第二十七話「ラストマンスタンディング」
小さい頃から何をやっても誰よりも上手くできた。
勉強?いっつも満点だよ
運動?かけっこで僕よりも早い子なんていないよ
空手?面白そう、やってみようかな。
空手をやり始めて1年、幼年部で全国優勝した。
それから佐山に負けるまで一敗もしていない。
佐山?あー、僕の友達!昔からのね!最近負けちゃったんだ!でも、大丈夫、僕天才だから、天才だからちょっと努力したら佐山なんて簡単にやっつけちゃうんだ!
いつからだ?努力をしなくなったのは?
いたからだ?全力を出さなくなったのは?
本当は怖かったんだ。佐山に負けたこと。
それを認めてしまったら、ほら、天才の名折れでしょ?
今まで必死に作り上げてきた砂の城が風で飛ばされちゃうじゃん。
だからね、ずっと、ずっと、真剣になるのが怖かったんだ。僕…
天才は遂に牙を剥いた。
友の危機に、何よりも自分の色濃い敗北の予感を前に、男はその整った美しい顔を醜く歪ませて、怪力無双に拳を、足を叩きつける。
花木は次々と連撃を打ち出す。
三日月蹴り、からの、上段回し蹴り、相手が怯んだと思えば、正拳突きからの抜き手で腹を突き刺す。
それでも、藤浪は倒れない。
この男、化け物か!?
花木は心の中で叫ぶ。どうすればいい、全力で打っている。
いや、考えるな、もう、何も、獣になれ、常軌を逸しろ、ただな相手を打ち砕け!!!
肉、血、骨、拳、足、熱、汗、怒、悔、焦、全部、全部、全部、こいつにぶち込め!!!
藤浪の体から血が飛び散る。全身に痣が出来、腫れ上がる。
反撃ができないでいた。あまりにも早い打撃。カウンターを合わせて殴りつけても、更に早い打撃で対応される。これが本気になった天才空手家、花木薫なのか。
しかし、全身に打撃がうちこまれていく。相当ダメージが身体に蓄積されている。
撃ち疲れを狙って、組みに行くか?
うん、それがいい、下手に手を出すと倍になってカウンターが飛んでくる。
全身の筋肉を引き締めて、守りに徹しろ。
藤浪はそう思うが、身体が勝手に拳を振るう。
何故だ?ふっと藤浪は笑った。
気持ちいいからだ。さっきから痛みが身体を駆け抜けているが、不思議と嫌な感じはしない。
原龍徳の時も、山口の時もそうだった。
全力で向かってくる強敵の拳は何千の言葉よりも雄弁に語ってきてくれる。
それが心地よい。ずっと続けばいいとすら思う。もしかしたら、何年かしたら、花木ともあいつらみたいに、気軽に飲みに行ったりする仲になるのかもな。
藤浪は血だらけの顔で優しく笑い、全力でその剛腕を振るった。
単純なテレフォンパンチであったが、振るった時、藤浪の目に血が滴り、目を瞑ったせいで軌道がずれた。それが逆に良かった。
花木の予想とは異なる軌道は花木の胸を捉え、ぶち当たり、花木の身体が吹っ飛んだ。
花木は膝を折って、息をした。
もう、限界は近い。床に全力で叩きつけられたせいで肩は少しでも動かすと痛いし、ドロップキックを顔面に食らったせいで、首回りは少しでも動かすと激痛が走る。そんな状態で長時間打ち込めたのはアドレナリンが回っていたからだ。それも一滴残らず使い果たし、それが今切れた。
全身を疲労感と激痛が包み込んでいく。
「藤浪、次の一撃で俺は倒れる。次の一撃、耐えたらアンタの勝ちだ………受けてみろよ」
花木は全力で2分以上打ち続けたのだ。体内には少しのグリコーゲンすら残っていない。
だが、それが良かった。疲労による脱力、それにより、無駄の一切ない動きができた。
スッと、花木の体が動く、間合いを詰める。
花木の足が跳ね上がる、と、同時に花木の上体は下へと滑り落ちる。
花木はその場で、バク転をやってのけた。
そして、その足の切先は見事に藤浪の壊れた顎に突き刺さった。
壊れた顎が更にひしゃげる。
嫌な音がした。
が、藤浪はこれを待っていた。
どんな強打が来ようと、意識を失わないように、事前に歯の間に舌を挟み込ませておいた。
花木の一撃で舌は半分ちぎれたが、しかし、その激痛のお陰で倒れることはなかったのだ。
回転し、地上に降り立った瞬間、僅かな隙が生まれる。そこに全力の一撃を、捕まえてドラゴンスープレックスを見舞ってやる。
花木が着地すると同時に、タックルを藤浪はぶちかます。
しかし、花木の身体を捉え損ねた。
この美しい獣は、最後の一撃を喰らわすと同時に宙で気を失い、着地と同時に、糸の切れた人形のように地面に倒れ込んでいたからである。
倒れている花木が気を失っているのを確認してから、藤浪はその場で片膝をついたまま一歩も動けなくなっていた。
花木薫、凄まじい男だった。
見事な技の数々、技術だけなら何枚もお前の方が上だった。
お前以上に天才という言葉が似合う男を俺は知らない。
「お…お客様…!?」
ここにきてやっとカフェの店員が二人の前に顔を出した。
突然始まった猛者二人の激闘に、そのアルバイトは警察を呼ぶこともできず、ただカウンターの中で震えていることしかできなかった。
ようやく静かになった店内をおずおずと見るが、余すことなく破壊された店内に、お客様、から先の言葉が出ない。
「すまないな、修理代は全部、加賀流のバカどもにつけておいてくれ、そして、悪いが、俺とここにいる紳士に水をいっぱいくれないか?」
藤浪は努めて優しい口調で言ったが、顎を破壊され、舌を半分切った藤浪の言葉を殆ど店員は聞き取ることが出来ず、ただ、強面の男が呪詛を唱えているようにしか見えなかったものだから、余計に震え上がったのであった。
横たわる花木は意識が薄れゆく中思った。
強い、これが加賀一派の、藤浪ドラゴンの力か…
でもな、これで、ハッキリと分かった。
佐山大海はお前らよりもっと強い。