58 無職なので魔王でもやらないかと誘われました
「はっくしょん! ……んぁ?」
自分のくしゃみで目が覚める。
まだ夜明け前かよ……。
誰かが……、いや、十中八九クーリエが掛けてくれた毛布を捲って俺は上半身を起き上がらせた。
「さっぶ……」
脇を抜ける風が想像以上に冷たい。
どうやら遮るものが何も無い高原というものを甘く見ていたようだ。
やっぱキャビンで寝ればよかったな……。
俺は後悔の念を抱きながらその場に立ち上がった。
きょろきょろ。
異変は無いか一応辺りを見回してみる。
ジョッキを掴んだまま大の字に倒れているスカーレットの姿が視野に入り込んだ。
まあこいつとルシオンは風邪とは無縁に違いないから放っておきゃいいや。
実際クーリエもあいつには毛布掛けてないし。
「おはようございます」
「うわっ! ああ、クーリエか……。おはよう」
爆睡魔王から視線を戻すと俺の眼前にクーリエが立っていた。
暗闇で音も無く目の前にやってきた彼女に俺は無防備な声を上げてしまう。
これがルシオンだったら顔面掴みの刑だが相手はクーリエ。
俺は何事もなかったかのように挨拶を返した。
「それより寝てなかったのか?」
「はい。警備の方も休まれておりますので」
青白い燐光を漂わせる魔王のお墨付きを得た魔法陣。
その中で今回の同行メンバーが暫し安息の時間を取っている。
一部、寝落ちした奴も居るが……。
「このまま起きてるなら俺も目が冴えちまったし少し歩かないか?」
「はい」
控えめに承諾の意思を口にしてクーリエは俺の右側に立った。
「ん」
どうせ握られるので右手を差し出すと案の定彼女の両手に包まれた。
むにむに。
何だろ、いつもと少し違う揉まれ具合を感じるような……。
「サム様?」
「何だ?」
「若干の体温の低下が見受けられます。治癒魔法で体温の回復が可能でございますが……」
「へー、魔法でそういうのも管理できるんだ。ていうか手のひら触るだけで分かるのか」
「はい。逆に風邪ですと体温が上がりますので体調を見極めて魔術による適切な治療を施しております」
「そうなんだ。流石ヒーラーだけの事はあってそういうの詳しいんだな」
「あ、いえ、私はまだ未熟者ですので……」
クーリエはゆらゆらと翼を揺らせながら謙遜の言葉を綴る。
とはいえ禁呪に相当する魔法もそれなりに習得しているのだから能力は申し分なしなんだけど、まあクーリエだしな。
控えめな彼女の姿勢に俺は肯定することも否定することもなく手を繋ぎながら2人同時に魔法陣の外に出た。
月明りだけを頼りに終わりの見えない草原を進む。
それよりも風が冷たい。
「やっぱり夜は冷えるな。なあ、さっき言ってた治癒魔法頼めるか?」
「畏まりました」
右隣に立っていた彼女は承諾の旨を示すと向き合うように俺の正面に回り込んだ。
手は握られたまま。
詠唱している気配は無かった。
それなのに彼女の手から伝わる温もりが俺の身体全体に回り込んできた。
「えっと……、これも魔法?」
「左様でございます」
これまでにクーリエが無詠唱で魔法を使う姿を度々目にしていた。
その度に『魔法は詠唱して発動させるもの』という学校で知った常識が打ち砕かれてきた。
俺は魔法を使えない。
素質が無いから使えるように努力も勉強もしなかった。
結果的に魔法における常識に疎い。
だからこそ僅かに蓄えられた魔法に対する意識を書き換えることができる。
逆に俺が魔法を使えたのならば凝り固まった思い込みが邪魔をしてクーリエに恐怖心を抱いていた可能性すらあるんだろうな。
「あの……、サム様?」
「あ? ああ、何でもない。ちょっとボーっとしてたわ」
前髪の隙間から覗かせる深紅の瞳はその柔和な微笑みを携えて俺の猜疑心を解きほぐしてくれる。
もしかしたら彼女が俺を必要としている以上に俺が彼女を必要としているのかもしれない。
俺という個性をありのままに受け止めてくれるその姿は、いつの間にか俺にとってかけがえのない存在になっていたようだ。
「うん、何か体調が良くなった感じがするな。ありがとなクーリエ」
「あ、いえ……」
クーリエは照れ臭そうに小さく俯きながらも翼をゆらゆらと揺らしている。
繋いだ手は俺を何処にも導かない。
ただ静かに寄り添うだけ。
俺達はか細い月の光に照らされて意味も無く草原を進んだ。
…
「そう言えばクーリエって将来の目標とかあるの?」
真っ暗で代り映えの無い景色に飽きてきた頃、ふと何気なく隣人に話し掛けた。
考えてみりゃ齢200を超える相手に聞く質問ではなかったのだが……。
「いえ、その、特には……」
「無いんだな?」
「はい……」
予想できていた答えだった。
裏を返せば現状は安定しているということだ。
まあ寿命は長いんだ、いずれやりたいことのひとつも出てくるだろう。
「あの……」
「ん? どうした?」
「サム様はその……、将来の目標はお考えでしょうか?」
「俺?」
まさかクーリエに同じ質問を聞き返されるとは微塵にも思っていなかった。
俺の将来像か……。
「それって母さんのことが分かった後の話だよな?」
こくり。
暗闇の中、クーリエが小さく頷くのが感じ取れた。
「そうだな、家はカチルが継ぐから、俺はどうすっかな……。スマン、何も考えてなかったわ……」
クーリエのことをどーこー言う前に自分の未来図も白紙だった。
いや、クーリエは一応魔王の側近というポジションがあるから何ら問題は無い。
問題があるのは俺の方じゃねえか……。
「その、以前アゼルネアでお母様の件が片付きましたら……」
「ああ、それは覚えてるよ。何時になるか見当もつかないけどお前さえよければずっと隣に居させてくれ」
ぎゅ。
クーリエがこちらに半歩踏み出し、両手でしがみつくように身体を寄せてきた。
広大な草原の片隅で俺達は足を止めて互いの熱を感じ合う。
「申し訳ございません。このまま……」
言葉を遮るように俺は寄り添う身体を更に引き寄せる。
ヒューマンとは比べ物にならない魔力と桁違いの寿命を秘めたその身体はとても柔らかくてとても暖かくて全力で抱き締めたら壊れてしまいそうで、それでも俺は彼女を離すまいと強く強くその華奢な身体を抱きしめた。
さて、このまま突っ走ってしまいたいシチュエーションなのであるが、ここで俺の冷静な部分が顔を覗かせた。
クーリエを抱きしめるのは良しとしよう。
好きだから。
しかし問題はそこから先。
仲睦まじく一緒に過ごすにしてもその背景が思い浮かばないのだ。
エルバード亭にしてもウチで経営している宿屋にしても俺はオーナー一族のご子息というポジションで携わっている。
もちろん現場に立った事など一度たりとも無い。
となるとイセリアに居を構えるなら実家の道具屋で店番するのが妥当であろう。
爺さんも親父もそうしてきたんだし。
でもイセリアから離れたら今の俺に何ができる?
剣の修業を終えヤマトから戻り、そのまま働きもせず母さんを探し出す名目でイセリアとカーネリア王国を行き来している。
それだけだ。
道場でも開こうかと思案したこともあったが俺の個人ランクはAランク。
冒険者の証を手にしたとしても正直厳しいものがある。
うーん、俺のこの先か……。
定職に就いていない立場としては将来的ななんちゃらといった場面で必ずと言っていい程、ネガティブな思考が湧き上がってしまう。
家督はカチルが継ぐから尚更だ。
クーリエのことは大事に思う。
だけどキャスバルに帰りたいと言われたら?
所詮Aランクの俺が危険な新天地で天寿を全うできるのだろうか……。
一通り考えを巡らせてロクな未来も想像できなかったことだし、俺にしがみついたままピクリともしない相方ちゃんの意見も聞いてみますかね。
「それよりさあ、クーリエって俺に将来こうなってほしい! みたいなのってあるの?」
俺はクーリエの頭の上に顎を乗っけながら話を振るとゆらゆらと揺れていた翼がピタリと動きを止めた。
「え……、えっと……、スカーレット様から王の座を受け継ぐというのは」
「却下」
「はわわわわ……」
俺はクーリエの髪をわしゃわしゃと掻き回しながら拒否すると何時ものポンコツな声が漏れ出した。
「ったく、お前まで何言い出すんだよ」
「申し訳ございません。ですがスカーレット様が王位に就く理由はキャスバル大陸で起きる暴虐の抑制ですので……」
「だよな。だから力の無い俺には魔王なんか……」
「もし、サム様が王に就かれた暁には私が命を賭して安全を約束します」
「クーリエ……」
俺の背中に回したクーリエの両手が上着をギュッと掴んできた。
彼女の信念がその手から伝わってくる。
ぶっちゃけ魔王なんかにこれっぽっちも興味は無い。
だけどクーリエの気持ちを無下にするのも心が痛むようで俺はただ彼女を抱き締めることしかできなかった。
「かぁーーーーーっ!!! 貴様という男は何故黙りこくっておるのじゃ!! もっとこう己の勇ましさを伝えようと躍起になるところじゃろが!!」
風下から忍び寄るちんちくりんなシルエット。
東の空が明るくなってきたからそろそろ目を覚ます気がしていた。
目が覚めたら俺とクーリエが居ないから辺りをうろつくのが目に見えていた。
見つかったら鬱陶しいんだろうなと思いながらもクーリエを抱き締めていた。
そして案の定凄まじく鬱陶しい。
「行こうぜクーリエ」
俺はクーリエの手を掴んでスカーレットから遠ざかるように歩き出した。
1歩、2歩、3歩、ここっ!!
クーリエの手を振り解き右手を頭上にかざす。
ガシィィィッ!!!
「ぐほあっ!!」
隙あらば背中に寄生する夏の虫が火元に飛び込んできた。
伸ばした手から伝わる確かな手応え。
爆釣だぜ!!
「これはこれは、誰かと思えば魔王様じゃないですか。それにしてもやけにタイミングが単調過ぎやしませんかねえ」
メリメリメリメリ。
食らえっ!
今だけ特別、出血大サービスで時間延長だ!
メリメリメリメリメーリメリ。
「うごぁぁぁぁぁ……」
親指の腹でこめかみをフルパワーで指圧するとだらしなく口を開けた魔王の断末魔が草原に響き渡った。
クックック、いい声でさえずりよるわ。
「あっ、あの、サム様、スカーレット様も悪気があった訳ではございませんので……」
「ん? そうか?」
悪気が無いなら尚更タチが悪い気がするけどクーリエが懇願するので俺は渋々魔王の顔面を手放した。
それにしてもこの丸い小顔の掴みやすさたるや。
機会があったらまた掴もう。
「おのれ~、王の顔に泥を塗りおって、貴様なぞクーリエが傍に居らねば地獄の果てまで真っ逆さまなのじゃ!」
「いや、俺の手にお前の顔面が突っ込んできたんじゃね?」
「過程の話なぞしとらん! 結果の話じゃ!」
「そうか、それは大変だな。まあ事あるごとにカッカするとセシルと属性が被るから程々にな。ホレ、あたしって言ってみろよ」
「うぐっ、それだけは絶対に嫌なのじゃ……」
痛い所を突かれてスカーレットの語気が落ち着いた。
やはり常に冷静さを持ち合わせている分、セシルより扱いやすい。
「ったくよぉ、おんぶしてほしいなら空から降って来ずに素直に頼めっての」
スカーレットの怒りが収まったようなので俺は彼女に背を向けてしゃがみこんだ。
「ケッ、そんな接待された背中に興味は無いのじゃ」
スカーレットはプイッとそっぽを向いてその場に立ち尽くしている。
こんの野郎、なんちゅう天邪鬼な性格してやがんだ……。
「じゃあいいよ。二度と俺の背中に乗っかるなよな」
ビターン!!
「ぐおっ!!」
俺は立ち上がろうと膝を伸ばした瞬間、この至近距離からは到底想像もつかない速度で背中に引っ付いてきやがった。
「カッカッカ、やはり荒くれた馬の方が乗り心地が良いのじゃ」
「ザッケンナ! 誰が馬だ! 今すぐ降りやがれ!」
身体をブンブンと揺さぶって引き剥がそうとしたが謎の吸引力のせいで離れる気配が一向に見えない。
無理だ、諦めよう。
「つーかさあ、お前クーリエに何言わせてんだよ」
「はて、何の話じゃ?」
「クーリエまで俺に魔王にならせようとしてくるんだけど絶対お前の悪影響だろ」
「いやはや恐ろしい言い掛かりなのじゃ。何を食えばそのような暴言を撒き散らせるに至るのじゃろうか……」
キャンプへ戻る道中、飴ちゃんをバリバリと噛み砕く寄生魔王に文句をぶつけると何とも白々しい返事が。
当然の如く共謀の隣人は手を握ったままだんまりである。
「大体さあ、お前が強いからキャスバルを抑え込めてるんだろ!? だったらそんな事俺にさせるって普通におかしいって思わんのか?」
「それについては心配無かろう。ホレ、お主には従順な下僕が居るであろうが」
「アレがどうしたんだよ」
「あんな規格外はキャスバルには居らぬでのう。アレが軽く圧力でも掛けてやればキャスバルの連中なんぞ皆ひれ伏すわい」
「ってもそれって俺の力じゃないし。ていうかあいつそんなにヤバいのか?」
「ヤバいなんてものじゃないわ! あやつが寝ている隙にありとあらゆる魔法を掛けたのじゃが全て弾かれおったわ」
どさくさに紛れて魔王がとんでもないことを打ち明けやがった。
その口調と顔色を見るだけでルシオンが如何にヤバいのかが手に取るように分かる。
「なかなかひでえことするな……。でもあいつ魔法使えないから魔法抵抗値も低いんじゃないの?」
「妾もそう思ったのじゃが実際奴には一切の魔法が通らん。内に魔力を秘めておる気配も感じられぬし実に謎な生き物なのじゃ」
先日、スカーレットとは互いに同意した意見がある。
ルシオンを天使から魔力を搾り取った残りカスと表現することだ。
事実、あいつは魔力を持っていない。
それを示唆するように飛べるけど空中静止ができない。
でも魔法は通じない。
そりゃ魔王も頭を悩ませるわ。
「まっ、今はそれは置いといて」
ウチにルシオンが居るからってそれで俺が魔王になるのかと言えば筋違いな話だ。
いくらこの2人が望もうがきっちり断らないとな。
俺は魔王になる気なんて更々無い。
そうスカーレットに伝えようと思った瞬間、彼女が先手を打つかのように俺の耳元で呟いた。
「お主にならば魔王の座を譲り渡してもよいと思っておる。とはいえあくまで任意じゃ。妾は決して強制なぞせぬ。じゃがな、よーく考えてみい、魔王になればその権限でキャスバルにエルバード商会を進出させる事も容易であると思わぬか?」
「なっ!!」
アゼルネアでカチルが口にした親父の夢。
親父の夢はそう、エルバード商会の5大陸進出。
当然同席していたスカーレットの耳にも届いている。
だからこそ今こうして扇動のネタにされているのは明白だ。
俺も散々親父の背中を見てきた。
カチルに教えられるまで親父の夢なんて知らなかったが、商売人として5大陸に販路を拡げるのは間違い無く悲願と言ってもいいだろう。
まあコルトリーフがあんな感じだから実質4大陸進出だけどそれは置いといて、未だエルバード商会が進出していないのはキャスバル大陸だけ。
俺が今ここで首を縦に振ればその夢は一気に加速する。
「なぁに、焦る話でもない。先ずは目先の問題を片づけてその後にゆっくりと考えるがよい」
東の空から顔を出し始めた朝日。
意図せず雲の隙間から届く光に照らされた魔王と目が合った。
その屈託のない笑顔にまるで心の奥まで見透かされているようで、俺はぎこちなく苦い顔で返すのが精一杯だった。




