第80話 思いがけない訪問者
淡い霧が立ち込め、あたり一面は白に染まっていた。
ガーネットとコールは、屋敷の端にある厩舎へと向かった。
――ヒヒィィィィン。
いつもより早い人間たちの訪れに、馬たちは鼻息を荒くして餌をねだってくる。
少し離れた馬房にて――
コールは、純白の毛並みが美しい愛馬パトリシアに干し草を与えていた。
その傍ら、ガーネットは他の馬たちに干し草を配って回る。
干し草を抱えたまま、先ほどの出来事を思い返した。
屋敷から厩舎へ辿り着くまでの間、次々と矢が飛んできた。
矢の軌道をたどると、標的はやっぱりコールだった。
それなのに……
コールは雨粒を避けるように矢を躱して、平然としているのですもの。
見ている私のほうが、生きた心地がしない。
1秒でも早く、この屋敷から離れないと。
正直、私の精神が持たないっ。
その時だった。
厩舎に乾いた足音が響く。
「コールレオン様、もうお帰りですか?」
厩舎の扉口には、家宰のジャレンが立っていた。
手には何やら、大きな荷物を抱えている。
おそらく土産だろうと、見当をつけたガーネットは目を瞬かせる。
パトリシアの鼻先を優しく撫でながら、コールはジャレンに微笑みかける。
「ああ。朝から、矢やら蜘蛛やら飛んできて大変だったからな。これ以上長居すると、兄上たちの暗殺の手筈も整うだろうし。俺はさっさと帰るよ」
すると、ジャレンの背後に新たな影が現れる。
その人物は、場を支配するような低音を放った。
「ほう。挨拶もなしに去るとは、随分と礼儀を知らぬ息子だ」
冷ややかな威厳を帯びた声が、空気を震わせる。
コールもガーネットも、驚くより先に顔を上げた。
コツ、コツ……。
地面を叩く杖の音とともに、霧の中から琥珀色の瞳がぎらりと光る。
現れたのは、ガルシア家当主ダルトン・ガルシアだった。
当主の皮肉に、コールの頬がわずかに引きつる。
目を細め、猫を被ったような声色で返した。
「当主様がこのような場へ足をお運びになるとは、思いもしませんでした」
ほんの一拍ののち、コールはガーネットを腕の中へ抱き寄せた。
「当主様が『当主になる条件』にガーネットを加えたせいで、恋人の俺は、兄上たちにより一層命を狙われましてね。安全で平和な故郷に帰ることにしますよ」
コールの言葉に潜む皮肉など何のその。
取るに足らぬと、ダルトンは鼻を鳴らした。
「ハッ、それは愉快。大切なものをこれ見よがしに連れ歩くからだ。昨晩は第一夫人たちも仕掛けたのだろう? ガルシア家総出で迎えて、随分と持てはやされているではないか」
ムッと、コールは唇をひと筋に引き結ぶ。
こめかみには青筋が立ち、非難を含んだ眼差しをダルトンへ投げた。
その視線さえ心地よい刺激とでも言うように、ダルトンは不敵に笑った。
2人の間に、張りつめた緊張が漂う――。
ガーネットは静かに息を呑んだ。
父子の会話とは思えないほど、空気が険悪だわ。
コールがガルシア卿を嫌悪しているのが伝わってくる。
過去の悲痛な境遇を鑑みても、ガルシア卿を嫌う気持ちは頷ける。
――でも私には、どうしても引っかかることがあった。
ガルシア卿は、私の質問に応じてくれるかしら?
正直、わからない。
でもこの質問は、コールにとって、きっと大きな意味を持つことになる。
……そんな気がするの。
決意を瞳に宿し、ガーネットはゆっくりと顔を上げた。
「あの、ガルシア卿」
思いがけない人物から声を掛けられ、ダルトンは片眉を吊り上げた。
コールも驚いたように、左目尻のホクロを揺らす。
「……ん、何か用かね。ガーネット嬢」
ダルトンからの冷たい視線が肌に刺さる。
だがガーネットは怯むことなく見返し、勇気を奮い立たせた。
「実は、ガルシア卿にお尋ねしたいことがあるのです。よろしい、でしょうか?」
微かに指先を震わせながら、奮い立つガーネットの姿をダルトンはじっと観察した。
爬虫類のような冷たい眼差しが、ガーネットの表情を深く見据える。
ほう……
我が息子たちでも視線を合わせぬというのに、なかなか度胸のある娘だ。
自然と上がる口角に逆らい、ダルトンは厳格な声を響かせた。
「……ああ、構わない。君は憎きベルフィオーレの娘ではあるが、コールレオンの花嫁でもあるからな。ま、コールレオンが他の兄弟に命を取られないかぎりだが」
ん? いつの間にか恋人から花嫁に格上げされているみたい。
でも、今はそこに口を挟んでいる暇はないわ。
私が気になっているのはひとつだけ。
「カレンデュラ様についてお聞きしたいのですが……」
ガーネットは静かに言葉を紡ぎ出す。
この問いかけが、2人の間に残る溝を少しでも埋めてくれることを願って……。




