第四十四話 花街にて
「さっきの光はなに?」
瑶璃の袖が擦れる音だけが流れる。彼の背中が何故か小さく感じた。今にも消えそうな影がゆらゆらと揺れていて、灯籠が強く彼を照らしている。
「……明日の朝は早い」
僕は眉を顰める。瑶璃にとって何か不都合な話なのかもしれない。けれど、その理由があったとしても、納得が行くかと言われれば否だった。
自分の袖を握り、力を入れた。割り切れない気持ちが、夜風に攫われていく。
「今日はもうしっかり休んだ方がいいよ」
黒髪が半円を描き、再び彼は歩き出した。揺らぎが収まった影は、邪魔ができない程にしっかりとしている。
青松虫がまだリリリ、と鳴いていた。冷えた風が身体を纏わりついて、離れない。
「夜風に攫われないようにね」
瑶璃はそう言って、回廊の奥へと消えていった。
澄んだ青い空、鳥の鳴き声、そして―――――。
「だから、そんな大鎌持っていけないってば!」
「これは、身体の一部同然なんだよ! 置いていくなんてそんなの無理だ!」
僕達は花街に出かける準備をしていた。けれど、星蘭が当たり前のように、大鎌を担いでおり、僕は項垂れるしかなかった。
「花街にそんなのを持っていく奴なんて、居ないから! だから、駄目!」
ひょい、と星蘭の手から大鎌を取る。ずっしりと手に食い込んでおり、ぷるぷると自分の腕が震えていた。
(お、重い……)
「あ、返してくれよ。俺の大鎌!」
そんな泣き言を漏らす星蘭に構わず、全身で大鎌を引き摺り、カラン、と部屋の隅に置いた。
初の任務の時もそうだったけれど、星蘭は異常な程、大鎌に執着していた。何となく理由は分かる。大鎌の方が、守れるし安心する。もはや、一種の依存であり、なければ不安に追い込まれているのだろう。そうだとしても、今回は自重してほしい。
「ほら、行くよ。星蘭」
「え、ちょ。まって」
星蘭の首根っこを掴みながら、強引に温かな部屋から出ていった。
花街の通りに、奥へ奥へと進めば、甘い香りが強くなっていく。琴や琵琶の音色が風に攫われ、絶え間なく耳に入る。歌声、芝居の掛け声なども、民のざわめきの声に吸い込まれていった。
「こ、これが、花街……」
揺れる灯籠が街を彩り、目がチカチカする。前へ進む度に、人の肩にぶつかってしまい、身を縮こませながら足を踏み出す。それでも、人の海に攫われそうになった。
僕の困惑した声さえも、民衆の声で消されていく。周りの様子を伺っている星蘭の髪が、ぱらぱらと揺れていた。
彼は僕の右腕を、やんわりと掴む。
「わ、星蘭……慣れてるね」
「まぁ……寺院育ちだし、こういうのは慣れてる」
「寺院育ちと何も関係なさそうだけど」
「案外、関係あるんだよ」
星蘭は慣れた手つきで人だかりを掻き分けて突き進んだ。右側からは妓女が顔を出し、僕達の足を止めようと張り切っている。
「あら、珍しい容姿をしているわね。よかったら、うちの店に来ない?」
「初回は無料なの。おまけして二回目も――――」
星蘭は間髪入れずに、断りを入れた。
「あぁ、すまない。今、少し忙しんだ。二人とも綺麗な容姿で、見惚れてしまう程だが、本当に急用で難しそうでな。また今度行くよ」
「え? えぇ。待っておりますわ」
僕は、じとっ、と星蘭を横目で見る。その視線を感じたのか、星蘭は『どうしたんだ?』と首を傾げていた。
「あんな断り方……いつか刺されるんじゃない?」
「はは、物騒だなぁ……」
星蘭は肩を竦めて、呑気に笑っていた。僕は容赦なく彼の足を踏む。蛙が潰れた時と同じ声を出し、大きく彼の袖が揺れた。
「ゆ、月華……おまえ、それはないだろ……」
「女を誑かすとか、最低」
「いやいやいや、あれは誑かすに入らないと思うが!?」
上ずる声を無視し、僕は地図に書いてある方向に足を向ける。勿論、星蘭に手を貸してもらいながら、人だかりを突き進んでいった。
焼き串の匂いや栗を炙った時の香ばしい焦げの匂いが、鼻を掠め、お腹が張り詰めてしまいそうになる。
そして、誘惑に負けそうになりながらも、ようやく目的の場所に辿り着いた。そこは煌びやかな金色の装飾をつけた―――――青楼だった。
「え? 瑶璃から貰った地図だと……ここが、朧月一族の住んでいる場所だって聞いたけど」
「いやいや、まさか……青楼じゃないよな? 見間違いだよな?」
「いや……合ってると思う」
僕たちは言葉を失った。やけに民の騒めき声が大きく聞こえ、地図を握る手をぎゅっと強くした。
「瑶璃には給料を少し高くするように、言っておこうかな」
「賛成だが、瑶璃は即座に却下すると思う……」
星蘭は目を伏せて、項垂れる。
僕達は只、青楼の外観を見る事しかできなかった。まず、そもそも勇気が出ない。初にしては、結構心に来るものがあり、緊張する。
すると、隣から開き直ったような陽気な声が風を裂いた。
「……青楼は性的な場だけじゃなく、社交の場でもあるって聞いたぞ!」
「お、おま……そんな、大声で言うなよ! 馬鹿!」
今度は僕が上ずった声を出してしまう。八つ当たりで、また星蘭の足を踏んだ。相変わらず、蛙が潰れたような声を出しているが、僕は無視した。
「に、二回目は……ないだろ……」
「知った事ない」
ふん、と星蘭の襟を掴み、強制的に歩かせる。『鬼すぎる』と言葉を漏らした星蘭に構わず、引き摺りながら、青楼に向かって歩いて行った。
すると、入り口直前で誰かに声を掛けられる。
「あの―――――」
その女性は、何処かで見た事があるような気がした。




