プクサキナ、アコニーになるの巻
十八歳のプクサキナはウズと名乗り、聖女候補生の暮らす寮のメイドとして潜入する、目的は聖女のお付きになること、特殊な身分であるからその事情を理解している寮のメイドがお付きになることは結構あるのだ。
教団が支援している派閥と敵対関係にあるなら誰でもよかった、実家との関係が良好ならば帰郷する機会も多い、そういった聖女候補に狙いをつける。
彼女と似たような目的で派遣されたメイドは少なくない、権力闘争とはそうしたものである。
十九歳の時に、やり手であると評判のコニファー侯爵がバックにいる聖女候補度、当時十五歳のマンジュ……後のマリーに接近、お付きになるまでに一年とかからず、二年目には彼女の帰省に付き添うようになったが、プクサキナはあまりにノーガード過ぎて逆に心配になる有様である。
諜報活動というと潜入して情報を得るというイメージがあるし、プクサキナもそんな任務をずっとこなしてきたが、実のところその仕事のほとんどは公開情報の収集といった合法的なものである、どんな些細な情報であってもこまめに収集すれば、点と点がつながり浮かび上がってくるものがある、とはいえ……所詮アコニーのような実働的な工作員は本質的に出世できない、ハニトラや金を掴ませて情報を得る輩も同様で、所詮トップシークレットになどたどり着けはしない。
では出世するスパイというのは何かといえば二重スパイである。自分が握っている機密情報を相手に渡す代わりにこちらもあちらの機密情報を得る、すなわち中枢に近い所にいる者であり、お互いの情報が筒抜けゆえに突発的な衝突を防ぎ、破局を防いでいるという側面もある。
コニファー侯爵は敵も多く、様々な派閥、時には異国の工作員も入っていることだろう、そして当然それを承知の上で飼い、まんまと利用してしまうような男、彼はスパイというものをよく知っているのだろう。
侯爵は自らの地位を得るため十代で兄を謀殺したという、また多くの敵対者を謀略で陥れて失脚させ、様々な不正にも絡んでいるというが、使用人は勿論、領民に対しても寛大で気前もいいこともあって慕われてもいる、苛烈な政争に身を投じる冷徹非道な権力者が、民衆には案外寛大であること自体は珍しいことではない、それは自分のもとに潜り込んだスパイの懐柔だけではない、民衆からの草の根支援の価値を理解しているからだ。
彼は子供に恵まれなかった、生まれ来た一人娘は幼くして死に、妻も病弱で子供は作れそうになかったが、愛人を作ることもしないのは用心深さ故でもあるのだろうが、どうせ後継ぎがいないならば守りに入る必要はないし、自分一代でやれることをやりたいとも言っていた。
彼が愛妻家であるということが事実ならば、妻に対する気遣いからくる発言でもあるだろうし、奥方は彼のウィークポイントになるはずだ。
隠された真実に向かい一直線に走るのではない、他愛のない話から点のような些細な情報を大量に収集し、線を浮かび上がらせる……出世とは無縁でも、職務に思うところはあっても、仕事はきっちりこなす……私はなんでこんなことをしているのだろうと思いながら。
プクサキナ、いやウズはここでも大きな失敗を犯した、それはマンジュと親しくなりすぎたことだ、目的達成のために近づいた相手にこともあろうか情が移ってしまった。
何か劇的な出来事があったわけではない、ただあれこれと世話を焼き、他愛のない話をする、一緒に歩いていろいろなもの見て感じただけ……
これらは彼女を掌握するための手段だったはずだ、素直な友情を向けられてまんざらでもないと思ってしまった、ただそれだけのこと、いわばごく普通に友情を育んでしまっただけである。
教団のことは憎んでいる、だが心の底では屈服している、奴らにはかなわない、逃れられないという気持ちが染みついているのだ。
「急に変なこと言いだしてごめんね、ウズさんってなんだか生き急いでるような気がして……その」
「メイドは忙しいので」
「そういう意味じゃなく……それに、いつも悲しそうな目をしてる」
「そうおっしゃるのはマンジュ様だけですね、冷たい目をしているとはよく言われますが」
彼女はある面でとても敏感なのに、どこか抜けていて、警戒心にとぼしい、ずっと大切に思っていたのに手から零れ落ちてしまったものは、押しなべてそういうものだった。
昔死んだはずの心がざわつく、彼女の人となりを知らなければ、こんな気持ちにはならなかっただろう。
プクサキナは正義など信じていない、コニファー侯爵が目的のためなら手段を択ばない悪徳貴族であったとしても、教団のどす黒さを正当化することはない……そして、そんな教団を憎みながら、屈服がある種の習慣となっており、ある種の生真面目さの相互作用から死んだ目で従い、任務をしっかりこなしてしまう。
マンジュは侯爵夫妻の間には実の親子のような愛情があるが、侯爵がマンジュを聖女にしたいのは権力への渇望からくるものだ、それがマンジュにとっても幸せであると解釈し、そのせいで悩んでいたとしても、大人になればそれが正解だったとわかると思っている。
彼を失脚させることはマンジュのためでもあるなどと柄にもないことを考えたとき「大義なるものは概ね非道卑劣な行為をやむを得ないことであると思い込むためにこそ存在している」という先生の言葉を思い出す、自分も所詮憎んでいる者たちと同類なのだ。
彼女の葛藤とは無関係に時代は移ろ教祖の死んだという情報が入ったのだ。実際はずっと以前に死んでいたのかもしれない、教団としてはもう少しの間隠しておきたかったことだろう、教祖一家はそもそも不仲で教団から抜けた子供もいるし、幹部だって一枚岩ではない。
しかも都合がいいことに、絶妙なタイミングで本来のアコニーの立場では掴めるはずもない侯爵を失脚させうる情報を彼の側近から掴んでしまった、その不用心さにアコニーは誰かの意図を感じる。この不用心側近はスパイであることを承知で飼われていた者なのだろう。
使いよう次第で教祖亡き教団に内紛を引き起こせるのではないか?
これには間違いなく何か意図がある……が、わざわざ下っ端工作員に機密を与える理由がわからない、これを用いて教団を躍進させよと? それともこの情報を利用すれば教団内のパワーバランスが崩れて内部崩壊が起こる? 様々なことが想起される。
飛躍しすぎだろうか……いや、そんなことはどうでもいい、誰がどんな目的を持っていようと構わない……!
教団のせいで人生がめちゃくちゃになり、愛する者が何人も死んだ、一泡吹かせてややりたいと何度願ったことだろう。だが、プクサキナは飽くまで現場で動く実務家であって大局を見据えた動きはできない、だからこれらの情報をプルサティラ先生に流すことにした。
自分ではどうすることができない情報でも、先生なら有効に使えるかもしれない、いや先生以外頼れる人がいないというのが正解だった。
侯爵のスキャンダルが発覚し帝国中枢は揺れる、聖女選定にかかわる不正が問題視されてのことだが、実際のところそれは聖女候補のバックにいる貴族なら誰もがやっていること、それをわざわざ告発したのは本当に取り調べたい重要な案件があったから、いわゆる別件逮捕のようなものである。
アコニーが入手した情報は侯爵が敵国の二重スパイであるということの証拠であった、侯爵の威を借りていたものはだんまりを決め込み、侯爵を憎んでいたものは、ここぞとばかりにつぶしにかかる。
おそらく侯爵失脚を目論んだ者も同じように二重スパイをやっている者なのだろう、結局は不埒な逆賊を告発したという話ではなく、単なる縄張り争いでしかない、そして多分そいつにとって教団も敵だったのだろう。
「まったく、まさかお前がなぁ」
侯爵は苦笑いをしている、怒りを露にすることも焦る様子もない、それは矜持がそうさせているのか、覚悟していたことなのかはわからない。
侯爵も裏切り者が誰かくらいはわかっているのだろう、それを承知で利用してきたのだから。
「何のことでしょうか」
「何食わぬ顔でやってくれた」
「あ、ああ」まだしらを切る「カードゲームでの」
「お前は誰かの意図の通り動いただけだろうが……お前が飼い主を憎んでいることくらいは把握しているし、マンジュとの関係は悪くなさそうだったから懐柔できると思っていたが」
敵側のスパイを飼いならしてきた男であることは聞いていたが、自分のような下っ端工作員の情報まで把握していることにプクサキナは驚いた、やはり自分に情報を横流しした人間もプクサキナのことを把握していたのだろう……今回の黒幕は多分先生か、とアコニーは少し笑った。
「まぁいい、愚痴でも聞いてくれ」
「わたくしでよろしければ」
「私は帝国のために尽くしてきたつもりなのだがな、わかるだろう、敵の機密を得るためにこちらの機密も流す、何より両国の情報が筒抜けならば、誤解やヒューマンエラーによる偶発的な戦争は起こらない、違うかね?」
実際この男は自身を愛国者だと思っているのだろう、帝国もまたスパイを内側に敢えて入れることで情報を得、版図を拡大してきたことも事実……
「申し訳ございません、一介のメイドにそのような難しい話は」
わざとらしいほどしらを切るウズを無視して侯爵は続ける。
「私は神も運命も信じないが、因果応報だというのならば、まぁ……それも仕方あるまい」
「なぜ今そのような話を?」
「……ウズ、お前はマンジュを裏切ったのだぞ」
「裏切ったことはございませんし、マンジュ様の幸せは常に考えているつもりですが」
「ほう、あの子の後ろ盾だった私が失脚するということはどういうことか、知らぬ筈もあるまいに」
「何を仰りたいかわたくしにはわかりませんが……マンジュ様が何に心を痛めておいでだったか、存じ上げぬわけではないでしょう」
「随分雄弁なものだな、お前らしくもない」そう侯爵は笑う「ま、お前のマンジュへの忠義は信じてもいい……らしくないことにな」
「マンジュ様は友情を望んでおられましたし、わたくしもそう在るつもりです」
「本心だとして、口に出して恥ずかしくはないか?」
「白々しいと思いつつも」
利用するために近づき目的は達成された、それでも友人でいたいと思っている、なんて都合がよく、勝手な言い分なのだろう。
「……まぁあの子はかわいいから仕方がないがなぁ、ハハハ」
「とても旦那様のご息女とは思えません」
「言ってくれる……事実だから仕方がないが、まぁ妻に似てくれてよかった」
血のつながりはない娘に侯爵はいかなる気持ちでそんなことを言ったのだろう、だが言わんとすることもわかる気もする。
「今、マンジュが頼れる友人はお前しかいない」侯爵は工作員に頭を下げる「頼む……私たちの代わりにあの子を守ってやってくれ」
「……最善は尽くします」
「お前のような輩にこんなことを頼むとは我ながらどうかしているな、まったく」
「それはお互い様ですので」
マンジュを保護したいとは思っていたが、それは教団から足抜けすることでもある……不安もあったが、いずれ失脚するとはいえ侯爵の助力があるならばそれはやはり頼もしい。
ある日、同班の姉妹が接触してきた。
曰く、帝国を揺るがした侯爵のスキャンダルをリークしたのは教祖が信者に産ませた末の娘一派で、そのスタンドプレイをが教祖亡き教団をも揺さぶったのだ、ここで一丸となれば教団そのものがさらに帝国に深く根を張ることができただろう、だが一つにまとめていた教祖はもういない。今教団をまとめている教祖の妻と、いつまで経っても引退しない母に不満を抱く長男からの怒りを買い、教団内で三つ巴の勢力争いが始まったのだ。
人生は悪いことは続くが、良いことは続かないと思っていたがそうでもないらしい。
教祖の妻は自らをメシアに見いだされた唯一原罪を持たない聖母を自称し、息子は父は最後のメシアが降臨する土台を築くべく降臨した礎のメシヤで、我こそが最後のメシアであると主張する。
そして末娘は最も教祖に寵愛を受けた自分は父が再臨するまで教団を未来へとつなぐ預言者であると主張、教祖の妻の狂った金銭感覚や、息子の暴虐さを喧伝し、ふたりは残念ながら悪魔に乗っ取られたがゆえに、父を差し置いて聖母やメシアを名乗るようになってしまったと主張する。
そして教祖の末娘のフィクサーの一人にプルサティラ先生がいて、曰く「冥府魔道に入る」らしく「今なら止めはしない、私に失望したくないなら教団から逃げろ」と言われ、数名はどさくさに紛れて教団から逃げることにしたらしい。
先生は憎んでいた教団の権力争いに身を投じ、自らもその中で腐ってゆくのだろうと思っての言葉であることはみな理解している、それをわかって先生に協力する者もいるようだ。
ここまで醜悪な権力争いがあっても、信徒たちは戸惑いながらも信仰を捨てない、そもそも今までだって道具として金蔓としていいように利用されな続けながらも信仰を捨てなかった、だからなおさら今頃無意味だったと認められないのだ。損切できない感情が都合の悪い現実を見て見ぬふりさせ、それでも眼をそらせない現実を叩きつけられても奇妙奇天烈な理屈を脳内で組み立てて正当化しなければ耐えられないのだ。
「これからどうするの?」というプクサキナの問いに「うーん……どうしよう」「行く先なんてどこにもないわ」と、ただもう人を欺いたり、危険なことはしたくないというのが彼女たちの共通意見だった。
「冒険者とかどう?」と冗談めかして言ったが、姉妹たちは「底辺与太者になっても明るい未来なんてないでしょ」と苦笑いする。
「プクサキナも私らと一緒に行かない?」
「私にはまだすることがあるから」
長く一緒に暮らしてきた姉妹である、未練もある、マンジュも連れて一緒に逃げようかとも思ったが、マンジュはダンジョンに興味がある、姉妹たちはそこに希望はないという……
「そっか……じゃ、ここでさよならか」
「ま、縁があればまた会えるよ」
「そうだね」「また会えるよね」とみんなで少し泣いた。
「先生から言伝なんだけど……私など忘れて幸せをつかめよ、だってさ」
「みんな、幸せになれるといいね」「そうだね……幸せになりたいね」そう言いあって姉妹たちと別れた。
「馬鹿だね……私」幸せになるには自分の手は汚れすぎているが、幸せにしたい者はいる。
コニファー卿がまだ金を動かせるうちにマンジュを連れ逐電する、行く先はドミナス……ダンジョンの入り口近くにできた街、住居も何もかも手配してある。
プクサキナはウズからアコニーへ、マンジュもマリーと名を変える、アコニーのメイド服には工作員としていろいろ仕込んであるからそのまま流用しつつも、襟や袖を変え、エプロンのフリルも取り除き、ホワイトブリムもモブキャップに変更、マリーは質素な田舎娘風の服を用意する。
必ずしもマリーの望んだ形とは言えないが、ダンジョンへを探索できる立場になったのだ。
知らなければ苦しまずに済んだことはたくさんあるだろう、だがマンジュの人となりを知ったからこそ、カルト宗教の工作員以外の人生を選び取れたのだ。




