第三十四話 帰っても、
文面を綺麗にしたい。
顔を歪める星蘭の瞳には、悲しさの色が見えた気がした。いや、悲しさの言葉には収まらないような感情の渦。どれだけ僕が慰めようとしても、きっと埋まらない大きな穴。
徐々に彼の手の力は緩み、痛みが少し和らぐ。
「星蘭……?」
蝉の鳴き声が、少しずつ取り戻される。僕たちの間で渦巻く影は消えず、引く気配を感じない。
視界の端では、何とか立ち上がろうとする彗蓮。気を失っている梨花。人気のない平屋には、他の役人は通らない。
「……月華、」
震えを帯びたその声は、まるで静寂の中の雨。泣いていないのに、泣いている。
ゆっくりと星蘭の手が離れていき、僕の手からはもう重さを感じなかった、ただ、握られていた感触だけが、少しだけ残っている。
そのまま、星蘭の手は流れるように、僕の右耳へと手を寄せ、紅く揺れる僕のタッセルピアスに触れた。
「俺、忘れてた……忘れてたんだ。生きてさえいればいいって、いつの間にか思ってしまって……さ」
そう言いながら、彼は大鎌の刃を内側に向ける。新緑が生い茂る土には、大鎌を引き摺った跡ができており、一筋の細長い道が作り出されていた。
「……拉致、だなんて……親友として、失格だ」
銀色に光る大鎌の刃が、彼の白い首筋に容赦なく食い込んでいく。じわりと滲み出た血が、彼の鎖骨を伝い、新緑の土へと容赦なく滴り落ちる。その不吉な赤色は、僕が身につけているタッセルピアスの紅と、酷く……そして、残酷に重なって見えた。
「……俺、元の世界に帰るよ」
止めようと伸ばした僕の手は、意味を成さない。彼は薄く透明になっていき、触れば、淡い光となって、消えていく。
「な、なにこれ……」
激しさを増していく蝉しぐれに掻き消されそうになる僕の声。光の粒として、空気に溶けていく星蘭に、僕は困惑を隠せない。
「……俺は」
優しく微笑む口元を最後に、彼は僕の前から消えてしまった。夏風がその光の粒を攫い、舞い上がっていく。そのまま、青空に広がり、まるで散りばめられているような星。
結局、訳が分からずただ茫然と膝を地に付けていた。
『最後に月華の顔が見れて、幸せだった』
僕に向けた言葉には聞こえなかった。僕なのに、僕じゃない。そんなジレンマに、呼吸が早くなり、短くなる。
一旦、整理させてほしい。僕が思っていたよりも、もしかすると『過去に戻る』という能力は複雑で、矛盾が一番出やすい能力なのではないだろうか。ただ単に、一人の星蘭が過去に戻って、世界ごとやり直すという事ではないのかもしれない。
(色んな、世界軸がある……ってこと?)
そうだとしても、何だかよく分からない。
身体はループしていなくて、記憶だけが過去に戻っているとか。
破滅の道を辿った星蘭自身は、過去に戻っておらず、ただ彷徨っている可能性がある……? 本当に、記憶だけが過去に手紙として送っているような感覚なのだろうか。
考え出したら、キリがない思考の渦の中。けれど、僕は首を横に振り、彗蓮と梨花の元へと身体を向ける。そして、震える足のまま、僕は踏み出した。
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白髪の女性は助からなかった。その外傷は酷く、何回も切りつけたような印象も見受けられ、恨みと悲しみがあるが故の行動だったのかもしれない。
(……星蘭)
星蘭は、こんな奴じゃない。こんな奴じゃないと思いたかったけれど、実際に起きた事実に眩暈がした。
彗蓮は何とか立ち上がって、僕の所まで駆け寄る。まだおぼつかないその足取りに、僕は肩を貸した。
「ねぇ、梨花、梨花!」
梨花の肩を揺らせば、震える瞼がおそるおそる目を開ける。その姿に、僕は心から安堵した。
そう思っていると、突然、梨花から勢いよく肩を掴まれる。
「ぶ、無事でしたか!? 私がいながら、こんな……」
血の気が引いた顔と張り詰めた声。いつもの明るく元気な彼女とは一変して、焦燥を浮かべていた。不安と責任を感じているのかもしれない。
「だ、大丈夫。僕は何ともないよ」
彼女の唇は震え、泣きそうに目尻を下げていた。その手は驚く程に冷たく、戦慄している。暑すぎるこの夏には、あまりにも相応しくない。
「……」
蝉しぐれは場を埋め尽くし、僕たちの声は届かない。生々しい鉄の匂いと、耳が痛くなる程の蝉の鳴き声。蒸し暑い中、夏風は飄々としていた。
中々、帰って来ない僕たちを心配して、やってきた瑶璃と星蘭。心配をして、第一に思ってくれる……いつもの真っすぐな星蘭で、思わず鼻がつん、とした。先程の星蘭とは似ても似つかない。けれど、彼の本質は変わらなかった。
「月華、」
震えを帯びた星蘭の声は、やっぱり静寂の雨。泣いていないのに泣いている。その感覚はまるで―――――『優しく温もりのある雨だった』。
才能ください。




