【番外編1】ライブ会場という名の、理性の墓場
地下アイドル「ルリルリ」のライブ会場。薄暗いホールの中、熱狂の渦に飲まれる観客たちの中で、箱山だけが異常なオーラを放っていた。
他の観客が自由奔放に光を振る中、箱山は一定の速度、一定の軌道でペンライトを振っている。その動きは、まるで座標軸の上で正確にトレースされた y =sin(x) の波形そのもの。
「……先生。それ、ライブじゃなくてただの関数の可視化ですよ。踊るんじゃなくて『出力』してるでしょ」
「黙れ、葵ちゃん。
これはルリルリの跳躍運動を n 回の微分で近似し、最適解となる振幅を求めた結果だ。この 2π の周期こそが、彼女への敬意なんだ」
そんな狂気の中、カノンがニッコリと微笑みながら箱山の肩を叩いた。
「箱山く〜ん♡ 次はルリルリに会えるよ!
あ、でもね、ごめん。会えるっていうのは、カノンがチェキ撮ってもらう時のカメラマン係ね! 重い機材、持てるよね?」
「……ッ!!……会える! カメラマン! 彼女の瞳のピントを、この僕が合わせるというのか!!」
箱山は歓喜のあまり心臓発作のような過呼吸に陥りながら、震える手で重厚なカメラを抱え込んだ。
しかし、その視線の先で、場違いなほど屈強な男がリズムに乗っている。
一条健、その人だった。
「いやあ、素晴らしい! ルリルリのダンスは筋肉の動きが完璧だよ。あの跳躍時の大腿四頭筋の収縮……見ていて感動するね!」
「……お前、なぜここにいる。筋肉の祭典ならジムへ行け」
「ん? 箱山さんじゃないですか。確か、香坂さんの家庭教師の。
僕もルリルリのファンなんだ。
筋肉はね、ダンスという芸術と親和性が高いのさ」
(僕の聖域……カノンさんと至高のルリルリが交差するこの場所まで、この脳筋は侵食してくるのか……ッ!)
箱山はカメラのレンズ越しに、
カノンと一条が仲良さげにルリルリのダンスを論じている姿を見つめ、レンズのピントを合わせる指に憎悪と愛着を込めた。
◆
(後日、リビング)
「……で、先生。ルリルリのライブ、楽しかったんですか?」
箱山は冷徹な仮面を取り繕い、
参考書のページをめくる。
その手つきは、どこか魂が抜けたように緩慢だ。
「……論理的に分析すれば、あれは時間と金銭の著しい浪費だ。筋肉の塊と、搾取の構造しか見えなかったよ」
「……そうですか? ライブ中、先生すごく嬉しそうでしたよ? ずっと『カノンさん可愛い』って呟きながら写真撮ってましたし」
葵がにやける。
箱山は無言で、胸ポケットから隠し持っていたカノンとルリルリのチェキを、参考書の奥底へ、まるで墓穴に埋めるようにそっとしまい込む。
「……授業だ。因数分解を始めよう。
君のそのスカスカな脳に、少しは価値ある情報を入力せねば、僕の貴重なリソースが完全に無に帰す」
箱山の背中には、ライブ会場の重いカメラを担いでいた名残のような、言いようのない疲れと、それでも消せない「狂信」の残滓が漂っていた。
(……顔に出すぎだよ、先生)
葵はそんな箱山の「論理的敗北」を、
少しだけ面白がりながら、鉛筆の先を整えた。
この度は家庭教師コメディをお読みいただきありがとうございます!明日も12時10分に次話を更新します。
もし少しでも気に入っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援していただけると執筆の励みになります!
なお、夜は20時10分に毎日更新している別作品で『告解者』という完全シリアスなサイコサスペンスも書いておりますので、もしよろしければお読みいただけると嬉しいです★




