過去の事件
「それより、どうした? 何か用があったんじゃないのか? 追いかけて来るなんて」
「あ! そうなの! 父さんがいなくなる前に残した手紙が出てきたんだけど……この名前の人、知ってる!?」
「どれ……」
ダンは大きな手で手紙を受け取ると、メアリーが持っていたランプの明かりへそっと近づけた。ゆらゆらと揺れるオレンジの炎が、古びた手紙の文字と、それを見つめるダンの横顔を薄暗く照らし出す。
静まり返った夜の静寂の中に、ダンが手紙を開くカサリという紙の音だけが響く。
「……シルバーグレイグ……!?」
その名を口にした瞬間、ダンの表情が険しく引き締まった。深く刻まれた眉間のシワと、眼光の鋭さ。
「そうか……こいつを追って、トーマスは姿を消したのか……」
「やっぱり知ってるの!?」
メアリーは思わず身を乗り出した。
「ああ……。俺が昔いた組織も、こいつが裏から仕切っていると言われていた」
ダンは手紙から目を離さず、重々しい声で言葉を続ける。
「裏社会の頂点に立つ男だ。姿を見た者はほとんどおらず、都市伝説のように語られることすらあった。……だが、俺たちが追っていた闇の組織のさらに奥、すべての糸を引いていた真の黒幕が『シルバーグレイグ』だ」
「父さんは……10年も前から、そんなすごい人と戦おうとしてたってこと……?」
「トーマスは正義感が強くて、勘も鋭かったからな。自分たちの街や家族に迫る巨大な脅威の正体に、誰よりも早く気づいちまったんだろう……」
ダンはそこで一度言葉を切り、ゆっくりと手紙を折りたたむと、静かにメアリーへ返し届けるように手渡した。
「酒場の奴らから聞いたかもしれないが……裏じゃ『シルバーグレイグはもう死んだ』とか『とっくに引退した』なんて噂も流れていた。……だがな、メアリー。トーマスが命を賭して追った相手だ。ただの昔話で終わるような男じゃない」
「ダンおじさん……」
「トーマスが生きているなら、必ずこの男の影を追い続けているはずだ。……そして俺も、あいつトーマスに貸しがある。今度こそ逃げずに、最後まで付き合ってやるさ」
暗闇の中で、ダンの瞳に力強い光が宿る。
父が10年前に遺した手がかりが、かつての相棒であるダンの意志と再び交わり、次なる目的地の扉を開こうとしていた。
ダンとともに宿屋の酒場へと戻ると、店内は大勢の客で溢れ、熱気と喧騒に包まれていた。
「おや……? ダンじゃないか! ダンなのか!?」
カウンターの客が声を上げる。それを皮切りに、かつて彼を知る街の人々が次々と集まってきた。
「久しぶりだなあ! どこ行ってたんだよ!」
「ずっと心配してたんだぞ! なあ、奥さんや子どもたちは元気にしてるのか?」
街の人々は真実を知らない。ダンの一家は当時、忍び寄る危険を察知して街を離れ、別の場所へ逃げる途中で殺害されたのだ。
悪意のない、けれどあまりにも無邪気な質問の数々に、メアリーの胸は張り裂けそうになった。思わず視線を伏せて拳を握りしめるメアリーの横で、ダンはハットの庇を指で少し押し上げ、いつもの渋い顔で穏やかに笑ってみせた。
「ああ……あっちでな、色々と忙しくやってたのさ。……みんな、心配かけてすまなかったな」
深い傷を一切顔に出さず、のらりくらりと話をかわすダン。その大人としての背中の痛々しさに、メアリーの目頭が一層熱くなる。
人混みを抜けて奥のテーブルへ向かうと、仲間たちが一斉に顔を上げた。
「どうだった……?」
フランが真剣な面持ちで尋ねる。ダンは静かにメアリーの横の席へ腰を下ろし、煙草を一本咥えると、ゆらゆらと揺れる紫煙の向こうで重々しく口を開いた。
「……実はな。俺とトーマスは、その『シルバーグレイグ』の姿を見たことがある」
「「「ええっ!?」」」
テーブルを囲む全員が息を呑んだ。フランもモネも身を乗り出す。
「まだ俺たちが若い頃だ。隣の街で、奇妙な事件が連続して起きてな……。十代の若い奴らや子どもたちが、次々と姿を消していたんだ。真相を探るため、俺とトーマスは警察の管轄を越えてその街へ向かった」
ダンは遠い目をして、当時の記憶をたぐる。
「気味が悪いのはな……夜中になると、子どもや若者たちが取り憑かれたようにふらふらと家を出ていくんだ。止めようと抱きかかえても、眼球が裏返ったような顔で暴れだし、相手が親だろうが警察だろうが襲いかかってくる。同時に何人もが歩き出すもんだから、一人を必死に抑え込んでも、他の数人は暗闇の向こうへ消えていっちまう……そんな異常な事件だった」
「なにそれ……ハーメルンの笛吹きみたい……」
フランが腕を組んで眉をひそめた。
「ハーメルン……? なにそれ?」
首をかしげるメアリーに、ベイルが珍しく知的な表情で静かに説明を補う。
「確か……街のネズミ退治をしたのに、約束の報酬を払わなかった大人たちへの報復として、男が笛を吹いて街中の子どもたちを誘拐したっていう、古いおとぎ話ですよ」
「ああ……まさにそれに似ていた」
ダンは重く頷き、煙草の灰を落とした。
「俺とトーマスは正体を隠し、旅の者として数週間その街に潜伏した。……そしてある夜、どこからともなく聞こえてきたんだ。風に乗って流れてくる、美しい……だが狂気を秘めた『音楽』がな」
その音楽が響くと、街の家々から子どもたちが夢遊病のように次々と路地へ吐き出されていったという。翌朝になると、残された街の人々は夕べの狂乱を綺麗さっぱり忘れている――まさに街全体が底なしの悪夢に呑み込まれていたのだ。
「数日かけて音の出処を追った。街外れの深い森の中で、小さな野外コンサートのようなものが行われていたんだ。5人ほどの男女が優雅に歌を歌い、楽器を奏でていた。……その中の一曲が、夜中に聞こえていたあの曲だった」
「音楽による……催眠……?」
モネが扇子をぎゅっと握りしめる。
「ああ。『そこにいては危険だ! 今すぐここから逃げろ!』という強い恐怖と衝動を脳に直接植え付ける曲だった。……音楽で操られ、自ら森へ歩いてきた子どもたちは、待機していた馬車に積み込まれ、世界中へ人身売買されていたんだよ」
酒場の中の喧騒が嘘のように、メアリーたちのテーブルだけが静まり返った。
「その楽団に支持していたのが……当時、まだ『シルバー』と呼ばれる前の、若き日のグレイグだったのさ」




