湯煙の去り際と、予期せぬ再会
翌朝。温泉街の爽やかな朝靄の中、一行は宿の玄関前で馬の手綱を握っていた。
「……ううっ……!! なぜ私は今、連邦憲兵隊への事後報告と、山のような裁判の準備のためにオフィスへ戻らねばならないのですか……ッ!」
パリッと仕立て直したスーツに身を包み、鞄を抱えたハーバートが、滝のような涙を流しながら叫んでいた。眼鏡が涙と鼻水でぐしゃぐしゃである。
「まあまあメガネ、仕事なんだから仕方ないでしょ。アーサーのやつをしっかり法で裁くのがあんたの役目なんだからさ」
モネが呆れたようにそう吐き出すと、ハーバートはハンカチで力任せに鼻をかみ、表情を無理やり整えた。そして、メアリーの前へ歩み寄ると、一歩引いて優雅に深く頭を下げた。
「メアリーさん……。あなたの旅に同行できたこと、そしてあなたの力になれたことは、私の人生において最も誇らしい誇りであります」
「ハーバート……。本当にありがとう。あたしたちを助けてくれて、アーサーを捕まえてくれて……ハーバートがいなかったら、あたしたちどうなってたか分からないよ」
「……ッ!!」
メアリーのまっすぐな感謝の言葉に、ハーバートの胸が熱く打ち震える。
「もし……もしまた法律的なトラブルや、変な無法者に絡まれた時は、いつでも私をお呼び出しください! 例え合衆国の裏側からでも、私は判例集を抱えて駆けつけますからッ!!」
「ふふ、うん! 頼りにしてるね!」
メアリーが眩しい太陽のような笑顔で手を差し出すと、ハーバートはその手を両手でぎゅっと握りしめた。
「おいメガネ、どさくさに紛れて手ぇ握りすぎ」
「ひっ!? い、今のは純粋な法務協定の握手ですッ!」
フランの冷ややかな眼光に背筋を凍らせつつ、ハーバートは愛馬の背へと飛び乗った。
「それでは皆さん! お元気で! 法のもとに、良き旅を――ッ!!」
バッとキザにハットを掲げ、ハーバートは何度も何度も振り返りながら、爽やかにそしてどこか未練たらしく街道の向こうへと去っていった。
「……ふう、嵐みたいな奴だったな」
トニーが苦笑しながら煙草を揉み消す。
「さーて! あたしたちも一度街で旅の買い出しをしてから、お父さんの手がかりを追って――」
「……え?」
メアリーの声に、ベイルがふと足を止めた。
温泉街の通りを渡る風の中、車椅子を押しながら歩く一人の青年の姿が、ベイルの視界に飛び込んできたからだ。その青年の顔、そして服の袖口から覗く使い込まれた工具ポーチ。
「……嘘だろ……。ジャック……!?」
ベイルの口から、普段のお調子者な声とは全く違う、掠れた声が漏れ出た。
車椅子を押していた青年がピクッと肩を跳ねさせ、ゆっくりとこちらを振り返る。
使い込まれた革の工具ポーチを腰に下げた青年――ジャックは、目を見開いてベイルを注視した。
「……ベイル……!? お前、ベイルなのかッ!?」
「ジャック! なんでお前がこんなところに……それに、その車椅子は――」
駆け寄るベイル。ジャックが押していた車椅子に腰掛けていたのは、頭と足に痛々しい包帯を巻き、目を閉じている一人の老人の姿だった。その白髪交じりの厳格な顔立ちを見た瞬間、ベイルの息が止まる。
「お……親分……ッ!? なんで……っ、親分が死んだって、工房が襲われて二人とも殺されたって聞いたのに……ッ!」
「生きているよ。……だが、一命をとりとめただけだ」
ジャックは唇を噛み締め、悔しそうに拳を握りしめた。
「あの日、あの『黒い金庫』の設計図を渡せと襲ってきた無法者どもから、親分はお前と俺を逃がそうとして一人で立ち向かったんだ。俺は足をやられたが、親分は何とか引っ張り出した……。でも、それ以来ずっと目を覚まさない。この温泉の湯治なら少しは良くなるかもと、ここまで運んできたんだ……」
「そんな……俺のせいだ……。俺がもっと器用に、あの連中の注文通りに金庫を作っていれば……ッ!」
「バカ言えッ!」
ジャックが鋭く一閃した。
「親分が命懸けでお前を逃がしたのはな、『お前のその手は、悪党の道具を作るためにあるんじゃない』って言いたかったからだろ! お前の仕掛け作りの才能、鍵外しの才能……親分は誰よりもお前を買ってたんだぞッ!」
「ジャック……」
うつむき、拳を震わせるベイル。ジャックが静かに口を開く。
「ここに来たのにはもう一つ理由があって……」




