第29話 お嬢様の下着にサインを
「おい、アンナ。無理に食わなくていい。ただ、周りに余計な事を言うな」
低い声で大介が呼び掛ける。
その目には彼女を窘める意図が込められていた。
「……はい」
小さく頷いたアンナだが、そのまま腰を下ろして席に座り直すと、さらに視線を落としたまま動けない。
しかし彼女の小さな手は、膝の上で力強く握られていた。
一方で大介はフォークに刺した肉を口に運び噛み締める。
しっとりとした食感と芳醇な香りが口内に広がりゆく。
確かに味は一級品だ。
だが、それが人肉である可能性を考えると、普通の人間には到底受け入れられるものではないだろう。
「……まあ、大したもんだな。少なくとも、手抜きの料理ではない」
淡々とした声で、彼は言い放つ。
「気に入って頂けて光栄ですわ」
嬉しそうにサロメは微笑んだ。
その真紅の瞳が大介を見つめる様子には、明らかに異様な執着が感じられる。
そして大介の隣では、アンナが小さく息を呑む音が聞えた。
「……ところで、この料理に何を混ぜているのか、教えてくれる気はないのか?」
一瞬だけ大介は視線を目の前の料理に向けたが、すぐさま正面のサロメに視線を戻す。
「それを知ってしまいますと、味わいが変化してしまいますわよ」
彼の問い掛けに対して彼女は意味深な微笑みを浮かべた。
「そうか、なら別にいい。俺の口には合うからな」
「さすがホロコースト様ですわ。お心が広いこと」
大介の言葉にサロメは満足げに頷く。
「……それで、ずっと気になっていたんですけども、貴方たちは一体なに用で、この危険な橋に態々いらっしゃったんですの?」
大介とアンナを交互に見ながら、彼女は微笑みを浮かべたまま問い掛けた。
サロメの声は柔らかく甘いが、その背後に潜む鋭い刃のような威圧を隠せてはいない。
だが問い掛けられた彼は、彼女の質問に応えようとしない。
その代わりに手にしたナイフで、皿の上に置かれた肉を無造作に切り分け、その一片を口に放り込む。
その動作には無遠慮な荒々しさがあるが、サロメは寧ろそれを楽しんでいるかのようだ。
「見て分からんのか? 橋を渡る為だ。それ以外に理由があると思うか? そんな無駄な質問をしている暇があるなら道を開ける準備でもしてろ」
大介の声は低く、冷たい怒りが滲んでいる。
サロメは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに表情を柔らかな笑みに戻した。
その背後では彼女に従える給仕たちが息を呑む声が聞えた。
「申し訳ございません。そんな当たり前のことを……。ああ、ホロコースト様に対して……私は何て失礼なことを……」
緊張が場を支配する中、サロメは少し顔を伏せて、慌てたように口を開く。
そして矢継ぎ早に彼女は頭を、その場で下げるが急に何かを思い出したかのように、即座に顔を上げた。
その顔には微かな紅潮が何故か差しており、サロメの真紅の瞳が何処か隠れている。
「ところで……あの、ずっと前からお願いしたい事がありまして……」
「あ? なんだ?」
冷めた眼差しを晒しつつ、低い声で大介が問い返すと、彼女は暫く言葉を詰まらせた。
しかし次の瞬間、サロメは意を決したような顔つきを見せると、体の向きを変えて近くの棚へと進み、そこから一本の硝子瓶を取り出して机上へと置く。
その硝子瓶の中には赤黒い液体が満たされており、それは一目で動物の生き血である事が分かる。
大介は怪訝そうに眉を顰めたが、サロメの次の行動は、それを更に際立たせた。
「そのですね……私、貴方様の大ファンでして。サインを板ただけないでしょうか?」
彼女は突然、胸元に手を伸ばしてドレスの裾を指で摘まむと、それを軽く持ち上げる。
艶やかな太ももが露わになり、その滑らかな肌が淡い光に当てられて、艶めかしい輝きを放つ。
そして躊躇いもなくサロメは足元に手を伸ばして、長手袋を外すかのような仕草で、スリットの奥に隠された下着を、ゆっくりと脱ぎ始めた。
彼女の動きには一切の無駄がなく、それでいて挑発的である。
生地は純白で麗糸の繊細な模様が、サロメの肌を引き立てるように縁取られ、下着本体には僅かな湿り気を帯びており、特定の部分については黄色の汚れが付着していた。
下着を脱ぐ際、彼女の指先が太ももの内側を掠める様子に、一瞬部屋の中が静まり返る。
「この私の脱ぎたての下着に……どうか貴方様のサインを」
サロメは脱ぎ終えた下着を、そっと手に取ると、その白い生地を、まるで宝物を扱うかのように指を這わせた。
「えっ、えっ、そんなの……!」
恥じらいが込められた彼女の声を聞いて、アンナは顔を赤く染め上げると反射的に目を逸らす。
「私がずっと憧れていた、伝説のホロコースト様に……ぜひ」
気品が漂う軽い会釈を行うとサロメは少しだけ首を傾げるが、その真紅の瞳はうっとりとした光を湛えながら彼を見つめている。
その熱を帯びた視線には憧れと執着、そして一抹の焦燥が入り混じるようだ。
主客一堂が見守る中、大介は無言のまま彼女が持つ白い下着と、机上に置かれた血の瓶に視線を向ける。
部屋には妙な静寂が広がり、そこに響くのは風が窓を叩く音のみ。
重厚なシャンデリアの灯かりが、サロメの美しい顔立ちを照らし出し、その艶やかな唇が鮮やかに震えている。
そんな彼女の一連の奇怪な行動に対して、アンナは驚愕の反応を越えて、ついに言葉を失う。
一方で大介は、まるで何も感じていないかのように、汚れた白い下着と血の瓶を暫く見つめ続けていたが、やがて短い息を漏らした。
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