アコニーの少女時代の巻
アコニー、本名はプクサキナというが、その名を名乗ることはもうないだろう。
帝国に併合された国の軍人の家出身であったが、両親を殺され、下手人の集団に弟共々拉致された、その時彼女は九歳、弟は五歳であった。
下手人は帝国に併合された国家由来の新宗教で母国の権力に近づき力を得たという経緯がある。
自国を併合した帝国に対する憎悪たるやすさまじく、有力者に近づくという同じ手段で帝国にも台頭した、布教活動による家庭崩壊や、詐欺、金銭並びに労働力の搾取などカルトらしい所業は軒並みやっており、問題を抑えきれなくなったときは処罰されることはあるが、逆に信者たちの信仰心を強める結果となっている。
ただ、そんな集団でありつつ帝国上層の有力派閥とのコネクションがあり、敵対者のネガティヴキャンペーンや扇動、拉致や殺人など汚れ仕事をこなしてくれるという大きな価値があるため潰されずにいる、これもまた帝国衰退の一因でもあるだろう。
「あなた自身と先祖の罪により、あなたたちの両親は地獄で苦しんでいます、その罪を蕩減するために正しく生きなければなりません」
そして「あなたたちも生まれながらに背負った罪を贖わなければならない」と、幼いプクサキナと弟は親の仇にそういわれ、特別教導者育成地域なる集落に送り込まれた。外界から遮断し、すべてを奪われた子供に謂れなき罪悪感を植え付け、思いのままに操れる道具にしてしまおうというわけだ。
ここにプクサキナ……時にウズ、アコニーと名を変えて生きる女の工作員人生がスタートしたのである。
教団は教祖夫妻を中心とした大きな家族であるとしつつも、プクサキナたちのような子供たちに自由はなく、親代わりの伝道師一名につき7歳~15歳の子供十名程度、男女別々のグループにて育てられるが、弟はまだ幼いからと同居を許され、同室の義姉妹たちも同じような境遇で関係は良好、弟もみんなにかわいがられていた。
プクサキナの班の伝道師はプルサティラ、美しい顔立ちだったが顔に大きな傷があり、右足は膝から下がなかったが、投げナイフの名人で、一度に投げた十数本の釘がすべて壁に刺さる技量、縫い針すら彼女にとっては投擲武器だった。
彼女は表向きは教団に従順だったが「あんたちもあんたたちの親も、先祖も何も悪くない」と、陰で言う、そしてそんなことをほかの連中の前で言ってはいけない、彼らの多くは悪人ではないが、組織の騙る正義のためならば簡単に良心がマヒしてしまうからだと。
プルサティラ先生の言葉はプクサキナには救いだった気もするし、一方で教団の価値観も無視できない「先生は優しいけど、悪い人なのでは?」と悩むこともあったが、こういった葛藤も含め彼女の土台になっていることは間違いない。
教団において恋愛は禁止されており、そういった情報も遮断されていたが、一番上の姉さんがお勤めのさいこっそり持ち帰ってきた恋物語をみんなで回し読みしていたし、宗教上の理由もあって同性愛なども固く禁じられていたが、同班の姉さんはにはそういう感じの人はいるし、先生も黙認していた「ただ、表ではそういうのは見せるな」とだけ、そしてここの価値観はおかしいが表向きは従順なフリをしなければならないと。適応してしまえば楽になれるのかもしれないがそうならないようにしていたのは、先生の良心もあっただろうが、教団に対する叛意でもあったのだろう。
弟が七歳になると引き離され男子の班に移ったが、たまにこっそり会ったりもしていたし、教団は確かに狂った価値観で動いている集団だが、構成員の多くはそこに適応してしまった普通の人であるから人並みの良心はある、教団の価値観に染まり切った正義の人はともかく、一応教団は大きな家族という建前を言い訳に見て見ぬふりをしてくれる者もいた、思い返してみればここにはそれなりの数、教団に対し面従腹背の者がそれなりにいたということなのだろう。
ある日、弟が一人の男の子を連れてくる、こっそり会っていたのだからほかの子を連れてきたことに焦ったが、彼は同じ班で面倒を見てくれている兄貴分であるらしい、年齢はアコニーと同じくらいだというが、長身のプクサキナと違い小柄でどこか間の抜けた印象だったが、気のいい少年だった。
やがて、三人で会うようになり、お互い憎からず思うようになったが、こぶし二つ距離以上近づくことはない、初恋であった。
このことは三人だけの秘密、なんだかとても気恥ずかしくくすぐったくて、先生にも同班の姉さんたちにも話さなかった。
異常な環境なりに平穏な少女時代を送っていたプクサキナだったが、危険なところへお勤めを果たしに行ったという同班の姉さんの一人が「美しく信仰に殉じた」と、教団の人間から知らされる。
教団はその死を悼むことも弔うこともしなかった、ただ「先祖の罪は贖われた」と、姉のような者の死をただそれだけで済ませたことに怒りは激しく爆発する。これほど怒ったのは生まれて初めてかもしれない。
「それだけですか!? アネモネねえさんの死はそんなものですか!?」
男に掴みかかったプクサキナをプルサティラは「このボケナスがぁーっ!!」と松葉杖で殴りつけ抑え込む、教団に反意ありとみなされぬためであった。
「申し訳ない、この子は姉を失い気が動転しておりまして」
「あ、ああ……そうですか、君、あんまり気を落とさないで」男はバツが悪そうに言う「姉さんはな、先祖から自分にまで続く罪を蕩減して天国へ行ったんだから……元気出せ」
男は悪意があるわけでも傲慢でもない、多分善良な人間なのだろう……ただ、狂った価値観に染まっているだけで。
先生は言う、自分たちを搾取の対象、便利な道具程度にしか思っていない教団のために生きる必要はない、自分はもう抜け出すことはかなわないが、お前たちはここから逃れるために牙を磨いておけと。
プクサキナは利発でしっかり者、他のことでも優秀だったし、なかなかの美少女だ、弟は可愛らしい少年ではあったが、鈍くさくてとても仕事などできそうにないというのに何故か八歳で初仕事を与えられ、そのまま戻ってくることはなかった。
行方不明になったと知らせたのは少年だった、弟が何を任されたのかはわからないが、なんとなく何も知らない捨て駒にされた、そんな気がした。
ただ、今はアコニーと名乗っているプクサキナは今でも弟は生きているのではないかと心のどこかで思っている、生きていればあの子も二十歳、どんな仕事を請け負ったのかは知りたくない、知ってしまったら、あの子はもうどこにもいないという実感を突き付けられるかもしれないから。
知らないということは一つの希望なのだろう。知らなければ悩むことはない、信者たちも外の価値観を遮断し、現実から目を背けていれば自分自身は正しい人だと信じられる、教団の教えが無謬であると信じることで、人並にある感性に麻酔をかけ罪悪感や人生の不毛さといった痛みを知覚せずに済む、救われないがこれもまた厳しい世界を生き抜くための選択なのかもしれない。
プクサキナの初仕事は十四の頃、メイドとして貴族の館への潜入した。主な仕事は世間話などによる簡単な情報収集や外部との連絡である、大人の工作員も潜入しており、主に花瓶に飾った花など調度品などを用いた暗号、稀に置手紙で情報のやりとりをしているだけで顔は知らない、またそれが偶然なのか誰かの意図したものかはわからないが、弟がいなくなってから疎遠になっていた少年も小間使いとして潜入しており、久しぶりに再会した彼は背随分伸びたが、プクサキナはもっと背が伸びている。
この貴族は悪辣な存在であるから正義の鉄槌を下さなければならないとのことだが、実際のところどんな人間かなんて知らされていない、疑問を抱くことは教祖をっひいては神を疑うことだと咎められる、神を教祖を試してはならない、それが教団の絶対的な教えの一つだ。
先生は言う、テロリズムに大義などないというのは根本的な思い違い、寧ろ大義なるものは自身の非道卑劣な行為をやむを得ないことであると思い込むためにこそ存在している、と。
いい奴ばかりではないが悪い奴ばかりでもない、それは多分どこだって変わらないのだろう。
いろいろな人間とかかわりあい、外の価値観に触れるにつけ、共同体の結束に揺さぶりをかけるために有効なポイントなどが見えてくるのは先生の教えを彼女が思慮深く学んだ結果なのだろう。そして家庭が大切と言いながら正義のために人の絆を破壊することを是とする教団は無茶苦茶だと思ってしまうし、先生が時に罪深いことを教えるのも教団を憎みながらそのくびきからは逃れられないからなのだ、プクサキナもまたほかに選択肢はないから、下っ端工作員としての仕事を着々とこなしてゆく。
ただ今のプクサキナにとってはそんな鬱々としてしまう話よりも、少年との距離はぐっと近づいたことが大事だった、こぶし二つの距離だったのが今は手を触れあう距離になったが、弟の話題はお互い避けていた。
仲良くなったメイドにも「どういう関係?」なんてニヤニヤした顔で訊かれたら「ただの友達です」と答える、少年も周囲の大人たちから「お前も隅に置けねえなぁ!」なんて言われているらしい、悪い人たちではないことを知っているから欺いていることに良心が痛む、大義を信じられたらきっとこんなに苦しくはないのだろう。
数か月もすると、館の中がギスギスしてきたことを肌で感じるようになる、潜入している顔も知らない工作員の仕業であろうことは察しが付く、ひょっとして少年が凄腕なのでは? なんて考えたりもしたがそれはなかった。むしろその少し間の抜けた感じから周囲はあまり警戒しない、という特性を見込んで送り込まれたのだろう、彼は複雑な暗号や置手紙でのやり取りもしていないし、どこまで自分のしていることを理解してるかもわからない。
彼は工作員としてそれほど優秀ではないから、しょっちゅうプクサキナが手助けをしていた、こういった作業も二人の距離を縮めたことは言うまでもなく、二人は共犯意識と罪悪感から目をそらすかのようにますます親睦を深めてゆく。
彼は素直な少年で、教団の方針よりも個人的な良心や好きな女の子と一緒にいたいという気持ちを優先するほうであったため忠実な工作員とは言えなかったが、教団の在り方にもそこまで強い疑問も抱いていない、いや抱くことを避けていたのだろう。なんというか素朴で思慮よりも良心や愛情に従う彼がプクサキナは好きだった、
ある日、プクサキナはしくじる、外部と連絡しているところを見られてしまった。彼女らしくない凡ミスだったが、昨日初めて少年とキスをし、今日も少年と会う約束をしていたから、要するに浮かれていたのだ。
逃げ場はなく、ほかに潜入している人間のことを当然問われひどい目に逢った、何度も知りません、わかりませんと答える、実際少年以外誰が仲間かなんて知らない、こうなっても大丈夫なように、ほかの工作員が誰かがわからないようにしていたのだろう。
しかし、相手も納得するはずなどない。人は悪と断じた相手に対しては罪悪感が麻痺するものである、悪にかける情けなどなし、嗜虐心にも火がついたのだろう、ひどい仕打ちの果てについに心が折れて、少年の名を口にしてしまう、苦痛に負けて好きな男の子を売ってしまったのだ。
男たちはかなり驚いていた、あいつが? と……誑し込まれただけじゃないか? といった話をしている。
それに乗って「ごめんなさい……本当は私があの子をたぶらかしてただけなんです……誰が仲間かなんて本当に知らないんです」と言ったが、逆にここで庇うんだから本物だろうとみなされてしまった。
「待ってろよ、すぐに坊主と会わせてやるからな」
男はいい笑顔でプクサキナの頭を撫でる。
「俺、見張ってるわ」
「俺も見張ってる」
「お前らなぁ……」
誰かが見張るという名目でお楽しみ続行は不平等であるということで、ぼろぼろにされて心が折れたプクサキナをひとまず放置して、男たちは少年をとらえに向かう。
彼が危ない……ボロボロになった心と体だったが、気力を振り絞り立ち上がる、鍵は閉まっていたがヘアピンを用いたピッキングでどうにかなった。
いっそこのまま、任務なんて放棄してふたりで逃げてしまおう……なんて考えながら。
ボロボロにされても目的のために動く、彼女の工作員としての才能はここで開花したのかもしれない。
少年はすでに捕まり引きずられている、そして「あのメイドがゲロした」と、そしてプクサキナにやったことを喜々として語る、自分の裏切りも、辱めを受けたこともすべて少年に知られてしまったことがたまらなくつらい。
それでも、彼を助けないと強く思いなおす……だが、相手は大人の男数名、ナイフ投げを教わってはいたものの人殺しなど未経験、そもそも武器など持っていないし、仮に今ここで殺したところで逃げられはしないことは冷静ではない今の彼女でもわかることだった。
キッチンからペティナイフを数本調達する……武器の調達は本当は真っ先にしなきゃいけないことだった。さっきひどい目にあわされた地下室へ向かう、足が震えた……男たちは自分が逃げたことは当然知っている。
でも、彼助けないと、痛い痛いとかごめんなさいと、少年が泣き叫ぶ声が聞こえ、心がキリキリして体がすくみ手が震える、なんとか心を奮い立たせ、階段を下りてゆく。
ここで全員殺さなきゃ……
少年の悲鳴が止み、男がざわついたところで彼女は多少冷静になった、実際は冷静でもなんともないのだが。
地下室のドアを開け振り向いた男たちは何やらパニックになっていた、そこにナイフを打つ、一発目は上手く刺さらなかった。男たちは逃げた彼女がわざわざ戻ってきてナイフが飛んできたことにも驚いたが、まず少年に対しやりすぎたことに焦っていたからだ、プクサキナは当然そんな事情などわからない。
投擲されるナイフは次々と男たちをしとめてゆく。
少年は自分以上にボロボロで、辱めも受けていた。
少年に何度も泣きながら謝り、彼を背負い館から抜け出す……ゆく当てなどない、ただ月明りを頼りに逃げるしかなかった。
逃げることに必死だったプクサキナはまず先にヒーラー見せなければならないことに気づく、そして重傷の人間は下手にその場から動かしてはならないということにも、だがあの状況でほかにどうすればよかったというのだろう、泣きながら火を焚き、痛がり、寒がり、涙を流す少年を抱きしめる。
「待ってて、ヒーラーさんを呼んでくるから……」
「……ひとりに、しないで……」
泣きながら怯え苦しむ少年は、傍にいることを望む。
少年の腹が固く腫れていることに気づいた、内臓破裂による腹膜炎の症状だ。以前、逃げ出そうとしてリンチを受けた青年を先生たちと看取ったことがあったが、その時先生は言った、内臓の中身が体の中で漏れているのだから傷を治すだけでなく、敗血症を防ぐ為の解毒魔法、腹を切開して中を洗う水魔法などたくさんの処置が必要になると……プクサキナはかなり衰弱している少年を胸に抱き手を握る。
「大丈夫、すぐに戻るから……だいすき」
幸いヒーラーの母娘を見つけ、魔女も応援も駆けつけたが、三人がかりの治療もむなしく、夜明けを待たず少年は死んだ。
そのいでたちから屋敷から逃げてきたことは明白だったが彼女らは何も聞かなかった、それは勿論情けもあったが妙なことに首を突っ込みたくはないという事情も大きい。
その後、館での騒ぎを聞きつけたのだろう兄を名乗る伝令役の信者に連れられ集落へ帰還、先生はただ何も言わず彼女を抱きしめ、同班の姉妹たちも彼女を労わった。
自分のせいで死んだ初恋の少年は、勇ましく気高く殉教したということになっていた。
彼らはどれだけ弾圧されても信仰を捨てなかったという物語が好きだ、そしてその物語が外の価値観への不信感を増大させ、より教団への信仰が強固になる……見え透いたやり口だが、もう何がどうなろうと彼女にはどうでもよかった。
プクサキナには教団組織に対する怒りと憎しみはある、だが同時に強い無力感、教団は帝国に併合された国で発生した新宗教故、帝国民に対する憎悪を隠さないが、同時に帝国中枢の一派閥に根を張り、かつての祖国に自らの国家を打ち立てることを夢見ているという、狂ってはいるが強烈な力への意思を抱いた集団だ。
歯向かったところで勝ち目はないだろう、結局……プクサキナは教団の工作員として人を時に陥れ、時に命を奪う工作員を続けるしかない。やむを得ず、時には憎悪を込めて忠実な同胞を陥れ見殺しにすることもあり、また……自身を粗雑に扱うことも何とも思わなくなっていた。
投げナイフを投げるではなく、打つと表記したのは、手裏剣を投擲することを打つとというため、そちらに準じました。
まぁメイド忍者というイメージからですね。




