十五話:植物園
「おはよう」
トーマンが居た。目と鼻の先。同じベッドの上に。何とも暑苦しい筋肉質な壁——。
「だぁッ!?」
ボーディは布団から転げ落ちた。一体全体何だというのか。どうしてこうも、連日普通に寝起きさせてくれない。そして何を真顔で自分の方を向いているんだこのバカ筋肉は。誰のせいだ。
「珍しく寝坊助だな。疲れが溜まってるのか?」
「……別に。ちょっと夜更かししただけだよ。休みなんだし」
「そうか。まぁリンクスも寝かせとけって言ってたしな。もしあれなら、今日は休んでていいぞ」
「いい……もう平気。皆は?」
もう一方のベッドには誰も居ない。入口の方からは、センターホール沿いのエレベーターが甲高いチェーンの音を幾つも反響させている。コロニーの住民達が活動し始める時間帯までは寝てしまっていたようだった。
こちらの問いにトーマンは何とも晴れやかに笑っている。
「植物園だ。行こうぜ、ボーディ。そうだ!今日はRu-liも連れて行ってやれよな!」
意気揚々と部屋を出ていくトーマンの後ろを付いていく。背中に張り付いた服が気持ち悪かった。扉の敷居を跨ごうとすれば、その気持ち悪さがひんやりと冷たいものに変わった気がする。
ボーディは首を振る。
大丈夫。誰も居ない。自分は決して、見られていない……誰にも。きっと疲れて見間違えたのだろう。現に彼女は普通で、瞬きをしたら、右眼の異常は無かったじゃないか。
だから――。
どこか晴れない気持ちのまま、ボーディは気を紛らわせようと歩き出した。
岩回廊を反時計側にぐるりと回り、トーマンお手製の近道を潜り抜け、内緒話も反響しそうな巨大空洞エリアを更に進む。ここ『ハルジオン』は、コロニーの人間達からすれば地上と地下の境界点だとか。その為地上巡回班達の詰め所がいくつかあるらしいが、ハルジオンがかなりの巨大洞穴であることから、それらしい明かりが小さく点々と見えるだけである。
そもそも……戦争と共に、地上のアンドロイドはその全てが破壊されたという事実は大人達が言っていた話だ。今更何を気にして巡回しているのかは分からないし、知りたくもない。ボーディ自身、それらしいものは最下層で見ているのだから。
とにかく『ハルジオン』を壁沿いに歩き、ここまで時間にすると二十分ほど。ようやく鉄の扉が現れた。カバンからデバイスを取り出して扉にかざせば、ロックが解除されてゆっくりと開く。
——地底の太陽が、彼ら二人を温かく迎え入れた。
「おっせーぞー」
視界いっぱいに広がる色とりどりの花々や植物が生い茂るドーム型の温室。そのどこか遠くから、先に来ていたリンクスの眠そうな声がする。
上を見れば、ドームの頂点の真下。ここからなら十メートルはあるだろう高さに、何本ものワイヤーで固定されたハンモックが繋がっている。安全性度外視のバカ設計から生まれた休憩場所で、樺色の髪が揺れていた。
「悪かったよ。寝ぼけて落ちるなよー」
「おー。寝坊助に言われたかねーけどなー」
相変わらずの軽口。何なら普段より物理的に高い為、一層強い上から目線が腹立たしい。
「そうだボーディ。アイが仕事を手伝いたいんだと。Ru-liを飛ばす前に、一緒に手伝ってやってくれ。じゃ!あとは若者同士でよろしく!」
そう言ってトーマンもスコップを持って行ってしまった。
……よく考えてみれば、初めてアイと2人だけの状況。いつもと違い、足が前に進まない。リンクスとトーマンは助けてはくれないんだ。彼女と話をして、手伝って、やる事は変わらないのに――。
あれが、チラつく。
当の本人はリンクスのさらに真下、日傘に覆われたカフェスペースで突っ伏していた。花の匂いが結構強い場所だ。気分でも悪くなったのかと思ったが、その肩は規則的に小さく動いている。手には何やら、小さな麻袋が握りしめられていた。
日傘の下に入り、彼女の向かいに座る。起こした方が良いのだろうけど……胸の引っ掛かりは取れてはくれない。
「……アイ。君は――っ……」
言葉が出ない。けれどそんな優柔不断なご主人様を見かねてか、ボーディの鞄からルリビタキが青い羽根をはためかせ、飛び出した。麻袋が気になるのか数度ついばみ、今度は白い腕の上へ。あろうことか頭の上にまで飛び乗り、ヒッ、ヒッ、と甲高く鳴いている。
おい、鳥。お前は何を考えているんだ。
心の準備が出来る前にアイの眼が開いてしまった。未だ呆気にとられるボーディを前にしても、小鳥型の観測ドローンは鳴く事を止めない。止めろと何度も心の中で念じてみれば、伝わってくれたのか声は止まる。
けれど『さっさと起きろ』と言わんばかりに、今度はその首を上下に振り下ろし、白い髪を何度も散らかしていく。そんなはずは無いが、どこか子馬鹿にされているようにも思えた。
「んっ……な、に……?」
「おっ……!おは、よう……」
「ボーディ……さん……おはよう、ございます」
ほら降りろ。今すぐこっちに戻ってこい。寝ぼけている今なら大丈夫だから。
手であれこれやってみるが、Ru-liはそっぽを向く。何で今日はこんなにも言う事を聞かないのか。Ru-liはそのアウターこそリンクスの手作りだが、自分のゴーグルを通してじゃなければ、ただプログラミングされた野生の習性をなぞるだけの疑似生物で――ゴーグルは……持ってきただろうか?
嫌な予感がする。日傘から出て真上を見上げてみれば、揺れるハンモックからは手が伸びていた。この世で最も憎たらしいピースサインと、宙ぶらりんのゴーグル。
「アイツ……ッ!後で返せよな!それ使うんだぞ!」
落とされた。
どうしてだ。後でと言っただろう。言葉が分からないのか、あのバカは。それとも降りてくるのすらもう面倒なのか。ウィンチを使うだけなのに。
逆光がキツイ。受け止めきれない――などと、思っていれば。
こちらが慌てふためく事すら予定調和だったのか、途中で開くパラシュート。ゆっくり手元に降りてきたそれを掴んでみれば、手紙が括りつけられていた。
——ビビんなよ、坊ちゃん。
「……うるさい。後でラスティ――」
近くに弾丸が降る。地獄耳の天罰が下る前に日傘へ戻る事にしたボーディは、念のためにゴーグルを装着し、機能を確認する。そこには視界いっぱいに、アイの顔が広がっていた。
「だっ……!?」
どうやらRu-liは彼女の両手に捕まっていたらしい。ゆっくりと手の中の小さな存在を確かめるように、彼女はその羽毛を撫でている。まさか目の前にいる人間が自分の顔を見ているだなんて思いもしてないだろう。Ru-liが撫でられる度、ボーディは身体がこそばゆくなる。自分が撫でられているわけでもないのに。
彼女は笑った。何なのか分かっていない筈の、手の中のそれを。愛おしそうに。
でも……本当に分かっていないのは、どちらなんだろうか。
ゴーグルを外した先で、小鳥と話す少女が一人。
胸のつっかえが、また少し酷くなった気がした。
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