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第2話「吸血騎士」

 青い世界の中を今、ユアン・マルグスは飛んでいた。

 どこまでも青い海と、果てしなく青い空。

 1m(メートル)四方に満たぬコクピットは、その内側の全てが高画質モニターだ。カメラが捉えた画像をCGで補正して、距離感をそのまま特殊硬化テクタイトの風防(キャノピー)と共有している。

 青一色に圧縮されたユアンは、その美しい中を真紅の翼で切り裂く。

 音速を超える超高速巡航(スーパークルーズ)で、獲物へと向かって真っ直ぐに飛んでいた。

 ヘルメットに繋がり固定されたマスクの影で、(くすぶ)る憎悪に呟きが漏れる。


「待っていろ、エルベリーデ……お前の裏切り、仲間の死を……精算してやる!」


 端正な顔つきは今、ヘルメットに覆われ目元しか見えない。そして、暗い情念が鈍く輝く瞳は、まるで爆発寸前の超新星だ。

 そして、ユアンの愛機は復讐の矛先をさだめて主に伝える。

 レーダーは(すで)に、なんらかの目標へ向かう編隊飛行を(とら)えていた。


「見つけたあ! ……待っていろ、今……今ぁ! お前に血の代価を払わせてやる」


 スロットルを叩き込み、愛機へとさらなる加速を念じるユアン。

 双発の機体がビリビリと震えて、暴力的な推力が()えた。

 ――Fv-67"レブンカムイ"。

 (いにしえ)の言葉で『(シャチ)』を意味する、特殊な多目的汎用戦闘機マルチロールファイターだ。五十年戦争と呼ばれる狂気の厄災が生んだ、美の結晶。卓越した技能とセンスを持つパイロットだけが扱える、空中の支配者である。

 真紅に塗られたユアンの機体は、R6型と呼ばれるサブリミテッドナンバーだ。

 だが、死を彩る芸術的な殺戮装置(キルマシーン)は……完調状態ではない。

 専門のメカニックによる整備を受けていないからだ。

 それでもユアンは、破綻寸前の翼に自分を重ねていた。

 絶え間ない加速のGの中で、目を見開いて奥歯を噛み締める。

 イン・レンジ……ユアンは復讐劇の舞台へと躍り出た。


「エルベリイイイイデエエエエエッ!」


 絶叫と共に、真っ逆さまに愛機を落としてゆく。

 その先に、綺麗に編隊飛行で進むかつての仲間がいた。一糸乱(いっしみだ)れぬ統率(とうそつ)の先頭に、純白の機影が翼を(ひるがえ)す。

 (けが)れを知らぬ白亜の機体は、憎き怨敵(おんてき)のパーソナルカラーだ。

 いつもその純白を守って飛んだ。

 同じ機体、エースの(あかし)……吸血戦隊と恐れられた者たちだけの翼。ユアンが駆る機体と同型の"レプンカムイ"、指揮官用のC型だ。

 そのコクピットにユアンは見る。

 目視で確認する。

 最後に見た時と変わらぬ美貌が、細められた目を見るだけで思い出された。

 そして、鼓膜を懐かしい声が撫でる。


『全機、散開(ブレイク)! 目標へ向かえ……()()()()()()()()。繰り返す、目標へ! 一切の交戦を許さない!』


 張り詰めた女の声だった。

 耳元で甘く(ささや)き、胸の下で(あえ)いでくれた声。

 そして、戦場でユアンたちを導いてきた隊長の声だ。

 誰にとっても尊敬できる、敬愛してしまう上官だった。常に最前線で戦い、困難なミッションを幾度も(くぐ)り抜けてきた。

 エルベリーデ・ドゥリンダナとは、そういう女性だった。

 そして、ユアンにとっては恋人という言葉に集約される。

 それが過去形であることは言うまでもない。

 周囲でエルベリーデが率いていた編隊は、あっという間に乱れて空中分解した。錯綜(さくそう)する混乱の中で、迷わずユアンはエルベリーデの背後に迫る。

 同調した回線の向こう側へと、怨嗟(えんさ)の声が(ほとばし)った。


「エルベリーデッ! お前は、俺が……ッ!」

『その声、そしてその機体……ユアンか』

「忘れたとは言わせない。そして、俺もまた忘れるものか! お前の裏切りを(あがな)え……あの世で仲間たちに(わび)てこいっ!」


 揺れる照星(レティクル)の向こうに、エルベリーデの背中を囚える。

 ウェポンセレクターを操作する必要はない。

 ミサイルなど搭載されていないからだ。

 だが、僅か数百発の機関砲、20mm(ミリ)(つぶて)が放てれば十分だ。

 迷わずユアンは銃爪(トリガー)を引く。

 迸る火線の上で、白鳥の様に優雅にエルベリーデが踊った。雲を引きながらバレルロールで、機体を降下させてゆく。

 すかさず追うユアンを苛烈なGが襲った。

 耐Gスーツの締め付けに絞られる中で、狭くなる視界に集中力を注ぐ。

 機体性能は互角、ドッグファイトではむしろユアンに分がある。

 だが、十分な整備を受けていない愛機はむずがるようにガタつき、徐々に引き離されていた。エンジンは万全ではないし、細かな調整はパイロットのユアン一人では無理だった。無理と知ってオイルに手を汚す日々だったが、専門の者には遠く及ばない。


『無様だな、ユアン。普段のお前であれば、既に私は生きてはいまい』

「遅かれ早かれ同じことだ!」

『フッ……済まなかったとは思っている』

「なにっ!?」


 見えない炎で空気を沸騰させ、熱気を引き連れ白い機体が飛ぶ。その背後を追い回すユアンは、エルベリーデの言葉に動揺を隠せなかった。

 済まなかった? 思っている? 今更!

 激昂(げきこう)にいよいよユアンは気勢を張り上げる。

 言葉にならない声が、裂帛(れっぱく)の意思を愛機に宿した。

 加速度的にバランスを失ってゆく機体は、その色の通り燃えていた。血潮を(たぎ)らせるユアンを体現するように、(あか)い翼が天を駆ける。

 だが、聴こえてくるエルベリーデの声は平静で、冷静で、そして凍れる冷たさに尖っていた。


『本当に済まなかった』

「今更っ!」

『詫びよう、ユアン……あの時、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 刹那、攻守が入れ替わる。

 不意に機首をあげたエルベリーデの"レプンカムイ"が、あっという間に視界から消えた。背後を振り返りながら、瞬時にユアンが機体を翻す。

 エルベリーデは機体を持ち上げた空気抵抗で、急減速したのだ。

 追い越してしまったユアンの背後に、白き女神の怜悧(れいり)な声が響く。


『お別れね、ユアン。好きだった、愛してもいたわ』

「クソッ、振り切れないっ!?」

『一撃で楽にしてあげる。……さよなら』


 アラート音がコクピットに満ち満ちる。

 放たれた二発のミサイルが、ユアンの背後に迫っていた。

 同時に、ことは済んだとばかりにエルベリーデが高度をあげる。その白い機影が遠ざかる中で、ユアンには不可避に思える死が近付いていた。

 フレアは切らしているし、機体は思うようには動かない。

 それでも、ユアンは天空を睨んで太陽の中にエルベリーデを見上げる。

 そして、急上昇で最大出力を解き放った。

 空気との摩擦で、機体の表面温度が急上昇。

 ループでやり過ごすユアンの視界が、あっという間にブラックアウトした。耐Gスーツでコントロールしきれぬ血流が、両脚へと急激に奪われてゆく。

 直感で操縦桿(スティック)を握るユアンの背後で、爆発音が二つ連鎖した。

 先にGに負けたミサイルが自爆したのだ。

 同時に、ユアンは(なお)もエルベリーデへと追い(すが)る。


『あれを避けるか……やはり直接相手をするしかないようだな』

「俺を()めるな、エルベリーデ! 地の果て、海の底、宇宙の深淵までも……この空が繋がっている限り、俺はお前を追い続ける!」

『しつこい男は嫌いだな! ……そうなら、嫌えるから……!? クッ、なにをやっている、周りっ! 交戦は許可しないと言った!』


 先程までエルベリーデと飛んでいた編隊が、隊長機たる彼女を救うために戦線に加わる。

 その数、15機。

 二人だけのホットラインが、あっという間に有象無象(うぞうむぞう)の声でかき混ぜられる。

 そして……ユアンの口元に笑みが浮かんだ。

 それは、悪魔に魂を売り渡した闇夜の眷属(けんぞく)、正しく吸血鬼(ヴァンパイア)が牙を()くような笑いだった。


『隊長っ、援護します! 各機、相手は単機だ! 包囲して殲滅する!』

『なんだあ? こいつ……隊長のケツばっかおいかけやがって』

『大戦の英雄、"白亜の復讐姫(ネメシスブライド)"を知らないなんざ……()ちろよぉ!』


 エルベリーデの静止を呼び掛ける声がかき消される。

 "白亜の復讐姫"……それがエルベリーデを飾る名だ。

 協約軍の士気高揚に貢献した、プロパガンダが生みし幻想。そして、その恐ろしさを直接体感した人間は一人として生き残っていない筈だ。

 ユアン以外の誰一人として。

 乱戦となる中で、ユアンの機動領域が次々と(こそ)げ落ちてゆく。

 数で圧倒する敵の包囲網は、紅き獣を(おり)に閉じ込めようとしていた。

 だが……その檻に(かんぬき)をかけようとする手を、ユアンはたやすく食い千切(ちぎ)る。

 空に銃弾の軌跡がミシン目のように走った。

 そして、縦横無尽に飛び交う敵意の一つが火を噴く。


『なにっ!? ローレンツがやられた!?』

『どうして、たかが一機に……ッ!? こ、今度は俺が? い、嫌だ、誰かァ――』

『くそったれ、ケヴィンまで! これ以上は……やらせるかよぉ!』


 一機、また一機と敵が堕ちてゆく。

 必死で叫ぶエルベリーデの声を上書きするように、ユアンは赤い絵の具で空を血に染めた。毎分8,000発の超高速で撃ち出される20mmが、次々と未熟者を(ほふ)っていった。

 新しいエルベリーデの仲間たちは、ユアンから見ればカモに等しい。

 そして恐らく……あの女にとって連中は作戦遂行のための手駒、取るに足らないパイロットでしかない(はず)だ。そう思えるのに、必死で声を張り上げるエルベリーデに怒りがこみ上げた。

 自分を裏切り、仲間たちを殺した女の飛び方ではない。

 その白い翼は本来、ユアンと同じ色に汚れているのだから。


『各機、離脱を! それと戦っては駄目……何故なら、その男こそが!』


 そう……世界中で戯曲(ぎきょく)や映画になった、英雄伝説の真の姿。

 才色兼備(さいしょくけんび)の美しきエースが駆る、"白亜の復讐姫"……劣勢だった協約軍に堆積(たいせき)していたフラストレーションに、勝利と言う名の劇薬を投入し続けた存在だ。

 そしてそれは、エルベリーデ・ドゥリンダナという名の影に真実を隠している。


『繰り返す、交戦は許可しない! クッ、目標との会敵時刻だ、既にこの空域内に目標が……離脱して編隊を組み直せ! 目標の撃墜を……その男に関わるなっ!』


 もう遅い。

 息も絶え絶えに飛ぶ真紅の翼は、ユアンの手足であり、殺意を表現するための楽器だ。高らかに撃ち鳴らされる死で、空に爆炎が乱れ咲く。

 ドッグファイトにおいて、多対一に圧倒的な戦力差など存在しない。

 そればかりか、相手の多数を有利にしてしまう者たちがいる。

 かつてステルス性能を保持したミサイルキャリアーでしかなかった戦闘機が、再び戦士たちの分身として空中の闘技場(コロッセオ)を飛び回る時代……エースと呼ばれる人間たちが取り戻した、翼に全てを(たく)して飛ぶ世界の摂理(せつり)

 その中で生まれた伝説を、ユアンは高らかに謳う。


「その腕では、俺の空は飛べない。"白亜の復讐姫"を作り上げて演出した、この俺……"吸血騎士(ドラクル)"の前では、なんぴとたりとも飛ばせない!」


 叫ぶユアンが風を切る。たやすく敵を切り裂く。

 必死に部下たちを統制して守ろうとする、英雄の白き翼を嘲笑(あざわら)うように。

 自らの破滅への時間を今、ユアンは全力で疾走していた。

 残弾も燃料も、あっという間に消えてゆく。

 最後には自分の命さえも燃え尽きる。

 それでいいと覚悟していたし、そうであっても揺らがぬ決意があった。

 ただ一人、エルベリーデ・ドゥリンダナを殺せるなら、なにもいらない。

 だが、そんな彼の視界に突然、鈍重な巨体が映った。

 それは、護衛の戦闘機すら連れていない、軍用の輸送機だった。

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