消せない傷跡
「ダンさんなら知っているかもしれない……。僕らよりこの世界を古くから知ってるだろうから」
フランが腕を組みながら、ぽつりと呟いた。
「ダンおじさんが……」
メアリーは勢いよく立ち上がり、酒場を見回した。けれど、そこに頼もしい背中はない。
「ダンおじさん、どこに行っちゃったんだろう……」
そこへ、お盆を手にしたアーシュが通りかかった。メアリーの不安そうな顔に気づくと、そっと耳元に顔を寄せ、静かに囁く。
「……家、だろうな」
「え? 家……?」
「この街で、ダンおじさんは昔、家族と暮らしてたんだ。……奥さんも、子どもたちも殺されてしまったけれど。おじさんにとってこの街の景色には、いつだって家族と過ごした温かい風景が滲み続けてるんじゃないかな」
「ッ――!」
思わず、ハッと口元を手で覆うメアリー。過酷な戦いを終え、自分の故郷へ送り返すことばかりに気を取られていた。
「どうしよう……あたし、そんな辛い場所にダンおじさんを連れてきてしまった……」
思い出すだけで胸が引き裂かれるような場所に、無理やり戻してしまったのではないか。急激な罪悪感と申し訳なさで胸が押し潰されそうになるメアリーの肩を、アーシュが優しく叩いた。
「いや……おじさんも、いつか過去に決着をつけたいと思ってたんじゃないかな?」
「え……?」
「じゃなきゃ、本当に来たくなかったら断ってるさ。メアリーから『一緒に街に帰ろう』って誘われた時点でさ。……自分の足で、もう一度前を向くために戻ってきたんだと思うよ」
「そうかな……」
双子の弟の成長を感じさせる落ち着いた言葉に、メアリーは少しだけ溢れそうだった息を吐き出した。
「よし……! あたし、ダンおじさんを探してくる!」
「ああ。行ってきな、メアリー」
アーシュに見送られ、メアリーは父の手紙を胸に抱きしめながら、夕暮れの街へと駆け出していくのだった――。
馬を引くこともなく、一歩一歩、踏みしめるようにして歩く。幼い頃、ダンおじさんの家に遊びに行ったときの記憶が、夕闇の静けさの中から溢れ出してきた。
『ほらメアリー、アーシュ、焼きたてのお菓子だよ。おじさんにはナイショね』
そう言って、優しく微笑んでくれたダンおじさんの奥さん。
『メアリー、鬼ごっこしようぜ!』
そうやって、いつも自分の後ろをついてまわっていた小さなお兄ちゃんと妹。
あんなに温かかった家族が、奪われてしまっていたなんて……。無邪気に笑っていたあの頃の自分は、まさかこうなることなんて想像できなかった。
「……ダンおじさん……」
胸がぎゅっと締め付けられ、熱い涙が頬を伝い落ちる。
自分がこれほど辛いのだ。この場所で家族を失い、一人残されたダンおじさんの絶望と痛みは、自分などの想像を遥かに超えているに違いない。
辿り着いたダンおじさんの家は、静まり返っていた。明かりはついておらず、すっかり日が落ちた街の暗闇の中に、ぽつんと影を落としている。
メアリーは手に持っていたランプにポッと火を灯した。温かなオレンジ色の光が、埃をかぶった古びた扉と、思い出の詰まった玄関先を小さく照らし出す。
そこにそっと膝を抱えて座り込み、夜風に身を小さく丸めた。
「……どこにいるんだろう……」
ランプの小さな灯火を見つめながら、途方もない不安が心をかすめる。
「……もしかして、もうこの街には……いないのかな……」
その時――暗闇の向こうから、ザッ、ザッと地を踏みしめる足音がゆっくりと近づいてきた。
暗闇の中から浮かび上がった人影が、ランプの灯火に照らされてハッと足を止めた。
「メアリー……?」
メアリーはパッと顔を上げた。
「ダンおじさん……!!」
安堵と申し訳なさが一気に押し寄せ、言葉が溢れ出す。
「私……あのっ……! おじさんの気持ちとか深く考えないで、この街に……一緒に帰ろうなんて言っちゃって……っ」
思い出の詰まったこの場所で、一人で耐えてきたダンの痛みを想うと、涙がボロボロと溢れて止まらない。手持ちの服の袖で必死に拭おうとするけれど、次から次へと溢れ出してしまう。
「はは……いいんだよ、そんなこと」
ダンは掠れた声で優しく笑うと、メアリーの肩にそっと手を置いた。分厚く、温かく、そして大きな手。幼い頃から変わらない、自分を守ってくれていた手だった。
「いつかは……いつかは帰ってきて、ちゃんと向き合わないといけないと思ってたんだ……」
ダンはハットの庇を押し上げ、暗闇に沈む街並みを愛おしそうに見つめながら、はぁっと深く息を吐き出した。
「だが、ここは思い出が多すぎるな。……歩くたびに、いろんなことが呼び起こされる。忘れようとしてたこと……思い出すことなんてなかったことまでな……」
「っ……! おじさん、だからどこかに行こうとしてたの!? 急にいなくなるから心配したんだよ!!」
またどこかへ消えてしまうんじゃないかという恐怖に駆られ、メアリーは思わず両手でダンの逞しい腕をぎゅっと掴みしめた。
「いやいや……暗くなったのに、明かりも火もなかったから、近くの家に分けてもらいに行ってきただけさ……」
苦笑いしながら、ダンは手に持っていたランプと種火の入った小壺をみせてみせた。
「なんだ……よかった……」
脱力したメアリーを見て、ダンはふっと目元を緩めると、玄関前の古びた階段に腰を下ろした。メアリーも目線を合わせるようにして、その隣にそっと腰を下ろす。
ダンが夜空を見上げ、静かに自分に言い聞かせるように呟いた。
「俺には、まだいたんだな……。こんなに心配してくれる奴が……」
夜風が静かに二人の間を吹き抜けていく。暗闇の中でランプのオレンジ色の光だけが、寄り添う二人の影を優しく揺らしていた――。




