第三十三話 ただ、歪んでいた
oh、、
「……っ、し、星蘭……?」
扉に手を付いたまま、僕は崩れ落ちそうになる。影はどんどん濃くなり、蝉の鳴き声は耳に入らない。
彗蓮は懐から刀剣を取り出し、僕の前に飛び出る。梨花は僕を後ろへと誘導していた。けれど、僕は留まろうと足を踏ん張る。
「星蘭は、瑶璃と一緒にいるはず。だから、君は星蘭じゃない」
歯を食いしばりながら、冷静に彗蓮は言う。光が全く当たらない場所でも眼鏡に一筋の薄い光が差していた。
星蘭はくす、と肩を揺らし、頬についた血しぶきを無造作に拭う。にんまりと笑いながら、嬉しそうにこう言った。
「残念、違うな。俺は正真正銘の星蘭だ。そうだな……、あんたらの視点から見ると、俺は―――」
僕に視線を向けたと思ったら、どんどん近づいてくる。ゆっくりと、一歩一歩踏みしめるように。
小さく唾を飲み込む彗蓮。じりじりとした恐怖に僕は一歩下がる。
「別世界の星蘭って、ところかな?」
「は、?」
彗蓮の喉から震えた声が漏れ出た。僕は言葉にならない衝撃で頭が真っ白になる。なのに、彗蓮の背中は、まるで何か知っているような素振りをしていた。
「あ、ちょっと不親切すぎたか。すまんすまん、急に別世界から来ただなんて言われても、困るよな?」
大鎌を引き摺って、彗蓮の目前まで近寄る。ギィィ―――という鈍い音を立てながら、暗く不吉な紅い髪は揺れた。あまりの瞬速。一瞬で距離を縮められて、僕たちの反応はわずかに遅れる。
「彗蓮……あんたの能力は少々厄介だからな」
「……っ」
袖を大きく揺らし、彗蓮はすぐに構え直す。けれど、星蘭の筋が見える腕が彗蓮のみぞおちを打った。
「……ガ、ッぁ!」
そのままの勢いで、壁に打ち付けて、星蘭は何でもないかのように手をひらひらさせていた。彗蓮は腹を痛そうにし、膝を抱え、丸くなっている。
「す、彗蓮!」
僕は思わず駆け寄ろうとしてしまった。けれど、何とか踏み止まって、後ずさる。
(二人を置いていくなんて……やだ……)
「月華様っ! 早く逃げてください!」
僕は狼狽える。そんなのできない。だって、恐怖で足が縫い付けられているような感覚なのだから。手が震え、足も震え、息が浅くなる。
「あぁ、確かあんたは、花街の人間だったけ? 俺、そこまで行ってないから、よく分からないが」
「……そこまで行ってない? どういう事ですか」
梨花の冷たい声に、星蘭は目をぱちくりとしてから、ゆっくりと目を細めた。
「梨花は分かるだろ? だって、教えたはずだ」
(……教えた?)
僕は意味が分からず、さらに困惑する。僕が知らない所で、僕の周りの人が、何かに足を突っ込んでいる。その何かが分からない。
梨花は一瞬、狼狽える。だけれど、すぐに気を取り直して、袂から金色の扇子をシャアッ、と鋭く打ち振って広げた。
けれど、星蘭はただ、笑うだけ。
「まぁ、俺は秘密主義じゃないから言うが……」
秘密主義じゃないと言う彼に、説得力は皆無に近い。実際、僕に『ループしている』だなんて、一言も言われた事はなかった。
「そこまで、月華は生きることが出来なかった―――ということだ」
そう言っている割には、表情からは何も読み取れない。
(そんなに、早く……?)
救えなかったから、感情を捨てたようなそんな瞳をしていた。僕は扉に力を籠めて、何とか足を一歩前へと踏み出す。
(……実際に、僕は死んでいない)
ここで、星蘭が僕を殺すとは考えにくい。だって、救いたい人間側だ。わざわざ、未来からここに戻ってくるのも、僕に危害を加えたいわけではないはず。
「月華様に近づかないでください」
「うーん」
梨花は容赦なく金色の扇子を振るう。それは刃みたく鋭い風を呼び起こした。轟音と共に、この部屋の花瓶が、倒れ、パリン、と割れる。散らばった陶器の破片は、血で染まっていた。
「月華様! 今です! 逃げてください、お願いですから……!」
僕は振り返り、走ろうとする。けれど、何故か逃げたくない。見捨てたくない。でも、命がけで隙を作ってくれた梨花の想いを、無駄にしたくなかった。
「うッ…!」
後ろからは息が詰まるような声。その声に、思わず振り向いてしまって、後悔する。僕は咄嗟に口を抑えた。
「月華」
星蘭の顔に影が覆いかぶさっていて、表情が読み取れない。ジャリ、と擦れる砂の音がやけに大きく聞こえる。
(……っ)
星蘭の瞳には、怯える僕が映っていた。
「あ~。やっぱり、そうだ」
紅いピアスが、彼の肩に触れる。手首はがっしりと掴まれていて、微動だにしない。
僕の震えは、彼に伝わるほどに大きい。視線を地面に向けると、梨花は金色の扇子握ったまま、地面に倒れていて、目を閉じるのみ。
「このルートの月華は、当たりだな」
「……あ、あたり?」
『あぁ』と嬉しそうに、宝物を見つけたかのように微笑む。その濁った瞳の奥には、底知れない狂気が溢れていて、思わず身震いした。そして、次の言葉に僕は目を開く。
「このルートじゃなくて、いいよな?」
「……な、」
「俺のルートに来てくれよ。だって、こっちの月華はもう死んじゃったし」
脳髄を殴られたような衝撃に、僕は絶望で眉を下げ、歪める。彼の言葉はつまり、『今の僕を拉致して、もう死んだはずの僕のルートに連れ込ませる』という他ならなかった。
僕は必死に首を横に振る。嗚咽しそうな声で、僕は必死に否定した。
「嫌だ……絶対に……い、行かない」
星蘭の琥珀色は、深く暗い色に染まる。手首を掴む彼の手が強くなっていき、僕は肩が跳ねた。手首が折れそうなぐらいの痛み。肌が千切れそうで視界がチカチカ点滅する。
(……いたい、痛い……やだ)
こんなの星蘭じゃない。だって、本来なら……もっと優しくて、太陽のように笑ってくれる、そんな存在……のはずなのに。
だからといって、目の前の星蘭は憎めなかった。だって、その行動は、全て一貫して、『僕を救いたい。僕と一緒に生きていきたい』という意思が読み取れる。歪んでいるけれど、全ては僕のため。僕が死なないようにしたいが故に……。
「星蘭……僕のため……にありがとう。でも、このルートはきっと……成功する。だから……連れ込まないで」
僕の絞り出すような懇願に、星蘭は弾かれたように目を開き、泣きそうに顔を歪める。夏風が紅い彼の髪をゆっくりと揺らした。
「……ぁ、」
星蘭の唇から、かすれた、情けないほどの、小さな声が漏れ出る。
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