幕開け
暗い寝室のなか、窓から差し込む朝の光はどこか白々しく、冷たかった。
ウィリーは腰の銃を確かめ、ハットを目深に被り直しながら、低く呟いた。
「さあ、やるか……」
「……ええ」
モネの声音は、昨日までの艶やかさを失い、ひどく掠れていた。
ウィリーは彼女の横顔をじっと見つめ、その細い肩に手を置く。手のひらから伝わるのは、彼女の隠しきれない微かな震え。
「――いいんだな、モネ?」
「……」
モネは何も答えず、ただ静かに目を伏せて沈黙した。フランを二度と裏切らないと誓い、ウィリーにナイフまで突き立てた彼女の心。
しかし、ウィリーという男の隣で生きる覚悟との間で、彼女の魂は激しく引き裂かれていた。
ウィリーは、彼女の心にまだ決心がつていないことを、その沈黙の重さですべて知り尽くしたまま、冷徹に実行へと移ることを決めた。
――数日後。宿屋の喧騒を離れた薄暗い広場で、ウィリーは再び三人の前にその姿を現した。
だが、今回は初日と決定的に違っていた。彼のすぐ斜め後ろに、あの銀髪の元相棒――モネが寄り添うように立っていたのだ。
「モネ……お前も一緒、なのか」
フランの口から、驚きと共に、どこか安堵の混ざった声が漏れる。
先日、去り際に『あとは任せろ』とハンドサインを送ってくれたモネ。彼女が隣にいるということで、フランの刃のような警戒心は、ほんの少しだけ和らいでいた。
だが、フランのプロの暗殺者としての嗅覚が、即座にモネの全身から漂う「異常な空気」を感知した。彼女はフランと目が合っても、昨日のようにあざとく微笑みかけることすらしない。
ただ、操り人形のように無表情で、何かを必死に堪えるように視線を床へと落としている。その不自然な頑なさに、フランの胸の奥で、嫌な違和感がじわりと広がり始めた。
「――久しぶりだな、お前たち」
ウィリーがハットを傾け、氷のような低い声で場を支配する。
「積もる話もある。昔のように、フラン、モネ、……俺たち3人だけで、少し奥でじっくりと話そうじゃねえか。余計な雑音は抜きでな」
ウィリーはそう言うと、トニーとメアリーを遮るようにして、フランを二人の側から鮮やかに引き離した。
「待ちなさい、あんた……」
メアリーが思わず腰の銃に手をかけようとしたが、その指先がピタリと硬直した。普段はのんきにお菓子を食べている彼女だが、単身で悪党を狩りまくっている凄腕の賞金稼ぎだ。
目の前の髭面の男から放たれる、次元の違う圧倒的な殺気の質量。それを肌に浴びた瞬間、メアリーの脳内は未知の警報で満たされていた。
隣に立つトニーもまた、前回の酒場での『気配すら察知できなかった恐怖』が脳裏をよぎり、全身に冷たい脂汗がじわりと吹き出るのを感じていた。
「……くそっ。これは確実に何かある……!」
トニーの低い呟き。引き離されていくフランの後ろ姿を見つめながら、二人の胸には、底知れない不穏な予感と不安が、激しく渦巻き始めていた。
トニーとメアリーから完全に引き離された薄暗い路地裏。
ウィリーはハットの影から鋭い視線を投げかけ、懐から煙草を取り出して火を灯した。立ち込める重い煙の匂いのなかで、男は驚くほど静かに、本題を切り出した。
「――フラン。お前に、俺から一つ提案がある。
……俺と一緒に、あの組織を跡形もなく叩き潰さないか?」
「……何だと?」
フランの美しい眉が、驚愕に跳ね上がる。
「お前はすでに組織の最重要抹殺対象だ。そして、あの賞金稼ぎの娘もな。このままあいつらの傍にいれば、あの元保安官だって、遠からず組織の猟犬どもの標的にされるだろう。
……俺たちも上からの命令をただこなすだけの猟犬だが、これ以上、あの腐った場所に縛られるのは御免だ。奴らの腕が立つと言っても、大きな暗殺案件で主要な人員が出払った夜間なら、ボスの警護は信じられないほど手薄になる。……俺たち3人の技術なら、やれないことはねえだろ」
――メアリーとトニーに、組織の牙が迫る。その冷徹なプロファイルが、フランの胸の奥を激しく揺さぶった。
メアリーたちの命が脅かされるのなら、自分がどれほどの地獄に足を踏み入れようが、躊躇する理由などどこにもない。
だが、フランはウィリーの目を真っ直ぐに見据え、一切のブレのない声で条件を突きつけた。
「……いいでしょう。この取引、乗ります。ただし、条件が一つあります」
「言ってみろ」
「メアリーちゃんとトニーさん、あの二人だけは、この件に絶対に一歩も関わらせないでください。彼らを巻き込んだら、僕はあなたを殺して、一人で組織に向かいます」
ウィリーは「チッ、つまらねえな……」と、心底残念そうに肩をすくめた。
「頭数は多い方が成功率は跳ね上がるってのに、ツメが甘い奴だ。……なぁ、モネ?」
横に立つモネは、何も言わず、鉄の仮面を被ったかのように無表情のまま佇んでいた。だが、彼女の胸の奥は、今にも張り裂けそうなほどの羨望と激痛で血を流していた。
奪いようのないその強い絆が、彼女の心を狂おしいほどに締め付ける。
フランはいつものように、トニーたちのいる酒場へと戻ると、少し顔を赤くして頭を掻きながら、いつも通りの「軽薄なお調子者」の笑顔を取り繕って話を作り出した。
「いや〜ごめんなさい! ちょっと昔の知り合いと込み入った話をしてきちゃって。僕はこれから、その人たちと片付けるべき別の仕事がありますので、しばらくお別れです。お二人とも、僕がいなくても泣かないでくださいね?」
「あぁ、そうか。お前がいないと静かで助かるぜ」
「そうそう、フランの分の食費が浮くしね!」
トニーもメアリーも、いつも通りの呑気な笑顔を浮かべ、からかうように手を振ってフランを送り出した。
――だが、フランの足音が酒場の外へと消え去った、まさにその瞬間。二人の顔から、すべての笑顔が綺麗に消え失せた。
「……メアリー。お前も、気づいたな」
トニーが低く、地鳴りのような声を響かせる。
「ええ。フラン、いつも通りヘラヘラ笑ってたけど、手綱を握るみたいに、右手が不自然にずっと強張ってた。……確実に、私たちに隠れて一人でとんでもない死線に向かおうとしてるわ」
「あぁ。あのバカ、俺たちを巻き込まないために一人で泥を被る気だな」
トニーは腰の銃の重みを確かめ、鋭い眼光で扉の先を見据えた。
「甘く見られたもんだな。……行くぞ、メアリー。あのストーカー暗殺者を、今度は俺たちが後ろから『ストーキング』してやる番だ」
二人は音もなく席を立ち、フランの残した僅かな気配を追うようにして、夜の暗闇のなかへと静かに、しかし確実にその足跡を刻み始めた。




