ローランドその少年時代の巻
騎士ローランド、名はストロマンテ、父が名付けたという。
都市部の生まれで母は十代で彼を産んだ、父は長身で身なりがよい紳士で、母より二回り程度年上、母は息子よりも彼を愛していた、それだけなら時折見られる親子関係だ。
だが父はたまにうちにやってくる人であって一緒に住んではいない、何時の頃から母はストロマンテを放置しがちだったが、父がやってくれると母は機嫌がよく彼を可愛がってくれるので、父が来てくれるのを心待ちにしていた。
「良い子にしていれば、お父様が来てくれるのよ」
機嫌が良いときは父親譲りの灰色の髪を撫でたり、遍歴騎士の物語なんかをよく読んでくれたが、騎士道物語のヒロインと自分の境遇を重ねていたのではないかと大人になった彼は思っている。
母は若すぎ……いや幼く、それ以上に問題なのは、社会的に孤立していて、誰も未熟な母親を支援してはくれなかったところにあるだろう。
ストロマンテは母を頼り甘えたかったが、誰かに甘え頼りたかったのは母も同じで心に余裕などなく、母の顔色を窺い、意に添わぬ動きをしてしまい、舌打ちされるたびに心がキリキリとして泣きたくなったが、母の目の前で泣けばますます不機嫌になって
「なんで……どうして! あんたまで私を責めるの! 泣きたいのはこっちよ……私だって……」
そんなふうに母まで泣いてしまうこともあったので、泣くときは人目につかないところで泣いた。
あまり遊んでもらった記憶はなく、当然いたずらなんてできない。
愛に恵まれず、広いとは言えない家に母子二人であったにも関わらず、通いの召使いや家庭教師はいて衣食住や教育は保障されていた。
後に思い返してみるに父は社会的地位の高い人間だったが別の家庭があり、若い娘に手を出して産まれたのが自分であろうということ、その生活のために金や召使いを用意する程度の良心らしきものはあったが、責任は負いたくなったのだろうということだ。
ネグレクト気味で育ち、友達もない淋しい生活を送っていたが、六歳になったある日のこと、ボロボロの黒猫がゴミを漁る野良犬を恨めしそうに睨んでいた。
黒い毛も毛艶は悪く光が当たると褐色を帯びており、老齢であることが察せられる。
「くそ、わしは交尾中に最後を迎える予定であったというのに、末路が餓死とは……」
猫が喋ったことには驚いた、しかも尻尾も二股に分かれている。猫も人間の前で言葉を発してしまったことにバツが悪そうにしていたが、毛を逆立てストロマンテに敵意を見せた。
「大丈夫」ボロボロでひとりぼっちの猫と自分が重なる「大丈夫だから……」
敵意はなく、猫もまたその孤独を感じ取ったのだろう、しばし思案した後警戒を解き「わかった、厄介になろう」人間の子供に身を任せることにした。
部屋にはこっそり連れ込んだ、幼心にこの猫が魔物であることは理解出来たが、そんなことはどうでもいい。
魔物故の生命力だろうか、猫は食事と安全な環境で数日で元気になり「わしこそが偉大なるネペタである」と尊大な態度で名乗る。
「まったく、都会という奴は汚いな、特に水路は汚い、魚も食う気になれん」
「ネズミは汚くないの?」
「フッフフ、所詮人間の小童よ」
ゴミ捨て場にいたことについては突っ込まないことにする、雀もいない、野良犬共が幅を利かせてる、いい女もいない……と、都市部への悪口を散々吐いて満足したらしく
「だが、わしはもう放浪生活疲れた、不本意だがこの街を終の棲家にするほかあるまい、どこかいいところをしらんか?」
ひとりぼっちはもういやだった。
ひょっとしたら友達になってくれるかもしれないという期待と、拒絶される恐怖に心が揺れて何も言い出せない。
「ないならば、わしはここを塒にするが……かまわんか?」
「うん!」
嬉しそうな少年に猫は照れ臭そうに眼をそらして言う。
「ただ、クソや小便は好きな場所でする主義でな、出入り口はほしい」
アパートの一階に住んでいて、ネペタは窓の開け閉めはできたから、下に適当なものを積んでおけば十分、母のストロマンテに対する無関心さが、ネペタとの生活を可能にしていたのは皮肉な話である。
初めての友曰く「わしは最も偉大な猫の一匹」らしく、それ故か色々なことを知っていた、遠い国やダンジョンのこと、魔物や妖精の話、それから結構見栄っ張りで「若いころドラゴンとやり合った」だとか「女神に熱烈に愛された」など、毎回微妙に内容が違って矛盾も多い武勇伝もよく語り、キャットニップというハーブが入ると話はさらに大きくなった。
当時からストロマンテは父親譲りの長身だったが細く内気で大人しく、相変わらず人間の友達は出来なかったし、その上いじめられていた。
なんかウスノロっぽいし、カコイモノの子供だし、手頃に打倒できるデカい奴ということで、格好のターゲットになったのだろう。
「お前は痩せちゃいるがタッパはある、奴らに遅れはとるまいに」
「……無理だよ、そんなの」
「だがな、男には戦わなきゃならん時が来る、それは誇りを守るためかもしれんし、愛する者の為かもしれん、わしにもあったぞ、あれは確か初めて交尾をした日の……」
彼は暴力が嫌いだし、暴力を振るえば自分が悪者になるであろうことも想像がつく、そうなればお母さんにも迷惑がかかるし、お母さんはきっとますます自分を嫌いになる、そんな気もしている。
囲い者という概念を知ったのは八つの頃で母を馬鹿にされることは自分を馬鹿にされるよりも辛い。父が訪ねてくる頻度は減り、母はますます不機嫌にでトロマンテに無関心になっていったが、それでも彼は母を愛していた。
自分に無関心な母に愛されたい、嫌われたくないと顔色をうかがうストロマンテにネペタは冒険に誘う、目的のお宝は都市の城塞を抜け周辺の村落に自生していキャットニップというハーブではあったが。
「東の国にはな、キャットニップなんぞ比較にならん程ハッピーなマタタビという神の植物がある、いいか世界は広い、マタタビを超える存在もあるかもしれん」
「うん……」
「よいかストロマンテ、この街だけがお前の世界ではない、どこかでお前を待っている者もいる」
「うん」
納得してなさそうなストロマンテだったが、ネペタは思う、自分がこの街に流れ着いたのはこの少年の友になるためではないのかと。
ストロマンテはネペタに鈴の付いた赤い首輪をつけた、友情の証であり野良ではなく飼い猫であるという表明は何かあったとき助けになるかもしれない、彼は首輪などは生まれて初めて付けたが、鏡を見て「悪くない」と笑う。
ストロマンテは街中の土のあるところにキャットニップの種の撒いたが、ネペタは「男には冒険が必要なのだ」と外へ誘う。底辺与太者と蔑まれる冒険者の話は聞いているし、そんなふうになったらきっとお母さんはぼくをもっと嫌いになると考えたらとてもそんなことはできない。
ネペタは思う、ストロマンテにとって母親は呪縛なのではないかと。
「ここを終の棲家にすると言ったが……いつかわしと冒険の旅に出てみないか?」
「えっ……でも」
「勿論今すぐとは言わぬ、大きくなって……決心がついたらでいい、冒険には夢と浪漫、そしていい女! それら全部がお前との出会いを待っているのだ」
「……うん」
「なーんか信じられんって顔しとるなぁ~、ん~」
「だって……」
「フッフフ……わしはお前よりもずっと長く生きている、だから断言できるのだ、わしがあのゴミ溜めでお前と出会ったように、お前を待っている名前も顔も知らぬ誰かがいるのだとな……!」
ネペタは友であり師でもあった。ただ長く生きてきた彼も親代わりはできない、それでもできる限り情は注いでやりたい、何が最良かなどわかりはしないが、幼き友にしてやれることといえばそれくらいのものだからだ。
ストロマンテも10才になり、二人が出会った記念日のことである。ネペタが昼寝をしてる最中、こっそりキャットニップを摘みにいった帰り、街の子供たちに面白半分に水路に突き落とされた。
彼らに強い殺意や敵意があったわけではなく、その場のノリから軽い気持ちでウスノロを突き落としてみただけなので最初は笑っていたが、段々これはヤバいことをしたんじゃ? と動揺していたところ「おいこらなにをしている!」という怒鳴る大人の声を聞き、怖くなって逃げ出してしまった。
叫んだのはネペタであった。
「今助けるぞ!」とはいったものの、ネペタは泳げないし助ける強い力もない、だが人間の言葉を喋ることが出来るのだ。
「誰かー! 子供が水路に突き落とされた! 誰かー! 子供が溺れている!」
そう叫んで走り回る。
幸いストロマンテは痩躯の老人によってすぐに救出され「お母さんには言わないで下さい」と言ってすぐに逃げ出しネペタを探し走っていると、男の悲鳴が聞こえた。
「悪魔め!」
「退治してやる!」
自分を突き落とした少年達が棒やレンガで何かを必死で叩いてる。
「悪魔を打ち取ったぞ!」
木の棒に突き刺され高らかに持ち上げられたそれは黒い猫だった、頭はくしゃくしゃに潰れ、肛門からは内臓がはみだし、痙攣している。
「油断するな、悪魔が簡単に死ぬとは思えない」
「よみがえったらきっと大変なことになる」
「聖なる炎で焼き清めたほうがいいかも」
赤い首輪、二つに分かれた尻尾……ストロマンテは理解することを拒絶……できなかった。
彼らはネペタのことなど知らない、ただ喋る黒猫という悪魔以外の何物でもなさそうな奴を討伐したという、いうなれば正義を執行したにすぎない。
いままでいじめられても無抵抗だったったストロマンテが怒り狂い三人相手に圧倒的な力をみせた、右手はリーダー格の少年はネペタを突き刺した棒でとっさにガードするが、棒ごと顔面を殴りつけ鼻をへし折る、ストロマンテも骨折したが、猛烈な怒りがその痛みを麻痺させる。
左腕で呆気にとられている一人捕らえ、三人目を巻き込みながら、石畳に叩き伏せる、逃げようとすれば蹴り踏みつけ、泣きながら殴る。
子供達は水路に突き落とした報復だと思っていたが、ストロマンテとしては友の仇討ちであり、本気で殺すつもりだったところを悲鳴を聞きつけて駆けつけた彼を救出してくれた老人に止められた。
暴行事件である。
喋る猫と友達だったと知られたらますます立場が悪くなることくらいわかるし、水路に落とされた仕返しというほかない。
彼を助けてくれた老人はゴッセリーニ・ローランドという騎士で、話を聞き色々と弁護もしてくれたのだが、母は囲い者でストロマンテに友達はいないから、あまりにも分が悪く、突き落とされたなんて話も信じてはくれない。
だから少年達は当然、何故か急にストロマンテが殴りかかってきたと証言した。
ただその少し前に、突然汚らわしい黒猫が襲いかかってきて、応戦したら急に喋りだしたのだと彼らはいう、これは悪魔だと悟った三人は、力を合わせて討伐したという武勇伝を身振り手振りを交えて大げさに語った。
ストロマンテが自分たちに突き落とされたと主張したのも、悪魔が彼を水路に突き落とし、取り憑いたからではないかと。
三人がストロマンテよくいじめていたことを知っている者はいるだろうし、彼らも面白半分で水路に突き落とした事実が発覚したら、死刑になると思い怯えていた。
彼らの認識としてはいじめていたら仕返しされたというものだが、喋る猫という悪魔の話と関連付けることで周囲からはストロマンテを庇っているようにも見えるし、本人たちの認識としても面白半分で水路に突き落としたころ自体が「悪魔が自分たちにやらせたのでは?」という気もしてくる。
普段の行いは棚に上げ悪魔に責任転嫁することで、彼らは「ノリでやってみたら大変な事態になったいたずら」に対する罪悪感を緩和することもできたし、これに懲りてもうあいつをいじめないことにしようと反省もしたことだろう、なんならこれからは仲良くしてやったっていいと思っていた、ストロマンテとしては全員殺してやりたいくらい憎い相手だったが。
囲い者の親子という蔑みがあったところに、事件を起こせば当然必要以上に悪く言われる。
殺された友が悪魔扱いされるなど許せなかったが、自分が何を言っても無駄だという無力感、それ以上に友を失った悲しみで心が折れてしまっていた。
ただでさえ社会的に孤立してて、父は最近ますます顔を見せなくなっていたところに、息子が暴力沙汰をおこしたものだから、ついに母の精神は限界を迎える。
「お前なんて産まなきゃ良かった」
そう吐き捨てた母は縋るストロマンテを突き飛ばし、目の前で首を吊って死んだ、以降……母は彼をずっと苛み続ける。
流石に囲い者親子に冷淡だった周囲の人々もばつが悪い思いをしたらしく「だけど、あの親子だって問題があったから」「あの歳であんな大きな子供がいるような人だし」「やっぱり女を囲う野郎はろくなもんじゃない」など、自分たちが彼女を爪弾きしてきたことの正当性を必死にひねり出した。
それは彼らが特別邪悪だからなどではなく、彼女の自殺には自分たちにも原因があるのではないか? という後ろめたさがあるからこそ正しい側にいるための言い訳を見つけ出す……「自分たちにも原因がないとは言わないが、大本にあるのはあちら側の問題である」と共犯者たちはお互いにそして己を納得させる、悪とはしばしば凡庸なものなのだ。
老騎士ローランドは天涯孤独となったストロマンテを引き取った。
老騎士は架空の存在と言われがちな、弱者を守り、高潔で誠実、礼儀正しく清貧という、騎士道精神を体現した珍しい御仁と評判の男で実際領民達にも慕われている。
老騎士が少年に対し、息子か孫のような感情を抱くのに時間はかからなかったが、不器用な男で母と友を失った少年に上手く愛情を表現できず、飽くまで騎士と従卒という接し方をしてしまいがちだった。
狭い領地と小さな屋敷、農民たちの仕事をよく手伝う質素な暮らしだったが、ストロマンテにひもじい思いをさせたことはなかったし、眠る少年を涙を拭き頭をなでてやること、それが彼の精一杯の愛情表現で、それは相手に伝わるものではない。
背は高いがやせっぽちで要領が悪く、武器の扱いもさっぱり上手くならない、厳しく叱責されることが多かったストロマンテはずっと我慢してきたが、ついに我慢できず泣き叫んでしまう。
「もうやだ! ぼくはやっぱり産まれてこなきゃよかったんだ!」
「情けない文言を吐くな!」
「だってお母さんだって……!」
母が彼に最後にかけた言葉が「お前なんて産まなきゃ良かった」と言われたこと、それから今までの辛いことを、感情にまかせて吐き出す「男であろう、甘ったれるな」などと叱責されると思っていたが。
老騎士も自分のやり方は傷ついた子供を追い詰めるだけではないか? と思い始めていたのだろう、ストロマンテを立たせ目線を合わせ、優しい眼差しを向けて言った。
「そうか、今までよく忍耐してきた、忍耐とは騎士の本分である」
意外な一言にストロマンテは驚きを隠せない。
「思い届かずとも、愛するご婦人に愛と忠誠を捧げるそれが騎士というもの、お前の母への愛は騎士道そのものである」
成長とは子供だけのものではない、不器用な老騎士なりに傷ついた少年に寄り添う努力をしているのだ、だが彼は不器用な騎士故、本来持っている無条件の愛情を、騎士道や男たるもの、という価値観にすり替えて語ってしまいがちではあったが。
それから惨殺された友のこと、ネペタは悪魔じゃない、悪魔だってみんなが思っているのが辛い、悔しい……と。老騎士はストロマンテの頭を撫でて言う。
「残されたものが死んだ者のためにしてやれることなど、泣くことくらいのものかもしれん」
老騎士も戦争で武勲を上げた世代、友が斃れ残される哀しみも、会ったばかり男を数多く討ちとり得た名誉のむなしさも身をもって知っている。
ここしばらく戦争は起こっていない、帝国は広がりすぎた領土を治めるためそれどころではなく、騎士が戦場で武勲を上げるなどということはできなかったが、それは悪いことではない、ただ難民の問題など実際の情勢は安定しているとは言えなかったが、彼らの周辺では平穏に過ぎてゆく。




