第二十八話 天の子の儀
今回も長めです。
「どっちが本物か分かるでしょう?」
ゆらゆらと揺れる燈灯は、夜空に歪みを生ませる。
瑶璃は口を開こうとしたが、近づいてくる足音に動きを止めた。
「皇太子様。もうそろそろ、天の子の儀が始まります」
「天の子はどちらに」
瑶璃の二人の属官が駆け寄っている。一礼してから、そう言葉を放つ。
「それが、天の子と名乗る者が二人居てね」
二人の困惑した視線が僕に注がれる。彼らの言葉を聞かなくても、その視線から何となく何を考えているか読み取れてしまった。
(……僕の方が偽物だって思われてるね)
少し悔しい気持ちもあるが、いつまで彼女のハッタリが通用するのだろう。
瑶璃は状況を説明し、二人の属官に頼み事をしている。天の子の儀で『本物がどちらなのか、見分ける道具』を用意させていた。
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庭園に戻ると、役人たちは左右にずれ、道を開ける。先陣を切り、先へ進む女性。僕は瞼を伏せながら、足元を見た。
「―――天の子の儀を始めます」
丞相様の言葉により一層、重みを感じる。ひらひらと飾り紐は強く靡いた。僕の足元に夜風が走る。
「まずはどちらが本物なのか、見分ける儀式をします。……御史」
丞相様のその一言に、御史様の銀髪が小さく揺れた。彼の手には、装飾が彫り込まれている器を持っている。布が掛けられており、中身は見えない。
それを僕たち二人の前に一つ置き、一礼した。そのまま元の場所に戻り、腕を組み直す。
「二人には、射覆を行ってもらいます。布は絶対に捲ってはいけません」
丞相様が説明中にも関わらず、周りの役人たちは小さな声で話し合っていた。『どちらが本物なのか』、『初代皇帝以来じゃない?』だとか、言いたい放題。 そして、一番多かったのが『天の子なんて実際には居ないのでは』という言葉だった。
「ふふ」
本物だと名乗る白髪の女性は、胸を張る。余裕だと言わんばかりに満面の笑みを浮かべていた。
僕はそっと目を閉じる。
(……)
ポン、
能力を使うと、歪で無機質な音が脳内に流れる。けれど、僕が見たかった未来は流れない。
(これじゃない……っ)
視たい場面は流れない。流れているのは……。
「わたし、視えました!」
甲高い声で意識が戻される。横目で彼女を見ると、腕を広げていた。流石に儀式中は敬語で話しており、判別はできているようであった。
一方、僕は能力を使った代償なのか少し視界が歪み始める。朝会ほどではないが、頭も針に刺されるように痛い。
(前まで、こんな事なかったのに……っ)
暫く、痛みが続きなかなか引かない。
「この器の中には――――」
すると、また急にフッ、と痛みが消える。夜風がとても冷たく感じ、指先がかじかんだ。
「器の中には、桃が入っています!」
その言葉に属官や他の役人、侍女……皆がどよめく。そして、視線が僕に集まる。
「して……もう一人の天の子」
丞相様の鋭い視線が突き刺さった。けれど、先程の女性とは違う温かな視線であった。
「あなたには何が視えますか」
(……どうしよう)
僕は正直に答えるかどうか迷う。足元を照らす燈灯は僕の月白色を蜜柑色に染めた。沈黙が長引くほど、周囲の役人たちの視線が冷ややかになっていく。『やはり答えられないのか』という囁き声が僕の耳に届いた。
「本物の天の子なら視えるはずよね?」
白髪の女性がここぞとばかりに挑発してくる。かじかんだ指先をぎゅっと握りしめ、僕はそっと口を開いた。
「……器の中は視えませんでした。紅い炎が視えただけです」
少し離れた所に立つ瑶璃と星蘭。二人の表情を見る勇気すら出なかった。僕は袖をぎゅっと掴み、息を大きく吐く。
庭園には嘲笑と落胆の声が交じり合う。『最初から皇太子を騙していた方が偽物とは』、『皇太子も見る目がない』などの小さな声が嫌でも聞こえた。
『そうか』と視線を降ろし、呟く丞相様に申し訳なさが募る。
その時、一人の属官が丞相様に耳打ちをしていた。もうそろそろ、星の位置などの都合で次の催しが始まるのだろう。
「哀れな偽物さん。もう貴方は天の子と名乗る資格ないもんね」
くすくす、と笑う白髪の女性。そして、仕方ないとでも言うように、丞相様は首を振る。短く溜息を吐いているのが見えた。
「……御史。布を払いなさい」
こくりと頷き、御史様は布を取る。そこには、薄紅を浮かべる果実が入っていた。
「わたしの言う通りね! わたしが、紛れもない天の子!」
今までで一番の騒めきが庭園に流れる。僕には嫌悪の視線が集まるだけ。白髪の女性には敬意や憧れを向けていた。
僕は目を細め、ただ眺める。
「では、天の子である貴方はこちらへ」
丞相様はそう言い、女性を招く。彼女の手には大きな松明が握られていた。
「儀の代表として、香橋を燃やしてください。彦星と織姫が天の川を渡って再会できるように……」
その女性に一礼する。幾千本ものお線香で編まれたその美しい橋は、夜天を一層引き立たせていた。 あらかじめ塗られていた油に火が走る。炎が朱雀のように一瞬で橋全体を駆け巡る。
ゴォーッという低い鳴動とともに、夜の庭園は一変した。
「な……」
誰かの焦る声が聞こえる。その鳥を連想する炎は、橋だけでなく、乞巧楼に繋がる油に乗っかっていった。
「乞巧楼が!」
「このままだと燃えてしまうわ……!」
侍女や貴女などは後ろに後ずさり、僕の横を通り過ぎた。弾け飛ぶ火の粉によって、瞬く間に広がり、凶器的な深く赤い色へと変貌する。灰色の煙を吸い込まないように、袖で覆うがあまり意味をなさない。
僕も乞巧楼から数歩離れようとした。ただ、その時。
「ねぇ! どこに行くつもり?」
「……どこって」
僕を引き留める白髪の女性から、甘い香りがふわりと舞った。今の場ではあまり相応しくない歪な香り。
(……もしかして)
「本物の天の子はわたしなの! 従わないと駄目でしょう?」
狂気的な表情を浮かべて、僕の手首を掴む。後ろに下がろうとしても、何故か足が動かない。
いつの間にか視界が歪んでいた。けれど、奥歯を噛みしめて浅く息を吸う。
(さっきよりかは大丈夫……)
彼女の後ろを覗くと、夜空には赤く残酷な煙が舞い、鮮やかだった飾り紐はどんどん黒く焦げ灰になっていく。
木のパキ、という音が響き渡る。焦げ臭さが鼻腔を擽り、咳を込んでしまった。
「痛い、いや、いやぁっ!」
「ゴホ、う、!」
四方八方から聞こえる悲鳴。油は至る所に散らばっていたらしく、被害を受けている者が続出していた。
「......!」
僕も逃げようとしたが、火に囲まれてしまう。そもそも白髪の女性が僕の手首を離そうともしない。引っ張っても逆に引っ張られる。
「あんたは、ここに居て! 命令よ!」
「……」
僕は目を細めて、笑みを深める。何も言わない僕を不審に思ったのか彼女は眉を吊り上げた。
「き、傷ついた、傷ついたぁ! 笑うなんてひどい! 無礼よ!」
「きみこそ、無礼だよ。容易く、手首を触らないで」
僕はちらりと横目で乞巧楼の下を見る。
(あと、三十秒……)
すぐに視線を女性に移すと、表情は怒りに満ちていた。白髪は炎の光によって赤く僅かに染まり、まるで『偽物ですよ』と誇張しているように見える。
怒りのせいか、甘い香りを持った煙が彼女の周りを多く漂い始めていた。頭に重く響き、また痺れ始める。
「君、どうして逃げないの?」
「未来が視えるわたしは、死なない! 死ぬはずがないもの!」
甘い香りを持つ煙は、灰色の有害な煙を打ち消していた。彼女の周りには、煙が一切近寄っていない。
(! 今だ)
肺からヒュ、ヒュという細い呼吸を繰り返していても、僕は素早く彼女の後ろを指差し、ハッタリを言葉にした。
「あ! 危ない!」
「な、なに?」
(―――かかった)
一瞬だけ掴む力が弱くなったのを隙に、そのまま燃え盛る乞巧楼に向けて引っ張った。折角、用意してもらった月白色の礼服は紅く黒く小さな穴が空く。
普通の人間なら恐怖で火から遠ざかる。その心理の裏をかき、自ら火の粉の舞う中へと飛び込むことで、彼女の手から強引に手首を引き抜いた。
「しまっ―――」
彼女は顔を青ざめて、すぐに乞巧楼から遠ざかろうとしていた。けれど、もう遅い。
パキ、という大きな音が響き渡る。空気が重く落とされるような轟音。その女性の顔に影が被さり、暗さが濃くなっていった。白髪の女性の細い喉からは、甲高い悲鳴でもなく、悔し気な声でもなく……息苦しさで声すら出ないそんな声。
「い、ぁ……っ!」
崩れた乞巧楼の中で、彼女の肌は赤く焼きただれていく。
まだ燃え盛る木くずを僕はパキ、とへし折った。
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