十二話:日常で
布団の擦れる音がする。胸の辺りをきゅっと掴む手があって、でもそれは自分の物じゃない。もっと細くて、華奢な、冷たいそれだ。ボーディが寝ぼけ眼を開くと、まず目に入ったのはサラリと落ちる白い髪。遅れて身体に伝わる暖かな体温や簡単に折れてしまいそうな骨格が、その半覚醒状態の身体を反射的に飛び起こさせた。音を立てて布団から転げ落ちる。布団の上で今しがた自分の身体を掴んでいた彼女は、無くなった何かを探すようにベッドを弄っている。
「なんでっ……いや、本当に何で……!?」
共同部屋のベッドは二床。坊ちゃんが間違い起こしたらー、などと馬鹿げた事を言っていたヤツが一緒に寝るという話で、昨夜は纏まった筈だった。
なのにどうして、アイが自分のベッドに居るのか。アイツ、リンクス、あのバカは何を――。
よろけながらリンクスのベッドを見れば、大きないびきをかきながら手足を伸ばし切って気持ちよさそうに寝ている。元々シングルベッド、どう考えてもあの格好では、二人も寝られない。
「……ボー、ディ……さん?」
「はいっ!」
自分のベッドから声がする。思わず跳ね上がるように声を出してしまった。眼を擦りながら、アイは相変わらず違う場所に目線を向けながら、ぼんやりとしていた。
「あの……アイ。何で、こっちに?昨日はリンクスと寝たはずじゃ……?」
「……あまり、覚えてないです。ただ……」
「た、ただ……?」
「——背中……痛くて」
「弟妹たち朝だぞー!今日も張り切って――何してんだ?」
やかましい恒例挨拶をしながら筋肉が何かを言っているが、それよりクッションを叩きつける方が先だ。後にしてくれ。
お前、どの口が間違いだと言っていたんだバカ。アイを叩き落しておきながらグースカと。間接的に間違い誘発してるんじゃないよ。別に……起こすつもりも無いけど。だんだんと腹が立ってきた。
「それよりだ!折角休暇貰ったんなら、アイに第三地区を案内してやらないか?いつまでも医療班支給のその服だと味気無いし、先ずは仕立て屋にでも――」
「あたしは行かねぇぞッ!」
どれだけクッションを叩きつけても起きなかったリンクスが、突然叫びながら飛び起きた。
「そうは言うけど、流石にアイが可哀想だろ」
「だったら三人で行ってこい!その後ならいくらでも合流してやる!あたしは絶対に行かねぇ!」
「……その前にさ。アイに何か言う事あるんじゃないの?」
「あー?あれ、お嬢何でそっちに――お前初日からカマしたのか?」
もう何も言えなかった。誰か、このバカを黙らせてはくれないだろうか。
頭を抱えるボーディだったが、ベッドから降りてきたアイに手を握られた事で現実に引き戻される。
「……仕立て屋、って何ですか?」
「え!?あぁ、うん……服屋みたいなものだよ。要望を聞いてくれるんだ。ただ……リンクスはちょっと、ね。人間関係が複雑って言うか……」
「嫌だ!拒否する!死んでも動かねぇ!冗談じゃねぇぞチクショー!」
普段の彼女からは考えられないごねっぷりを見せて、再度布団を被ろうと抵抗を見せた……が。トーマンはその足首を掴み、ズルリとリンクスを収穫して見せた。宙ぶらりんになった事で、普段隠れている両眼が何とも不服そうに現れた。
「なぁリンクス。俺達は昨日、アイと約束をしたよな?エリオラさんを探すって話だ」
「……だから何だよ。仕事じゃねぇ、身内の頼み事の手伝いだ」
「でも仕事が来たらどれだけ時間が割けるか分からないだろう?それに一度引き受けたもんには、必ず責任が発生する。それはお前もよく知ってるはずだけどなぁ。何よりボーディだってやる気なんだぜ。腹括ってやれよ、お姉ちゃん。な?」
誰が誰の姉だ。
言いたい事はあるが、それはリンクスも同じなようで。ボーディとアイの姿をじっと見た後で、ようやく観念した声を上げた。
「……入口までしか行かねぇからな」
初めてトーマンという男が、頼れる男に思えた気がする。
◇
第三地区『アイリス』は、言ってみれば地下都市なのだが、地上から換算すればそこまでの深さには無い。そして第一地区、第二地区のような大型生活圏確立型と違い、その多くは自警団の面々が活用する設備となっている。
センターホールの周囲を半円状に囲むように建設された各施設は、岩回廊に面した施設群から、岩壁を掘り進めた先の洞穴を利用して経営されているものなど様々だった。目的の店に向かう最中、ボーディはアイの手を握りながらゆっくりと歩く。眼が見えないという割には、その状況に慣れているのか、或いは誰かとこうした事があるのか、アイは危なげなく歩いている。
「お嬢ー。エリオラさんてどんな人なん?」
リンクスはそんな事を言った。
「そういえば、探すって言っても俺達は情報が無いもんなぁ」
「……どんな」
アイの握る力が強くなった。多分、その質問は彼女にとって酷なものだろう。
眼が見えない彼女は、エリオラ・ガーネットの情報を他人に伝えにくい感覚的なものでしか捉えられていない筈だ。長年ずっと一緒にいたのに、その顔はぽっかりと穴が開いている。それを教えろと言われても、何を答えればいいのか。
答えあぐねているアイのそばに近寄って、リンクスが乱暴に肩を組んだ。手を繋いだこちらが巻き込まれる事などお構いなしなようだ。
「なははっ。難しく考えるなよ、お嬢。何歳だったん?」
「……二十五歳、です。確か」
「あたしより声が高かったかい?」
「えっ……少し……少しだけ、低いです」
「じゃあ俺より力が強いかー?」
そう言って、今度はトーマンがアイを抱きかかえてみせた。だからこっちの事を考えてくれ。肩が外れてしまう。
「力……分からないですけど……抱っこは、簡単にしてくれて……」
「こいつはとんだライバルだ!同い年のいいお姉ちゃんか!」
「どう考えても向こうのがイケ女だろうが」
ボーディが肩を回していると、その二人が自分を見ていることに気付いた。
ほら、何してるんだ、と言わんばかりに。
「……あの……じゃあ、エリオラさんは……えっと……」
……言葉が出ない。
何を聞けば良いんだ、急にそんな事を振られて。そんな用意はしていない。ボーディは心底ばつが悪かった。
分かっている。どれだけ滅茶苦茶で他人を引っ搔き回していたとしても、リンクスとトーマンがこういう時に動ける人間だという事は。とっくの昔に、気付かされている。
だから嫌なんだ。この二人の前では、いつだって無力なただの子供で。
——でも。
顔を上げれば、アイはまだ戸惑いの中にいる。
それでも……耳鳴りはしない。手は繋がれたまま。
「……手」
自然と、言葉が出た。
「……手、温かかった?」
「——これ、と。同じくらい、です」
「……そっか」
自分で言っておきながら、なんだか気恥ずかしかった。初めてアイが、小さく笑っていた気がしたから。
いや、それより――二人の生温いニヤつき顔が心底うっとおしい。
「ほ、ほらっ、行くよ、仕立て屋!さっさと行って情報集めるんだろっ!」
「おー」
「おー」
「……絶対馬鹿にしてる」
本当に、腹が立つ。
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