ゼロニスの多忙 2
「どういうことですか?」
これはなにかあると思い、フォルクに詰め寄った。
息を深く吐き出したフォルクが、眼鏡の中央を指でクイッと押す。
「ラリエット様、オルフェンの森に行きたいとおっしゃりませんでした?」
「オルフェンの森?」
私はその地名を聞き、ハッとした。
セリーヌが今演じているのは、オルフェンを舞台とした幼なじみの恋愛もの。
身分差によって親に引き裂かれたが、大木の下で愛を誓うという純愛物語。
一度は離れた二人が再会し、大木の下で愛を告白するシーンにすごく感動して胸を打たれた。何度も劇場に通い、そのたびにハンカチを涙で濡らした。
もちろん、グッズだってたくさん購入した。
それこそ、山のように――。
ええ! 推しですから!
セリーヌもまた、この物語が大好きだと言っており、舞台を終えたあと、熱く語りあった。
『すごく、ロマンテックで、脳裏に情景が浮かぶようだったわ』
『本当ですか、ラリエット様。いつもありがとうございます』
『このオルフェンの森というのは実際の地名よね? いつか行ってみたいわ』
『私も行ってみたいです。綺麗なところなんでしょうね』
『ねえ、一緒に行きたいわよね』
推しと聖地巡礼。
なんて尊い儀式なのだろうか。
そんな話をセリーヌとして盛り上がった。それを夕食でゼロニスに話したっけ。
でも彼は別段興味を示したようには見えなかったけれど――。
「ゼロニス様は休暇を取ろうと必死に仕事を片付けているのです。ラリエット様をオルフェンの森に連れていきたくて」
「そうだったのね……」
それならば言ってくれたらいいのに。
私は押し黙ってしまう。
「もとより、ご自分の考えをすぐ口にするお方ではありません」
「……ええ、そうね」
「ですが、その行動には必ず理由があります。優しいお方ですから」
にっこり微笑んだフォルクは、ラリエット様ならわかっていらっしゃいますでしょうが、と付け加えた。
ゼロニスの多忙は私のためだったなんて。
どうしよう、さっきの紅茶、淹れ直した方がいいわよね。渋すぎて飲めたものではないだろう。
今さらになって自分の行動を悔やむ。
「もう少ししたら、また様子を見にいくわ」
さすがに今すぐ部屋に戻るのは気が引ける。時間を置いてからなら冷静に話せる気がした。
フォルクは柔らかに微笑む。
「ぜひ、そうされてください。ゼロニス様もお喜びになられるでしょう」
その後はフォルクと別れ、一人で庭園を歩くことにした。
花の香りに包まれていると、心が落ち着いてくる。
ちょっと私も感情的になりすぎちゃったかな。
手入れされている庭園は居心地がよく、癒される。
フッと顔を上げると広大な敷地にそびえたつ侯爵家が視界に入る。
この大きな屋敷を一人で切り盛りしているのだもの。忙しくて当然よね。
私のために時間を作ろうとしていることは嬉しいけれど、無理はしないで欲しい。
庭園の花々の淡い香りに包まれていると、ゼロニスが疲れた顔で書類を見つめていた姿を思い出してきた。
……やっぱり、ちゃんと話さなきゃ。
あの人が無理をしてまで頑張っている理由を、私が知らないままでいるのは、なんだか寂しい。ゼロニスの口から直接聞きたい。
彼はまだ机に向かっているのだろうか。
ゼロニスの執務室を見上げた時、窓辺に立つ人影が見えた気がする。
しかし、太陽の光が反射してよく見えず、眩しさに目を細める。
いいや、きっと気のせいだ。彼は執務に没頭中だろうから。
***
あ……ここは……。
いつの間にか裏門まで足を向けていたみたいだ。
「懐かしい」
前に立ち、門を見上げた。
そういえば、初めてゼロニスと対面したのも、ここだったわね。
蜂を叩き落とすという令嬢らしからぬ行動に衝撃を受けたと、あとから楽しそうに話してくれたっけ。
あの時はとっさに体が動いてしまったけれど、ゼロニスの鋭い眼差しが怖くて、なるべくかかわりたくなかった。
早くお金を貯めてこの屋敷から出ていってやると、意気込んでいた。
それが今では彼を気遣って、ケンカまでする関係になっているなんて、人生ってわからないものね。
懐かしくなってフッと微笑むと、門に刻まれたロンバルド家の紋章にそっと手をかけた。
「おい」
背後から聞こえた声にビクリとして肩を揺らす。この声は――。
振り返るとそこにいたのはゼロニスだった。
大きく揺らした肩で息をしている。ここまで走ってきたというの?
「ど、どうして?」
なぜ、そんなに急いでいるのだろう。滅多にないゼロニスの様子にたじろいでしまう。
彼は扉にかけていた私の手にそっと触れた。
ドキッした瞬間、背後から抱きしめられた。
「出ていくな」
「えっ……」
腰に回された手にギュッと力がこもる。
「俺を置いていくのは許さない」
まるで逃がさないといわんばかりに、耳元で言葉がささやかれた。




