アンジェリカの引退の巻
アンジェリカの冒険者としての最後の仕事は、旧友である挿絵画家カメリアとそのパートナーアニスの護衛と案内だ。
「泪橋の向こうに行くなんて、冒険者やってた頃は考えられなかったわ」
「二人が加入してから一気に行動範囲が広がってねー」
マリーとアコニーも随分冒険者稼業に慣れてきたし、アキレアも安定しているように思っていたが、引退の日が近づくにつれて、甘えてくる頻度も増えてきて、そして今もべったりくっついている。
「やっぱり寂しい?」というアニスの問いに「うん」と答えてしがみつくアキレア。
本当に大丈夫かいな……とカメリアは思った。
「まーナモナキはそんな遠くないしさ、いつでも会えるって」
もう十四歳だというのにいつまで経っても甘えん坊だ、元々そういうところはかなりあったが、ゴブリンを虐殺して以降PTSDからなおさらしがみつかずにはいられず、アンジェリカの存在がある種の精神安定剤であり逃げ場であることは友達が増えても変わらない。
そしてアンジェリカとしても彼女が可愛くてしょうがないが、こうやって溺愛し続けることは多分いいことではないかもしれないとも思っている。
アキレアは二年前よりもずっと女の子らしく綺麗になったとアンジェリカは思うが、彼女は自分の意思とは関係なく体が大人になっていくことがたまらなく嫌なのだ、だから無駄なあがきと知りつつ子供のままでいようとしているところもあるだろう。
大人になることへの恐怖と忌避感は、一言で説明できるものではないし、こういう気持ちは多かれ少なかれ誰しもが経験するもので、どうにもならないからなし崩し的に受け入れていく、ただアキレアのそれは相当強い上にPTSDも重なるなど、複合的な要因から幼さに籠城したがる結果になっているのだろう。
そんなあの子が心配というべきか、本音は離れたくはないというべきか、保護者とはそうしたものだろうし、できればアンジェリカがいなくてもやっていけると自分を信じてほしい、そうならないと始まらない。
だいたい引退だって自分で決めたこと、いつまでも未練がましく居座っているわけにはいかないわ……
冒険に関して言えば……そこまで自分は役に立っているだろうか? バルカンボア討伐も、デビルバッファローとの邂逅の時もシオールの言う通り自分は何もできなかった、ヒーラーとしてもサブに回っている現在、ローランドたちにとって守らなければならない人間は少ないほうがいいだろうし、アキレアのことだけを理由に均等に六等分された報酬を受け取っていいものかという事情もある。
実際はシオール以外アンジェリカの引退を望んではない、アコニーはアンジェリカがパーティの精神的な要とみているし、マリーだってアキレアのこともあるし、先輩ヒーラーとしても尊敬できる人だと思っている。
緊ローランドは必ずアンジェリカに回復を頼む。それが精一杯の好意の示し方だったが、去る者と残る者……関係は進展などしない、人生とはままならないものなのだ。
冒険者を続けることがアンジェリカの幸せにつながるのか? というシオールの言葉はアキレアとローランドに相当深く刺さってしまっている。
デビルバッファローと出くわした広場に出る、明るい地面で育っている植物の種類は豊富だが、一番高いものも倒木の上に芽吹いた樹木で精々2m程度の細い若木だ。
他にもかじられた藪や草、足跡などミノタウロスが複数ここにきていることを示唆するものがあった、普段は敵の少ない深い森に潜み、用事があるときのみこちらに来るのだろう。
「樹海にこんな場所があるとはねぇ」
「多分、デビルバッファロー……ミノタウロスの大型の雄が、樹海の木をなぎ倒して、こういった場所を形成しているのではないかなと」
マリーは、あくまで推測であることを付け加える。
また、何本も折れた木が草に埋もれているが、そこに生えた苔の上に小さな木が何本か生えている、地面に落ちた種よりも、倒木や切り株の苔の上に落ちた種のほうが菌類などに侵される確率が低く生存率が高い、これを倒木更新、切り株更新という。
若木に少しかじった形跡もあったがほとんど無傷、それはミノタウロスがあえて食べず残していることを示唆している、おそらくはこういった広場が明るい林に遷移し、やがて暗い森に戻るまで餌場として利用し続ける、暗い樹海だけでは維持でない多様な生物の命を支えているのだろう。
「この前このあたりで大きなミノタウロスに出くわしたんだけど、アッちゃんが撃退したわ」
「へぇ、やっぱりアキレアちゃんすごいのね」
「ローランドさんの盾にくっついてるスパイクはその時折った角なんですよ」
ローランドは盾を見せると「牛の角とは……ちょっと質感が違うね」と言いながら、カメリアはスケッチをする。
「本当は戦わなくていい相手だったのに、あの愚物は……」アキレアはシオールを睨む「ここにデビルバッファローがいないのも、角が折れたせいで群れにいられなくなったのかもしれない」
「それなら別に討伐してもよかっただろ」
「今、ここでお前を討伐するか?」
「ゴブリンを殺したくらいで寝込むお前がか? 自分から喧嘩売って、相手を半殺しにしたらオロオロするお前がか?」
アキレアの三つ編みが揺れ強い魔力が風景を歪ませる。
今のアキレアの情緒では一押しあれば勢いでやってしまいかねない、そしてシオールは簡単にその一押しをやってしまう男だ。
「デビルバッファローだけじゃない、ローランドさんだって危ない目にあった」
「その話はもういい……もういいんだ、おれは生きてるし……」
「ローランドさんが許してもあたしが許さん、こいつをほっといたらそのうち……死ぬよ」
「今更言っても仕方がないから……な?」
「あーお前、ローランドを弱いとでも思ってるんだろう、自覚してないだろうが、お前は人をナチュラルに見下してるんだよ」
「なにっ」
これは妹に陰で言われてイラついた言葉をアキレアにぶつけている。
アキレアも冒険者に対してしばしば軽蔑の念を抱いてしまうという心当たりと、ローランドにはそういった感情を抱いていないのだから的外れという二重の意味でいら立つ。
「シオールさん、なんでそんなに喧嘩腰なんですか?」
「俺はただ事実を……」マリーに言われ戸惑うシオール「いつまでも、アンジェリカ離れできないアキレアにショック療法だよ、荒療治だ」
それとこれは無関係では? とその場にいる者たちは思ったが、言ったらややこしくなりそうだったので言わなかった。
「アッちゃんも落ち着いて」
「グ、グム~……いやさ、冷静な判断からあいつは潰したほうがいいと」
「あっちゃんが過激なことを言うときは落ち着てないから! やったら絶対後悔する」
「む、む……それはまぁ、そうだろうけど」
ここで聞く耳を持つのはアキレア自身の成長もあるが、マリーのことを信頼しているからだ、そしてアンジェリカは後ろから抱きしめて安心させる、これからこうしてあげてほしいと。
「お客さんの前で喧嘩しないの、ローランド君の言う通り、今言っても仕方がない話でしょう?」
アキレアが怒っているときは、大抵そこに不安や無理解に対するいら立ちがあるとアンジェリカが言ってたことをマリーは思い出す、そしてヒーラーが最初に教わることは相手に寄り添うこと、時に手を握る、相手が望むなら体を撫でるなどして、緊張や不安を緩和することの重要性だ。
大勢の人間の体だけを治して戦闘を続行させる聖女のやり方はアフターケアが万全とはいえないと教わったがこういうことなのだろう、戦場で傷つくのは体だけではない。
「むぅ……だって」
「今言ってもムキになって受け入れないから」とアンジェリカは耳元で言う、アキレアは「あの愚物はいつ言っても理解しない」と思っているが。
「シオール君もあんまりアッちゃんの神経を逆なでしないで……ね?」
「しょうがない……今日はあんたの顔を立ててやるさ」
結局最後まで仕切るのかよ、という気持ちもあったが、最後なんだし妙な蟠りを残すのもなんだという気持ちもある、それは本人の考える合理性もあったが、身勝手と評される彼なりに世話になったからという気持ちだってある。
だがそんな彼の心持をしらないアコニーは思う、アキレアに関してはマリーもいるし、辛そうならアンジェリカのもとに連れてけば何とかなる気もしているが、シオールの無軌道さはどうしたものだろう、と。
シオールに必要なものはおそらく、その身勝手さ自体は肯定はしないが決して見捨てたりはしない人間関係、少なくともローランドとアンジェリカはそうしてきたつもりだ。
そして、アキレアにとってのアンジェリカやマリーのように受け入れて宥めてくれる女性の存在も必要なのではないかとローランドは思ったが、それは同時に自身がアンジェリカに求めていることでもあった。
「へ、へんなところ見せて……ごめんなさい」
「あー、今スケッチしてたから」
「こっちの仕事には支障ないから大丈夫だよ」
カメリアとアニスに謝罪するアキレアを、マリーが後ろから笑顔で抱きしめ、二人は目を合わせて笑う。
大人の辛さの一つに子供ほど許されないことが多いこと、男の辛さは弱さを見せると情けないと咎められがちなことだ、そして赦されず生きてきた者は誰かを赦せなくなってしまいがちだ。
この日、ようやく見かけたミノタウロスはそこそこ大きな雄でデビルバッファローではない個体、それから雌と子供の小群、特に彼らと衝突することもなく、仕事は無事終わった。
アンジェリカがパーティを去る日が来た。本当は朝には発つ予定だったが、悲しみをこらえるアキレアを見かねて、結局出発は夕方まで伸びることになった。
「お前、何カッコつけているんだ?」
「いや……その」
「色気づきやがって」とニヤニヤしながらシオールはローランドを肘で小突く。
「う、うう……」
ローランドは珍しく外套だけだがフォーマルなものを身にまとっていた、これは必要な時が来るかもしれんと老騎士があつらえてくれたものだ。探索に出ないときは皮鎧こそ着ないものの、多くの冒険者と違い身綺麗にはしている彼だが、どうにも着慣れていないこともあり服に着られているとった感じで様にならない。
アキレアはアンジェリカの胸にしがみつき、アンジェリカもアキレアを抱きしめて泣いていた。
その様子を見てマリーももらい泣きしていて、アコニーが珍しく優しい眼差しでマリーの頭を撫でている。
「餞別だ、いつもより多く包んどいたから」とシオールもちょっとなんともいえない顔で、金の入った封筒を渡す「あんたならどこででもやってけるさ」
ローランドも切なくなった、アンジェリカにとってアキレアくらい自分を慕ってくれた者はいないだろうし、多感な年ごろのアキレアにとってアンジェリカはずっと辛くてしんどい時期を傍にいてくれた人なのだ、そんな二人が別の道を歩むことになる。
そして結局アキレアにはかなわない、自身の一方的な片思いであるという事実にも、胸が苦しくなる。
カッコつけて一張羅を着たのは、何もできない彼なりにひょっとしたら何かが変わるかもしれないと思ったからだが、当然何が変わるはずなどない。
駅馬車が来た、もう少しだけ待ってとアンジェリカが伝えると、アキレアを抱いたまま、ローランドのもとへ歩いてくる。
「上着の襟が立ってるわ」
そう言って襟を直してやる、多分……この時がアンジェリカの顔がローランドに一番近づいた瞬間だ、ローランドの顔は真っ赤になる。
「あ、ああ……ありがとう」
「よく、似合ってる」
「は、はい……」
ほんの短い時間だったが、これだけで一張羅を着た甲斐があった気がする、でもこれ以上距離が縮まることがないという悲しみもある。
「……今までありがとうね」
「あ、あああ……はい、いやあのこちらこそ……」
「これからはちゃんと、自分で意見を言わなきゃだめよ」
自分の意見、どうせ最後なのだから、いうべきことがあるはずだ。
「あの……おれ」
おれは……あなたのことがずっと好きでした、初めて面倒を見てくれた時からずっと
アキレアは慌ててアンジェリカの胸を掴み、顔を深く押し込んで耳をふさぐ、それは告白を聞かないという彼女のなりの配慮だったが、ローランドは男である、目の前でそんなことをされてしまったらそれどころではない、そしてそんな自分を疚しいと感じてしまう。
「けがらわしい」そう、母の声が聞こえた気がした、さすがにそんな言葉は投げつけられたことはなかったと思う、でも今確かに聞こえた気がしたのだ。
「お前なんて産まなきゃよかった」
そして首を吊る前の泣きそうなあの声……何度もフラッシュバックし、ストロマンテ少年をずっと苛み続ける、あの絶望に満ちた震え声だ。
おれは……母さんを赦したかった、でも……本当はぼくがお母さんにゆるしてもらわなきゃいけなかったんだ……
「いままで……お世話になりました……」ローランドは顔を上げなかった、母は自分が泣くのをひどく嫌っていた「ありがとう、ございました……ッ」
「お前、泣いてんのかよ」
「……」
少し茶化した様子でシオールは言う、それは彼なりに気遣ってのことだったが、今のローランドには嘲笑されているようにしか感じられない。
まったく、見てられないな……お前は俺のこと無神経だって言ってたけど、取り消してもらうからな
「こいつさ、あんたの」
「やめろ」
「な、なんだよ、俺はお前が」
「……やめてくれ」
シオールとしてはお前が言いたいことを言ってやるという親切心からだったが、あまりに間が悪かった。
「アンジー姐さん、そろそろ行くよー」と、アニスがアンジェリカを呼ぶ。
「ローランド君」アンジェリカは彼の顔を上げ、涙を指で拭った「ありがとう」
彼は慕う女性の束ねた後ろ髪が揺れながら遠ざかってゆくのを見ていることしかできなかった。
アキレアはアンジェリカと離れる前にもう一度強くしがみつき、胸に顔をこすりつけて涙を拭くが、顔を上げれば涙がぼろぼろ零れ落ちる、アンジェリカも名残惜しそうにアキレアを抱きしめつつも、ローランドにも寂しげな笑みを向ける。
ふたりは去ってゆく馬車が見えなくなってもずっと見ていた、ただアキレアにはマリーとアコニーが寄り添い、ローランドは独りだった。
シオールは明日から仕事だという、マリーとアコニーは反対したが、そんな湿っぽいのはアンジェリカも望んでないだろうだの、リーダーは俺などといって押し通す。
アキレアはただ一人立ち尽くすローランドの孤独を見た、そして自分のことばかり考えていたことに気づき、申し訳なくなったが、かける言葉など見当たらない。
その晩、ローランドは部屋に戻らず、飲めもしない酒をあおって泣いた。
さすがにシオールもあとであれは少しマズかったかな、という気持ちはあった。
あそこで「こいつ、あんたのことが好きだったんだよ」と言っていたら面倒なことになってたのかもしれないということが一つと、ローランドの涙、情けないなとは思ったが、なんとなくそれだけではない、少し気の毒に思う気持ちもあった。
まったく、世話の焼ける奴だ……
謝罪を口にできない性分だが、彼なりに心配していることもあり、酒場まで迎えに来たのだ。
「まったく……飲めもしないくせに、おい、いつまで醜態をさらしてるんだよ」
「……」
「アンジェリカよりいい女なんていくらでもいるだろ、ほら……アコニーとかどうだ」
「……うるさい」
「は? お前」
ローランドにこんな対応をされたのは初めてだった。
「うるさいと言ってるんだ」
「甘ったれるなよ? お前に意気地がなかっただけだろう?」
「ああその通りだ」ローランドの目に涙がにじむ「……あっち行ってくれ」
「はぁ……今の自分がどう見えてるか、よく考えてみるんだな」
「……」
「……明日からまた仕事だからな」
お前ならすぐ立ち直るさ……
少しきつい言葉で突き放し、這い上がるのを待つ、シオールとしては荒療治というやつのつもりなのだろう。そういった神経が無神経だとか人でなしと評されるのは間違いない。
アンジェリカのいなくなった部屋にアキレアがひとりきりになった、泣きたい夜にひとりはいけないからと、マリーとアコニーが部屋に泊まる。
三人で狭いが、少なくともアキレアにとって一人では寂しい部屋。
今までは四人で行動することも多く、アコニーとしてもマメで几帳面なアンジェリカがいると気が楽だったのもあるし、なんだかんだで楽しかった……親しくなりすぎなくてよかったと思っている。
「今日はわたしと一緒に寝よっか」
「……うん」
多分、マリーはアキレアと同居することだろう、一人の部屋は気楽でいい、とアコニーは思う。
良くも悪くも、物理的な距離と精神的な距離には密接なかかわりがある、遠くなってしまった大切な人を悲しく寂しく思いながらも、いつの間にかそれを受け入れてしまう、さよならだけが人生なのだ。
ふたりが眠り、一人になってからアコニーはため息をつく。
好きだった少年、先生、同班の姉妹、弟……思い出すことも減った、でも……みんな割り切ったつもりだったのに突然脈絡もなく思い出し、胸を揺さぶる。
きっと生涯これは続くのだろう。遠くとも見えるところに忘れえぬ人は佇んでいる、思い出の中の愛した人たちは、あり得ないほど美しい。




