影の来訪者
新しく足を踏み入れた街『サン・ロザリオ』は、けたたましい活気に満ちあふれていた。
カンカンとカンカン帽を叩く蒸気機関のピストン音。市場にひしめく露店から漂う、スパイスの効いたタコスの香ばしい油の匂いと、焼き立てのトウモロコシの甘い煙。
「へぇ……! トニー、見てよ! あっちの露店、珍しい革のホルスターが売ってるよ!」
メアリーはカウボーイハットの庇を持ち上げ、金髪のポニーテールを跳ねさせながら、珍しく目を輝かせていた。先ほどまでハーバートとの甘酸っぱい(?)ドタバタ劇に振り回されていた疲れも、新しい街の賑やかさを前に吹き飛んでいた。
「はいはい。だが買い物の前に、まずは宿と馬の餌だ。……おいフラン、お前もいつまでシケた顔してんだ。メアリーにアイスでも買ってやれ」
「ふん……言われなくても、メアリーちゃんが好きそうなイチゴのシャーベットの店はもうチェックしてあるよ」
フランはツンと素直じゃない態度を取りつつも、隣を歩くメアリーの横顔をうっとりと見つめていた。モネは日傘を優雅に傾け、ベイルは影のようにその斜め後方を歩いている。
いつもと変わらない、平和で賑やかなパーティの日常。
――それが破られたのは、ほんの一瞬だった。
――カツン。
乾いた木道を踏みしめる、重厚な革ブーツの足音。
賑やかな街の雑音が、まるで刃物で断ち切られたかのように、メアリーたちの周囲だけすっと途絶えた。
「――メアリー・スペンサーだな」
低く、地の底から響くような掠れた声。
メアリーが振り返ろうとした瞬間、視界が影で覆われた。
目の前に立ちはだかっていたのは、仕立ての古い黒のロングコートを纏った、五十代の男だった。深く被ったハットの影から覗く瞳は、感情というものを一切削ぎ落とした氷のように冷たく、濁っている。
胸元に光るのは、連邦保安官の星型の銀バッジ。
「な……なに……?」
「連邦法第3条に基づき、同行を願おう」
「は……!? ちょっと待ちなさいよ! あたしが何をしたって――」
「言いたいことは署で聞く。――拘束しろ」
「ッ!?」
理由を聞く隙すら与えられなかった。
男が短く指を鳴らした瞬間、路地裏や建物の影から、ぞろぞろと黒い服を着た男たちが群れをなして飛び出してきた。普通の保安官助手ではない。鼻をつく安酒と硝煙の匂い――どこかの街から拾い集められてきたような、凶悪な目つきをした荒くれ者たちだ。
「なッ……メアリーちゃんに触るなッ!!」
フランが凄まじい反応速度で腰のリボルバーに手を伸ばす。
――カチンッ!
「動くな」
男――アーサーの手に握られた、黒光りする大型リボルバーの銃口が、すでにフランの額の真ん中に突きつけられていた。引き金にかかる指に、一瞬の躊躇もない。
「公務執行妨害および連邦保安官への発砲未遂。……引き金を引けば、この場で貴様を射殺する正当な権限が私にはある」
「くっ……!!」
息をのむフラン。殺気ではない。この男の全身から漂っているのは、「人を殺すことになんの感慨も抱いていない」という無機質な絶対の狂気だった。トニーも思わず息を呑み、腰の銃から手を離す。モネの眉が細く跳ね上がった。
「トニー! フラン! 来ちゃダメッ!!」
メアリーの叫び声と同時に、冷たい鉄の手枷が、容赦なく彼女の華奢な両手首を締め上げた。
ガチャリ。
皮膚に食い込む、重く冷ややかな鉄の触感。
「連れて行け」
「離しなさいよッ! 放しなさいッ!!」
メアリーは必死に暴れるが、数人の男たちに腕を固められ、黒塗りの馬車の中へと強引に押し込められた。パタン、と重厚な木製の扉が閉じられ、外の光が遮断される。
馬車が軋んだ音を立てて走り出す直前。
連邦保安官アーサーはゆっくりと振り返り、ハットの庇の下から、残されたトニーたちを無感情な目で見下ろした。
「……探すな。この街で私に歯向かう者は、全員『処分』の対象となる」
カツン、と足音を響かせて馬車へ乗り込むアーサー。
残されたのは、乾いた砂嵐と、車輪が残した土煙の匂い。
そして――激昂のあまり、路地のレンガ壁を血が出るほど拳で殴りつけたフランの、凄まじい咆哮だけだった。
「メアリーちゃんを……メアリーちゃんを返せぇぇぇッ!!!!」




