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ブリキのアイ  作者: 桐丹穂
ガーネットの章
20/24

十七話:dirty work

「あー……染みるー……」


 植物園での一件後、アイの手を繋ぎながらリンクスは自警団用の大浴場に浸かっていた。何ともじじ臭い声を出したリンクスに、アイは小首を傾げる。


「しみる……怪我、したんですか?」

「ちがうぞー。こうして手足伸ばして風呂入るとさー。めっちゃ気持ちーわけよ。したら勝手に出る」

「……しみるー」

「おー、そうだー。しみるー」


 泥塗れの水浸しになった事で急遽使わせて貰う事になったわけだが、一人高所で設備を弄り回していたリンクスだけは実質的なただ風呂である。何とも得した気分だった。今頃男連中は――まぁ、あのオカマも優しいから、半殺しで済んでるだろう。知らね。


「お嬢、どうだったよ。楽しかった?」

「……凄く。初めての事だらけで、色んなものを触れて。それに――ふふっ。内緒話も、出来ました」

「そいつぁよーござんした」


 ボーディのあの反応を見ればおおよそ想像もつくが、折角アイが特別感に浸っているのならそれを台無しにする必要もない。それよりも貴重な休暇が今日で終わってしまう事の方が、リンクスにとって一大事だった。その大事な大事な時間すら、昨日は糞虫のせいで台無しにされたのだから、やっぱり殺しておけば良かったとも思う。


「なぁお嬢。あたしら、明日から仕事に戻んなくちゃいけなくてさー。昨日今日みたいに、一日一緒ってわけにはいかなくなっちゃうんだよ」

「……大丈夫、です。そこは、なんとなく、分かってたので」

「でもエリオラさん探しを断念するわけじゃないかんね。寧ろここからが本領って言うかさ。ぶっちゃけ職権乱用するつもり満々だから、すぐ見つかるんじゃねーかな」

「……難しい言葉ですけど、それ……響きが、何か」

「おー。悪い事かもよ?」


 アイは首をブンブンと横に降った。髪から垂れる雫が飛んできて、まぁ冷たい。

 良い子ちゃんなようで、それだけは断固としてしないでくれとの事らしい。ボーディの奴もそうだが、どうにもこの年頃は冗談が通じない。或いは自分のナリがやりそうに見えるのだろうか。いや、盲目だったわ。

 否定はしないし、リンクスは少しおかしい気持ちになった。


「やらねーよ。それやったら、お嬢だって目を付けられちまうんだから」

「……冗談に聞こえなかった、ので」

「こりゃ失礼」


 ほぅっ、と息を吐きながら深く湯船に浸かる。なんだか変な気分だった。今までは一人でぼんやりこうしてるか、それなりに付き合いの長いおばちゃん組の世間話にあーだこーだと付き合う位で。年下の妹分みたいなのが横に居て、手を繋いで、別に多い会話をするでもなく、こうして過ごす。アイは初めての事だらけだろうが、自分だってエラそうなことは言えなかった。


 あの日、最下層の禁忌エリアでアイを見つけた――あれから何もかも始まった。

 ジェイクとドンパチやりかけて。数年ぶりに仕立て屋へ行く羽目になり。今日はただ草花に水をやって、風呂に入る。あぁ、そうだ、ブリキだって動いたんだ。あれの調整もしなければならない。何だ、まだまだ退屈はしなさそうだ。


「リンクス、さん……」


 アイが弱弱しい声で呟いた。何かと思えば、こっちを見ていて。


「……私の事。怖く……ないですか?」


 そんな事を聞いてくる。なんて顔してるんだか。


「リンクスさんが、一番最初だったって、パフィさんから聞きました。皆が近づきたくない、一番下の危ないところで……私を見つけたのが」

「おー。そうだったかもなー」

「怖く、ないんですか?もしかしたら――禁忌、って言うものかもしれないのに」

「知らねーもんは怖ぇーかもなー。でももう知ってるから」


 また、小首を傾げる。成程、こりゃ確かに小鳥だ。癖ついてんな。


「あのままほったらかしにして、第二地区の連中が回収してたら、よく分からん子供が見つかったって話になって、おーこわ……ぐらいに思ってたかもしれないけど。少なくとも自分の事を不安がってるだけのお嬢ちゃんだって分かってるから、別になーんも怖くねー。それに……」

「それに……?」

「お嬢は普通の子供だって、珍しく啖呵切ったのが居てよ。そりゃそうだって、改めて思っただけさ」


 それだけ言ってリンクスは目を閉じた。正直に言えば、ジェイクとぶつかった時に思わないわけじゃなかった。姿形変わらない、テロリストの娘。そのテロリストがどれだけの被害を生んだのか、詳しくは知らないけれど。少なくともダンパーや、イザベラ、ジェイク……この三人から大事なものを奪ったのはとっくの昔に知っている事だった。

 どうして一人で飛び出したのか――そういやそんな事も言われた気がする。そりゃあアイが素っ裸だったのはそうだけれど。ボーディには、どうしても見せられなかった。アイツはビビりだから。相手の本質や良いところを見つけ出せるのに、先入観を植え付けて考える事を止めて欲しくなかった、そんな勝手な理由。


「お嬢」

「なん、ですか?」

「その傷……痛くないの?」


 首筋から腰に掛けて伸びる赤い脊髄みたいな、僅かに凹凸した直線。胸の中心にある斜めの手術痕。そして――恐らくアイの根幹に関わる右眼の何か。

 誰が一目で、人間だって言い切れるんだよ。


 その三か所にコードをぶっ刺さして眠ってた存在を。


「痛くないです――今は」

「……じゃあ、いっか」

「はい……まぁでも、昔の事は本当によく覚えてなくて。もしかしたらその時の事も思い違いとか、あるかもですし……。エリオラの事、お父さんの事、お母さんの事……自分があの部屋で、何をしてたのかは覚えてるから」

「そっか。お父ちゃんとお母ちゃんの事も大事なんだなー」


 手を握る力がぎゅっと強くなる。アイを見れば、困ったように笑っていて――あーあ。


「——わかんない、です」


 耳鳴りが……うるっせぇ。


「お父さんは、私と一緒に居てくれたのは少しだけだったので。お母さんは……六歳の頃、病気で。ずっとお見舞い、してたんですけど……いつからか、面会しちゃ駄目だって、お父さんに言われたんです。お母さん、私に会いたくないからって」

「……ゴメン、いやーな事聞いちゃったな。別に良いんだぞ、今ぐらい泣いたって」

「……大丈夫、です。泣きません。と言うより……泣けなく、なっちゃいました。私が泣くと、色んな人が苦しくて、迷惑になるから駄目だって。色んな人に⋯⋯教育、されたんです。あの部屋のベッドで」


 ずっと一人——いつだったか自分はそう言った。この子を見つけた時、コールドスリープ内の液晶画面には時間の表記だけが残されていた。あれは恐らくこの子が眠ってきた時間で、状況から考えて一人だったのは本当なんだろう。

 だからつい、あんなことを言ったんだ。分かった気になって、いつか、どこかのクソガキを重ねてしまって。

 どうしてそんなにエリオラ・ガーネットに拘るのか、今になってようやく分かった。この子にはエリオラしかいなかった。縋るものがそれしかなかっただけだ。

 胸糞わりぃ。

 泣けない心――よぉく分かった。要するに。


 この最高に気分の悪い金切り音の引き金(トリガー)が、それなんだな。


「なぁ、アイ。急で悪いんだけどさ。とある子供の昔話、聞いてくれない?トーマンも、ボーディも知らない、第二地区生まれの一人の子供の」

「……はい」

「その子供はいつも一人でさ。何か、気付いた頃には、強面の老夫婦の子供として生きてた。本当の両親は顔や名前も知らなくて。ただ子供の名前だけが分かる状態で、ポイって置き捨てにされてたんだと。ヤバいよな。あたしならその両親、ボコボコにしてるわ」


 アイは何も言わない。耳鳴りも相変わらず。ただ、もう少しだけ距離が近くなった。


「で、そっから色々あって……まぁ、何とか生き延びて、子供は喧嘩に明け暮れる悪い子へ育ちましたとさ」

「……でも。その子供は、居場所が出来たんですね」

「そう思うだろ」

「……違うんですか?」

「どうかな……少なくとも、その居場所は老夫婦の()()()()()()居場所だったって、気づいたんだよ。自分が与えられた優しさや、居場所は、本来無かった場所でさ。いつも陰で、老夫婦が死んだ娘の事を思っているのを知っていた。その娘と恋仲だった男が、自分を責め殺しそうになった事も。もう自分が分からなくなって、どうにかしたくても、どうしようもなくて。三日三晩泣いて、子供はようやく吹っ切れた――死んだ奴の代わりには、なれっこねぇって」


 耳鳴りはもうしなかった。代わりに、アイは手を握るのを止めて、腕ごと抱きしめる。

 ボーディ、お前自信持っていいぞ。この子はちゃんと、優しい人間だから。


「……だから、いつも飄々としてるんですか?」

「誰の話だよ。どっかの子供だって」

「……そうでした、ね」

「なぁ、アイ。今日の話はここだけの内緒な。二人目の内緒話。あたしと、アイの」

「リンクス、さん……」

「それからさん付けと敬語はもういらねぇよ。どっかの物好き老夫婦の下で好きに暮らせるのはアイも同じ。もう家族みたいなもんだろ」


 アイは少しだけ戸惑いながら、微妙に高さの違う目線で、気恥ずかしそうに言う。


「——リンクス」


 シマエナガ――成程。こりゃ人誑しだわ。


「改めてよろしく。言っとくけど、もう扱いはボーディと同じになるからな。遠慮しねーよ?」

「えっ」


 またしても首を横にブンブン振る。この距離でそれはやめぃ、冷てぇ。

 時代を飛び越えてきた箱入り娘。分からない事はまあ多々有るけれど、これだけは間違いなく断言出来た。


 アイの親父さん。あたし――テメェが大っ嫌いだわ。

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