第8話 傷モノ令嬢は猪突猛進
レオンからの婚約申込書ですって……?
ガーネットの青碧の瞳が大きく見開かれる。手紙の文面を食い入るように見つめたまま、石像のように硬直した。
傍らのルビィは、ママさまを愉快な顔にした手紙を興味深げに見上げている。
そんな2人の様子を、ジャスパーは声も立てずに見守っていた。が、沈んだ感情が浮かんできたのか、こめかみを強く押さえ、疲れた溜め息とともに口を開く。
「その婚約申込書が、朝方から30分毎に届いているのだそうだ。ロバーツがそれはもう苛立っていて、先ほども愚痴を零していた」
「え、30分ごと?」
ガーネットは耳を疑った。一方のジャスパーは、普段の穏やかなぬくもりは奪われ、凍てつくような声を落とす。
「シュナイダー卿から届いた8通の婚約申込書が、私の書斎机に積んである……まるで脅迫だよ。ガーネが承諾するまで永遠に送り続けてくるつもりなのか、彼は。他家からも婚約の申込が届いているのだが、それが霞むほどの束になりそうだ」
ジャスパーの言葉が耳に触れ、ガーネットは戸惑いの色を声に纏わせる。
「え、レオンだけでなく、他家からも届いているのですか。私なんかに婚約の申し込みを……?」
しなやかな指先がそっと首元の傷痕に触れる。指先の腹に感じた微かにざらつく感触に、ガーネットは物憂げに視線を伏せた。
……こんな傷モノの私に、どうして?
絹糸のように美しい珊瑚色の髪を煌めかせ、憂いを帯びた様子で俯く愛娘を、ジャスパーは案じるように見つめた。
14年もの間、カイザー殿下に例の傷痕を侮辱され続けたせいか。ガーネは自分というものに、すっかり自信を無くしてしまった。
我が娘という贔屓目を抜きにしても、ガーネは麗しい令嬢だ。
カイザー殿下との婚約が解消されれば求婚されるのも納得なのだが、案の定、自己肯定の低いガーネは傷のコンプレックスに囚われ、自分の魅力に気づかない。
求婚者の中には、きっとガーネを心から愛してくれる男もいるだろう。
だが、レオンハルト・シュナイダーはよろしくない。
私の直感が、あの男だけはやめろと警鐘を打ち鳴らしている。
ただ彼は、やがては公爵位を受け継ぐ格上の令息。
そのうえ、国王からの覚えもいい。
何か事を起こされてからでは、我がベルフィオーレ侯爵家では太刀打ちできない可能性がある。
おっとその前に、ガーネの気持ちを確かめておかねばな。
「一応確認なのだが、シュナイダー卿の求婚を受け入れる気はないのだろう?」
静かに頷いたガーネットは、柔らかな声色をそっと落とした。
「ええ。私にとってレオンは弟にしか見えなくて……レオンだって、冗談のつもりで求婚したのかもしれませんね」
いや、彼は本気だろう。
一切の感情を読み取れぬ仮面の下、ジャスパーは胸の内で深い溜め息を吐いた。娘を想う心配の溜め息が、心の奥底に広がっていく。
ガーネの手前口にはしないが、シュナイダー卿は昔からガーネに執着している気があった。ルビィの父親の死にも、彼が一枚噛んでいる可能性だって否定できない。彼とは顔を合わさず、ベルフィオーレ領へ身を隠したほうが安全だろう。
父の懸念を知ってか知らずか、ガーネットは軽やかに手を打ち鳴らした。
「そうだわ、今日はレオンに会いに行かなくちゃ……」
「えぇっ、なぜだい?」
驚きとともに、ジャスパーの瞳がガーネットを静かに射抜いた。注がれる眼差しに気づかぬまま、ガーネットはルビィの肩にそっと指先を添える。
「実は、ルビィのお父様の名前が『レオ』らしくって、もしかしたらレオンが父親かもしれないのです」
瞬間、ジャスパーの顔色から血の気が引いた。動揺から瞳は乾き、息は荒く乱れる。気づいた時にはもう、幼子のように駄々をこねる声がぽろりと飛び出していた。
「……な、なんだと!? それは絶対にやめるべきだ。お父様は許しませぇんっ!」
突然口火を切った父の否定に、ガーネットは不思議そうに小首を傾げる。
「え、どうしたのお父様? レオンと決まったわけではないでしょう。確認するためにも、王城を訪ねてルビィがどう反応をするか見たいのですけど」
「そ、それは確かに。伴侶候補者を減らすという意味では、効果的かもしれない。だがもし…………うぅーん」
喉を絞りに絞ったような唸り声を響かせるジャスパーに、ガーネットは驚きを禁じ得ない。
いつも自由にさせてくれるお父様がこんなに拒絶するなんて……どうやらお父様は、レオンはお気に召さないみたい。
でも……やっぱり、直接会って確かめないと……
きゅっと唇を結ぶ。耳を澄まさなければ聞き逃してしまうほどの微かな声量で、ガーネットはぼそりと言葉を落とした。吐息のように か細い声には、切実さが滲んでいる。
「あと2か月で身籠るらしいから、なるべく手がかりがほしいの……」
この発言には、流石のジャスパーも言葉を吞み込んだ。
「………………それはっ」
やがて、感情を整えるように溜め息をひとつ吐いたジャスパーは、そっと頬を掻く。言葉ひとつひとつを慎重に選び取り、穏やかな声音で娘に想いを伝えた。
「それは……手がかりを探すよりも、ガーネの心に聴くのが一番だと、お父様は思うよ」
「私の心?」
胸の奥、真っ直ぐ入ってきた言葉を、ぽつんと呟く。
まるで幼子のように純粋無垢な瞳を煌めかせる娘を見つめ、ジャスパーは絵本を読み進める父親のごとく優しく言葉を紡いだ。
「……私が初めてエメルダに会った時、雷撃で痺れたような衝撃を受けたんだ。その瞬間、彼女が運命だと、僕の生涯の伴侶だと知った。きっとガーネも、この人だって気づくはずさ」
眉尻がハの字に下がり、ガーネットは控えめに笑みをこぼした。
「お父様は直感が鋭いけど、私にそんな直感はないもの」
肩を落とした娘を励ますように、ジャスパーは誇らしげに胸を張ってみせた。
「ガーネは私の娘だ。絶対に気づくさ」
堂々としたその姿は、落ち込んだ室内を淡く照らす。心に折り合いを付けたように、ジャスパーはそっと言葉を落とした。
「まあ、人の目のある王城ならば、卿もおかしな真似はしてこないだろう。会いに行っておいで。きっと違うとわかるから。今日はゲオルグとコールは……ああ、騎士団に駆り出されていたか。では、代わりに私の護衛を付けて」
ジャスパーが一瞬視線を外すと、視界にあったはずのガーネットとルビィが忽然と姿を消していた。今の今まで会話を交わしていたはずなのに、いつの間にやら廊下へと足を踏み出している。
「ふふ、そんなに心配しなくても大丈夫。では、レオンに会いに王城に行ってきますね。ロバーツのためにも婚約申込書を止めさせてきます。ルビィ、お祖父様に『行ってきます』って挨拶しましょうね」
右手を跳ねるように振って、ルビィは無邪気な笑みを輝かせる。
「おじいさま、いってくるの~」
その愛らしさに、一瞬で絆されたジャスパーはつい手を振り返してしまう。
「ああ、気をつけてねルビィちゃん……」
可憐さと喧騒を失った部屋を背に、ジャスパーは静寂の廊下へと進んだ。すでに廊下のどこにもガーネットたちの姿はなく、噛みしめるように言葉をこぼした。
「……行ってしまったか。心に決めたら、猪突猛進になるところは母親譲りというか、なんというか……」
疲れを和らげるように眉間に指先を添え、ジャスパーは目下の悩みを口にする。
「……ガーネが悪い男に騙されないか不安だ。あと2か月……
レオという名の男、か…………レオ、れお……レ、ん? 彼も確か……」
不意に落ちたジャスパーの声音は、微かな希望を纏っていた。
【登場人物メモⅢ】
ジャスパー・ベルフィオーレ
43歳。ガーネットの父。ベルフィオーレ家侯爵家当主。
非常に直感に優れた才を持ち、宝石領ベルフィオーレをさらなる豊かな地へと引き上げた。ガーネットを気にかける心優しい父親。愛妻家。
次の物語は――
ルビィとともに、ガーネットは王城へと赴きます。
ガーネットを熱烈に迎えたのは、ひと癖もふた癖もある幼馴染みレオンハルト。
果たして、彼がルビィの父親なのでしょうか?




