第二十二話 御書庫
今回はちょい、いつもより長いです。
「うん? 大尉のこと?」
朝会を終え、各役人はするべきことをしていた。ふと上を見上げると、暁の空はもうない。藍さが水に溶ける。
朱色の柱を無視するかのように、光は遠慮なく交互に僕を照らした。
「大尉様の処遇ってどうなったか知りたくて……」
先程の場では、大尉様が居た。後任はされていないとなると、どんな処罰を受けたのか気になったのだ。
「確か、減給だったはず。ボクは寛大だからね!」
腰に手を添えて、胸を張ってそう言う。得意げな表情に僕はほっとした。まだ死刑や追放じゃなければいいかなと思う。
振り向いた瑶璃の背後についていき、暫く歩いていると『あ』という声が前方から聞こえた。
「二人には、曝書の手伝いをしてもらおっかな」
「ばくしょ……?」
瑶璃は顎に手を当てて、どこか楽しげにその命を口にした。ゆらりと揺れる袖と靡く黒髪が視界に入る。
「まぁ、行ったら分かるよ。簡単に言うと書庫の手伝いだから」
手をひらひらさせて、礼服の煌めく星が光で反射した。『ボクはやらないといけないことがあるから、また夕方ね』―――――そう言って、廊下の角に曲がっていく。
(……置いてかれた)
ぽつんと二人ぼっち。星蘭は小さく息を吐きながらも苦笑い。彼は明るくハツラツとした声で視線を僕に向ける。
「じゃあ、御書庫に行くか」
「場所は分かるの?」
「勿論!」
それだけ言って、彼の紅い髪が揺れた。
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目の前には、厳重な鍵がかけられた巨大な扉があった。漆黒の木扉に、ゴツゴツとした装飾。鍵が掛けられていて、大人数人がかりでなければ開かないような扉であった。
(……で、でかい)
思ったよりも書庫は大きい。瑶璃の属官だという事を書類を提示し、ギィ、ギィ―――――と大きく鈍い音が、扉からゆっくりと溢れる。
(……匂いがする)
一歩中に入ると、外の暑さが嘘のようにひんやりとした空気が肌を刺す。スーッとする独特な墨のような香りが鼻をくすぐった。
奥に進むと一人の影が揺れる。星蘭は僕を後ろにして、庇うように進んだ。
さらに近づくと小さな声が聞こえる。
「……おかしい。凶星の軌道傾斜角が、計算値からわずかに一分の誤差を生んでいる。太史令は身近な者の裏切りなどと変な解釈をしているが、本質はそこではない気がするなぁ。過去三百年の天象記録を照合すれば、この星の配置が示すのは単なる人災ではなく、大気循環の急変による局所的な熱量の暴走、つまりは『危機の災い』だ。確率にすると、八割七分。あれ、ちょっと待って。どうして、太史令はそんな曖昧な数値を出した? 何か、隠されているのでは―――――」
(あー。うん)
圧倒されて、僕と星蘭は呆然とする。本棚の隙間から見える一人の若い男。焦げ茶色の髪、特徴的な眼鏡が掛けられていた。
僕は後ろで控え、星蘭は彼の肩をポンと叩く。
「忙しいところ、すま――――」
「ガァァァァ」
「え」
相手の変な声で星蘭の目は豆粒になる。
(? 星蘭はこの人と初見なのかな?)
何回もループしている彼には、ちょっと珍しい反応であった。ただ単に慣れていないだけかもしれないけど……。
「ギャアァァァ―――!」
「ちょ、おま……」
星蘭は焦り、おろおろしていた。一方、眼鏡を掛けている彼は、後ろに勢いよく壁に突進する。ガン、という痛そうな音が響き、流石にちょっと心配になってきた。
肩に届かない彼の髪は、小さく揺れる。身体がくねくねと動いていて、ちょっと……。
「芋虫みたい」
ぽつりと小さな声で言ったのに、眼鏡の奴はしっかり拾い上げた。
「どこの誰が~?」
有り得ない程のスピードで僕の目の前まで迫り来る。先程までの真剣な顔つきはどこに捨ててきたんだろう。
「ま~さ~か~。僕のことじゃないよねぇ……?」
「いやぁ、そのまさか」
僕は満面の笑みを浮かべる。次の言葉を言わなくても、眼鏡の男は気づいたみたいだ。
「こらこら、とりあえず落ち着け」
星蘭によって、その男は引き剥がされる。むっとした表情をする眼鏡の男。不満が溢れ出ていた。
けれど、小さく息を吐いて、眼鏡をくいと上げる。
「……ひどい、ひどすぎるよ。星蘭、今の聞いた? 先輩である僕を『芋虫』呼ばわりだよ! 僕の心は、バキバキのぐちゃぐちゃ……もう家に帰ってふて寝したいぃ」
『うわぁん、うわぁん』と大袈裟に泣き出した。眼鏡をはずして、袖でゴシゴシと拭う。先程まで一人で難しそうな天文学を計算していた姿とは到底思えない情けなさだった。
「お前が変な声出して壁に激突するからだろ? ほら、月華に変な誤解される前に自己紹介!」
星蘭は彼の背中をバシバシと叩いて押す。『うぅ……』と項垂れて一歩前へ出た。
「……春宮の主簿をやってる。一応、瑶璃様の不条理なワガママを予算内に収めるっていう奴なんだけど、宮廷で一番胃が痛い実務をやってる役職です……はい……」
明らかに落ち込んでいた。どよーんとした空間は、更にひんやりと温度が下がった気がする。
「僕は月華。天の子だよ」
「え! ほんと?」
「あー……うん」
目を輝かせて、僕の手を強く両手で握った。
「僕の名前は、彗蓮! いやぁ、まさか天の子に本当に出会えるなんて~。計算式よりも魅力的だよ、月華くん!」
『これから、よろしくね!』と言って、花のような笑みを咲かせる。対して、星蘭はそんな様子に引いていた。
「星蘭は、彗蓮の事知ってたの? 知り合い?」
「あぁ、実は――――」
彼と出会ったのは報告書を提出する時だったらしい。それは彗蓮も一緒だとか。星蘭が言いかけると、彗蓮がその言葉を奪うように身を乗り出してきた。
「その時にね~、助けてもらったんだ~!」
「書類が風で飛んでいって、大変だったんだぞ……」
僕が知らない間にそんな事が起きていたとは。そう思っていると彗蓮は『あぁ!』と何か思い出したかのように頭を抱えた。
「や、やばいよ! すっかり忘れてたけど、他国の使節団が来る前に掃除終わらせないといけないのにぃ。終わらなかったら、瑶璃様にどんなお仕置きをされるか……ひぃぃ、手伝って! 頼むから僕を助けてぇぇ!」
僕の足に絡みつき、彼は涙目で懇願してきたのだった。また泣きじゃくる彼を振り払おうとするが、なかなかしぶとい。
「ちょっと、離れて、手伝うから……!」
「ほ、ほんと? やったぁ!」
彼はキリっとした目付きになり、自分の服をパッ、パッと払っていた。僅かな光によってその埃が舞っている。窓は少ないからなのか、ここの場所は暗い。
「じゃあ、早速なんだけどね。これだけは守ってもらいたい事があって……」
真摯な顔で、僕たちを見据える。小さな光がレンズに一筋の煌めきを帯びさせた。光の少ない空間でも目立つその仕草に普通じゃないと悟る。
「ここの書庫は、国家機密級の情報が詰まっている。この国の成り立ち、過去の天災の記録、それに天の子に関する秘密事項までね」
僕はゆっくりと瞼をあげる。そして、彼はまだ言葉を続けた。
「分かっていると思うけど、火気厳禁だよ。分かった……?」
こくりと頷く。僅かな陽光が斜めに差し、僕たちに温度を与えた。
ここまで読んでくれた人は神です。誇ってください。




