父が守りたかったもの
ダンの口から語られた恐ろしい過去に、テーブルを囲む全員が息を呑んでいた。
「俺とトーマスは正体を隠して乗り込み、必死で抵抗した。……だが、完全に組織を潰すことはできず、数人の子どもたちを救い出すのが限界だった。……あの時、救えなかった子どもたちの顔と、我が子を奪われて狂ったように泣き叫ぶ親たちの姿は、俺たちの胸に消えない傷として残り続けたんだ」
ダンは静かに煙草の煙を吐き出し、深く目を閉じる。
「そして……10年前だ」
メアリーは思わず身を乗り出した。
「10年前……父さんがいなくなった時のこと……?」
「ああ。あの日、トーマスはお前たちに『隣の街へ仕事に行ってくる』と言って家を出ただろう? ……あれは、嘘だったんだ」
「え……嘘……!?」
「トーマスの耳に届いてしまったんだよ。この街から遠く離れた旅先で、かつてと同じ悪夢が起きているという噂がな。幼い子どもたちが、またあの『音楽』によって誘い出され、闇へ連れ去られていると……」
メアリーの胸がギュッと締め付けられる。
「若かった頃のトーマスは、正義感と使命感で戦っていた。……だが、10年前のあいつは違ったんだ」
ダンは温かい眼差しで、メアリーの顔を見つめた。
「お前とアーシュが生まれ、我が子を腕に抱いたことで、トーマスは初めて『子共への愛』を知った。お前たちがすくすくと育ち、家族で過ごす毎日の幸せを、あいつは誰よりも噛み締めていたんだよ。……そして同時に、知ってしまったのさ。『もしもこの子たちが奪われたら』という、親としての底知れない恐怖と痛みをな」
「父さん……」
「我が子を愛すれば愛するほど、かつて救えなかった子どもたちの顔と、子どもを失って泣き崩れていた親たちの姿が脳裏に焼き付いて離れなくなったんだろう。『二度と、あんな思いをする親を出してなるものか』ってな」
ダンはゆっくりと手紙に視線を落とした。
「自分が旅立てば、家族に寂しい思いをさせることも、二度と戻れないかもしれない危険があることも、あいつは全部分かっていた。……それでも、自分の幸せを知ったからこそ、他人の幸せを守るために行かずにはいられなかったんだよ。自分の幼い子供たちに、誇れる父親であるために」
「――っ……!」
ポロポロと、メアリーの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
10年間、「どうして自分たちを置いていってしまったんだろう」と心のどこかで寂しさを抱えていた。
けれど、父は自分たちを捨てたわけじゃなかった。メアリーとアーシュを愛し、その愛を知ったからこそ、世界中の子どもたちと家族を守るために戦いへ向かったのだ。
「父さん……っ。やっぱり父さんは……世界で一番かっこいい、あたしたちの父さんだ……!」
手紙をぎゅっと胸に抱きしめ、メアリーは涙を拭った。その瞳には、悲しみではなく、父への誇りと強い決意の光が満ち溢れていた。
「……ああ。あの時、俺はもうこの街にいなかったからな」
煙草の煙の向こうで、ダンがポツリと呟いた。
その言葉に、メアリーはハッと弾かれたようにダンへと視線を向けた。
「……じゃあ、なんで? おじさんは父さんのその話を知ってるの……?」
10年前、家族や村から姿を消していたはずのダンが、なぜトーマスの真意や旅立ちの理由を知っているのか。
ダンはゆっくりと煙草を灰皿に押し付けると、自嘲気味に目を細めた。
「……俺が闇の組織に落ちちまった頃に、あいつが一度だけ俺の前に現れたんだ」
「父さんが……おじさんに……?」
「ああ。『こんなことはもうやめろ。自分と一緒にシルバーグレイグを倒しに行こう』ってな……必死な顔で言ってきたよ。だが、当時の俺は絶望のどん底にいて、やけくそになってた。あいつの真っ直ぐな言葉に耳を傾けることもせず……突っぱねて、追い払ったのさ」
ダンは大きな掌を見つめ、過去の自分への激しい後悔を噛み締めるように拳を強く握りしめた。
「その時に、あいつから聞いたんだよ。旅先で起きた事件のことや、かつての悪夢が繰り返されているって話をな……。当時の俺にとって、組織の頂点に君臨するシルバーグレイグに挑むなんて、正気の沙汰とは思えなかった。……それどころか、自分を救おうとしてくれた親友の手を、俺は自分から振り払っちまったんだ」
深く沈み込むダンの横顔。自分が暗闇に逃げ込んだせいで、トーマスを一人で危険な戦いへ向かわせてしまったのではないか――そんな長年の罪悪感が、彼の背中に重くのしかかっていた。
メアリーはそっと手を伸ばし、ダンの無骨で大きな手に自分の小さな手を重ねた。
「そっか……」
メアリーは優しく微笑むと、まっすぐにダンを見つめた。
「でもね、ダンおじさん。おじさんは今、こうやってあたしたちの元へ帰ってきてくれたじゃない。……父さんがずっと願っていたのは、きっとこれだったんじゃないかな」
「メアリー……」
「父さんは、おじさんがもう一度立ち上がって、一緒に前を向いてくれる日を信じてたんだと思う。だから……今からでも遅くないよ。父さんの後を追いかけて、今度こそ一緒に決着をつけに行こう!」
メアリーの澄んだ瞳と温かな言葉に、ダンは息を呑んだ。かつて親友の手を拒んでしまった後悔。だが今、その親友の娘が、自分を再び光の中へと引き上げてくれている。
「……フッ、まったく。父親に似て、どこまでも真っ直ぐで聞き分けのない奴だな……」
ダンはハットの庇を目深にかぶり直し、照れくさそうに頭を掻いた。だがその口元には、かつての頼もしい保安官としての柔らかな笑みが浮かんでいた。




