密室
(モネさん……あの探偵さん、顔は凍りついてるのに目線がハーバートの手元のメアリーさんの手を握ってるところをナイフみたいに刺してますね……!)
(間違いないわね。あのメガネのこと、まだベタ惚れだわあの子)
「モネさん、ベイル、何をこそこそ話しているんですか!」
ハーバートは全く気づかず、胸を張ってアリスを紹介し始めた。
「皆さん、彼女はピンカートン探偵社のアリスです。実は昔、私が法務調査員だった頃の『元相棒』でしてね! まぁ、彼女は私の理路整然とした完璧なサポートがなければ何もできなかったのですが――」
――ミシッ!!
ついにアリスの手の中で木製コップが粉砕し、なみなみと注がれていたウイスキーが手に濡れた。それでも、アリスの顔は一ミリも動かない。
「手が滑ったわ。……ハーバート、口を慎んで。あなたの声は頭に響く」
「なっ……! 相変わらず可愛げのない女だ! 昔から私に対してだけ態度が冷たいんですよ、彼女は!」
ハーバートがわかりやすく腹を立てながら、再びメアリーの方を向く。
「メアリーさん、気をつけてください。彼女は優秀ですが、冷血無慈悲な仕事人間です。情などに流される私とは正反対の――」
「ハーバート」
アリスが立ち上がった。無表情のまま、濡れた手を白いハンカチで丁寧に拭う。
「『メアリーさん』『メアリーさん』と……口数が多すぎるわ。……依頼主の情報は教えられないけれど、調査の『過程』なら共有してあげる。……私についてきなさい」
「な、なぜあなたに命令されねばならないのですかッ! 私はメアリーさんの法的アドバイザーとして――」
「来るの? 来ないの?」
「くっ……! 行きますよ! 行けばいいのでしょうッ!」
怒とうの勢いでアリスの後を追いかけていくハーバート。残された一行は、沈黙の後、思わず顔を見合わせた。
「……ねえモネさん。アリスさんって、ハーバートのこと嫌いなのかな?」
メアリーが不思議そうに首をかしげる。
「ううん、逆よメアリー。……世の中にはね、『好きすぎて殺意が湧く』っていう面倒くさい感情があるのよ」
モネは可哀想なものを見る目と楽しそうな笑みを浮かべ、日傘を優雅に開いた。
「さ、行きましょ。あの二人のドタバタ、特等席で見物させてもらうわ」
シルバークリークの郊外、荒涼とした岩山に口を開ける「旧第7鉱坑」。
薄暗い坑道をランタンの明かりを頼りに進むと、突き当たりに不自然なまでに重厚な、鉄と真鍮で組み上げられた巨大な扉が現れた。
「……ここよ。トーマス・スペンサーが潜伏していた地下書斎の入り口」
アリスがランタンを掲げ、冷徹な瞳で扉を検分する。
「施錠レバーは内側から固く下ろされている。扉の隙間には目張りまでされていた……完全な『密室』状態ね。何者かの侵入を防ぐためか、あるいは――」
「俺に見させてもらえますか」
ベイルがすっと前へ出た。指先で扉の噛み合わせ、鍵穴の内部の微細な金属音を確かめる。その目は完全に「プロの職人」のそれだった。
「……間違いない。内部のからくりロックが内側からかかってる。だが、鍵の構造そのものは……親分が昔言っていた、古い形式の重厚シリンダーだ。俺の手なら、外側からでも外せる」
ベイルが腰のポーチから細いピックを取り出し、鍵穴へ滑り込ませた。
――カチャ、シャコンッ。
わずか数秒。重厚な鉄の扉が、音もなくスライドして開いた。
「すごい……! 一瞬で開けちゃった……!」
「意外とやるなぁお前……」
メアリーが思わず感心の声を上げた。トニーも物珍しそうにその手技を覗き込んでいる。
開かれた部屋の中に、人の姿はなかった。
埃の積もった机、倒れた椅子。だが、ただ荒らされた部屋ではない。
「……誰もいないわね。でも、これはただの空部屋じゃない」
アリスの観察眼が、部屋の異状を即座に捉える。
「壁、机、そして時計……部屋全体に『意図的な違和感』が配置されているわ。……トーマスは追手から身を隠しながら、解ける者にしか解けない『暗号』を遺して去ったのよ」
部屋の中に残されていたのは、三つの奇妙な謎だった。
壁に掛けられた、針が『3:15』で止まったままの大型柱時計。
デスクの壁面に刻まれた、不自然な『鉱山の星座図』
インクが完全に乾いた万年筆と、羊皮紙の『白紙の手紙』
「ううん……さっぱり分からないよ。父さん、何が言いたかったんだろう……」
メアリーが腕を組んで唸る。
「フッ……任せてくださいメアリーさん! この手の謎解きは、我が法曹界の知恵と論理的思考の見せ所ですッ!」
ハーバートが胸を張り、自信満々に白紙の手紙へ顔を近づけた。
「見てください! この手紙、一見すると白紙ですが、光にかざすと微妙な凹凸が……ひょっとして、鉱山で使われる酸性薬品を使った『あぶり出し』の手法では――わわっ!?」
調子に乗って前かがみになったハーバートの足が、床の腐ちた板を踏み抜いた!
「っと、危な――」
――ガシッ!!
「あぐっ!?」
落ちかけるハーバートの襟首を、アリスが無表情のまま、凄まじい腕力で引っ張り上げた。
ハーバートが足元を見ると、踏み抜いた板のすぐ下には鋭い採掘用の杭が刺さっていた。間一髪である。
「ひ……ひぃぃっ! あ、ありがとうアリス……!」
「……足元も見えないなら、無駄に動き回らないで。……邪魔だから私の後ろに下がっていなさい」
アリスは冷たく言い放つと、ポケットの中で万年筆のキャップをカチカチカチカチカチッ!! と、さっきの倍の速度で連打した。
(……めちゃくちゃ愛されてるじゃないの、メガネ)
(命拾いしたのに、怒られてると思ってヘコんでるぞあの男……)
モネとベイルが顔を見合わせ、生温かい目で見守る。
「よしっ、戯言は置いといて……謎を解くぞ!」
ベイルが柱時計の前に立った。
「この時計、針が『3:15』で止まってるんじゃない。長針と短針は数字の『12』以外で止まることはない。……固定ネジでわざと締め直されてるんだ。針が指しているのは『時刻』じゃない……『35メートル』! この鉱坑の『深度(深さ)』を示してるんだ!」
「深度……? ということは、もっと地下へ向かえってこと!?」
フランが目を輝かせる。
「そしてこの壁の星座図……」
アリスが冷徹な声で引き継いだ。
「星の配置が、シルバークリークの地下鉱脈の『発破ポイント』と正確に一致しているわ。深度35メートルにある、特定の採掘エリアを示している」
「では、最後の手紙は!?」
ハーバートがアリスの後ろから恐る恐る覗き込む。
ベイルが白紙の手紙を手に取り、部屋の隅にあったランタンの油を一滴落とした。すると、油が染みた部分から、水と油の反発作用でくっきりと文字が浮かび上がってきた。
「あぶり出しじゃなくて、油で浮き出る『耐水インクの逆文字』だ! 職人がよく使う秘密のメモだよ!」
浮かび上がった文字を、メアリーが読み上げる。
『――真相は、地下深くの鉱脈に眠る。鍵は開かれた。知りたいのなら先へ進め――』
――ゴゴゴゴゴ……ッ!!
三つの謎がすべて解き明かされた瞬間、トニーが触れていた部屋の奥の壁が重々しい音を立ててスライドし、さらに地下深くへと続く漆黒の隠し階段が現れた。
「解けた……! お父さんの遺した暗号が解けたよ!!」
メアリーが歓声をあげる。
「トーマスは、追手をこの密室と暗号で足止めし、自分はさらに深い地下鉱脈へと逃げ延びたのね……」
モネが煙草の煙をふぅっと吐き出し、隠し階段を見つめた。
「……生きているわね、トーマス・スペンサーは。この暗号の複雑さが、彼の生存を証明している」
アリスが万年筆をポケットに仕舞い、冷徹な、けれどどこか誇らしげな瞳でメアリーを見た。
「……行きましょう。私の『依頼主』が求めている真実も、この先にあるはずよ」
「はいっ!!」
ハーバートのドジとアリスの無表情なサポート、そして全員の絆で暗号を破った一行。
父トーマスが待つ、そして事件の真相が眠る地下深くの巨大鉱脈へ向けて、一行は足を踏み入れるのだった――!




