モネの策略
その深夜。月明かりすら届かない、漆黒に塗り潰されたウィリーの寝室。
モネは、シーツの温もりの中から裸のまま静かに抜け出した。肌を刺す夜の冷気に身を震わせながら、彼女は服を纏うよりも先に、手元に用意していた鉄の手枷と強固な麻縄を闇の中で手際よく掴んだ。
ベッドでは、彼女が事前に仕込んだ強い眠り薬によって、あの怪物が深く、深く眠りの中に落ちている。
カチャン、と、他の客や私兵に響かないよう、ミリ単位の細心さで手枷をウィリーの分厚い手首へと嵌め、ベッドの柱へと頑丈に縛り上げていく。すべてがプロの暗殺者としての完璧な手際だった。
――すべての拘束を終えた後。モネは手早く自分の衣服を身に纏い、規則正しい寝息を立てて眠るウィリーのすぐ横に、そっと腰を下ろした。
彼女のヘーゼル色の瞳から、一粒の熱い涙が零れ落ち、ウィリーの胸元のシーツへと染み込んでいく。
「……ねえ、ウィリー。私たち、三年前にある一つの『決め事』をしたわよね」
届くはずのない主に、彼女は掠れた声で、静かに、優しく語りかけた。
「身体の関係を持つことはあっても、絶対に『互いを愛さない』。裏社会の相棒として、それだけが私たちの鉄の掟だった。……でもね、私、いつの間にかその約束を破っちゃってたのよ」
彼女の細い指先が、ウィリーの髭面の頬へとそっと触れる。
「三年前、フランがいなくなって、絶望の底にいた私をあんたが相棒に誘ってくれた時……本当はね、私、もの凄く嬉しかったの。
……これで、やっと死ぬことができると思ったから。あんたの相棒になる人間は、例外なくすぐに死体になるって、組織の誰もが恐れていたでしょう? いつ死んでもいい、早く楽になりたい。そう思って、あんたの地獄へ飛び込んだのに……」
彼女の唇が、小さく震える。
「あんたの隣にいて、先輩たちの本当の愛を知って……気づいたら、私の心は『死にたい』じゃなくて、ずっと『この人の傍で、生きたい』に変わっていっちゃったの……」
だからこそ、彼女は今、フランを救い、そしてウィリー自身がこれ以上「相棒を死なせる呪い」に苦しまないために、自分の命のすべてを賭けて彼を裏切る道を選んだのだ。
ここでウィリーが目を覚ませば、自分は確実に肉片に変えられる。その死線に立ちながら、モネは眠る彼の顔を愛おしそうに見つめた。
「……最後に、一度だけ言わせて」
モネは静かに身体を傾け、彼の耳元へとその熱い吐息を寄せた。
「あなたを愛してた。……ううん。今でも、心から愛しているわ」
彼女はウィリーの薄い唇へと、そっと、自分の唇を重ねた。涙の味が混ざった、世界で一番優しくて、世界で一番哀しい最後の口づけ。ほんの少しの間だけ、お互いの体温を確かめ合うように唇を震わせたあと、モネは未練を振り切るようにして、音もなくその場から足早に立ち去っていった。
本当の決戦を始めるために。
モネはウィリーの部屋を後にすると、廊下の暗殺者たちの目を盗み、まず、フランが一人で軟禁されている寝室へと足早に急いだ。
彼女が音もなく重い木扉を開けた時――モネは、その場から一歩も動けず、息を呑んで呼吸をすることすら忘れてしまった。
カーテンの開け放たれた暗い部屋の中。フランはベッドの端に静かに腰掛け、ただ窓の外に浮かぶ冷たい月を凝視していた。
白々とした月明かりに鋭く照らされるその横顔は、この世の物とは思えないほどに美しく……そして、彼の自慢のカールのかかった肩までの金の髪は、月の柔らかな光を浴びて、昼間よりも一層まばゆいきらめきと輝きを高めていたのだ。
まるで、夜の闇のなかに佇む、気高い一尊の彫刻のようだった。
フランは扉が開くわずかな衣擦れの音を察知していたが、モネが室内に入り、自分に近づいてきても、頑なにその視線を彼女に向けようとはしなかった。モネは月光を踏みしめながら歩みを進め、フランのすぐ真横の位置で、ピタッとその足を止めた。
ふわりと、彼女の纏う大人の香水の匂いが、夜の冷気に混ざってフランの鼻腔をくすぐる。フランは無言のまま、ようやく首を動かしてモネを見上げるなり、刃物のような鋭い眼光で彼女を激しく睨み上げた。
目の前でメアリーたちの連行を黙って見届けていたモネへの、激しい怒りと不信感。モネは一瞬、その死神の殺気にたじろぎ、喉を詰まらせかけた。……けれど、彼女のヘーゼル色の瞳に宿る覚悟は本物だった。
モネは周囲の見張りに気取られないよう、極限まで声を低く抑え、しかし確固たる意志を込めて音を紡いだ。
「――行こう。……あの二人を、助けに」
「……っ!!??」
その言葉が静寂に落ちた瞬間、フランは張り付いていた死神の仮面を剥ぎ取られ、驚きを隠せないまま、言葉を失ってモネを凝視した。




