第三十二話 日常?
わぁぁぁぁぁ、、
瑶璃からは定期的に、火災事件の真相を話してくれる。世間話みたいに言う彼に、不気味さを感じずにはいられなかった。
(……暇)
あれから三日経ち、暇で持て余している。片付けないといけない書類をやろうとしても、梨花に止められてしまった。
寝具の上で、ぼけっとしていても、眠気は一切襲ってこない。
「あれほど、筆は握ってはいけないと言ったのに……!」
「だって、暇だし……」
薄い寝具から上半身を起こし、梨花を見上げる。彼女の手には小さな桃を乗せた盆があった。
「暇、でもです! しっかり休んでください!」
「あ、うん……」
この前、瑶璃に『月華様に対して甘すぎる』と言われたらしい。だからなのか、梨花はかなり過保護になってしまった。次期皇帝にそんな事を言われてしまえば、そうなってしまうのも無理もない。
「厨房から新鮮な桃を持ってきましたので、食べたい時に召し上がってください」
彼女はぷいっと膨れっ面をしながら、机の上にコト、食器を置く。食器のぶつかり合う高い音が風に乗り、響き渡った。
僕はその切り分けてくれた桃を手に取ると、瑞々しい香りが鼻を擽る。それを口に運べば、甘酸っぱさが溢れ、果汁で口を満たされた。
「おいしい……」
嬉しそうな色を見せ、はにかむ梨花。少し下を俯きながら、照れるようにこう言った。
「よかったです……!」
凝り固まっていた僕の心は、溶かされていくような安心さが広がる。桃のように何故か甘酸っぱい。
(ちょっと酸味が強いかも)
次々と桃を口に運び、堪能していると、勢いよく扉が開かれた。僕がその人物に質問をする間もなく、その人物から勢いよく言葉が放たれた。
「月華!」
「? 彗蓮?」
彗蓮から緊迫した空気をひりひりと感じる。瑶璃や星蘭の姿はなく、ただ一人、彗蓮だけ。
「太史令が……」
唇をわなわなとし、彼は重々しくこう告げた。
「太史令が殺された……」
僕は眉を片方だけ上げる。
「太史令がどうして―――」
「それは……分からない。それよりも―――」
そこで言葉を止める彗蓮。チャリ、と眼鏡の金属が擦れる。大きな足音がどんどん近づいてくるのが分かった。
「月華、無事か!?」
「居る? 月華」
肩を上下に揺らしながら、息を切らしていたのは星蘭と瑶璃。僕は訳が分からず混乱する。回廊からは、忙しく行き交う属官が視界に入った。開けっ放しの扉から見えるのは、いつも通りの日常。なのに、心がざわつく。
(なんで……皆、僕が無事なのか確認してるの……?)
「よかった……」
星蘭の安堵の声が、この空間にぽつりと置き去りにされる。珍しく瑶璃も焦りの色を隠せておらず、ただ事ではないのは一目で分かった。
けれど、太史令が殺された事と、僕の安否に一体何の関係があるのだろうか。繋がらない点と点に、霧がかかり、ただ呆然とするしかなかった。
「今から、ボクと星蘭は太史令が殺された現場に急行するよ。月華と梨花はここで待機。彗蓮は白髪の女性の――――」
「やだ」
自然と出てしまった言葉に自分でも驚いてしまう。ひやっとした風が足元に流れる。
「やだって……月華、これは命令だよ」
目を見開いてそう言う瑶璃に、僕は必死に頭を横に振る。
だって、僕は星蘭と一緒に未来を生きたい。美味しいご飯を食べて、他愛のないことで笑い合って、そんな当たり前な日常を送りたい。
太史令の死が国滅亡に関係しているかもしれないなら、ここでただ守られているだけなんて、絶対に嫌だ。
「嫌……」
国が滅亡したら、僕が死ぬかもしれない。星蘭が死ぬかもしれない。
僕の視線は自然と影を見つめていた。陽光は差し込まず、太陽は雲によって隠れる。
その時、梨花の足元が僅かに動く。
「月華様にも協力してもらいましょう。私がお守りします!」
真剣な顔で、瑶璃を真正面で、彼女は言葉を告げた。深く一礼している姿に、僕は息を呑む。
瑶璃は考え込むように視線を星蘭に向ける。『どうする?』という無言の問いかけを投げかけられた星蘭は、険しい表情のまま僕をじっと見つめた。その瞳の奥には、不安と葛藤が透けて見える。
張り詰めた空気の中、星蘭は短い息を吐いた。
「……わかった」
「いいの? 君はそれで」
星蘭は瑶璃の言葉に短く頷く。『心配だけどな』と小さな声でそう呟き、僕に顔を向けた。その琥珀色の瞳には、白髪の僕しか映っていない。
「本当なら、俺の目の届く範囲にしたい、が……」
星蘭の言葉に覆いかぶさって、瑶璃が事情をつらつらと説明した。
「……少し都合が悪くてね。もし、月華がついて来てしまうと反発が起きかねない」
「反発?」
「そう、反発。周りには、君も容疑者の一人だと疑われているからね」
表情を顰めながら、瑶璃は困ったように笑う。揺れる黒髪は、なんだかぎごちなく見えた。
(僕が……容疑者の一人……?)
じわりと背中に汗が伝う。どう考えたって僕じゃない。僕は……人を殺せる程の武道を知らない。文武両道じゃないのだから。例え、能力で殺したとしても、僕はずっとこの部屋に居た。梨花と一緒に居た。
不安に思いながらも、瑶璃に恐る恐る目を合わせた。すると、彼は安心させるようにいつもの笑顔を浮かべて、『大丈夫だよ』と言っている気がした。
瑶璃の声は、少しだけ低く、重みを感じる。いつもの明るい声ではなかった。
「だから、梨花と彗蓮と共に、太史令の娘……白髪の女性の生存確認と事情聴取をしてほしい」
『勿論、梨花と彗蓮には必死に護衛をしてもらうよ』と後付け感を出しながら、瑶璃は回廊に足を踏み出した。一方、星蘭は名残惜しそうに、僕に瞳を向ける。
夏風が流れ込まなくなったこの部屋には、蒸し暑さを感じる空気で漂っていた。
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交互に差し掛かる光は、僕たちの足元を照らす。朱色の柱には影が覆いかぶさっていた。
「あ、ここでしょうか?」
「うーん、そうだね~。ここかも」
彗蓮と梨花は、瑶璃から渡された地図と見比べながら、例の場所に向かう。
僕たちが辿り着いたのは、宮廷の片隅にある平屋だった。普段は誰も近づかないような場所。手入れの行き届いていない庭には雑草が生い茂り、朱色の柱はどれも色が褪せて、不気味な影を落としている。おまけに鴉も群がっていた。
僕たちは遠くから、平屋を眺める。
「静かですね……」
平然とそう言う梨花。静かどころか、ちょっと不気味さを感じる平屋なのだけれど、何も動じていなかった。それに対して、彗蓮は身を震わせて、僕の後ろに隠れている。
「ちょ、ちょっと……怖くなってきちゃった。帰りたいかも」
瑶璃の右腕とも言われている属官なのに、そんな怯えていて大丈夫なのだろうかと思う。瑶璃の隣に居る時だけシャキ、として背筋を伸ばしているのに……。
そう騒いでいるうちに、ゴトン、と物音がした。
(……? 何か音が)
「ね、ねぇ。何か音が……」
「ひぃ、そんな事言わないでよ。月華くん!」
くねくねと僕の腰に付きまとう彗蓮。それを何とか引き剥がし、平屋に近づきに行った。
「! 月華様! お待ちください!」
砂を擦る音と梨花の声が重なる。蝉の音がどんどんと大きくなり、もう誰の声なのかも判別できない。
けれど、突如として響いたその痛々しい声だけが、僕の耳に嫌という程に突き刺さった。
「殺さないで、嫌、嫌っ……、来ないで、来ないで!」
扉を開けようとした僕の手は、ピタリと止まる。扉の向こうから、女性の声。そして、風を切るような轟音。
「死にたくない……しに、たくっ、な……ア…いやッ!」
何か、水が散りばめられたような音。梨花は片手を広げて、僕を後ろへと下がらせた。
「離れてください! 月華様!」
緊迫したその梨花の声に、僕は肩が跳ね上がってしまった。なんだか、嫌な匂いがする。早く助けないとそう思いながらも、足がすくむ。
(……嫌だ)
「ゴッ…ア……ッ」
遅れてやってきた彗蓮も、僕の腕を引っ張り、『逃げて』と視線で訴える。だが、僕は静かに、首を横に振った。揺れる紅いタッセルピアスは、迷っているかのように小さく揺れる。
「た、助けないと」
「そんな事言っている場合じゃ……!」
『お人よしのままでは、いけない。いずれ、月華が死んでしまう』――――そう彗蓮に言われているようだった。
それでも、僕は前へと進み、震える手で扉に触れる。
いつまで、受け身でいる気なの?
いつまで、頼るつもりなの?
いつまで、いつまで……。
心の中に蓄積されているような言葉は、いつだって僕に纏わりつく。
僕は小さく息を吸って、扉を押した。そこには、大鎌を振り上げて、トドメを刺そうとした誰かが居た。
(―――っ……うそ)
白い壁には、どろりとした赤い色が、雨のように散っている。寝具も小さなしょぼくれた棚も、その小さな部屋には赤だらけ。
「……あ…」
意味のない声が、喉から漏れる。視界はブレて、ピントが合わない。
視界に広がるのは、赤だけ。紅い髪が何よりも印象的だった。静かに佇んでいるその人物の頬には、血しぶきがついている。
「あれ、可笑しいな」
その人物はそう言いながら、白髪の女性に大鎌を振り落とし、内臓を潰す。聞きたくない音に思わず、顔を顰めてしまう。
振り向いたその人物の瞳は、何よりも目立つ琥珀色。
「……っ、し、星蘭……?」
その人物は、嬉しそうに微笑んだ。
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