第三十八話 静寂
ここまで続けた私に褒美をください。
菜の花色の欠片がひらりと落ち、僕は瞼を上げる。ピントの合わない視界は、徐々に輪郭を結び、漆黒色の袖が端に映っていた。
「あ、戻った?」
椅子に座る僕の顔を覗き込む瑶璃。頬杖しながら、その金色の瞳に光が揺れていた。
(!?)
ガタッ、と椅子が床を擦る音。心臓が一跳ねし、僕は中途半端に椅子から立ち上がる。口を金魚のように開閉させることしかできない僕とは違い、冷静な声が飛び交った。
「瑶璃様。いつからここに?」
横では、眼鏡を上げながら言葉を発する彗蓮。慣れたような対応で、この状況を瞬時に理解していた。
「ついさっき、来たばっかりだよ。なかなか彗蓮が戻ってこないから、気になってね」
彼は、おどけたように肩を竦める。
陽光は差しておらず、とっくに日が傾いていた。柔らかい印象を覚えていたはずの机も椅子も、今は何故か硬そうに見える。
「それで、見たんだよね? 月華」
ほんの僅かに目が細められ、僕はたじろいだ。
「……うん」
自分でも分かる程に、弱々しい声。目を逸らした先には、灯籠の淡い光が視界に広がっていた。陽光とは違う影の揺らぎが、僕の心を一層と不安にさせる。
「星蘭の過去を見て、どう思った?」
あまりにも率直な言葉。遠回しにせず、核心だけを突いてくる。黙り込む僕に、静かに彗蓮は目を伏せた。チャリ、と揺れる音が、無駄に大きく聞こえてしまう。
(瑶璃は知っている……?)
僕は、瑶璃のその一言で、疑念が溢れていた。
(どうして、僕が『星蘭がループしている』という情報を知っている前提で話してるの……?)
可笑しい。だって、誰にも言っていないはずなのに。
なのに、どうして。
「……まぁ、無理に言わなくていいよ」
『それよりも』と話を意図的に逸らし、腕を組む瑶璃。
「太史令を殺害した犯人、分かったよ」
僕は息を呑み、僅かに目を開く。隣の彗蓮も一瞬だけ視線を鋭くさせた。
「僕の容疑は晴れたって事?」
「うん、そう言えるね。けど、証拠がない」
思わず『……はぁ?』と声が漏れてしまう。証拠がないのに、どうやって犯人を突き止めたというのか。問い詰めたい気分でいっぱいであった。容疑が晴れる、と思って一瞬だけ軽くなった心に、すぐさま別の重苦しい謎がのしかかってくる。
混乱する僕が訊きたかった疑問を、彗蓮の口から形となって現れた。
「瑶璃様。どうして、証拠がないのに、犯人が分かったのですか?」
静かだった声色は、確実に見逃さない低い声へと移り変わる。眼鏡の奥で瑶璃を真っ直ぐに見据え、問い詰めていた。
「致し方なく、能力を使ったんだよ」
『誰の?』と聞くまでもなく、すぐに瑶璃の唇が弧を描き、開かれる。
「ボクの能力で、ね」
何処か奇妙に引っかかる言葉が、静寂を包む夜風に攫われていった。
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