区に戻るとして……人員配置に変更が出るのは否めないよな」
「後で考えりゃいいだろ。左手もまだ使い物にならねーしよ。ブリキぐらいなら直せるけど、流石に休み欲しいわ」
「だな。折角だ、この機会にちょっとでもエリオラさんの事探してみるか。なぁボーディ!」
それもちゃんと説明する。本当に助けてくれ。
自分で動かすとなると、なんか、近すぎて事故が起こりそうなんだよ。この子が見えてないから、逆に何をしてくるかが本当に分からない。
「……ア、イ。もう、はなれて、いい……よ?」
もう一度、ブッ、と吹き出した声が二つ。暴れるぞこの野郎。
鼻が触れたまま、小さくコクリと彼女は頷いた。
口までもが当たりそうで、心臓は破裂しそうな程に鼓動の速度を増していた。なんか、ようやく、呼吸を許して貰えた気がする。
離れてくれた彼女から視線をずらし、そっぽを向いた二人組を精一杯睨んでみる。否……それしか出来ない。
「じゃー小僧も起きた事だし、帰るぞー。くふっ……」
「だなー。詳しくは帰りの道中で聞かせて貰えればいいもんな……んふふっ」
「……覚えてろよ」
そんな捨て台詞を吐き捨てた自分の顔は、嫌と言うほど熱かった。
医療センターを出た四人は、第二地区産業エリアを抜け、薄暗い照明の照らす貨物エリアにいた。
ここに来るまですれ違う住人から、時折視線が飛んで来る事もあったが……それが自分と彼女、どちらに向けられていたのかは分からない。
少なくとも、右腕が彼女の身体に密着している今、それを思考できるほどの余裕は無かった。何か気を紛らわせるような……そうだ、リンクス。彼女に謝らなければ。
「あのさ、リンクス!」
「んだよプレイボーイ」
「はっ!?ち、ちがっ……!いや、そうじゃなくて……さっきは――」
がっ、と頭に手を置かれ、乱暴に撫で回された。癖毛の髪が更に酷い事になり、巻き添えを食らったアイの頭が軽くぶつかる。
文句を言おうとすれば、リンクスは顎でアイを指す。ぴんと立てた人差し指を口へ当て、にっ、と笑ってさっさと行ってしまった。
自分が起きるまでの間に何があったのかは分からないが、アイは何も知らないんだろうか。リンクスが何も言わず、ここで内緒だと言うのなら……また今度二人になったタイミングでも謝ろう。
「で?エリオラさんへの鍵を見つけた弟よ。その鍵とやらは何なんだ?」
「そもそもなんだって急に見つけたんだよー」
「それが……まぁ……色々あって……ドリスって言うロボットから聞いたというか……」
「Doll-isが?」
そう言ったのは、アイだった。
「知ってるの?」
「……忙しい時は生活の手伝いが出来ないからって、エリオラが作ってくれたんです。私の、もう一人の家族?みたいな――生活支援アンドロイド、でした」
ボーディは首を傾げた。それに対して、リンクスとトーマンが更に傾げる。
誰が、誰の、何だって?
「……生活支援って、武器とか使うの?ガトリング砲とか」
アイは首を横に振る。
「じゃあ、大きかったりした?八……か、十メートルくらい」
「えっ……お部屋に、入らない……です」
「リンクスよー。ボーディおかしくなっちまったぞ。揺らし過ぎたろー」
「お前の普段からの積み重ねだろうが。もしくは最初からキラキラの素質があったか」
「そんなんじゃないって!とにかく、僕が見たドリスはそうだったし、そいつから聞いたんだよ!エリオラさんが……コールドスリープを使ってたって」
その言葉に、二人は押し黙る。
ただ隣から、本当に小さな声で、えっ……と聞こえた。
「……アイ。ドリスの言葉を信じるなら、多分エリオラさんは、君が知ってる姿で――」
カタン、と。
どこかで音がした。
トーマンとリンクスが銃を抜き、辺りを警戒する。
アイがハッとした顔を浮かべ、辺りを見回している。
「——エリオラ?」
腕が離れる。
彼女は前に飛び出し、尚も大切な人の名前を呼び続けた。
「エリオラ……どこ?私、エリオラに、ずっと言いたい事があって……居るんだよね、エリオラ!ごめんね……ごめんねっ、エリオラ!だから――!」
眼が見えないと言うのに、彼女は辺りを必死で探す。
足を取られて転んでも。コンテナにぶつかっても。それでも立ち上がって、言葉だけは止まらなかった。
―—見て、られない。
親に置いて行かれた子供のように、その言葉の全てに胸を締め付けられる。
トーマンとリンクスが、流石に見かねてアイの元へ駆け寄った。
続こうと足を踏み出し、止まる。
深呼吸……そうだ。違う。
自分の、やるべき事は――。
「……エリオラさん。居るなら聞いて欲しい。僕は……」
歯を、確りと食いしばる。
「——グレイグ・バーンズを見た」
ぎゅっと眼を瞑る。何が来ても良いように、こめかみに力を入れ、瞼の裏がじんじんする程に、強く。
……何も、起きない。
恐る恐る眼を開く。アイが変わらず、エリオラさんを探していた。それにリンクスが寄り添って、何か言って――あれ。
何で……聞こえない?
ふと視線を感じて顔を上げる。
そこには第三地区と変わらない岩天井が……いや……赤?
眼と鼻の先に、ガーネットがふたつ、突然現れて。
「——あっ」
それが瞳だと気付いた瞬間、地面に叩きつけられていた。
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