三十一話:Doll-is
掌がじんじんと痛む。ガラスで切ったらしい。
そうか、今、腰が抜けたのか。
『ニューロン識別番号:F037590。個体名称:ボーディ・クルス。あなたに訊ねたい』
「ボーディ!」
ダンパーの声がする。どこか遠くから。そんな気がした。
一定間隔で鳴る低周波の駆動音が、この機械生命体の鼓動にも聞こえる。
そして、こいつは今、自分を名指しした。ニューロン識別番号……かつてアイの言っていたそれは、奇しくも〈アルバトロス〉の言っていた個体識別番号と同じで。
赤い光が室内を照らし、無機質な声は淡々と告げる。
『先ほども言ったように、こちらに敵意はありません。彼には事実の確認を行いたいと考えています。どうか、この場は彼と二人にして頂けませんか』
「……それを信じられるほど、俺達は禁忌を受け入れられてねぇ。そいつは家族だ。置いてく事は出来ん」
『ジェイク・マグナス。あなた方の世代がそのような反応を取る事は、至極真っ当な理由でしょう。しかし判断は感情的に動かない方が上手くいく、とも考えます。後悔を積み重ねますか?』
「ッ……お前——!」
「ジェイク……大丈夫」
ボーディの言葉に、ジェイクは踏みとどまる。
怖い物は怖い。が、それでも今は嬉しかった。ジェイクがそんな風に考えてくれていた事が。真っ先に沈黙の堰を崩してくれた事が。それだけで、ほんの少しだけ、頭が回ってきたようにも思える。気のせいだったとしても、今はそれでいい。
「するよ。君と、話。だから皆は、一旦戻ってくれる……?」
「……機械野郎。そいつに手を出したら、センターホールに叩き落す」
『約束しましょう』
大人達は、後ろ髪惹かれる思いで一度部屋を後にした。ふぅ、と深呼吸をしたボーディは、そのまま赤い光に向き直る。
『聡いのですね』
「そんなのじゃないよ。それで……君は?良ければ、名前を教えて欲しい」
『構いません。私は第三世代自律式AIを搭載した最後の機体。個体名称は〈Dool-is〉』
「ドリス……何が聞きたいの?」
『端的に言います。あなた方の保護しているアイ・バーンズ……その第六世代の本格起動をこちらで確認しました。あなた方は彼女を――対アンドロイド用の兵器として確保、運用を行ったのですか?』
「そんなわけないだろ!」
反射的にそう叫んでいた。
「僕達は、あの子の中に居た存在を知らなかったんだ!秘密があるって薄々感じてはいたけど……でも、その機能やAIだったなんて事実は初めて知ったんだよ!」
『その問いに対する信憑性は限り無く低いです。理由として、あなた方コロニーの人間は、既に禁忌と呼ぶ技術を管理下に置き、運用している』
「何の話だ!」
『〈アルバトロス〉――元はHopes & Technology社が技術と資金を提供し、楊 浩然によって作られた、第二世代自律式AI搭載式のコンピューターです。アイを発見したのも、彼が組んだプログラムの演算結果によるものでしょう。それを用いれば、第六世代の事を知るのは容易だった筈』
「……本当に、知らなかったんだ。仲間が最近になってようやく疑ってたくらいで……あのコンピューター、いつも言葉足らずで、何か気味悪いんだよ……アイを見つけた時だってそうだった。ママ、って――」
『奴がそう言ったのですか』
ゾッ、とした。背中の冷や汗が止まらない。
感情なんかあるわけ無いのに、その声には疑問と憤りが同時に交じっていたようにも聞こえた。
『……あなたの証言を一旦受け入れましょう。それを仮説としたうえで、問います。では何故、第六世代が起動したのですか。彼女の身体に大きな負担が掛かるというのに』
「あの子が……自分で決めてくれたんだ。この場所に居たいって。自分だけ怖がって何もしないのは、ダメだからって……そう言って、繋いだんだよ」
『自らの意志で決めたと?彼女が?』
眼を瞑るかのように一度単眼の光は消え、じんわりと火が着くように再度点灯する。その光は今までの物よりずっと色濃く眩しくて、何か意志のようなものを秘めているのではないかとすら思えた。
『……先程の警告に変更はありません。ですが、状況はどうやらこちらが思っていた以上に急を要するようです』
「ど、どういう意味……?」
『すみませんが、私からは早急にエリオラを見つけて下さいとしか言えません。彼女は自らの罪を清算する為に、半ば暴走のような形で、今も単独行動を続けています』
「ちょっと待ってよ!こっちはエリオラさんの顔も、今の姿も知らないんだ!」
『何も変わっていません』
「……はっ?」
静かな大ホールに、真実が告げられる。
『エリオラは――アイと共に、コールドスリープを使っています』
突然の情報に思考が止まる。
彼女は……何だって?
『彼女はアイ・バーンズよりも先に目覚めました。単独行動の意図は理解出来ません。ただ、こちらが保有している情報を基に考えれば、光学迷彩を用いて、姿を消しながら行動をしている筈です』
「……ま、待って、情報が――それに、何だよ光学迷彩って……それじゃまるで、あの時の……」
『心当たりがあるなら話は早い。見えない人間と接触したのなら、エリオラである可能性が極めて高い』
「待てって!情報を一気に言われたって、こっちはまだ呑み込めていないんだよ!そもそも……アイは、自分がエリオラさんの人生を壊したって、苦しんでたんだ。なのに何で、エリオラさんが……」
『アイはそんな事もあなたに言っていたのですか。ボーディ……あなたには個人的興味が湧きました。もしエリオラに会いたい時は、確りと歯を食いしばり、こう言って下さい――〈グレイグ・バーンズを見た〉——と』
赤い光は消える。言いたい事だけ好きに言って、最下層に帰ろうって、そんな一方的な話あるか。
「待てよッ!」
『私からあなたに言える事はこれだけです。第六世代が動いてしまった以上、アイは本当の記憶を思い出していくでしょう。N.E.E.Dは彼女の精神安定装置。言わばセーフティなのです』
「待てってば!」
『ボーディ……彼女の傷、悲しみ、奥底のどす黒い何かは、我々AIには理解出来ません。ですが、どうかアイを離さないで下さい。彼女が――実の父が生み出した、妄執の果てだったとしても。では、またお会いしましょう』
「ドリスッ!」
天井から幾つかの岩が降って来る。チェーンの音もだ。恐らくアンカーのようなものを刺し、釣り下がっていたのだろう。それっきり、ドリスの声や駆動音が聞こえなくなった。
〈アルバトロス〉の真相。思わぬところから来た、エリオラ・ガーネットの情報。グレイグ・バーンズ。N.E.E.Dと、本当のアイ。頭が痛くなってきた。
「……何だよ。勝手なんだ、皆……クソッ!」
拳を固く握れば、ズキンと痛みが走った。ガラスで切れた傷口がぱっくりと開き、血が流れている。心臓が音を鳴らす度、同じリズムで手が痛む。それが逆に頭を冷静にさせた。
……アイの、本当の記憶。分かった事と、分からないままの事。
自分はどうして、彼女の側に居たいと思っているのか。彼女と接する事で、何を見出したい。言葉に出せれば楽だろうに、どうしてもつっかえて言葉にならない。自分はこういう人間なのに、どうして皆、アイを任せようとするんだよ。
大きく深呼吸をする。ドリスの言葉が、離れない。
『グレイグ・バーンズ』——これが、妙に不愉快でザワつく言葉にも思えた。
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