第1話 ヴォイダーの縄張り
東の空が薄紅色に染まり、夜の帳が静かに引かれてゆく。
森の中で点在していた影は、次第に明るみを増す陽光により、その輪郭を顕わにし始めた。
小鳥たちの囀りが木々の間を飛び交い、夜を耐え忍んだ大地に新たな息吹をもたらしている。
大介とアンナは、その朝を迎えた。
夜の戦闘と、それに伴う恐怖は未だに二人の記憶に鮮明に残るが、自然の美しさが一瞬だけ彼らに安らぎを与えている。
アンナは森の小道に膝をつき、小さな炎の残り火で、金属製のマグカップを温めていた。
その蒸気の立ち昇る様子は、彼女の顔をほんのりと赤らめ、優美な印象を引き立てる。
「ふぁぁ……生きているのが、もう奇跡って感じだな」
表面が荒い木の幹に背中を預け、頭上を通り過ぎる小鳥を、ぼんやりと大介は眺めていた。
彼の顔には深い疲労が刻まれ、眉間の皴が取り払えない。
しかし、その口元には微かな笑みが浮かんでいる。
そう粒きながら、大介は軽く自分の頬を叩いて、なんとか意識を保とうとした。
一方でアンナは焚き火の近くに屈み込んだまま、水が注がれて温められているマグカップを眺めている。
彼女の状態は一見して落ち着いてはいるものの、その表情には疲労と不安の色が滲んでいた。
昨日の戦闘で傷んだ襯衣の袖から覗く白い腕には、いくつもの傷痕がつけられている。
髪は夜露の影響で湿り気を帯び、陽光に照らされて艶やかな光を放つ。
「本当に余裕がありますね……。とても死に掛けた人の台詞とは思えないですよ」
冷ややかに言い放ちながらも、アンナの目は何処か安堵の色を浮かべている。
「おいおい、ちょっと待て。俺だって余裕はねぇよ。柄にもなく必死って奴だぜ」
彼女の言葉に顔を顰めつつも、大介は半分だけ笑い、残りは真剣な口調で言い放つ。
――そのあと二人は身支度を簡単に済ませると朝食の代わりに、冷え切って味気のない非常食を口に押し込み再び旅の準備を整えた。
アンナは鞄を肩に掛け、すらりとした脚で木々の間を進み始める。
だが、そんな軽やかな動きの中にも、緊張が感じられるようだ。
陽光が差し込む度に彼女の襯衣から覗く肌が微かに輝いて見え、昨夜の疲れを隠し切れないながらも、その姿は艶めかしさを失わない。
「おいおい、アンナ。その歩みは一体なんだ? そのうち街灯のポールにでも絡みついて、踊り出すんじゃねぇよな? どっかのモデルみたいに見えるぞ」
少し離れた位置から、大介は彼女の姿を見て口笛を吹いた。
「……本当に余裕がありますね。まあ、そんな変なことを言ってると、また理性を失い掛けた時に、助けてあげませんけどね!」
彼の冗談にアンナは肩越しに冷ややかな視線を投げるが、その言葉には少しだけ本気の部分が混じる様子。
「へっ、冗談だ、冗談。本気にすんなよ」
両手を挙げながら大介は、降参の仕草を取る。
それから二人は、そんな軽いやり取りをしながら歩き続け、朝の日差しが昇るにつれて、森は次第に薄れていき、目の前には荒廃した都市の風景が広がり始めた。
舗装された道路はひび割れ、そこかしこに雑草が生い茂る。
ビル群は瓦礫と化し、窓硝子は尽くが砕け散っていた。
荒廃の象徴とも言える光景は、かつての平穏な日常を大介に思い起こさせながらも、現在の過酷な現実を突きつける。
「……あ、グールさん! 今日は何か良い事が起きる気がします! ほら、こんなにも空が綺麗ですよ!」
肩に掛けていた鞄を少し直しながら、アンナは楽し気な声で話し掛けた。
それを聞いて大介は、目を細めて空を見上げる。
朝焼けの美しさが、ほんの少しだけ彼の心を軽くした。
しかし、次の瞬間には険しい顔に戻り、短く溜息を吐く。
「アンナ、お前のそのポジティブな所は嫌いじゃねぇ。だがな、ここから先は笑っていられないかも知れないぞ」
「えっ、どういう事ですか?」
アンナが小首を傾げる。
その仕草には年相応の無邪気さが漂い、彼女の白色の髪が揺れて朝日を反射して艶やかに輝く。
「こっから先はヴォイダー連中の縄張りだ」
徐に大介は立ち止まり周囲を一瞥した。
廃墟と化したビル群が不気味に聳え立ち、割れた窓が彼らを無言で見下ろしている。
ヴォイダーは秩序や道徳を完全に捨て去り略奪や破壊、殺戮を目的とした集団だ。
彼ら彼女らは廃墟と化した街や橋や地下施設などを拠点とし、通り掛かる旅人や集落を襲撃しては奪えるもの全てを収奪する。
その中には人間の血で塗られた装備や、頭蓋骨を装飾に使う者もおり、その容姿や行動は悪夢そのものだ。
ヴォイダーの中でも統率が取れている集団は稀で多くの場合、彼ら彼女らは単純な暴力衝動や事故の欲望に従い動く。
それでも彼らの残忍さと、無秩序な戦闘スタイルは、旅人や小規模の集団からすれば、致命的な脅威となる。
世界が崩壊して尚、ヴォイダーたちのような存在は、この荒れ果てた地に更なる混沌をもたらしているのだ。
「……いいか、アンナよく聞け。ここらを縄張りにしている連中は、最初に出会った連中とは段違いでレベルが違う。ここらの奴には何の理屈も通じないうえに、交渉なんてもってのほかだ。見つかれば略奪されるか、最悪命を落とすことになる」
僅かに緊張を帯びた口調で大介は、ここら一帯を支配しているヴォイダーたちの事を話す。
「そ、そんなに危険なんですか……」
口をへの字に曲げつつ、アンナは眉を顰めた。
「ああ、そうだ。だから注意事項を今から、お前に幾つか伝えておく」
途端に表情を引き締めると大介は、両腕を組みながら彼女を見つめる。
「まず、ヴォイダーの縄張りでは大声を絶対に出すな。物音ひとつで奴らに目をつけられると思え」
人差し指を立たせながら彼は言い放つ。
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