過去との対峙
ジャックが言葉を続けようとした、その時――。
――カチャリ。
遠くの屋根の上、湯煙の隙間から「金属が噛み合う音」が響いた。
常人なら温泉の湧き出る音にかき消されるような微かな異音で気づかない。だが、かつて精密機械のギヤの噛み合わせを音だけで聞き分けていたベイルの耳が、鋭くその音を捉えた。
「――全員伏せろッ!!」
ベイルから放たれた、耳をつんざくような叫び。
――チュンッ! パァンッ!!
次の瞬間、ジャックが押していた車椅子のすぐ足元の石畳が爆ぜた。
「ひっ……!? 刺客だ! あいつら、ここまで追ってきたのかッ!?」
青ざめるジャック。
「どういうことだ! ジャック!!」
「まだ親分が生きていると知ったあいつらがまた俺たちを狙ってきてるんだよ!! だから少しでも工房から離れるためにここまで来たっていうのに……!!」
「ちっ、肩の傷のせいで狙撃手の位置まで弾が届かねぇ……!」
フランが二挺拳銃を引き抜こうとするが、右肩の激痛に顔を歪める。トニーのショットガンも、この距離の屋根の上には届かない。
「ハハハ! 往生際の悪いジジイめ! その首と、隠した金庫の設計図のありかを吐いてもらうぞ!」
屋根の上から、黒づくめの男たちが四人、一気に路地へと飛び降りてきた。全員が最新式の連発ライフルと大型リボルバーを構えている。
「モネさん、メアリーさん、……親分とジャック達の方へ下がってて」
ベイルが、すっと前に出た。
その背中から、いつものモネにベッタリなお調子者の雰囲気が完全に消え去っていた。
広げた十本の指先。極限まで研ぎ澄まされた集中力が、彼の瞳を「冷徹な天才職人」の光へと変えていく。
「ベイル……? あんた、武器も持ってないのに――」
「モネさん」
ベイルは振り返らず、口元だけに静かな笑みを浮かべた。
「俺の手……親分から教えてもらった機械いじりのスキルと、叩き込まれた『職人の技術』。……アイツらに見せてやりますよ。俺がなんで『神の手』って呼ばれてたか」
すうっと深く息を吐き、ベイルは迫り来る四人の無法者に向かって、弾丸のような速度で地を蹴った。
迫り来る四人の刺客。その先頭の男が、嘲笑いながら大型リボルバーの引き金に指をかけた。
「ハッ! 素手で飛び出してくるとはバカな奴め! 穴だらけになりな――」
――シュッ!!
ベイルの体が男の懐へと滑り込んだのは、男が引き金を絞り切るよりも一瞬早かった。視線すら交差しない至近距離。ベイルの指先が、まるで精密なピンセットのように男の右手に添えられたリボルバーをすり抜ける。
――カチャ、シャコンッ。
微かな、けれどあまりにも軽快な金属音が二つ。
「……は?」
男が異変に気づいた時には、ベイルはすでに二人目の刺客の背後へと通り抜けていた。
慌てて引き金を引く男。
――チッ、カチッ。
空しく響く撃鉄の音。弾が出ない。どころか――
――パラパラパラッ……!
「ぐ、ギャアァァッ!?」
男の手の中で、大型リボルバーのシリンダー(回転式弾倉)とフレームを繋ぐ主要なネジ、そして中心軸のピンが一瞬で抜き取られ、銃身がまるで壊れたおもちゃのようにガラガラと足元へ崩れ落ちた。
「な、なんだと……!? 銃が、勝手に分解した……!?」
「勝手じゃないぜ」
二人目と三人目の刺客の間を、ベイルがまるで踊るようなステップで通り抜ける。
その瞬間、ベイルの両手が残像を描いて閃いた。スリで鍛え上げた超高速の手癖と、時計の微細なネジ構造を熟知した「指先の感覚」。
――シャショコンッ! パラパラッ!!
「なっ……俺のライフルが!?」
「バラバラになりやがったッ!?」
引き抜かれたのは、弾丸を送り込むボルトの固定ネジと、シアーの極小バネ。
構造の「肝」となるネジをたった一本、音もなくスリ盗られただけで、最新式の銃器はただの鉄くずの束へと変わる。
「ヒッ……化け物かコイツはッ!?」
最後に残った四人目の男が青ざめ、慌てて腰のナイフを引き抜こうとした――が、ベイルはすでにその男の眼前に立っていた。
「親分が教えてくれたんだよ。機械ってのはな、どんだけ頑丈に見えても……一番小さなネジ一本で、全部崩れるようにできてるんだってね」
ベイルは冷徹な職人の瞳で男を見据えると、手のひらをパッと開いて見せた。そこには、四人の刺客たちの銃から抜き取られた、十数個の精巧なネジやピン、バネがキラキラと朝日に反射していた。
「お前らの武器、ネジがゆるゆるだったぜ?」
「なんなんだよ!!こいつはッ……!?」
戦意を完全に喪失し、尻餅をつく男。
「ベイル、トドメよッ!」
背後から響くモネの凛とした声!
「はいッ、モネさん!!」
ベイルはいつものお調子者の顔にパッと戻ると、職人技から一転、モネから仕込まれた不格好だが力強い足技――豪快な前蹴りを男の顔面に叩き込んだ。
――ドカァァンッ!!
「うぉっ!?」
吹き飛び、激しく壁に激突して昏倒する最後の刺客。しん……と静まり返る路地。転がった無数の鉄くずと、全滅した刺客たち。
「……すご……」
メアリーが呆然と口を開ぐ。
「フラン……今の見た……? 一瞬ですり抜けただけで、銃が全部分解しちゃった……!」
「……うん。あいつの手の速さ、二挺拳銃の早撃ちどころの騒ぎじゃないよ。……恐ろしい手癖の悪さだね」
フランも肩の痛みを忘れて目を丸くしていた。ベイルはふぅと息を吹き消すように指先を整えると、静かにモネの方へと歩み寄った。
「モネさん……俺、少しは格好つけられましたかね?」
モネは手に持った日傘をゆっくりと閉じると、紫煙の向こうでニヤリと不敵で、どこか誇らしげな笑みを浮かべた。
「……見直したわよ、ベイル」
「も、モネさぁぁぁんッ!! 好きぃぃぃッ!!」
「調子に乗るなバカ!!」
――ベシィィッ!!
いつものようにモネの日傘がベイルの頭に炸裂する。
けれど、その表情には二人だけの深い信頼と絆が、しっかりと刻まれていた。
その時――。
「……う……うむ……」
車椅子の上で、固く目を閉じていた老人が、ゆっくりと瞼を開いた。
「お……親分……ッ!?」
ジャックとベイルが駆け寄る。老人は霞む目の中で、目の前に立つベイルの指先を――先ほど見事な職人技を解き放ったその手を、じっと見つめた。
「……ベイルか……。……ほう、相変わらず……手癖の悪い……いい指先をしておる……」
「親分ッ! 良かった……っ、目を覚ましてくれて……本当に良かった……ッ!」
膝をつき、親分の膝に顔をうずめて子供のように泣き出すベイル。
湯煙の立ち込める温泉街の朝日の中、ベイルの過去の止まっていたネジが、ゆっくりと、けれど確かに未来へ向かって動き始めたのだった。




